終章:やり直しの旅、その結末
最終話:そして、また次の旅へ
……夢を、見ていた気がした。
それは遠い昔のようで、つい最近の事のようにも思える。
長い旅だった。
短い旅でもあった。
荒れ野の牢獄を出てから、ここまで。
我ながら、随分とがんばった気がする。
意識は未だ曖昧で、夢と現実の境界は掴めない。
眠っているのか。
それとも、死んでいるのか。
自分でも良く分からない――良く分からないまま、意識は
きっと、このまま眠り続けるのが正しいことのはずだ。
理屈ではなく、本能でそう理解できた。
死んだ者の魂は、《摂理》に還って星がもたらす生命の循環に従う。
――あぁ、それが正しい。
間違いなく、正しいことだった。
モドキじゃない、本当の星の神様もきっとそう言うだろう。
それが生き物のあるべき姿だ、と。
だから、俺も、このまま。
「――――ダメよ、レックス」
囁く声。
優しく甘いその声を、俺は良く知っていた。
眠りに――死に沈み込んでいた意識が、強く引き戻される。
曖昧だった境界を、今はハッキリと認識できた。
「レックス」
繰り返される言葉。
そうだ、それが俺の名前だ。
『彼女』が名付けてくれた、俺という生命を示す
覚えている。
例え死んで、魂が燃え尽きたとしても。
もう二度と忘れない。
だから、俺はその声に応えた。
「――――」
応えて、けれど言葉という形を成さない。
目覚めようとする魂に、死が重く絡みついてくる。
――このまま眠り続けることが、正しい《摂理》であると。
世界という
あぁ、分かっている。
それが正しいことは、馬鹿な俺でも理解できる。
けど、『彼女』が呼んでいるんだ。
絶えず、何度も繰り返して。
『彼女』は、俺が目覚めるのを待っている。
「起きて、レックス。私は、貴方を――――」
声。
幾度となく呼び掛けてくる、『彼女』の声。
『彼女』――そうだ、名前だ。
俺が誰で、『彼女』は誰か。
本来は超えられないはずの、生と死の境界。
それを無視して繋がる『縁』を、手繰り寄せるために。
呼ばなければならない。
古い竜としての名ではなく、旅立ちの時に贈った、その名前を。
それは。
「――アウローラ」
黎明。
その名を口にした瞬間、目覚めは訪れた。
温かい暗闇から、冷たい夜の空気へ。
感覚が突然切り替わったことに、一瞬混乱しかける。
が、そこに細い手が伸びてきた。
懐かしい――随分と、懐かしい気がする熱。
指が顔に、首に触れて、そのまま包むように抱き締められた。
「……やっと起きたのね。
本当に、寝坊助なんだから。貴方は」
安堵の吐息と共に、彼女は笑った。
視界はまだちゃんと定まっていないが、その表情だけは良く見えた。
それは、夜の闇に浮かぶ月のように。
俺の眼には、眩しいぐらいに輝いて映った。
「……アウローラ」
「覚えてる? 私のこと。
貴方は、私のレックスで問題ない?」
「あぁ、大丈夫。覚えてる」
冗談めかしているけど、それは重要な確認だ。
前に生き返った時は、大半の記憶がぶっ飛んでいたからな。
身を起こす。
手足は重く鈍いが、アウローラが支えてくれたのでどうにかなった。
辺りは暗い。けど完全な暗闇じゃない。
見えたのは夜空だ。
星が煌めいて、丸い月が淡い光で照らしている。
視線を少し下ろすと、そんな月明かりを浴びる廃墟が目に入った。
廃墟――いや、廃城。
それを見て、この場所がどこかはすぐに分かった。
「……北の果て、か?」
「そうよ。懐かしいでしょう?」
懐かしい。間違いないな。
最初の旅の終わりで、次の旅の始まりとなった場所。
殆どが朽ちて崩れた城、その中庭だったところに俺たちはいた。
他に、生き物の気配はない……気がする。
寝起きなせいか、微妙に感覚が鈍いな。
「……なぁ、アウローラ」
「なに?」
「俺は、どのぐらい寝てたんだ?」
それが一番気になることだった。
以前に目覚めた時は、三千年が経過していたという。
再び死んで、生き返って。
その間に、一体どれだけの時間が流れたのだろう?
