第四章:死せる竜の都

223話:地の底の天獄

 

『――おい、しっかりしろ』

「……ぅ……っ」

 

 顔にペタペタと、柔らかい感触が触れる。

 私――「私」は鉛のように重い瞼を、どうにかこじ開けた。

 最初に目に映ったのは、猫の姿。

 「私」の頬を肉球でペチペチと叩いている。

 こちらが目覚めたのを確認すると、ほっと息を吐いた。

 それから、もう見慣れた兜も「私」の顔を覗き込む。

 

「目が覚めたか?」

「……ええ、何とか」

 

 気遣う声に応えて、「私」は微笑む。

 瞼と同様、身体全体に重さを感じるけど。

 手を伸ばして、「私」は兜の表面に触れた。

 

「異常はないか?

 ないのなら、状況の確認をしておきたい」

 

 少し離れた位置から、森人の男も声を掛けて来た。

 相変わらず油断なんて微塵もない、猛禽の眼で周囲を観察している。

 言われて、「私」は甲冑の彼に支えられた身体を見下ろす。

 怪我らしい怪我はなく、少々動きが重いぐらい。

 何の問題もないと、小さく頷く。

 

「大丈夫。ちょっと身体が重たいぐらい」

「そうか。こちらの不注意で危険に晒した事は、すまなく思っている」

「いや、ホントに悪かった」

「……別に、気にしないで。

 不注意と言うなら、こっちも同じだから」

 

 戦っていた二人に謝られては、言葉に困ってしまう。

 そんな「私」達のやり取りを聞きながら、猫が尻尾をゆらりと揺らす。

 

『ま、無事だったんなら良いだろ。

 それよりも目の前のことだ』

「目の前?」

 

 言われて、「私」はようやく置かれた状況に目を移した。

 先ず見えたのは、広がる街並みだった。

 枯れた色の森も真っ暗な大穴も、もうどこにも見当たらない。

 それとは真逆な文明の姿――けれど似た印象を受ける。

 一番最初の、暗い人々が歩き回っていた街の光景を思い出した。

 けど、それとはまた大きく異なる。

 「私」達がいるのは、完全に廃墟と化した都市だった。

 

「……あの穴に引き込まれたのを見て、すぐに助けに飛び込んだんだけどな」

「獣の群れに、あのデカブツ。

 即座に片付けて、俺が手を貸した上での事だ」

「それは感謝してるって。

 で、中は真っ暗だったが、幸いすぐにお前も猫も見つけられた。

 引っ張り上げて、穴から出たつもりだったんだが……」

「気が付けば全員、この場に出たというワケだ。

 まったく、空間の繋がりも何も出鱈目だな」

 

 甲冑の彼と、森人の説明に「私」は頷く事で応じる。

 言葉は直ぐには出て来ない。

 だから先ず、目の前の光景に意識を向けた。

 ……最初の街とは似ているようで、どこか違う。

 何らかの災害で破壊され、そのまま長い年月を放置されたように。

 元は立派な都だったはずのものが、今は屍も同然に横たわる。

 胸の奥が、酷く締め付けられるみたいな。

 そんな感覚を覚えて、「私」はつい胸を押さえてしまう。

 

「なぁ、ホントに大丈夫か?」

「……ええ、大丈夫。

 貴方、本当に心配性ね」

 

 すぐに気遣ってくれる彼に、「私」はまた笑ってしまった。

 また冷たい兜を、指の先で撫でて。

 それから「私」は、改めて死んだ都に目を向ける。

 生命の息吹は、何処にも感じられない。

 かつてあったはずの繁栄もまた、欠片も存在しなかった。

 地の底で横たわる、在りし日の残骸。

 それが目の前の全てだった。

 

「……昔に一度似た物は見たけど、まぁあんま気分の良いもんじゃないな」

 

 その言葉もまた、「私」に気を遣ってのものか。

 彼は「私」の髪を撫でながら、小さくそう呟いた。

 森人の男は、相変わらずの鉄面皮。

 感情は読み取りづらいけど、面白そうな顔ではなかった。

 

「これが、かつての《天の庭》を模しただけのモノか。

 或いは『そのもの』である可能性も否定できんが。

 まぁ、どちらであっても同じ事か。

 屍は屍で、それ以上でも以下でもない」

 

 淡々と。

 冷たく流れる水のような、森人の言葉。

 この男が今、何を感じているのか。

 今の一瞬だけは、「私」は気になってしまった。

 それを知ったところで、意味はないとしても。

 

