第一章:《人界》へ

378話:《律神》の審判


 チクタク、チクタク。

 規則正しい機械音は、ほんの僅かなズレもない。

 淡々と時間を刻む時計の針。

 俺はただ一人でその音を聞かされていた。

 いや、一人ってのは正確じゃないか。


「…………」


 もう一人――もう一柱って言った方が良いのか?

 兎も角、俺の前には男がいた。

 無言で椅子に座り、こちらをじっと見続けている。

 黒髪で痩せ気味の男。

 容姿は整ってるが、今の表情は酷く仏頂面で印象は刺々しい。

 身に纏った黒い外套ローブには、大小幾つもの時計がぶら下がっている。

 俺が聞いているのは、全てこの男の時計が奏でる音だった。

 チクタク、チクタク。

 無言の時間を、針の音だけが埋めていく。

 さて、こうし始めてどれぐらいが経過しただろう。

 時計は多く目に入っているのに、何故か時間の経過に関しては曖昧だ。

 とりあえず、自分のいる場所を改めて確認……。


「動くな、人間」


 しようと、首を軽く動かした。

 それだけで椅子に座っている男から注意されてしまった。


「まだ『審判』は終わっていない。

 形だけのモノではあるが、これは決まり事だ。

 大人しくしていろ」

「いや、分かってるけどな」

「分かっているなら大人しくしていろ。余り繰り返させるな」


 物凄く不機嫌そうな声。

 まぁ、色々不満があるのだろう。

 余計な事を言うとキレられそうなので、とりあえず黙っておく。

 ……さて、他の連中は大丈夫だろうか。


「――着いたぞ」


 それは、この状況になる暫く前。

 俺たちは死に果てた荒野を旅していた。

 《人界》へと至るために必要な《巡礼の道》。

 群れて襲ってくる《巨人》や神様の試練。

 後は余計な面倒を蹴り倒しながら、俺たちは進み続けて。

 やがて案内役のアストレアは、そう言いながら歩みを止めた。

 他に何もない荒野のど真ん中。

 少なくとも、その場に辿り着くまでは本当に何も見えなかった。

 しかし、アストレアが足を止めると同時に。


「……門?」


 不意に現れたのは一つの門だった。

 他は何もない。

 見上げる程に大きな、古びた石造りの門。

 どれほどの年月を刻んできたのか。

 ただ其処に「在る」だけで何か重圧めいたものを感じられた。

 イーリスも若干気圧された様子で眺めている。


「なんか、いきなり出てこなかったか? コレ」

「《人界》の門だ。

 資格ある者、《巡礼の道》を正しく越えた者の前にのみ姿を現す。

 ……本来なら、お前たちが潜るべきモノではないのだが」

「まだ言うの、それ?」


 言葉の後半は、非常に不本意そうに呟くアストレア。

 ややうんざりした顔でアウローラが応えると、神様は小さく咳払いをした。

 それから何事もなかったように。


「《巡礼の道》はここで終わりだ。

 後はこの門を潜り、『審判』を受ける必要がある」

「『審判』?」


 聞き慣れない単語だ。

 首を傾げる俺を見て、「そうだ」とアストレアは頷く。


「この門を潜ってすぐに《人界》というワケではない。

 《巡礼の道》を辿った者でも、その前に《律神の審判》を受けねばならない」

「……それは、入れない可能性があるという事か?」

「あくまで形式的なモノだ」


 不安げに問いかけるテレサ。

 まぁ、ここまで来て「やっぱり入れられません」は困るよな。

 何だかんだ苦労して辿り着いたワケだし。

 その心配を、アストレアは一応否定はしてくれたが。


「さて、どうだかな。

 我は兎も角、長子殿は最悪門前払いはあり得るのではないか?」

「ねぇ、今なんでサラっと自分は除外したのよお前」

「どうどう」


 ニヤニヤ笑いのボレアスに、アウローラは一瞬でブチギレそうになる。

 二人もそうだし、正直俺もちょっと心配ではある。

 神様サイドから見ると大概ヤバいみたいだしな、俺の状態。

 そんなやり取りを、神様は微妙に呆れた目で見ていた。


「……実際のところ、それについては私も保証しかねる」

「マジかー」

「オイちょっと?」

「《人界》に入る者を推し量るのは《律神》の権利だ。

 私はそれに干渉する権利はない。

 定められた法では、《巡礼の道》を越えた者は資格ありと見なされるはずだが」

「……ここで話していても仕方がないでしょう」


 独り言のように呟く《巨人殺し》。

 彼女はさほど興味もない様子で門を眺めていた。


「入るなら、入りましょう。

 私は同行しただけで、《人界》に用があるワケじゃないけど」

『そうだよな、ぶっちゃけ用はないよな。

 俺らは此処でお別れでも良いんじゃないのか、ブラザー?』

「ここまで来たのなら、《人界》の中ぐらいは見ていきたいから」

『そんな物見遊山で来るもんじゃないぜ、マジで』


 どうやら黒蛇の相棒は、余り中に入りたくないらしい。

 その本音は見せないように言葉を選んでるつもりっぽいが。

 多分、俺が分かるんだから《巨人殺し》にはバレバレだろうな。

 あちらはまぁ良いとして。


「じゃあ、入るか」

「……まぁ良い、今更不遜だのと言っても仕方あるまい」


 軽く言ったのが微妙に気に入らなかったらしい。

 ちょっと俺を睨んでから、アストレアは門の方へと向き直る。

 手をかざし、何事かを呟く。

 それは人の言葉とは異なる何かのようだった。

 音としての認識は曖昧で、込められた意味も理解できない。

 ただその声に応えるように、石造りの門は音を立てて開いていく。

 開いた向こう側は、薄く光る霧のようなもので遮られていた。


「入れ」

「大丈夫なのか?」

「問題ない。この霧の先に《律神》がいる。

 『審判』を受け終わった者から《人界》に導かれるはずだ」

「……じゃあ、覚悟を決めて行きましょうか」


 そう言って、アウローラは俺の手を軽く握った。

 こちらからも細い指を握り返す。

 アストレアは必要な事は伝えたとばかりに口を閉ざした。

 開け放たれた門の傍に立って、俺たちが進むのをただ見守っている。

 案内役の仕事も此処まで、って事か。


「よし」


 アウローラの手を握ったまま。

 先ずは俺が境を越えて、門の内側へと踏み込んだ。

 霧に包まれた事で視界は完全にゼロになる。

 なんだかモコモコとした、綿のようなものに包まれた感触。

 これはあの霧によるものだろうか?

 良く分からないが、とりあえずモコモコをかき分けて前へと進み――。


「――良く来た」


 気付けば、俺は――俺だけが、その部屋に立っていた。

 狭い部屋だ。

 いや広い部屋か?

