終章:別れと旅立ち

84話:何で今さら

 

「とりあえず出来るだけの事はしたけど、無理し過ぎよ。

 可能なら直ぐにちゃんとした設備のある場所で調整して貰った方が良いわ」

 

 それから。

 俺はアウローラの治療と休息で大分元気になって来た。

 なのでイーリス達の方の様子も見に行く。

 此処は特に視界を遮る物もない、荒涼とした岩場。

 その片隅でブリーデは姉妹に手当を施していた。

 丁度終わり時に来た形のようで、イーリスとテレサは衣服を整えてる最中だった。

 

「おう、大丈夫そうか?」

「お前よりは大丈夫だよ。

 っつーかまだ着替えてんだから寄ってくるな」

「私は気にしませんので、ご心配なく」

「いや気にしろよ姉さん」

 

 うむ、姉妹揃って元気そうだな。

 ブリーデの方を見ると、彼女は小さく肩を竦めた。

 

「さっきも言ったけど、応急処置レベルだから。

 身体の怪我は大丈夫でしょうけど、埋め込んでる『強化』の方はね。

 流石にこの場で修理だの調整だのは無理だから」

「その辺は俺も良く分からんが、治せるところで見せないとダメか」

「技術レベルの高い大都市なら、特に問題なく治療できると思う」

 

 成る程、つまり次はそういう場所に行く必要があると。

 頷く俺の傍で、アウローラはじっとブリーデに視線を向けていた。

 睨んでいる……というには眼にちょっと力が無い気もする。

 何か言いたげだけど口に出来ない。

 それを眼で訴えかけているようだが、ブリーデは敢えて無視しているようだ。

 

「長子殿は本当に面倒臭いなぁ」

「うるさい、黙れ」

 

 呆れた様子のボレアスに対しては即座に悪態を返す。

 うーん、これは二人でちゃんと話す機会を考えた方が良いのか?

 こっちの考えなど知らぬとばかりに、ブリーデは自分の懐を探り始める。

 取り出したのは何枚かの紙と、一本のペン。

 それにサラサラと文字を書き始める。

 

「それは?」

「都市と言っても、アンタじゃ心当たりも何もないでしょ?

 一番近い場所にある大都市の座標を書き出してるの」

「あぁ、そりゃ助かる」

 

 目的地がハッキリするのは実際ありがたい。

 ブリーデは手早くそれを書き出すと、メモはイーリスの方に渡した。

 

「これ。そっちの人形に情報入力すれば、多分案内ナビも出来るでしょ?」

「ん……あぁ、行けると思う。ありがとな」

「……一応、このぐらいの面倒は見ないとね」

 

 イーリスの言葉に小さく頷いてから、ブリーデはその場に立ち上がる。

 何度か身体の曲げ伸ばしをしてから、一息。

 改めて俺の方に向き直るが、やはりアウローラからは目線は逸らしたままだ。

 

「正直死ぬほど大変だったけど、まぁお互い無事で良かったわ」

「あぁ、色々ありがとうな」

「礼とかは良いわ、もう。それじゃ、此処でお別れね」

「おう」

 

 多分、同行とかは自分で言い出したりはしないだろうと。

 そのぐらいは当然考えていた。

 あっさりと別れの言葉を告げて、ブリーデは急ぐように背を向ける。

 俺個人としては、正直心配ではある。

 地下での様子とかを知っていると、一人で行かせて大丈夫なのか?

 そう考えて、一応引き留めようとしたところで――。

 

「ちょっと、待ちなさい」

 

 俺より先に、アウローラが止めに入った。

 去ろうとするブリーデの手首を、有無を言わさぬ様子で掴む。

 振り向かずに足を止めるブリーデ。

 そんな彼女の様子に、アウローラは微妙に苛立っているようだった。

 

「白子のナメクジの癖に、いつまで私を無視しているの?

