507話:旅の終わり


 硬く、重たい。

 古き龍の鱗さえ斬り裂く刃。

 その二つとない剣でも、《造物主》の首は簡単には切り落とせない。

 生命に届いているという手応え。

 刀身はもう、半ば以上まで食い込んでいた。

 血が流れる代わりに、灰の欠片がボロボロとこぼれ落ちる。

 後少し、後少しで――。


『にん、げ、ん、如き、がァッ!!』

「……っ!」


 衝撃。

 身体を貫かれた、感触。

 熱い。冷たい。

 視線を向けるまでもなく、理解できる。

 《造物主》の右腕。

 その手に握られた、光の剣が。

 今、俺の肩から、心臓へ。


「やらせない……!!」


 アウローラの声が響いた。

 彼女の手が、《造物主》の剣を掴み取った。

 熱に皮膚は焼かれて、血が噴き出すのも構わずに。

 自分自身の身体を盾にして、その刃を抑え込む。

 おかげで、心臓に届く前に光の剣は止まった。

 《造物主》は、激しい怒りで亀裂まみれの顔を歪める。


『邪魔を、するな……!! 私に、創造されただけの、分際で……!!』

「嫌、よ、彼は、死なせない……!

 他のものも、何一つ、貴方にくれてやるものですか……!!」

「っ……」


 歯を食いしばる。

 文字通り、アウローラは身を挺して俺を守ってくれている。

 それに、応えないと。

 剣の柄を握る。

 斬り裂かれた傷から血が溢れ、黒い炎が魂を焦がす。

 限界だ。とっくに限界なのだと。

 あらゆる痛みと苦しみが、これ以上は不可能だと知らせてくれる。

 ――いいや、知るかよ。

 死ぬ。

 これを踏み越えたら死ぬ。

 けど、そうしなくても死ぬ状況だ。

 結果が同じだったら、選ぶのは断然前者だろう。

 躊躇う理由なんて無かった。


『どうせ死ぬ、全て死ぬっ!!

 この男も、この星も、不出来な生命すべてが死ぬ!!

 無駄だ無意味だ! どうせ死ぬのなら、私が滅ぼして何が悪い!!

 不完全なお前たちは、ただ無為に消え――』

「いいや、今死ぬのはお前だけだ」


 戯言を遮って、強く踏み込む。

 《造物主》の首に食い込んだ刃が、ぐっと進んだ。

 ピシリと、刀身がら大きめな音が聞こえる。

 亀裂が広がり、剣の一部が欠け落ちる。

 こっちもこっちで、そろそろ限界っぽいな。


『ッ――な、ぜ……!?』

「まだ死んでないか、って?

 そりゃもう、見ての通りだよ」


 笑う。

 笑って、剣をぐいぐいと押し込み続ける。

 硬く重い《造物主》の首が、ゆっくりと千切れ始めた。

 向こうも俺の心臓を真っ二つにしようと、光の剣に力を込めるが。


「――やらせないって、そう言ったでしょう?」


 アウローラがいる。

 輝く刀身を掴み、自分の身体に食い込ませることで刃を止めている。

 口元から血が溢れるが、彼女もまた笑っていた。


『何故――何故、意味が、分からん……!!