 綺麗な正方形の形に区切られた小部屋。

 白い床、壁、天井。

 あるのは二脚の椅子。

 椅子の片方に座る黒い外套姿の男。

 声を発したのはその男だった。

 「良く来た」とは言っても、あまり歓迎した雰囲気ではない。

 むしろ迷惑そうな顔で、部屋に入ってきた俺を見ていた。


「……あれ、他の奴らは?」

「お前と同じだ。私の『審判』を受けている」


 気付けば俺一人。

 手を握っていたはずのアウローラもいない。

 部屋には俺と、謎の男の二人だけ。

 で、今「私の審判」とか言ったよな。


「じゃあ、アンタが?」

「不敬だぞ、人間。

 ……《人界ミッドガル》を統べる十の神が一柱。

 私が《律神》ラダマントだ。

 『審判』のために、先ずはそこに座るといい」


 チクタク、チクタク。

 身に帯びた時計の針、その音は全て一致していた。

 幾つもあるはずなのに、たった一つの音として聞こえてくる。

 とりあえず、俺は促されるままに椅子に座った。


「…………」


 沈黙。

 『審判』のためと言うんで腰を下ろしたが。

 それを確認したら、後は《律神》は何も言わなくなった。

 チクタク、チクタク。

 時を刻む針の音だけが、規則正しく鳴り響く。


「……なぁ」

「…………」

「ちょっと??」

「……何だ、人間。まだ『審判』の途中だ」

「先ずその『審判』ってのが何なんだ?」


 その辺の説明まったくされてないし。

 アウローラも誰もいない状態で、初対面の相手と密室でにらめっことか。

 流石に色々と言いたくもなる。

 《律神》は非常に面倒そうな顔をするが。


「……アストレアからは何も聞いてないのか?」

「形だけだが最後に『審判』があるとしか」

「形だけとは失礼な話だ、私にとっては大事な権利の行使だぞ。

 ……とはいえ、お前たちは《巡礼の道》を越えた巡礼者。

 《人界》に通す事が前提なのは否定できんが」


 本当に。

 心底不本意そうな顔をしながら《律神》は語る。

 うん、できれば俺らを入れたくはないんだろうな。

 ただそういう決まりだから通さざるを得ないと。


「……この『審判』は、本来は《庭》から選ばれた者に施すのと同じ。

 その者が《人界》に入る資格があるか否かを見定めるためのものだ」

「なんかにらめっこしてるだけじゃね?」

「不敬だぞ。人間に過ぎないお前にはそうとしか思えんだろうがな」


 《律神》の眼。

 蒼い、深い蒼色の双眸が俺を見ている。

 観察している眼差しだが、捉えているモノが少し違う気がする。

 俺の見た目ではなく、もっと遠い部分を見ているような。


「私が見ているのはその者の魂。

 そこに刻まれている時の流れの全てだ」

「時の流れ?」

「そうだ。

 その者がいつ生まれ、どう生きたか。

 何を思い、何を志して何を成し遂げたのか。

 《律神》たる私の眼はそれを推し量る。

 相応しき魂のみが《人界》の門を叩けるようにな」

「なるほどなぁ」


 本来であれば、この「審判」で全てを判断するのだろう。

 しかし俺たちは《巡礼の道》を踏破してきた。

 もう《人界》に入る資格がある事を証明した後のはずだ。

 アストレアが「形だけ」と言っていた通り。

 ここで《律神》がどう判断しようと結果は変わらないんだろうな。

 だから不満そうなんだな。


「ちなみに、俺のは『審判』してどんな感じなんだ?」

「できれば今すぐに楽にしてやりたいところだ」

「そんなに??」

「断っておくが、『穢れている』だとかそういう理由ではないぞ」