問われたアウローラは、ほんの少しだけ口を閉ざした。
それから、穏やかな声で。
「どれぐらいだと思う?」
「……寝坊助って言われたからなぁ」
また三千年経ってます、と言われても不思議じゃない。
不思議じゃないが、もしそうだとしたら割とショックだな。
アウローラの指先が、不安がる俺の頬を撫ぜた。
覗き込む彼女の表情は、あくまで優しげだ。
「――五千年」
「………………おう」
マジか。
三千年どころじゃなかったらしい。
ガチめに衝撃を受けている事に、自分で驚いてしまった。
五千年――五千年?
三千年でも理解の外なのに、五千年とか。
「……って言ったら、どうする?」
「アウローラさん??」
「ごめんなさい、ちょっと驚かせてみたくて」
一瞬、マジで泣きそうになってしまったんですけど。
アウローラは楽しげに喉を鳴らして、俺の頭を薄く柔らかな胸に抱え込む。
それから、子供をあやすように優しく撫でた。
「謝るわ、ちょっと意地悪が過ぎたみたいね」
「うん、今のは割と勘弁して欲しかったな」
「……本音を言うと、貴方が泣いてしまうかと、少しだけ期待してたの」
微妙に邪悪な笑みで、アウローラはそっと囁いた。
その後、柔らかい感触が頬に触れる。
甘える猫に似た仕草で、彼女は何度も口付けた。
意地悪を誤魔化そうって魂胆が見え見えで、逆に微笑ましいぐらいだ。
そも、驚きはしても別に怒ってはいないしな。
こっちから細い身体を抱き返すと、そのまま唇を重ねた。
「んっ……」
可愛らしい吐息が、隙間からこぼれた。
生きてる感覚が戻ってきたようで、腕にも大分力が入るようになってきた。
だから、閉じ込めるぐらいの気持ちで抱きしめて、抱きしめて。
愛らしい彼女の唇に、何度も噛み付いた。
鉄の味はしない。
互いの熱が、甘く混じり合う。
乾き切った身体に、久しく水が染み込むのにも似た快楽。
ただ、夢中になった。
唇を啄んで、舌を触れ合わせて。
何度も、何度も、何度も。
「……は、ぁ」
止め時を完全に見失っていたが。
流石に物理的に苦しくなってきたので、一度離れる。
竜は窒息しなさそうだが、アウローラも息も絶え絶えな様子だった。
呼吸を整えて、熱い吐息の塊を一つ吐き出す。
「……もしかして、お仕置きだった?」
「そのつもりなら、もうちょい激しくしても良かったかもな」
「幾ら私でも、流石に死んじゃうわ」
笑う。
俺も、アウローラも。
悪戯を仕掛けた子供みたいに、愉快そうに喉を鳴らした。
穏やかな時間が、冷たい夜風と共に流れる。
このまま浸っていたい気分だが、まだ肝心なことが確認できていない。
「で。結局、俺はどのぐらい死んでたんだ?」
「――およそ一年ほどだな」
答えたのは、アウローラじゃなかった。
けど、それもよく知った声だった。
驚いて振り向く。
気配を感じなかったのは、やはり俺の感覚が鈍っていたからのようだ。
荒れた中庭を踏み締める、見覚えのある姿――いや、全裸。
かつてのこの城の主。
北の最果てを支配していた竜は、見慣れた人の形で堂々と佇んでいた。
「ボレアス!」
「おう。どうやら我のことも、ちゃんと覚えているようだな」
ニヤリと笑う表情は、俺の知るものとまったく同じだ。
俺が最後に見たのは《造物主》に挑む際の、ボロボロになって力尽きた時だ。
不死身の竜であるなら、大丈夫だとは信じていた。
しかしいざ無事な様子を確認すると、安堵のあまり脱力してしまった。
いやホント、俺が言うことじゃないかもだが、無事で良かった。
……しかし。
「一年?」
