第十四部:その目覚めは終わりの始まり

377話:愚かなる者の末路


 夜。

 月はなく、星の灯も薄い真夜中。

 暗い荒野に生者の気配は見当たらない。

 あるのはただ、無意味に徘徊する魂無き《巨人》だけ。


『GAAAAA――――』


 《巨人》の行う事に意味はない。

 何かを探してさまよい歩くことも。

 時折奇妙な声を上げるのも。

 全て、知性の宿っていない肉体が誤作動を起こした結果に過ぎない。

 魂はなく、生物としての本能もない。

 あるのはただ、《造物主》に刻まれた悪意のみ。

 それすらも不完全な「他者」を目にしない限りは顔を出す事もない。

 故に、その《巨人》たちが其処に集まったのは単なる偶然だ。

 比較的に小型の《巨人》が三匹ほど。

 不細工な人形めいた外見は、どれもどことなく似通っていた。

 あまり似ていない三兄弟のような《巨人》たち。

 彼らがその場所に至ったのは、本当に偶然に過ぎなかった。


『GAAAA』


 唸る《巨人》。

 本来なら、《巨人》は自分以外の《巨人》も攻撃対象だ。

 三匹が顔を合わせた時点で、不毛な殺し合いが始まるはずだった。

 だがそれよりも、彼らを惹きつけて止まないモノがある。

 それは残骸だった。

 粉々に砕かれ、最早原型を推し量る事さえできない。

 大地にぶち撒けられた黒い血肉。

 《巨人》たちには、それが何であるかを考察する知性はなかった。

 ただ、何かどうしようもない衝動が湧き上がってくる。

 三匹の《巨人》は例外なくそれを感じ取っていた。

 分からない。何も分からない。

 そもそも彼らに疑問を持つような知性はない。

 本来起こるべき殺戮衝動さえも塗り潰して。

 フラフラと、《巨人》たちは大地に撒かれた残骸へと近づく。

 その様は、さながら焚き火に誘われる羽虫のようで。


『GAAAA!』

『GAAA!』


 意味のない声を上げながら。

 《巨人》たちが始めたのは「食事」だった。

 大量に散らばった赤黒い血肉。

 それらを手で掴み、粗雑な作りの口の中へと放り込む。

 次から次へと、休むことなく。

 まるで何かに取り憑かれたように、《巨人》は残骸を貪り食う。

 その間も彼らは争う事はしなかった。

 ……もしこの場に、《巨人》を殺す事を生業とする少女がいたならば。

 異様な光景に戦慄し、即座に対処したかもしれない。

 《巨人》が殺し合いもせず、まるで操られるように動いている事。

 それはあまりにも異常な事態だ。

 しかし、今ここに《巨人殺し》はいない。

 既に同行者たちと共に旅立ってから、数日は過ぎた後だからだ。

 此処にあるのは、もう破壊され尽くした残骸だけ。

 結局、何の問題も見つからなかったと。

 そう判断するのも無理からぬ事だ。


『GAAAAAAAA!!』


 吼える。

 月のない夜の空に向けて、《巨人》が吼えた。

 大地に散っていた赤黒い血肉。

 その殆ど全てを、三匹の《巨人》たちは平らげてしまった。

 後には何もない。

 あるのは戦いの痕跡と、残骸を貪った《巨人》が三匹いるばかり。

 彼らは動かなかった。

 時折無駄に吼える以外には動きも見せない。

 夜は穏やかで、周囲には三匹の《巨人》以外に誰もいない。

 やがて。


『GAAAA』


 《巨人》の一匹が動いた。

 残る二匹は動かない。

 動いた一匹は、先ず近い方の《巨人》の腕を掴んだ。

 唸る声を垂れ流す口を大きく開く。

 他の《巨人》は動かない。

 だから躊躇はなく、抵抗もなく。

 動いた《巨人》は動かぬ《巨人》の肉に噛み付いた。

 乱ぐい歯が深く食い込んでも、噛まれた《巨人》は何もしない。

 まるで喰われる事を受け入れているように。


『GAAAA、GAAAAAA』


 《巨人》同士の殺し合い――では、ない。

 そう考えるにはあまりにもおかしな光景が繰り広げられる。

 まったく抵抗しない二匹の《巨人》を、一匹の《巨人》が淡々と食い殺す。

 先ほどの残骸を貪っていた時とはまた違う。