『冷めた物言いだなー。もうちょい感傷とか無いの?』

「俺からすれば、御伽噺の中で滅びた国と変わらん。

 見ていて面白いモノではないが、それだけだ」

「まー、そりゃそうだな」

 

 猫のツッコミに対して、やっぱり森人は淡々と応じた。

 それに甲冑の彼も頷いて。

 

「よっと」

「きゃっ」

 

 そのまま、流れるように「私」の身体を抱き上げた。

 突然全身が浮き上がるのは、やっぱりビックリしてしまう。

 不快ではないけど、軽く彼の装甲を叩いて抗議する。

 

「もう、やるなら先に言って頂戴?」

「いや悪い悪い。まだあんま調子良くなさそうだから、ついな」

 

 軽く笑って流す彼に、「私」はほんの少し頬を膨らませる。

 抱えられた「私」の腕の中でも、もぞもぞと動く姿があった。

 

『で、オレは巻き添えなワケですが』

「大事な盾を、簡単に離したらダメだと思わない?」

『扱いが安定して来て涙が出そう』

「いざって時はしっかり頼むわ」

 

 「私」の身体を、片腕で軽々と抱えながら。

 甲冑の彼は、そのまま死んだ街の中を歩き始めた。

 森人の方も彼のすぐ斜め後ろを付いて行く。

 目的地は――聞くまでもない。

 歩き出す瞬間までは、うっかり気付かなかったけど。

 すぐそこに、「ソレ」は見えていた。

 

 「…………《天の柩ナピシュテム》」

 

 呟く。

 暗く閉ざされた空。

 これまでは遠く霞み、輪郭さえ定かでなかったその姿。

 今はもう、「私」の眼にはハッキリと見える。

 天から逆さ吊りにされた巨大な「塔」。

 この都市の――いえ、この《地の獄ゲヘナ》の中心。

 「私」が辿り着かなければならない、約束の場所。

 

「何か気配を感じるか?」

『気を張っちゃいるが、今のところは何も。

 ……ただまぁ、だからって安心できるワケじゃないが』

「これまでも、結構奇襲食らったりしてるしなぁ」

「…………」

 

 三者の会話を傍で聞きながら。

 「私」はじっと、《天の柩》を見ていた。

 痛み。苦しみ。悲しみ。

 不明な感情が、胸の底から湧き上がる。

 分からない。

 「私」は、何も分からないはず。

 なのに、どうしようもなく感じる渇望があった。

 ――失ったモノを、取り戻さなければ。

 ただそのために、「私」は――。

 

「……あの《天の柩》を目指すまでは良いがな」

 

 ぽつりと。

 無人の都市を進みながら、森人が不意に呟く。

 

「ただ単純に、辿り着けば地上への道が繋がるのか。

 あの塔が唯一、地上に繋がる接点であるという情報は持っている。

 だが詳しい実態などは、俺も知らないのが現状だ」

「今さら言うことか、ソレ?」

「今だから言うんだ。

 この死んだ都市を抜けて、あの塔に入った後では遅かろう」

 

 甲冑の彼に対しても、森人は淡々と応じた。

 ……確かに、その懸念は理解できる。

 なんだかんだと、《天の柩》を確認できる距離まで来たけど。

 そこでどうするのか、具体的に何をするのか。

 何もかも曖昧なままで来てしまった。

 さて、何と応えるべきか。

 彼に抱かれたまま、「私」が少し考え込むと。

 

『つーても、悠長にアレコレ調べてる余裕もないだろ。

 あの塔が地上と繋がってるって以上に、有益な情報も無いんだ』

「あぁ。ここに来るまで、ワケの分からん場所で怪物に襲われただけ。

 確かなのは、ソイツらが進路妨害して来たってだけだしな」

「……それはそうだがな」

 

 猫と、甲冑の彼の言葉。

 それを聞きながら、森人は少し唸った。

 あの塔が地上と繋がっている――その情報を持ってきたのは、森人だ。

 「私」も、目指すべき先があの塔であると確信している。

 ならば、男は何を気にしているのか。

 それもまた、「私」達の進んでいる道ほどには曖昧みたいで。

 

「……必要な危険リスクと、割り切る他ないか」

 

 自らの持った疑念に、一先ずその言葉で区切りを付けた。

 用心深いと言うべきか、心配性と評すべきか。

 だからこそ油断はならないし、裏を返せば信用もできる。

 森人の男と、そして甲冑の彼。

 二人がいれば、きっとあの《天の柩》に辿り着ける。

 

『なんか一瞬、オレの存在を忘れてなかった?』

「あら、そんなことないわよ?」

 

 空気が読める猫のツッコミに、「私」は軽く笑っておいた。

 ええ、大事な守りを忘れるはずがないでしょう?