「そうよ」
ぐいっと。
後ろを向いていた首が、強引に前へ戻される。
アウローラの両手が、俺の顔をしっかりと挟み込んでいた。
若干不機嫌そうなのは、種明かしをボレアスに横取りされたからだろうな。
「これでも、時間が掛かった方なんだから」
「なに、一年など三千年を過ごした長子殿からしたら、瞬きほどの時ではないか」
「マジで言ってるのならぶっ飛ばすわよ??」
「まぁまぁ」
俺を挟んだ状態で喧嘩するのは止そう、また死んでしまう。
「けど、一年って……こう、前に比べると大分早いよな?」
「我に感謝しても良いのだぞ?」
「別にお前一人の手柄じゃないでしょ」
「? どういうことだ?」
「……《造物主》と戦った時、魔剣の力で魂を燃やしたでしょう? 覚えてる?」
はい。
アレやらないと、ちょっと殺し切るのが間に合わなかったからな。
だから、うん、あれは仕方のない選択だったんだ。
「別に今さら怒らないから、そんな畏まらなくて良いわよ」
「ホントに怒ってない??」
「私は怒ってないから大丈夫。
……それは兎も角、あのままだったら貴方の魂は燃え尽きてたわ。
けど、そうさせないために私も魂を削って分けていた。
だから前とは違って、完成に灰にはならずに済んだのよ」
「我がいた事も忘れるなよ?」
のしっと。
ニヤリと笑いながら、ボレアスの身体が上から伸し掛かってきた。
アウローラの怒りのボルテージが微妙に跳ねた気がするが、触らないでおこう。
「あの時、我もお前の内にいたからな。
魂が燃え尽きてしまわぬよう、ささやかながらこちらも助力していたのだ。
ほれ、泣いて感謝して良いところだぞ?」
「自慢するほど大したことはしてないでしょうに」
「だが助かったのは事実であろう?」
「それは確かにそうですけどね……!」
「…………」
きゃいきゃいと言い合う竜の姉妹を眺めながら、一つ頷く。
心臓の鼓動は力強く、魂は今も燃えている。
……生きている。
間違いなく、俺は生きていた。
一人なら絶対に死んでたし、燃え尽きて灰になっていただろう。
一人じゃなかったから、こうして目覚めることができた。
その事実を、改めて胸の奥で噛み締める。
「……ありがとうな」
「んんっ。……生き返らせるって、約束したんだもの。それを果たしただけよ」
「まぁ我も、あのまま死なれて終わりでは困るからな」
「ホント、ありがとう。何度言っても足りないぐらいだ」
笑って、アウローラを抱き締める。
ボレアスは頭でも撫でようかと思ったら、さっと避けられてしまった。
嫌ではないだろうが、何やら悪い笑みを浮かべて。
「……約束と言えばだな、竜殺しよ。
もう一つ、大事な約束を忘れてはおらんか?」
「うん? もう一つ?」
大事な約束。
――あぁ、えーと、うん。
確かに、言われてみれば、もう一つ。
「よう」
「はい」
あったな、と。
丁度思い出したところで、彼女が現れた。
さっきまではいなかったが、いきなり目の前に姿を見せる。
傍らにいるもう一人――テレサによる《転移》だ。
もう一つの大事な約束。
それを結んだ相手であるイーリスは、思いっ切り俺を睨みつけていた。
……あー、どうしようなマジで。
「私は怒ってないって、そう言ったわよね?」
「オレも別に怒っちゃいねぇよ」
「はい」
いやでも、滅茶苦茶怒ってませんか?
テレサの方は微妙に視線を反らして、何も言わずに黙っている。
一年ぐらい眠っていたって話だが、とりあえず変わりはないようで安心した。
で、イーリスの方は……おや、ちょっと育ったか?