 いい加減にこっちを見なさいよ、ねぇ」

「……三千年経っても、アンタは変わらないわね。

 今はアウローラって名乗ってるんだっけ?」

 

 此処でようやく、ブリーデはアウローラの方に顔を向けた。

 色んなモノを堪えて、無理やり蓋をしているような無表情だった。

 思いの外迫力があるが、アウローラはそのぐらいで怯んだりはしない。

 手首を掴む手に少し力も入っている。

 

「《言語統一バベル》からアンタの真名が除外されてたのは、正直驚いたわ。

 まぁここ数百年、アンタの名前をわざわざ口に出す機会もなかったし。

 それで気付くのが遅れたのは、間抜けな話だけど」

「……貴女、変わった?」

 

 淡々と語るブリーデの声は、どうにも硬い。

 緊張とかで硬くなっているのではなく、鋭い刃のような硬質さだ。

 敵意とはまた別種の拒絶を感じるが……それより。

 

「……《言語統一》って何だ? 地下の方でもチラっと聞いたんだが」

「文字通り、この地で生きる者達の言葉を『統一』した事象だ。

 まだ全ての《古き王》が健在だった時代の事。

 それは『言葉』を司る竜王バベルが行った御業だ」

 

 俺の疑問にはボレアスが答えてくれた。

 ほんの少しだが、昔の事を懐かしんでいるようにも見える。

 

「この《言語統一》で、「言葉を口にすれば意思の疎通が行える」という秩序ルールが大陸に敷かれた。

 これが成立する以前から存在した、幾つかの言語については例外だが。

 そうでなければ、とりあえず言葉を声にすれば大陸内ではどんな相手でも意味を理解出来るわけだ」

「成る程なぁ」

 

 詳しい理屈は知らんが、そんなモノが存在していたのか。

 

「で、長子殿は自分の真名をその《言語統一》からこっそり外していたわけだ。

 だから以前の真名を口にしても、それが意味として通じんのだろう」

「……何でそんな事したんだ?」

「さてなぁ」

 

 肩を竦め、ボレアスは曖昧に言葉を濁した。

 そうしている間も、古い竜の姉妹同士の話は続く。

 

「変わった? 三千年よ、三千年。アンタが消えてから今まで。

 それだけの時間が経っているんだから、そりゃ変わるものは変わるでしょう」

「……私や貴女が生きて来た年月に比べたら、ほんの少しじゃない」

「それを『ほんの少し』なんて言えるのは、アンタ達ぐらいよ」

 

 若干の困惑が滲むアウローラに対し、ブリーデの方に苛立ちが混じって来た。

 止めるべきかどうなのか、外野には判断が難しい。

 随分暫くぶりの再会のようであるし、余り野暮はしたくないんだが。

 

「……離してよ。

 別にアンタに心配して貰わなくとも、安全な移動手段ぐらいは用意してるから」

「小さな砂漠を渡るだけで何年も費やした貴女が、随分大きな事を言うのね」

「それはアンタが、私が寝てる間に何度も何度も同じ場所に引き戻してたからでしょうが……!?」

「そ、そうだったかしらね?」

 

 何してるんすかアウローラさん。

 そういう悪戯めいた真似を、昔は何度もしていたんだろうか。

 地下で聞いた限り、そりゃブリーデも色々鬱憤が溜まるだろうなぁ。

 今の彼女の態度はまたそういうのとは別の物を感じるが。

 

「いいから、離してよ。

 それともこのまま、私に無理やり言う事を聞かせるの? 昔みたいに」

「…………」

 

 幾らかの棘を含んだブリーデの言葉に。

 アウローラは暫し沈黙し、やがて言われた通りに手首に絡んだ指を離す。

 そう長い間掴んでいたわけではないが、ブリーデの手首には赤い跡が残っていた。

 彼女は自身に残った指の痕跡を見て、少し目を細めた。

 何かを言葉にしようとしたようだったが、躊躇いがちに口を閉ざした。

 うーん、本当に複雑な姉妹仲だ。

 

「……ねぇ」

「私は」

 

 アウローラとブリーデ。

 二人の言葉は同じタイミングでかち合った。

 姉妹のどちらも声に詰まり――改めて続けたのは、ブリーデの方だった。

 

「……私は、別にアンタの事は恨んで無いわ。

 そりゃ、昔は文字通り山ほど酷い目に遭わされたけど。

 それについて、今さらどうこう言うつもりも無い」

 

 ブリーデはそう言いながらやや俯く。

 正面からアウローラを見る事を躊躇うように。

 それに対して、アウローラは。

 

「……私、貴女にそんな酷い事したかしら?」

「したわよ!? 細かい事から大きい事まで!!