 衝動に支配されていた状態とは違い、これは本当に操られているようで。

 地味な作業をこなすみたいに、《巨人》は二匹の肉を消費していく。

 やがて。


『GAAAAA――――』


 一匹の《巨人》を残して、何もなくなった。

 赤黒い残骸も、他の二匹も全て消費した《巨人》。

 それもまた動かなくなる。

 荒野でただ一匹、《巨人》は佇む。

 また少し時間が過ぎてから、変化は緩やかに始まった。

 最初は本当に微かなものだ。

 《巨人》の身体がほんの少し小さくなっていた。

 ゆっくりと、少しずつ。

 人間の何倍もあるはずの巨体が縮小していく。

 身体のサイズがそのまま縮んでいる、というワケではない。

 血肉と骨が、身体の中心へと向けて徐々に折り畳まれていく。

 常人が見たら卒倒しかねない、酷くグロテスクな光景だ。

 潰れて、畳まれて。

 時間が経過する程に、《巨人》の縮小速度は早まっていく。

 一枚の紙を小さく小さく折り畳んでいく過程。

 それが《巨人》の肉体で行われる異常。

 折り畳まれて、折り畳まれて、折り畳まれ続けて。

 そして、最後に残るのは。


「……っ、は、ぁ……!!」


 畳まれて、人間大のサイズにまで縮まった《巨人》。

 それは本当に、一人の人間の形となった。

 一糸まとわぬ姿の黒髪の男。

 地に伏し、生まれたばかりの赤子の如く震えながら。

 男は大きく息を吐き出した。

 当然、その者は人間などではない。


「は――ハハハハ……!

 どう、だ……まんまと、出し抜いて、やったぞ……!!」


 舌がもつれ、言葉を上手く形にできない。

 そんな無様を晒しながら、男は勝ち誇った声で笑った。


「ハハハハ、ハハハハっ!

 いや、あの状況を切り抜けた……これは、勝利と言って良いのでは、ないか?」


 笑う。

 愚にもつかない戯言を、男は半ば本気で口にしていた。

 笑う。男は笑っている。

 本当に、心の底から自身の負け惜しみを真に受けて。


「そうだ、その通りだ!

 この私が、偉大なる《秘神》アベルが、あんな虫ケラに負けるはずがない!!

 完璧で完全な、私の勝ちに決まっている……!」


 ゲラゲラと笑う男。

 この地で敗北し、肉体を砕かれ魂を捕獲されたはずの神。

 《秘神》アベルは恥を知らぬとばかりに勝利宣言を歌い上げる。

 誰も応える事のない言葉は、虚しく夜空に散るばかり。

 当然、無慙無愧たる《秘神》は気にしない。

 伏した地面から立ち上がろうとして。


「ッ……!?」


 失敗した。

 震える手足は身体を支えられず、派手に地面へと転がる。

 慌てて起き上がろうとするが、上手く行かない。

 そんな屈辱的な状況に、《秘神》はギリギリと奥歯を噛み締めた。


「糞……! なんだ、こんなもの……!」


 力が入らない――というよりも。

 身体の動かし方が上手くいかない、といった状態だ。

 《秘神》は怒りながらも困惑しているようだが、無理からぬ話だった。

 今の《秘神》は、率直に言ってしまえばに等しい。

 《核》を破壊された場合に備え、身体全体に微細な《核》を散らしていた事。

 その予備の《核》に魂の本質を移していた事。

 これら二つの備えのおかげで、《秘神》本体はギリギリ逃げ延びたのだ。

 《秘神》は知らぬ事だが、状態としては現在の大真竜ゲマトリアに近かった。

 油断と慢心の権化ではあるが、保身と生き汚さだけは侮り難い。

 しかし紙一重で逃れただけで、その代償は軽くなかった。

 《天使》の肉体と、神としての力の大半。

 今の《秘神》はその両方を失った状態なのだから。


「アイツらが、肉体を念入りに破壊しなければ、こんな事には……!」


 歯を軋ませて唸ったところで、現実は変わらない。

 たまたま通りがかった《巨人》を材料に、最低限の器は用意できた。

 しかし、所詮はクズ肉の寄せ集め。

 違和感しかない身体を動かそうと、《秘神》は地面の上でもがき苦しむ。

 それは陸に打ち上げられた魚も同然の無様さだった。


「クソっ、クソクソ糞糞ッ……!