「おい、なんで胸から尻までジロジロ見てんだよこのエロ魔人」
「丁度目線の高さだったんで……」
「レックス??」
ついつい見てしまっただけで、悪気はないんだ。
だからアウローラさんも、微妙に首を締めるのは止して欲しい。
ボレアスが笑い転げてるが、一先ず無視しておく。
今は、それよりも。
「あ―……おはよう? お久しぶり?」
「別にどっちでも良いだろ。
……それより、約束は覚えてるか」
「死んだらぶっ殺す?」
「よし、覚えてるなら躊躇うことはねェなこの野郎」
明らかにキレた様子で、イーリスさんはぐっと拳を握り込んだ。
言い訳しようにも、言い訳できる事が殆どなかった。
死んだのは事実だし、生き返ったからノーカンとはいかないだろう。
むしろ、約束を破った挙げ句に一年も待たせてしまった。
もう徹頭徹尾、どう考えても俺が悪い案件だなコレ。
「……言い訳はしねぇんだな」
「約束破ったのは間違いないからな。
……悪かった、イーリス」
「このタイミングで言うなよアホ」
固めた拳を、イーリスは大きく振りかぶる。
これは手加減なしのフルスイングだな、間違いない。
……生き返ったばかりで本調子じゃあないし、ガチめに死ぬ可能性あるな。
が、約束は約束だ。
テレサは目を背けたまま、微妙に肩が震えているような。
ボレアスは笑い転げて、アウローラも黙って状況を見ていた。
俺とイーリスの視線だけが、正面からぶつかる。
「よし、歯ァ食いしばれよ」
「おう」
覚悟を決めて頷く。
構えるイーリスから眼は逸らさず、ぐっと奥歯を噛み締めた。
その瞬間、予想通りの衝撃が顔面に直撃した。
「…………?」
殴られた。
それは間違いないし、予想した通りだ。
けど、受けた衝撃は想定していたよりもずっと小さかった。
しっかりと固めたはずの拳。
勢い良く、全体重を乗せた一発。
が――それはそのまま、俺の顔面には当たらなかった。
途中で解かれた拳は、軽い平手打ちとなって撫でる程度に頬を叩く。
痛くはない――痛くはなかった。
ただ、胸の奥にずしりと響く、そんな一発だった。
顔に手を当てた状態で、イーリスは俺をじっと睨んでいる。
その両眼から、涙が溢れ出した。
「バカ野郎……っ!!」
「うお……っ!?」
叫んだ直後、イーリスがいきなり体当たりをかましてきた。
いや、体当たりとは違うか。
泣きながら抱き着いてきた彼女は、そのまま俺の背に腕を回す。
親に縋りつく子供みたいに、イーリスは感情を爆発させた
「こっちがどんだけ心配したと思ってんだよ……!
それをお前、平気な顔しやがって……! この……っ!!」
「い、イーリス、ちょっと落ち着いてくれ」
「うるせェバカ!! 落ち着けるワケねぇだろクソっ!」
「アウローラさんが潰れてるから……!」
はい。
イーリスは正面から全力で抱き着いてきた。
ので、必然アウローラが俺と彼女の間に挟まれる形になってしまった。
小柄な身体が、二人の胸の間で思いっきりプレスされている。
完全に埋まってジタバタもがいてるのを見ると、マジで苦しいようだ。
「んーっ、んんーっ!?」
「イーリス、イーリス。とりあえず落ち着くんだ。
お前の気持ちは、レックス殿にも十分伝わったから……!」
「ぅー……」
慌てて割って入ったテレサのおかげで、どうにかイーリスの力が緩む。
胸に押し潰されていたアウローラも、呼吸を荒らげてるが無事に生還を果たした。
はぁ、っと大きく息を吐き出して。
「ちょっと、死なないにしても苦しいは苦しいんだから……!」
「大丈夫か??」
「長子殿では絶対に不可能な圧迫感だ、それなりに楽しめたのではないか?」
「だからお前ホントにぶっ殺すわよ??」
「まぁまぁ」
大きいのも小さいのも、どっちも素晴らしいと思うから落ち着くんだ。
口に出したら大変な事になりそうなので、あくまで思うだけに済ませておく。
アウローラとは違った意味で、イーリスも息を整えていた。
何度か深呼吸をして、どうにか冷静になってきたようだ。
ただ、顔は耳の辺りまで真っ赤だけど。
「……チクショウ」
「イーリス?」
「うるせェバカ、気安く呼ぶなバカ、嬉しそうな顔すんなバカ。バカ、どスケベ」
「いや、泣いてハグするぐらいに心配されてたんだなぁ、と」
「だから余計なこと言うなつってんだろ……!!」
涙目で繰り出された拳は、さっきと違って結構な痛さだった。
きっちり、一番尖ったところを当てて来るのは流石としか言いようがない。
その痛みも、今を生きているという実感だ。
「許してやって下さい、レックス殿。
見ての通り、イーリスは貴方が目覚めるのをずっと心待ちにしていて」
「姉さん……!!」
「別に良いだろう?