 死にかけたのも二度や三度じゃないんですけど!?」

「貧弱だものね、貴女」

「反省の色無しか!!」

「そういうとこだぞ長子殿」

 

 しみじみ言うアウローラに、ボレアスは思わず冷静にツッコんでいた。

 それとは逆にブリーデは感情を爆発させる。

 が、また直ぐに声のトーンは下がった。

 ブリーデはまだ俯き気味で、アウローラを正面からは見ない。

 

「あぁもう……それは良い、もう良いから。

 だから私は、アンタに言う事なんて何も無い。

 何も無い――はず、だったのに……」

 

 ギリッ、と。

 小さく奥歯を噛み締める音がブリーデの方から聞こえた。

 彼女が何を言いたいか分からずに、アウローラは首を傾げる。

 それからもう少しだけ距離を詰めて、ブリーデの顔を覗き込んだ。

 

「ねぇ、貴女はさっきから何を……」

「――――ッ!!」

 

 乾いた音が響いた。

 ブリーデの平手打ちが、アウローラの頬を叩いていた。

 まったく予想していなかったのか、アウローラはまともに食らっていた。

 驚きに固まる妹の顔を、姉のブリーデは真っ直ぐ睨みつける。

 その眼には涙が溢れていた。

 

!!」

 

 ブリーデは叫んだ。

 勢い良く叩いたせいか、明らかに手首を捻っていたが。

 それでも構わず、彼女はアウローラの襟元を掴む。

 顔を歪めているのは物理的な痛みか、それとも別の感情か。

 多分、それはブリーデ本人しか分からないだろう。

 アウローラはただされるがままだった。

 

「アンタがいなくなって、三千年も経った!!

 諦めてた、きっと何処かで死んだんだって!!

 それならそれで良かったっ!

 アンタは『』に巻き込まれずに済んだって……!!」

「っ……だから、一体何の話を……」

「――もう、関係のない話よ」

 

 戸惑うアウローラの問いかけに、過熱した感情が一転して凍り付いた。

 ブリーデは低く呟くように応えながら、ゆっくりその手を離す。

 それから突き放すように、アウローラの薄い胸を押した。

 二歩、三歩と姉妹の距離が開く。

 そして。

 

「……丁度、迎えが来たわね」

 

 ブリーデの言葉通り、夜空を裂くように「何か」が飛んで来た。

 それは一頭の黒い竜だった。

 力強く翼を羽ばたかせながらブリーデの背後に降り立つ。

 黒竜は俺達を見下ろすと、小さく唸り声を漏らす。

 その眼には知性の光があり、明らかに飛竜のようなモドキではなかった。

 

「っ、ちょっと、待ちなさい……!」

「待たないわよ。アンタって誰より頭が良い癖に、時々とんでもなくバカよね」

 

 笑うというより、呆れた様子でブリーデは言う。

 その身体に黒竜の尾が巻き付く。

 アウローラはそれを阻もうと踏み出しかけたが――。

 

「……まぁ、アンタが生きてると知って。

 それを嬉しく思った私が、多分一番バカだけどね」

 

 姉が口にしたその言葉に、アウローラの足は一瞬止まった。

 それが彼女の本音だと分かって戸惑ったか。

 最後に、ブリーデは妹に向けて一度だけ微笑んだ。

 

「……さようなら、■■■■。私は、貴女の事が大嫌いよ」

 

 ノイズで聞き取れなかったのは、恐らくアウローラの真名だろう。

 黒竜は素早く夜空へ舞い上がると、そのまま風の如く飛び去って行った。

 後には、中途半端な姿勢で固まってしまったアウローラだけが残されている。

 彼女は茫然と、夜に消えたブリーデを見送っていた。

 或いは単に、頭が追いつかずに凍り付いフリーズしてるだけかもしれない。

 

「……アウローラ、大丈夫か?」

「…………」

 

 とりあえず声をかけてみたが、反応は無い。

 ボレアスもやはり困惑した顔で、夜空とアウローラを見比べていた。

 