 何故、私の力が、止められているの、だ……!?』

「愛の力って奴だな」

「こういう状況で言う……!?」


 いや、マジでその通りだと思うんで。

 彼女が身体を張ってくれなければ、俺はあっさり死んでいた。

 彼女がいるから、俺の剣は《造物主》の生命に届いている。

 だったらもう、愛の力だろうコレは。

 言っても、《造物主》はやっぱり理解できないようだが。


『何故、何故だ、何故、何故何故、何故……!?』

「……それが少しでも分かったら、こんな事にはならなかったんだろうけどな」


 分からない。

 理解できない。

 この場には、神様なんて大層な奴はいなかった。

 ただ喚くばかりで、自分の理屈から一歩も出ようとしなかった哀れな男。

 どれだけやり直したとしても、きっと同じ失望を抱えるだけだろう。

 それが分かったから、ほんの僅かに憐憫を感じた。

 同情の代わりに、残った力を振り絞る。

 刃が進んだ。


「もう、二度と生き返ってくるなよ。

 ――じゃあな、不完全な神様」

『っ、待…………!!』


 待ってやる義理はないので、そのまま切り裂いた。

 呆気に取られた顔。

 間抜けな表情で凍りついた首が、完全に切断された。

 最後の最後まで、何一つ理解できないまま。

 落ちた首は、いつの間にか足元まで来ていた黒泥の中に落ちる。

 音はなく、微かな波紋だけを残して。

 《造物主》の生命は、闇に呑まれて消え失せた。

 残った身体の方も、見る間に風化して灰の塊へと変わっていく。

 ボロボロと、崩れていくそれを見ていると――。


「……剣が」


 手の中で砕ける感触。

 見れば、魔剣の方も急速に崩壊が進んでいた。

 刀身の亀裂はあっという間に広がって、細かい破片となって崩れる。

 柄まで含めて砕け散り、後はキラキラとした残滓だけが残された。

 それもまた、すぐに消えてしまうだろう。


「……《造物主》が死んで、同じモノである剣も砕けた。

 うん、完全に死んだわ。

 もう生命の気配は、何処にも感じない」

「そうか」


 終わったと、アウローラの言葉でようやく実感する。

 途端に、足から――いや、全身から力が抜けた。

 立っているのも難しく、その場に座り込んでしまった。

 幸い、泥の侵食は止まっている。

 座っても、精々腰の辺りまで浸かる程度で済んだ。

 大きな息を吐き出すと、アウローラの笑う声が聞こえた。


「お疲れ様、レックス。本当に大変だったわね」

「あぁ、お互いにな」


 いや、ホントに。

 笑って言葉を交わしながら、アウローラが正面に回ってくる。

 剣を掴んだ手はボロボロだし、身体にも大きな傷がある。

 自分と俺、二人分の血で赤く染まった彼女は、とても綺麗に見えた。


「? レックス、大丈夫?」

「ん。あぁ、悪い。ちょっと見惚れてたわ」

「……だから、こういう状況で言うことじゃないと思うの」


 照れたように頬を染め、アウローラが抱き着いてくる。

 両手を広げて、それを受け止めた。

 身体に力が殆ど入らないが、可能な限りの強さで彼女を抱き締める。


「勝ったわね」

「あぁ」

「この場所も、多分程なく崩壊する。

 囚われていた魂も解放されるでしょうし、外も無事よ。

 ……全部、終わったわ」

「なら良かった」

「貴方のおかげよ」

「がんばった。

 けど、俺だけじゃ無理だったからな」


 笑う。

 笑って、アウローラの髪を撫でる。

 指先は冷たく、そのせいで彼女の温もりが心地良い。


「アウローラ」

「なに?」

「俺、死ぬよな」

「…………」


 応えは、すぐには返って来なかった。

 それが何よりも、明確に答えを示していた。

 まぁ、こればっかりは仕方がない。

 限界を超えて無茶したってのは、やった自分が良く分かってる。

 俺を抱くアウローラの腕に、一層の力が込められた。


「……そうね、死んじゃうわ。

 貴方は人間なんだから、死ぬに決まってるじゃない」

「まぁ、そうだよなぁ」

「ホントに馬鹿ね。イーリスに殺されるわよ?」

「それがマジで怖いんだよなぁ」


 俺めっちゃがんばったし、それで許して――くれないよなぁやっぱり。

 「死んだらぶっ殺すって言っただろうがっ!」とか。

 大体そんな感じでブン殴られるな、きっと。

 顔面に躊躇ゼロでフルスイングだろう。

 あ、想像しただけで頭蓋骨が痛くなってきた。

 テレサは……殴らないだろうけど、泣かれる気がする。

 いや泣くかな、泣くだろうな。

 なるべく態度に出さないようにはしてたが、俺のこと物凄く心配してたしな。

 ちょっと考えたら、罪悪感で結構苦しくなる。

 泣かせたいワケじゃあないんだけどなぁ。

 そんなことを言ったら、「どの口が」ってまたイーリスに殴られるな。

 後は――何故か、ウィリアムの奴を思い浮かべてしまった。

 何故か、ホントに何故か。

 俺が死んだと聞いても、あの糞エルフは眉一つ動かさない気がする。

 そんでわざとらしくため息とか吐くんだ。

 で、一言――「その程度で死ぬ男だったとは、ガッカリだな」。

 うわぁムカつく。

 いや完全に想像なんだが、あの糞エルフなら絶対に言うわ。

 次に会ったら、先ず口を開かれる前にブン殴るか。


「……レックス?」

「んん。悪い、ちょっと走馬灯が見えて糞エルフを殴る練習してたわ」

「割と意味が分からないんだけど」


 それは確かに。

 死にかけてるせいで、頭が混乱してるのかも。


「もう死んじゃったのかと、心配したじゃない」

「多分、もうちょっとは持つかな」


 笑っているけど、不安げに囁くアウローラ。

 彼女の言葉に頷いて、改めて自分の状態に意識を向けた。

 最後に受けた傷は、間違いなく致命傷。

 即死しなかっただけで、流石に血を流し過ぎた。

 これだけなら、まだアウローラの魔法でどうにかなったかもしれない。

 傷に加えて、魔剣の火で魂を燃やした事。

 半ば以上が灰に変わってしまったのが、何となく理解できた。

 肉体は瀕死で、魂も燃え尽きる寸前だ。

 途中、アウローラが身を削って助けてはくれていたが、やっぱり限界だったか。

 これでは回復魔法ぐらいじゃ、流石にどうしようもない。

 彼女も分かっている。

 分かっているから、魔法で血を止めるぐらいしかしていない。

 残る生命の時間が、少しでも伸びるように。


「……大丈夫よ、レックス」

「ん?」

「私が言ったこと、覚えてない?