主からそろそろだと聞いて、先ずは何を言うべきかと悩んでたじゃないか」
「そういうこと言わなくていいから!」
赤い顔でジタバタする妹を、姉は微笑ましげに眺めていた。
……なるほど、さっきテレサが黙ってたのは単純に笑いを堪えていたのか。
まぁウン、想像しただけで気持ちは良く分かる。
「姉さんだって、落ち着かないでずっとソワソワしてただろっ」
「それは――その、仕方ないだろう?
私だって、レックス殿が目覚める時を待っていたんだ」
「……二人とも、心配させて悪かった」
改めて。
ずっと待っていてくれた姉妹に、俺は頭を下げた。
「おかげで、無事に戻ってこれたよ。
本当にありがとうな」
「…………ま、まぁ、別にな。オレは大したことしてねェし」
「ええ、イーリスの言う通り。私たちは何も……」
「ここまで、何度も助けてくれただろ?」
笑う。
死ぬ前や、死んだ後のことだけじゃない。
旅の始めの頃からずっと、二人には助けられっぱなしだ。
その記憶を思い返しながら、改めて礼を言葉にする。
こんなもんじゃ、全然足りないぐらいだった。
「――私だって、いっぱい助けてるからね?」
「あぁ、分かってるよ」
「我への感謝の気持ちは当然あるのだろう?」
「そりゃ勿論だ」
アウローラとボレアスも、ここぞとばかりに乗っかってきた。
腕の中のアウローラを撫でつつ、正直な気持ちで頷く。
多くに助けられてきた旅だった。
特に、この場にいる四人には。
テレサは嬉しそうに笑い、イーリスは照れくさそうに顔をそらす。
……うん、落ち着くな。
慣れ親しんだ、騒がしくも穏やかな空気だった。
「……ったく、寝て起きたばっかの奴は呑気だよな。
こっちはこっちで、それなりには大変だったんだぞ」
わざとらしく唇を尖らせて、イーリスは俺の隣にどかっと座る。
遅れてテレサも、すぐ近くに控えめに腰を下ろした。
「そういえば、俺が死んだ後はどうなったんだ?」
「……その通りだし間違っちゃいねェけど、死んだ後とか言うのは止めろよ」
「ちなみに、私は蘇生の準備にかかりきりだったから。
外の状況とかは全然把握してないわ」
「自慢げに言うことでもあるまいよ、長子殿」
「いちいちうるさいわね」
ボレアスも、いつの間にやら近くの地面に寝転がっていた。
星を眺めながら、アウローラの髪をゆっくりと撫でる。
彼女が喉を鳴らす音も、耳に心地良い。
「で、どんな感じだったんだ?」
「《造物主》の奴と、あとはどっかの貧乳ドラゴンが滅茶苦茶暴れた後だからな。
終わった後、大陸全体がそりゃもうグチャグチャだったわ」
「言われてるぞ、長子殿?」
「過ぎたことを責めるのは良くないと思うの」
「無視して続けるぞ。
……《盟約》の大真竜も、あの戦いで半分以上はいなくなっちまった。
残った奴――主にイシュタルとブリーデが主導して、都市の復興も進んでる。
オレや姉さんも、一応手伝っちゃいるな」
「あとはマレウス殿も、ご自身の生徒たちと共に尽力されていますよ。
この場にも、できれば来たかったとのことですが」
「聞いてるだけでもかなりに忙しそうだもんなぁ」
色々と大変そうだが、どうにか大陸は回っているみたいだ。
それを聞くと、頑張った甲斐はあったなと思える。
「――あと糞エルフな」
「できればあんまり聞きたくない名前がついに出たな……!」
「一応、来ないかとはお誘いしたんですが……」
「いやぁ別に来なくて良いよ??」
「来ても絶対に面倒くさいことしか言わないでしょう、アレ」
アウローラさんは良く分かっている。
俺もその通りだと思うわ。
まぁ、それでも一応?
