33話:姿無き射手


 空の旅は思った以上に快適だった。

 飛竜は高度を上げ、翼は鋭く風を裂いている。

 背中に乗っているだけでは、本当なら吹き飛ばされているだろう。

 しかし其処はアウローラの魔法がある。

 彼女が軽く指を振るだけで、俺達は風の影響を一切受けずに済んだ。

 おかげで此方は景色を眺める余裕を持てるわけだが……。

 

「なんつーか、凄いな。コレ」

 

 滑り落ちない程度に身を乗り出しながら呟く。

 眼下に広がる光景。

 それは予想していた物とかなり違っていた。

 森。森。森。

 見渡す限り広がっているのは、鬱蒼と繁った大森林。

 北の地から続く荒れ野が嘘だったかのように。

 青々と茂った木々が、辺り一面を隙間なく覆い尽くしていた。

 アウローラも、その光景には少し困惑した様子だ。

 

「……確かに、この辺りは森人の居住地だけど。

 以前は此処まで森は広がっていたかしらね……?」

「森人が今、実は物凄い繁栄しているとかは?」

「その可能性は当然あるけど……正直、何とも言えないわね」


 まぁこの森全てが、森人の領域かも分からないわけだが。

 今のところそれらしい姿は何処にも見えない。

 木々が密集しているせいで、そもそもまともに視線も通らないんだが。

 

「これ、どうするんだ? 下に降りるのか?」

「いや、もう少し開けた場所でないとそれは難しいだろう」

 

 イーリスの言葉に、テレサが小さく首を横に振る。

 姉妹の言う通り、下りて様子を探ってみたいのは確かだ。

 が、そもそも飛竜が下りられるような場所が何処にも見当たらない。

 どっか都合の良い着陸地点がないか、一応辺りを見渡して――。

 

「…………?」

 

 一瞬。

 本当に一瞬だが、何かが光ったように見えた。

 視界の端に、ほんの少しだけ引っ掛かった。

 本当に微かな光で、頭は気のせいだと処理しそうになる。

 

「ッ!?」

 

 だがそれに逆らって、反射的に動いた身体が剣を抜き放っていた。

 飛竜に乗った四人の内、反応出来たのは俺一人。

 ほぼ勘で振り抜いた刃が、何もないはずの空間で何かを弾き落とした。

 刃先で砕ける感触と、陽光を反射して煌く金属の破片。

 それが何なのかは一目で分かった。

 

「矢……!?」

 

 砕けて宙に散らばった、それは一本の矢。

 飛んできた軌道から考えて、狙っていたのは飛竜の頭か。

 俺が飛んできた矢を叩き落すと、少し遅れて風を切る音が響いた。

 恐らくそれが、この矢が大気を裂いた音だ。

 そうしている間に、音よりも速い矢は次々と此方を狙ってきた。

 

「テレサ、貴女はイーリスの面倒を見てなさい」

「はい、承知しました。我が主」

 

 アウローラはそう言って、後ろの二人の盾になる位置に身体を動かす。

 指示されたテレサもまたイーリスをその腕に抱え込んだ。

 こっちはこっちで、矢を後ろに通すまいと気合いで弾き続ける。

 弓手は一体、何処から俺達を狙っているのか。

 矢の飛んでくる方向は大体分かるが、それらしい姿は何処にも見えない。

 逆に相手はこっちの位置を正確に把握しているらしい。

 どうにか狙いを外そうと、飛竜は何度も空に複雑な軌道を描き出す。

 それでも矢は、変わらず俺達を正確に狙ってくる。

 

「ホント、何処の誰だ……!?」

 

 幸いと言うべきか、矢の狙いは正確だからこそ軌道は予測しやすい。

 おかげで飛竜の回避や、俺の剣による防御も間に合って――。

 

『GAAAAッ!!!』

「ッ、何……!?」

 

 唐突に上がった飛竜の叫び声。

 何が起こったのか、アウローラも驚きの声を漏らす。

 見えたのは、翼に突き刺さった一本の矢だ。

 狙ってきた矢は全て弾いたはず。

 一体何処から撃って――いや、そうか。

 

「アウローラ、上だっ!」

「上……!?」

 

 声を上げると同時に、今度は頭上に向けて剣を振るう。

 これも殆ど勘だったが、刃はタイミング良く飛来した矢を叩き折った。

 あぁ、これで間違いない。

 今の矢は、空高く飛んでいる俺達よりも更に上から

 