 何故だ!! 何故まともに動かんのだ!

 ふざけるなよ、私は《人界》の神だぞ!!」


 屈辱と怒りにあり合わせの脳髄を焼かれながら《秘神》は叫ぶ。

 意味など無い。

 どれだけ絶叫しようが、《秘神》が敗北した事実は覆らない。

 運良く逃げ延びたが、ここから先の未来予想図もない。

 何処にも繋がらない暗い道の上。

 自分がその真ん中でのたうち回っている事を、《秘神》は未だ理解していない。

 力の入らない身体では、癇癪を起こして暴れる事さえできなかった。

 右の五指は弱々しく、地面に小さな引っかき傷を残す。


「どうする? どうすれば良い?

 まだ私は終わっていない。

 私は完璧で完全だ。

 あの最悪なる父の領域にいずれ至る器なんだぞ。

 そんな私が、こんなところで終わるワケがない……!」


 絶叫。

 鉛のように重い身体を引き摺り、《秘神》アベルは地を這っていく。

 何処へ向かおうとしているのか。

 何処へ行きたかったのか。

 どちらの応えも《秘神》の中にはなかった。

 ……このまま何事もなければ。

 この愚かな神は、ほどなく気付いたアストレア辺りに見つかっていただろう。

 或いは《鬼神》に捕まるか、他の神々に狙われるか。

 どうあれ完全に詰んでいた。

 完膚なきまでに敗北した後の醜い悪あがき。

 それは何の意味もなく、儚く消えるはずだった。


「――お困りですかな?」


 それを、拾い上げる者がいなければ。

 一瞬、《秘神》の意識に空白が生じた。

 声の主が何者なのか。

 知っているはずなのに、何故か思い出せない。

 その奇妙な違和感がハンマーのように脳髄を揺さぶる。

 見上げた空に月はない。

 微かに瞬く星と、見下ろす悪魔がいるだけ。

 道化を演じ続けている悪魔。

 その顔を見ると、《秘神》の中から記憶が蘇った。

 この瞬間まで、存在を忘れていた協力者。


「カーライル……!」

「ご機嫌よう、《秘神》様。

 いやしかし、随分とこっ酷くやられましたな」


 侮蔑、憐憫、嘲笑。

 最早悪意を隠さないカーライルを、《秘神》は力なく睨みつける。

 罰したくとも、今の《秘神》は弱り切っていた。

 故に道化のフリを止め、悪魔の本性を露わにしていた。


「まぁ負けるだろうとは思っていましたけど。

 まさかここまでボコボコにされるとは。

 正直これは予想外ですが、まぁ都合が良いとポジティブに考えますよ」

「何を……何を言っているんだ、貴様……!」

「未来の話ですよ。

 貴方にとっても私にとっても悪い話じゃない。

 どの道、このままでは何もかもおしまいですよ?」

「ッ……!!」


 何もかも終わりだと。

 そう言われて、否定する事などできなかった。

 こうなっては《秘神》も理解するしかない。

 自分の勝ちだと、そう戯言を吐く余裕は何処にもないのだと。

 そこに悪魔は緩やかに這い寄る。


「確かに、今の貴方に待つのは破滅だけ。

 しかしそれを潔く受け入れますか?

 受け入れたくはないでしょう?

 それならば、私は貴方の助けになりますよ」


 手を差し伸べ、甘く囁く。

 選択権を委ねているようで、実質選ぶ余地などない。

 《秘神》はそれを理解していた。

 理解せざるを得なかった。

 どの道、この先にあるものが破滅ならば――。


「……一つだけ。一つだけ、聞きたい。

 嘘偽りなく答えろ」

「嘘も偽りも、一つ以外は口にした事はありませんが。

 ええ、何なりとお聞き下されば」


 問われて、カーライルはほんの僅かに沈黙した。

 どう答えるべきか。

 わざとらしく悩んだ素振りを見せた上で。


「――真竜、と言っても。

 それは貴方には分からぬ話でしたね」


 敢えて、《秘神》の知らない言葉を選んで。

 古き竜を喰らった悪魔の如き人間は、月よりも無慈悲に微笑んだ。


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