一応は多少なりとも付き合いはあるし。
今どうしてるのかぐらいは、ちょっとぐらいは興味があった。
「言いたかないが、良くやってるよ。アイツ。
復興は《盟約》の二人が主導してるとは言ったけど。
実際のところ、アイツが裏方で八面六臂と動き回ってるおかげだからな」
「その辺りは流石だなぁ」
「正直、良からぬことを企んでいる気はしないでもないですが……」
「まぁ糞エルフだしな」
そこはもう、逆に仕方ないと言うべきか。
「…………あー、それと」
「うん?」
「誘って断られた時に、一応言伝を預かってんだけど」
「ほう」
「……言うのか? イーリス」
「言わんワケにはいかねェだろ、一応。頼まれてんだし」
「なに? どんな余計な伝言を預かってきたの??」
「聞かない方が良いんじゃないかしら」
多分、アウローラの言葉が正論だろうけど。
ここまで聞いた以上、やっぱりいいやとはいかないだろう。
イーリスはコホン、と小さく咳払いをして。
「『お前が先に死んだのだから、後は俺の不戦勝で構わんな?』――だってよ」
「よしぶっ殺す」
ハハハあの糞エルフこの野郎。
こっちが死んで自分は生きてるから俺の勝ち、ってどういう理屈だ。
そんか雑な勝敗の決め方があってたまるか。
「お? やっぱ殴りに行くか?
オレも何だかんだでタイミング逃してたしな、付き合うぜ」
「ヨシ、決まりだな」
「ちょっと、イーリスもレックス殿も落ち着いて」
いやぁ俺は冷静ですよテレサさん。
冷静に考えて、あの糞エルフとはきっちり白黒付けないとダメと判断したんだ。
イーリスさんも乗り気だし、何も問題はないはずだ。
「オイ、良いのか長子殿?」
「あら、構わないわよ。
私もウィリアムのすまし顔は凹ませておきたいし」
「流石、アウローラさんも話が分かるな」
やや呆れ気味のボレアスとは対照的に、アウローラは悪戯っぽく笑う。
それから、俺の身体に背中を預けて。
「――それに、もう大きな旅の目的もないのだし。
新たに旅立つ理由が、そんなつまらないものでも良いんじゃないかしら?」
「…………そうか」
そうだな。
言われて、改めて気付いた。
今まであった目的は、もう大体果たしてしまった。
古い旅が終わった後が、今この時なのだと。
「じゃあ、どうするか考えないとな。
あ、俺は先ず糞エルフの顔面を凹ませたいです」
「考えるまでもなく決まってるじゃんか。
よし、さっさと行こうぜ」
「待て待て、ホントにそれで良いのか??」
「まぁ別に良かろうよ。
あの男がどんな顔をするか、それはそれで興味深い」
どうやらボレアスも乗り気になってきたらしい。
テレサも口ではそう言ってるが、あまり強く止める気はないようだった。
つまり、大体決まりってことだな。
「……ふふっ」
小さく笑う声。
そちらを見れば、アウローラと目が合った。
彼女は嬉しそうに微笑みかける。
「もう、私たちを邪魔する相手はいない。
どこへ行くのも、何をするのも自由よ」
「……あぁ、そうだな」
頷く。
もう《盟約》と争う必要はない。
《造物主》の奴も、完全にぶっ殺した。
あるいは大陸の外に出たら、《人界》とはちょっとは揉めるかもしれない。
それと《巨人》もいるが――まぁ、なんとかなるだろ。
前の旅よりかは、随分と気楽なのは間違いない。