「っ、何だよ今の……!?」

「曲射だ。そうとしか言いようがない」

 

 驚くイーリスに、彼女を抱えたままのテレサが応えた。

 実際、弓手がやった事はテレサの言った通り。

 直接俺達の方に向けて矢を撃ったのではなく、空に向ける形で山なりに撃った。

 それだけだ。物陰に隠れた獲物を狙う際の射撃の技術。

 問題は、それで高速飛行しているこっちを正確に当てて来た変態精度だ。

 仮に魔法であれば、アウローラが事前に気付けたはず。

 彼女が察知できなかった事が、降り注ぐ矢に魔法が絡んでいない事を示している。

 どんな腕と弓矢なら、そんな馬鹿げた真似が出来るのやら。

 

「しかも、これは……!」

 

 矢を弾く。弾く。気合いで何とか弾く。

 だが全ては防げない。

 ギリギリ、アウローラや二人の姉妹に当たる矢までだ。

 飛竜は的がデカ過ぎて、上から横から次々飛んでくる矢の全ては防げない。

 あぁそうだ、まったくふざけた話だが。

 頭上から降る矢と横から飛んでくる矢で、完全に十字砲火を喰らう形だ。

 

「一応《矢避け》は使ってるけど、流石に防ぎ切れないわね。

 いつの間に囲まれたのかしら」

「……いや、違う」

 

 アウローラの言葉を、俺は短く否定する。

 この矢の雨は、複数の弓手によるものじゃない。

 多分、たった一人の弓手による攻撃だ。

 何度も弾いている内に、相手のクセみたいなものが何となく分かって来た。

 だからこの矢は、全て同じ弓手によるものだろうと推測する。

 ……そうなるとこの上から落ちてくる矢だが。

 信じ難い話だが、予め空高くバラ撒いた物である可能性が高い。

 事前に空に矢を撃ち上げ、更にその落下地点へと射撃だけで此方を誘導する。

 断言するが、コイツは間違いなく変態の所業だ。

 

『GAAAッ!! GAAAAAAッ!?』

 

 飛竜の叫びが、だんだんと苦痛を帯びたモノに変わっていく。

 既に翼を何本も矢で貫かれているんだ。無理もない。

 速度と高度も目に見えて落ちてきている。

 これは、流石にそう長くは持たんな。

 

「……仕方ないわね。飛竜は放棄しましょう」

 

 このまま耐え続ける事は不可能。

 アウローラはそう判断し、俺も同感だった。

 これ以上空で鴨撃ちにされるより、森へ飛び下りる方がまだマシだろう。

 

「着地は私がフォローするから。

 レックス。私は平気だから、二人と一緒に……」

「いや、そういうわけにもな」

 

 確かに、アウローラなら矢が何本か刺さっても平気だろうが。

 だからと言って素直に頷く気にはならなかった。

 なので片手の剣で矢を弾きつつ、もう片方の手を出来るだけ伸ばす。

 アウローラと、妹を抱えたままの姉。

 その全員を何とか自分の腕の中へと引き寄せて。

 

「着地だけは任せた……!」

 

 そのまま、飛竜の上から身を投げた。

 全身に強い風を感じる。

 落ちている最中も、矢は容赦なく俺達を狙ってきた。

 剣で最低限の急所だけは防ぐが、腕や脚は何本か抉られる。

 ……鎧の隙間まで狙って撃っているとしたら、本当にどんな腕前だ。

 イーリスが悲鳴を上げてる気がするが、今はちょっと気にしてる余裕もない。

 落ちる。落ちて行く。風を裂き、矢に撃たれて。

 空の青が見えていたのは、僅かな時間だけ。

 次に視界は濃い緑に覆われて、風とは違う衝撃が全身を打つ。

 間もなく、身体は地面に思い切り叩きつけられるところだったが。

 

「……大丈夫? レックス」

 

 その衝撃は、永遠に来る事はなかった。

 何か大きな手に包まれているような浮遊感。

 それと耳元で囁くような、アウローラの気遣う声。

 落下速度を軽減する魔法は、俺を含めた全員をゆっくりと地面に下した。

 矢は……流石に飛んで来ない。

 狙える範囲から外れたのか、それとも別の要因があるのか。

 其処までは分からないが、とりあえる言えるのは。

 