 そう思って、優しく笑いかけたのだけど。

 何故か猫は身震いをして、「私」の腕の中でジタバタとのたうち回った。

 あら、失礼な反応ね。

 

「で、後は空から伸びてる塔にどうやって上るかだな」

「素直に飛べば良い――と、簡単に済むのが一番だが、さて」

 

 見上げる。

 墓標にも似た、無数の朽ちた高層建築。

 どれもこれも背が高く、空にも届くのではないかと錯覚しそう。

 けど、本当はどれも天に比べれば地を這う虫と変わらない。

 そもそも、この世界は地の底だけど。

 空に見えるモノは偽りで、覆い尽くす地の天蓋から伸びる一つの「塔」。

 地の獄へと落ちた《天の柩ナピシュテム》。

 今やその威容を、「私」達はハッキリとその眼に映していた。

 

「でっかいなぁ、コレ。昔もこんなんだったのか?」

『悪いが、間近で見たことないから良く分からん。

 ただまぁ、バビロンの姉貴は色々デカく作るのが趣味だったからな』

「如何に人の姿を取ったところで、竜は竜。

 人間より物差しが大きいのだろうな」

「……かも、しれないわね」

 

 それは、元々は美しい白亜の塔だったはずだ。

 けれど今は汚れて、黒ずんだ色は否応なく死を想起させる。

 まるで、絞首台に吊るされた罪人のように。

 どうしようもなく不吉な気配を纏って、《天の柩》は「私」達の頭上にあった。

 ……ただ見上げてばかりでは、首が痛くなるばかりね。

 

「覚悟を決めて、行くか」

 

 最初に言ったのは、甲冑の彼だった。

 「私」の身体を、片腕でしっかりと抱きながら。

 腰に佩いた鞘から愛用の剣を抜き放つ。

 それに合わせて、森人の方は弓を手に取った。

 

「こちらは自前で飛べる。そっちは猫を使うか?」

「だな。こっちは纏まってた方が良いけど、そっちは好きに動きたいだろ」

「あぁ、何かあった場合はこちらが優先して対応しよう」

「宜しく頼むわ」

『寝てて良い??』

 

 方針はあっという間に決まったようだった。

 何だかんだ言って、互いの力量については信頼してるわよねこの二人。

 猫が口を挟んだけど、残念だけど発言権はないみたい。

 ぶつくさ言っても、頼んだ仕事はキチンとやってくれる。

 「私」の腕の中から、淡い魔力の光が広がって行く。

 

「では、先に行くぞ」

「言うまでもないだろうが、気を付けろよ」

「忠告はありがたく受け取っておこう」

 

 皮肉げな笑みを見せてから。

 森人の男は、階段を上る気軽さで宙を歩く。

 それに続いて、「私」達も。

 横たわる屍の都を離れて、少しずつ。

 上って行く。

 地の空から逆さまに伸びる、果ての「塔」へと。

 

「……今さらだけど、フワフワしてちょっと心許ないわね」

「しっかり掴まっててくれて良いからな?」

『まぁ、空間に魔力を付与して浮かせてるからな。

 仮に手ェ離したって落ちることはないから、そこは安心しろよ』

「頼りになるわね」

 

 遠慮なく、甲冑の彼に身を寄せながら。

 猫の言葉に頷いて応える。

 ふと、「私」は視線を下へと向ける。

 朽ち果てて、色を失った都。

 繁栄の残り香すらなく、無惨な死骸を晒すだけ。

 ――何もない。此処にはもう、何も。

 あるとすれば、それはただの――。

 

「……やはり、そう素直に事は運ばんようだな」

 

 頭上から聞こえる声に、「私」はすぐさま顔を上げた。

 「私」達よりも高い位置を行く森人。

 その鷹の如き目が見据えた先。

 逆さまの「塔」の頂点から、何かがこぼれ落ちた。

 それは――。

 

『嗚呼! アアァァ! 哀しイ! 嬉シイ!』

『どうか、ドウカ! 恐れないデ! 一つニ! ヒトツに!』

『愛してル、アイシテル、あいしてる、アイしてル!』

 

 黒い、汚泥にも似た何か。

 枯れた色の森、そこに開いた大穴から溢れたモノ。

 それは直ぐに翼を持つ歪んだ獣に変ずる。

 裂けたような口から、支離滅裂な言葉を吐き散らして。

 「塔」から飛来する翼の獣は、群れをなして「私」達に襲い掛かって来た。

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