だから次はどうするかを、改めて考えてみることにした。
「……先ず、糞エルフを殴りに行くだろ」
「ええ」
「それから、他に会ってない顔は見ておきたいな。
マレウスとか、ブリーデとか。
あ、そういえばねこはどうしてるんだ?」
「糞エルフに一度とっ捕まったけど、今は絶賛逃亡中だな。
どこにいるかまでは、ちょっとこっちでも把握はしてねェや」
「そうかぁ」
まぁ、ねこはここまで散々働かされてたしな。
またどうせ苦労する羽目になるだろうし、今はそっとしておくか。
「知ってる奴に一通り会ったら――まぁ、大陸は概ね一回りするよな」
「で、あろうな」
「そしたら今度は、また大陸の外に出るか。
前はドタバタしてて、あんまり見て回る余裕もなかったしな」
鬼王カドゥルの『国』に、神々の住んでいる《人界》。
それ以外にも、《巨人》どもが闊歩している荒野はとてつもなく広い。
何も無いかもしれないし、何かあるかもしれない。
俺たちがまだ見ていない場所ぐらい、探せば見つかる可能性は十分あるだろう。
それから――それから。
「――あの星の向こうでも、見に行こうか」
見上げる。
星と月、遠くの空には微かに黎明の気配もある。
見えている光も、見えないぐらい遠い光も。
そのどれもが、まだ俺たちの知らない『何か』だ。
「楽しみね、レックス」
嬉しそうにアウローラは笑う。
笑って、それから俺の頬にそっと口付けた。
甘える猫に似た仕草は、とても愛らしいものだった。
「いっぱい、旅をしましょう?
貴方と見たいモノ、行きたい場所、幾らでもあるもの」
「あぁ、俺もだよ」
笑う。
笑って、俺の方からもアウローラにキスをした。
喉を鳴らす彼女を、少し強めに抱き締める。
傍らから、呆れた感じのため息が漏れた。
「だから、いきなり人前でイチャつくなよ」
「あら、この先いくらでも見ることになるのよ?
イヤなら私は、二人旅で全然構わないんだけど」
「二人っきりだと逆に仲が進展しねーだろ。
むしろ同行してケツ蹴ってやろうってんだから、ありがたく思えよ」
「イーリス、なんて事を言うんだ……!?」
テレサさんも、咎めはするけど否定はしないんだな。
腕の中で暴れるアウローラを、とりあえずがんばって抑え込む。
まぁまぁ、とりあえず落ち着いてくれ。
ボレアスも、腹抱えて笑ってないで手伝って欲しい。
「いやはや、そうは言うが否定しがたい事実であるしなぁ」
「ボレアス殿もお止めになって下さい、主が傷付いてしまいます」
「テレサも地味に言ってくれるじゃないの……」
「悪気はないからな??」
いやホントに。
イーリスもテレサも、ボレアスも。
みんな楽しげに笑っている。
本当に、それはいつも通りの空気だった。
アウローラも分かっているから、拗ねて膨れる程度に落ち着いたようだ。
「……よし、そろそろ動くか」
「あら、もうちょっとゆっくりしても良いと思うけど」
「寝起きで微妙に身体は重いけどな」
ただ、このまま座り続けているより、今は歩き出したい気分だ。
と、イーリスがわざとらしいため息を吐く。
「行くのは良いけどよ、流石に格好をどうにかしろよ」
「……おう」
言われて、ようやく気が付いた。
全裸――ではない、違った、大事なとこはちゃんと着けてるわ。良かった!
