224話:明かされた手札


「そちらは身を守ることだけを考えろ」

 

 相変わらず、感情の色が見えない声でそう言って。

 暗い空の上を、一人の森人が駆ける。

 「塔」から流れ落ちる黒い「何か」、それから溢れ出した影の獣。

 大きさは人間ぐらい――というより、人間と蝙蝠を掛け合わせたような。

 翼を含めた身体の部位、その位置が微妙にズレた不気味な姿。

 顔には裂けた口だけがあり、白い牙が出鱈目に生えている。

 一瞬にして数は十近くも増え、バサバサと黒い翼を羽搏はばたかせた。

 何がそんなに楽しいのか、獣達はゲラゲラと笑っている。

 

「随分と愉快そうだな」

 

 常人なら、その声だけで不快感を抑え切れないだろう。

 けれど森人は欠片も気にも留めない。

 手にした弓を構え、どこからか取り出した矢を素早く番える。

 数は三本。言葉通りの、目にも止まらぬ速度。

 

『ギャッ!?』『ギィッ!?』『ガッ!!』

 

 放たれた三本の矢は、例外なく狙った的を貫く。

 頭を綺麗に打ち抜かれた獣が三匹。

 短い断末魔を響かせて、全て力を失い落ちていく。

 

『ホント、性格は悪いのに腕は良いよなぁ』

「まぁ、本人の人格と弓の巧みさは無関係だから……」

 

 猫の呟きに、「私」は思わず苦笑してしまう。

 ほんの少し緊張感が緩みかけたけど、状況は予断を許さない。

 

『キャアアアアアァア――――!!』

 

 間髪入れず、近づく前に二匹の獣が更に撃ち落とされて。

 まだ無事な獣が、甲高い声で叫びを上げた。

 ここに辿り着くまでに、既に何度か聞いた覚えのある響き。

 鉄面皮であるはずの森人が、小さく舌打ちを漏らす。

 叫んだ獣はすぐに矢に射貫かれたけど。

 予想された変化は、その直後に起こった。

 

「まぁ、当然これで終わりじゃないよなぁ」

 

 そう言ったのは甲冑の彼。

 見上げる「塔」の先端、そこからまた黒い「何か」がこぼれ落ちた。

 しかも、その規模は先ほどの比じゃない。

 ぱっと見ても二倍か、下手をすれば三倍はありそうな。

 流れる汚泥からは、また翼を持つ歪んだ獣が溢れ出した。

 当然のように、その数もまた最初に現れたよりも遥かに多い。

 二十を超える翼の群れが、「私」達の頭上を塞ぐように宙を舞う。

 これは、流石に厳しいわよね。

 

「っと!」

 

 言ってる傍から、一匹の獣がこちらに急降下を仕掛けてくる。

 それは甲冑の彼が即座に切り捨てた。

 森人の方は、何匹もの獣が同時に襲い掛かって行く。

 弓は片手に保持したまま、男は素早く白刃を引き抜いた。

 一閃、翼を切断された獣が落下する。

 足の先に鋭い爪を生やし、獣達は獲物を八つ裂きにしようと狙う。

 けれど、そのどれもが当たらない。

 地上とは勝手が異なる空の上でも、森人の動きは実に巧みだった。

 

「大変そうだなぁ、手伝うか?」

「不要だ。それと取りこぼしの面倒までは見んぞ」

 

 森人の戦いぶりは、見事と言う他ない。

 だとしても、獣の数は余りに多い。

 加えて、量こそ少ないけど「塔」からは未だに黒い汚泥が流れ出してる。

 削って減らした数よりも、増える数の方がやや上回っている。

 誰の目から見てもジリ貧だ。

 甲冑の彼も、分かっていて言ったのだろうけど。

 森人の男は躊躇うことなく断った。

 

「この程度ならば、そう問題はない」

『いやでも、明らかに手に負える数じゃなくなってるだろ??』

「その通りだな」

 

 猫のツッコミに対しては、本当にあっさり頷いてみせた。

 それはまったく大丈夫じゃないんじゃ……?