 もし死んでも、生き返らせてあげるって」

「……言ってたな」


 確かに、彼女は言っていた。

 それは決して、気休めや慰めの言葉じゃない。

 必ず成し遂げるという、決意の表明だ。

 三千年前と同じく、アウローラは絶対に俺を生き返らせるだろう。


「……嫌だった?」

「まさか」


 恐る恐る問いかけるアウローラに、俺は笑って首を横に振る。

 死んだ人間が生き返る。

 普通はヤバい事だし、頭の硬い女神様は《摂理》に反してると怒るに違いない。

 けど、俺はそういうのは良く分からんし。

 アウローラが頑張って蘇生させてくれるなら、喜びこそすれ嫌ではない。

 ただ、気になる事があるとすれば。


「ちょっと、寂しいなと思ってな」


 寂しい。

 それは三千年前に死んだ時とは異なる、唯一のことだった。

 あの時の俺には、惜しむものはあまりなかった。

 けど、今はどうだろう。

 魂の死から蘇生するには、酷く時間が掛かる。

 また三千年は必要かもしれないし、それ以上の可能性も十分あった。

 アウローラや、ボレアスもそれだけあれば復活してるだろう。

 けどその時間は、人間には途轍もなく長い。

 少なくとも、テレサやイーリスとはもう会えない。

 そう思うと――どうにも惜しく、寂しかった。


「……レックス」

「ん?」

「心配しなくて良いわ。

 貴方がこのまま眠っても、私がすぐに起こしてあげる。

 ――本当に、すぐよ。

 だから大丈夫」

「…………そうか」


 微笑むアウローラに、小さく頷いて応える。

 きっと、それは難しいはずだ。

 けど、その言葉自体は嬉しかった。

 だから俺も笑ったんだ。

 ……熱が失われる。

 それは血の温かさであり、魂の火でもあった。

 死神が、大分間近まで迫って来ていた。

 恐ろしくはない。

 やるべきことはやり遂げた。

 最後の瞬間まで、愛した相手が傍にいてくれる。

 寂しさはあるが、後悔は何も……。


「……なぁ、アウローラ」

「? なに?」

「一つ、言い忘れてたことがあるんだ」

「言い忘れてたこと……?」


 それが何か、想像が付かなかったのだろう。

 声を出すのもまあまあしんどくなって来たので、耳元に顔を寄せる。

 そうして。


「――――」

「……え?」


 声に出したのは、一言だけ。

 掠れて、アウローラにしか聞こえなかったろう。

 まぁ、今この場には俺たちしかいないが。

 不思議そうに首を傾げる彼女の髪を、震える指で撫でる。


「名前、思い出したから。一応、伝えとこうかと思って」

「名前――っ、て……」

「別に、俺自身はそんなに拘りないけどな」


 笑う。

 それは、俺がまだ何者でもなかった頃の名前。

 今の俺は、アウローラが名付けてくれた『レックス』だ。

 だから本当に拘りは無い――が。

 以前、遠い昔に聞かれて、答えてやることができなかった。

 その心残りも、これでようやく果たせたな。


「……これじゃ、まるでお別れみたいじゃない」

「悪い。死んだらまた、忘れるんじゃないかと心配で」

「バカ。……ありがとう。

 名前、こっちで呼んだ方が良い?」

「今のレックスの方が、気に入ってるんだ。

 ……それに、そっちを知ってるのは、俺たち二人だけだ」

「じゃあ、大切に秘密にしないといけないわね」


 幼い少女の顔で、アウローラは嬉しそうに笑った。

 つられて俺も笑う。

 死の気配は心臓に触れようとしているが、心は驚くほど穏やかだ。

 冷たいはずの身体には、暖かさで満ちている。


「……んっ」


 アウローラの指が、ボロボロの兜を外す。

 血で濡れた唇が触れ合う。

 抱き締めようとして、もう殆ど力が入らないことに気付いた。

 酷く、眠たい。

 意識が根本から、深い闇に沈んでいく感覚。

 これにも、なんだかんだと慣れてきたな。


「愛してるわ、レックス」


 ――あぁ、俺もだ。

 声として言葉にできたのかも、今の俺には分からない。

 けど、間違いなく伝わっている。

 役に立たなくなってきた眼には、微笑むアウローラだけは良く見えていた。


「……おやすみなさい、あなた」


 囁く声は、優しく染み渡る。

 そうして俺は、穏やかな眠りの底へと身を委ねた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る