ボレアスさんは同類みたいな顔を今さらするのは止せ、断じて違うから。
アウローラは甘える猫そのもので、腕をぎゅっと抱き締める。
「意外と気付かないものね?」
「アウローラさん??」
「着せるのは、貴方がちゃんと起きてからが良かったの」
悪戯っぽく微笑んでから、何かをそっと囁く。
魔力の込められた言葉が速やかに術式を組み上げ、俺の周りをぐるりと回った。
一瞬――本当に一瞬で、全裸の状態から見慣れた鎧姿に早変わりだ。
最後に、アウローラはその手に兜を持って。
「はい、これで完璧ね」
冠を戴くように、俺の頭に被せた。
……うん、この狭苦しい感じが、意外と落ち着くな。
甲冑を纏った姿を見て、イーリスたちも頷く。
「うん、やっぱコレだよな」
「良く似合っていますよ、レックス殿」
「こうでないと、見ている方も落ち着かぬからなぁ」
「褒め言葉と思っておくよ」
なかなか好き勝手おっしゃるじゃないか、皆さん。
立ち上がって、軽く身体の動きを確認する。
寝起きでやや鈍いことを除けば、何の問題もなし。
甲冑のサイズなど、調整は万全だ。
「ありがとうな、アウローラ」
「私の役目だもの。――後は、これを」
そう言って、アウローラが両手に持って差し出したもの。
それは一振りの剣だった。
遠い昔の情景が、脳裏で鮮やかに蘇る。
「これは?」
「あの剣は砕けてしまったけど、欠片をほんの少しだけ拾うことができたの。
それに私の鱗とか――まぁ、色々加えて。
鍛え直してできたのが、このレプリカ。
……鎧はあるのに剣は無しじゃ、格好が付かないでしょう?」
「確かにな」
頷いて、差し出された剣を手に取る。
柄を握って、鞘からゆっくりと刀身を抜き放つ。
刃は月や星明かりを受けて、鈍く銀色に輝いていた。
まったく同じってワケじゃないが。
それでも、指に馴染む感覚は以前のモノに大分近かった。
「……どう?」
「十分だよ。ありがとう」
笑って頷くと、アウローラも嬉しそうに微笑んだ。
「その剣は頑丈なだけで、特別な魔力があるワケではないけど……」
「ブン回しても簡単に折れないんだったら、それで問題ないぞ」
「無茶苦茶な使い方するもんな、お前」
それほどでもない。
あ、「褒めてねーよ」って目で睨むのは止して下さいよイーリスさん。
「……ともあれ、これで準備は万端でしょうかね」
「うむ。先ずはウィリアムのところだったか。
今回も退屈せぬ旅になりそうよな」
テレサとボレアスの言葉に、それぞれ頷く。
いつの間にか、遠くの空は朝の光で白みつつあった。
夜明けは間もなく。
旅立つには、良い頃合いだろう。
「レックス」
「あぁ」
名を呼ばれて、自然と片手を差し出す。
そこに細い指が重なった。
喜びが伝わってくる。
ぎゅっと手を握り、アウローラは俺の傍らに寄り添った。
「――愛してるわ、私の
今までも、これからも、ずっと」
「俺もだ。愛してる、アウローラ」
笑って、言葉にして。
俺たちは、かつての場所で一歩踏み出す。
最初に行くべきところは定まっていて、そっから後はノープランだ。
何処へでも行けるし、何処へ行っても良い。
まだ何も分からない未知の旅路。
考えただけで、楽しくなってくるな。
「行くか」
「ええ。貴方となら、どこまでも」
……そして、俺たちは旅立った。
三度目の、やり直しなんてできない一度切りの旅。
黎明の空――その彼方を目指して。
竜殺し(ドラゴンスレイヤー)の殺り直し -竜と相討ちになってからさんぜん年経ってたけどさんぜんってどれくらい?- 駄天使 @Aiwaz15
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