 なんて言葉を交わしている間も。

 翼を持つ獣は次々と流れる汚泥から現れ、その数を増していく。

 「私」達にも何匹か向かって来るけど、森人の方は雪崩れのよう。

 黒い翼があらゆる角度から、獲物を引き裂こうと飛び回る。

 避けて、斬り落として、避けて、避けて。

 飛び込んでくる獣の翼を、すれ違いざまに切断していく。

 直撃どころか、爪が肌を掠めることさえ一度もない。

 

「――確かに、このままでは埒が明かんな」

 

 森人自身が言葉にした通り。

 多少の勇戦を見せたところで、状況は変わらない。

 溢れる獣は、「塔」に続く道を塞ぐみたいに。

 その数を増やして、「私」達を押し潰そうとしてくる。

 例え甲冑の彼が手を貸したとしても、容易に覆る物量じゃない。

 一度退いて、何らかの策を考えるべきではないかと。

 「私」はそう考えた――けど。

 

「仕方あるまい」

 

 何か、森人は決断をしたようだった。

 変わらず襲って来る獣の爪を避け、男は刃を一度鞘に納めた。

 一体、何を――?

 「私」が疑問に感じるよりも早く。

 森人は、懐から素早く何かを取り出した。

 それは一本の矢だった。

 けど、これまで森人が放ってきた物とは少し形状が異なる。

 少し大きめなやじりに、何かが刻まれているような……?

 距離があるため、「私」の目ではハッキリと見えない。

 男はその矢を弓に番えて、ロクに狙いも定めぬままに放った。

 一度も獣相手に外さなかった矢が、何もない虚空を貫く。

 それを見て、宙を舞う獣達はゲラゲラと笑った。

 無意味な行いを嘲ったのか、特に意味のない鳴き声に過ぎないのか。

 どちらにせよ、関係はなかった。

 

『ギャッ!!?』

 

 笑っていた獣の何匹かが、纏めてバラバラに引き裂かれた。

 一瞬過ぎて、傍から見ていた「私」も何が起こったか分からなかった。

 空を走る、白い輝き。

 それは森人が振るっている白刃にも似ていた。

 駆ける白光は暗い空を裂き、群れなす獣を瞬く間に蹴散らす。

 

「なに、あれ……!?」

「俺も良く分からん。猫は?」

『いやオレだって分からんよ??』

 

 三者三様に、酷く間抜けを晒してる気がする。

 馬鹿なことを言ってる間も、獣はどんどんと空から落とされていく。

 混乱する獣達を、更に森人の白刃が斬り裂いていく。

 圧倒的な物量を物ともしない、個の武勇。

 その姿はまさに、「英雄」と呼ぶに相応しいものだった。

 

「本当なら、見せるつもりはなかったんだがな」

 

 そう呟いた森人の傍ら。

 何か、白い光のようなモノが漂っている。

 光――いえ、違う。

 それは「騎士」だった。

 全身に青白い炎を宿し、白い外套に身を包んだ甲冑の騎士。

 「私」を抱えている甲冑の彼と、少し似たモノを感じる。

 恐らく、あの騎士も肉の中身が存在しないからだ。

 身に纏う魔力は強大で、青白く輝く炎は宿る魂そのものか。

 手にした長剣ロングソードには、森人が持つ物と同じ白い煌きを帯びている。

 

『――――』

 

 言葉はなく、輝く騎士は宙を駆ける。

 その姿は、まるで流れる星のよう。

 空を飛ぶ獣を、まるで羽虫を落とすみたいにあっさりと撃墜していく。

 森人もまた、負けない勢いで獣達を薙ぎ払う。

 本当に強い――けど、あの白い騎士は一体……?

 

「アレが隠したがってた『手の内』か」

『……また随分と妙、というか、実際何だろうなアレ。

 小精霊スピリット……にしちゃ、力の規模がデカいし。

 それに何か、覚えのある気配も感じるような……?』

「結局、見ても良く分からん感じだな。

 少なくとも、前戦った時はあんなもん使ってなかったが」

「やっぱり戦ったことあるのね……」

 

 空を飛ぶ獣達に、もう「私」達を狙う余裕はなかった。

 黒い汚泥から溢れる速度より、蹴散らす速度の方が圧倒的に勝っている。

 攻め手が緩めば、それだけ森人側の勢いも増す。

 それで数が減って、森人と輝く騎士は更に殲滅する速度を上げていく。

 戦いの趨勢は、もう完全に決していた。

 

「……見て」

 

 「私」は、黒い「何か」を吐き出している「塔」の先端を指差した。

 ついさっきまでは、勢い良く汚泥が流れ出ていた箇所。

 そこからゆっくりと、黒い泥が引いていく。

 未知なる「塔」の内側へと、まるで意思を持っているみたいに。

 

「――結局、数が多いだけだったな」

 

 新手が増えなければ、片付くまではあっという間だった。

 最後の一匹を白刃で斬り裂き、森人の男は戦いの終わりを告げる。

 何処からか、隠れた新手が現れないか。

 そこまで警戒をした上で、ゆっくりと剣を鞘に戻した。

 