「いやまさか、姉上があそこまでハッキリ言うとはなぁ……。

 我の印象だと、いつも長子殿になぁなぁで押し切られていたはずだが……」

「それはまぁ、本人も三千年で変わったみたいに言ってたし」

 

 それより、今はアウローラの方だ。

 未だに爪先から頭のてっぺんまで凍り付いたままだが。

 

「……私は、貴女の事、嫌いじゃないわ」

 

 応える相手のいない言葉を、ポツリと呟いた。

 これはガチでショック受けてるな。

 頭を撫でても、試しにだっこしてもあんまり状態は変わらない。

 うーん、重傷だなコレ。

 

「……なぁ、一体どういう話なんだ?」

 

 恐る恐ると、イーリスが俺に聞いて来た。

 二人の関係とか、三千年で起こった変化だとか。

 そういうのは良く分からんが。

 

「アレだ、姉妹喧嘩だ」

「ますますどういう話か分かんねぇよ」

 

 そう言われても多分事実だしなぁ。

 腕に抱いたアウローラは、借りて来た猫のように大人しい。

 未だかつてない彼女の落ち込み具合に、イーリスもテレサも戸惑っていた。

 まぁ無理もないっつーか、正直俺も驚いてる。

 割とアウローラは感情豊かな方だが、此処までネガティブなのは珍しい。

 

「……大丈夫、大丈夫よ。

 別に気にしてないし、気にする必要もないもの」

 

 何やら呟いているが、殆ど自分に言い聞かせている言葉だった。

 衝撃がデカ過ぎて茫然自失だな。

 無抵抗なので、そのまま膝に抱える事にした。

 大人しいアウローラも新鮮さがあって悪くはないな。

 

「で、どうする? このまま引き下がるか?」

「…………私は」

「俺は、お前のしたいようにすればいいと思う」

 

 ゆっくり頭を撫でながら、出来るだけ優しく言ってみる。

 アウローラは少し濡れた瞳で俺を見た。

 

「これで喧嘩別れでおしまいじゃ、お前も納得できないだろ。

 ブリーデもアレであんま素直じゃないしな。

 だから、もう一回ぐらい試しても良いんじゃないか?」

「別に、そんなの……」

「嫌いじゃないんだろ?

 あと向こうもホントに嫌いだったら、あんなキレながら言わんだろ」

 

 多分、本気で嫌ならもっと態度に出るはずだ。

 まぁあくまで俺の見立てだし、ハッキリとは断言できないが。

 アウローラは少し黙ってから、小さく頷いて。

 

「……正直、言われっ放しは癪だわ」

「おう」

「大体、あの子が何を言ってるのか半分も分からなかったわ」

「それは俺も思った」

「第一、ナメクジの癖に生意気なのよ。私にあんな口を利くなんて」

「だんだん調子が出て来たな」

 

 まだ若干弱々しいが、口から悪態も出て来た。

 何にせよ、これで当面の目標は決まったな。

 

「先ず教えて貰った街へ行って、テレサの身体を治す。

 それからブリーデの奴を探すか」

「まぁ、オレは異論ねーよ。方針とかは最初からそっち任せだし」

「むしろ、こちらの都合で御手間を取らせて申し訳ない」

「いや身体の事は第一だしな。何するにしてもそっからだろ」

 

 テレサとイーリスの姉妹は問題ないようだ。

 ボレアスの方は……聞くまでも無いか。

 

「なんだ竜殺し、我には何も無いのか?」

「一蓮托生なんだろ?」

「ハハハ、仕方がないからそういう事にしてやろうか」

 

 無駄に愉快そうに笑うボレアス。

 アウローラの普段とは違う姿を見て、機嫌を良くしてるのかもしれない。

 俺の膝の上で、アウローラの身体が小さく揺れた。

 角度的に表情は良く見えないが、これは多分笑ってるな。

 

「……ええ、絶対に逃がさないんだから。

 覚悟しなさいよ、ナメクジめ」

 

 囁くような言葉に込められているのは、間違いなく親愛の情で。

 その場で俺だけが、彼女の本音を聞いていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る