 散々、アストレアから罪人扱いされてきた。

 だから神様から見たらそういうモンなんだな、と漠然と考えていたが。

 それを《律神》は否定する。


「確かにアストレア辺りは激怒しそうだな。

 燃え尽き、灰になった魂など。

 本来なら即座に《摂理》に還らねばおかしいはずだ。

 それを妙な術で不自然に繋ぎ止める。

 ……正直に言えば、私もこの行い自体は腹立たしく思っている。

 死すべき者を死なせずに現世に留めるなど、罪深いにもほどがあるだろう」

「…………」


 まぁ、言いたい事は分かる。

 だから俺は特に反論したりはしなかった。

 どちらに理があるのか。

 普通に考えたなら答えは明白だからだ。

 再び、俺と《律神》の間に長い沈黙が下りる。

 規則正しく時計の針が時間を刻む。

 チクタク、チクタク。


「……戦い続け、命を落とし。

 それを忌まわしき手段で歪められ、今もまだ戦い続ける。

 自分より強大な者に挑むその在り方に関しては、私個人は敬意を払おう」

「それは褒めてる感じ?」

「あくまでその一点のみはな。

 お前にそのつもりはなくとも、それは勇者の生き方だ。

 《秘神》を討った事に関しては感謝を述べたいぐらいだ」


 ホントに嫌われてるなアイツ。

 口調からして、半ば本気ぐらいの冗談ではあるが。

 そこまで語って、《律神》は一つ息を吐いた。


「慈悲は不要かね」

「気持ちだけはありがたく貰っておくよ」

「そうか。そうだろうな」


 俺がどう答えるのか。

 それも分かっていたんだろうな。

 どこか諦めた声で《律神》は応じた。


「行くが良い、『審判』は終わった。

 楽園に招かざるべき者よ、されどお前は試練を越えて巡礼を終えた。

 ならば偉大なる王の名と、《律神》たる我が名において赦そう。

 《人界》はお前の罪を受け入れると」


 歌うように言って、《律神》は右腕を上げる。

 指差した先には、いつの間にか一枚の扉が存在していた。

 どうやらこの先が《人界》のようだ。

 促されるまま、俺は扉の取っ手に指をかける。

 開く前に、もう一度だけ《律神》を見た。


「そういや、俺以外は大丈夫そうか?」

「『審判』について言ってるのなら問題ない。

 他の者たちもお前と同じように『審判』を受けている。

 というか、お前が一番最後だな」

「マジか」


 一番先に入ったし、てっきり俺が一番かと。

 こっちの誤解を察したか、《律神》はちょっと小馬鹿にした感じで笑った。


「あの門を潜ったなら、その時点で『審判』は開始される。

 複数を同時に見ることなど私には容易い事だ」

「すげーな神様」

「大した事ではないし、繰り返すがお前が心配するような事は何も無いぞ。

 ……一部、信じ難い穢れを持つ者もいたが」


 多分、アウローラやボレアスだろうなぁ。

 《律神》はかなり嫌そうな顔をしてるが、まぁ堪えて貰うしかない。

 とりあえず聞くことは聞けた。

 俺が最後なら、さっさと行くべきだな。

 扉は特に抵抗なく開くことができた。

 開けた向こう側には、ここに入った時と同じ白い霧が見える。

 その中に足を踏み出す。

 また全てが白く包まれる、その直前。


「――死すべきはずの者。

 神をも恐れぬ異邦の勇者よ。

 《人界》の王は、拝謁の時を待っている」


 後ろから、《律神》の最後の一言が聞こえた。


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