「ご苦労だった」

 

 一言。その言葉を向けたのは、青白く輝く騎士。

 騎士は無言のまま頷くと、纏った炎をひと際強く燃え上がらせた。

 青白い炎が消えた後、そこには騎士の姿はなくなっていた。

 ホント、アレは一体何なのか。

 

「お疲れー。ところで今の人誰?」

「労いは不要だ。露払いは自分から言ったことだからな。

 あと、今のに関する質問は受け付けん」

『うーんこの秘密主義者よ』

 

 まぁ、そういう性分だろうからこればかりは仕方ない。

 とりあえず、「私」もそう思っておくことにした。

 むしろ、こっちを守るために軽くでも手の内を明かしてくれた事。

 それこそ、かなり驚くべきことな気がする。

 

「手持ちの札は、必要があれば使うし、必要がなければ伏せる。

 明かさずに済めばそれで良かったが、今回はそうではなかった。

 ただそれだけの事に過ぎん」

「……何だか言い訳じみてるわね?」

「かもしれんな」

 

 ちょっと、からかうぐらいのつもりで言ってみたけど。

 やっぱり森人の反応は相変わらず。

 男は、どこか観察するような眼で「私」を見る。

 それも、直ぐに視線を外してしまったけど。

 多くはないけど、これまでも似たようなことはあった気がする。

 果たして、森人は「私」に何を見ているのだろう。

 問うたところで、きっとはぐらかされて終わりでしょうね。

 

『とりあえず、もう襲って来る感じはないか?』

「今のところはそうだな」

 

 若干不安そうに、周囲をキョロキョロと見回す猫。

 甲冑の彼も警戒は解かないままに頷く。

 そう、空の道を阻むモノはもう何処にもいない。

 黒い「何か」が去った逆さまの「塔」。

 「私」達はとうとう、そこに足を踏み入れるのだ。

 

「どっちが先に行く?」

「改めて決めるのも手間だろう。先ずは俺から踏み込もう」

 

 そう言って、森人の男は空へと上る。

 本物の空ではない、地の底を蓋にした偽りの空。

 其処から伸びるのは、《天の柩ナピシュテム》と呼ばれる逆さの「塔」。

 「塔」の先端部分、黒い汚泥が流れていた大きな窓。

 黒々とした闇が覗くばかりのその穴へ、森人は躊躇なく飛び込んだ。

 森人の姿が、一瞬で深淵に呑み込まれる。

 傍から見ていても、ぞっとしない光景だった。

 一瞬、このまま戻って来ないのではないかと思ったけど――。

 

「……問題ない。

 いや、問題がないわけではないが、危険はない。

 あくまで今のところは、だが」

 

 と、流れる風が声を届けて来た。

 甲冑の彼と猫、そして「私」はそれぞれ顔を見合わせて。

 

「行くか」

『行きますか』

「ええ、行きましょう」

 

 互いの意思が一致していることを確認する。

 そうして、猫の魔力で「塔」の先端へと近付いていく。

 ……さっきまでは、獣に気を取られて意識していなかったけど。

 接近するほどに、「私」は重圧めいたものを感じていた。

 胸の奥が黒く、重くなるような。

 不快感――とは違う。

 焦燥感と言った方が近いかもしれない。

 結局、その感覚に具体的な名前を付けられぬまま。

 

「ッ――――」

 

 「私」達は、口を開ける「塔」の闇へと身を投じる。

 猫を胸にしっかりと抱き、甲冑の彼へと離れぬように身を寄せる。

 視界がほんの少しの間だけ、真っ黒に染まった。

 そして――。

 

「目を開けても問題ないぞ」

 

 いつの間にか、「私」は両目を閉じていたらしい。

 呼びかける森人の声に、恐る恐る両の瞼を持ち上げた。

 飛び込んで来たのは、眩い光。

 開いたばかりの目を思わずすがめてしまう。

 猫も甲冑も、変わらず傍にいる。

 だから「私」は、臆することなく広がる光景に向き合った。

 

「……何、これ……?」

「それは俺も聞きたいところだ」

 

 向き合って、「私」はつい怯んでしまった。

 森人の男はこちらとはそう遠くない位置で、どこか皮肉げに笑っている。

 ――暗い闇を覗かせていたはずの、「塔」の内部。

 「私」達が降り立った場所は、さながら豪奢な宮殿の如く眩く輝いていた。

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