「ひっどい目に遭ったな……」

「本当ね」

 

 見知らぬ土地に踏み込む以上、手荒な歓迎ぐらいは予想していた。

 予想はしていたが、此処まで激しいとは思わなかった。

 ややぐったりしている俺に、アウローラはそっと手を触れて。

 

「傷、痛むでしょう? 直ぐに治すから、少し待って頂戴」

「悪い、助かる」

 

 大した傷ではないが、それでも何本か矢を受けたのは事実だ。

 俺は大人しくアウローラに治療を任せつつ、周囲を視線だけで確認する。

 森の中。木々は密集し、見通しは最悪に近い。

 傍らの妹を護りながら、テレサも周りの様子を警戒しているようだ。

 

「……レックス殿」

「あぁ」

「感じますか?」

「何となく」

「……待って、何の話だ? ソレ」

 

 テレサの問いに、俺は軽く頷く。

 意味が分からないイーリスは、少しビビってしまったようだが。

 まぁそう大した事でもない。

 

「なんか、誰かに見られてるような感じがな」

「ヤバい奴じゃん……!?」

「先ほどの弓手と同じと思いますか?」

「うーん……」

 

 聞かれるが、俺は何とも言えず唸ってしまう。

 確かに、森に落ちてから直ぐ視線めいたものを感じるようになった。

 しかしそれが、さっきの弓手と同じかと言うと自信はない。

 違うような気もするが、勘以上の根拠がないからだ。

 

「術式による監視か、それとは別の何かか。

 どちらにせよ、この森が異界に近いのは間違いないと思うわ」

 

 異界と、俺の治療を終えたアウローラは口にした。

 そう言われれば、この森の内側は酷く不気味な空気で満たされている。

 生き物の腹の中に入ったら、或いはこんな感じだろうかと。

 

「……ん?」

 

 ガサリと。

 森の木々がざわめく。

 最初は微かな音だったが、次々と音は重なっていく。

 やがて波が大きく荒れるように、森全体が唸り声を上げる。

 生き物の腹の中――というのは、あながち比喩でもなかったか。

 

「来ますね。警戒を」

「あぁ。アウローラ、悪いがイーリスを頼んだ」

 

 テレサの言葉に応じつつ、俺も剣を構えて前に出る。

 一番危ないイーリスは一番頼れるアウローラにお願いした。

 

「ええ。この子も自衛の手段を、もう少し考えた方がいいかもしれないわね」

「足手纏いでホント申し訳ないなクソッ……!」

 

 からかうアウローラに対し、イーリスは大変悔しそうであった。

 まぁそれについてはまた考えるとして、今はこの状況をどうするかだ。

 木々の騒めきは、変わらず耳障りなぐらい響いている。

 ガサリ、ガサリガサリと。

 生い茂った草木を押し退け、森の奥から這い出てくる「モノ」。

 それは、“獣”だった。但しまともな生き物ではない。

 全身を闇で固めたような毛皮で覆った、人に近い形をした狼っぽい「何か」。

 真っ赤な眼を爛々と輝かせ、半開きの口からは生臭い吐息が零れる。

 それが次々と木々の隙間から姿を見せる。

 さっきから感じていた視線も、恐らくはコイツらのものだろう。

 飢えた獣そのままに、黒い狼モドキは俺達を獲物と定めたようだった。

 

「何者かは分かりませんが、数だけは多そうですね」

「だなぁ」

 

 見た感じ、十や二十では済まない気がする。

 視界を閉ざす木々の向こう側に、どれだけの数が潜んでいるのか。

 まぁ分からんのなら端から潰せば良いだろう。

 テレサの方も同意見の様子だ。

 

「後方の心配は無し。私は援護に回りますので、存分に」

「おう、そっちも気を付けろよ」

 

 互いに頷き合って、後は取り囲みつつある獣の群れを見る。

 此方を警戒しているのか、それとも獲物を嬲ろうという余裕か。

 獣どもは直ぐには飛び掛からず、俺達を包囲するようにジリジリ動く。

 

「行くか」

 

 そちらから来ないのであれば、こっちから行くまでだ。

 森の湿った土を蹴り、剣を振り上げる。

 俺はそのまま、黒い獣の群れのど真ん中へと突っ込んでいった。

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