225話:王国の心臓
どこまでも豪華で、どこまでも絢爛。
古今東西、あらゆる「美しいもの」で飾り立てたような。
色とりどりの花が咲き、眩い光に満たされた白亜の宮。
誰もが息を呑む、その広間の真ん中に立って。
「私」は一つの事実に気付いていた。
「……誰の気配も、無いわね」
猫を抱き、甲冑の彼に抱えられたまま。
僅かに流れる空気の動きに、「死」の匂いを感じ取っていた。
どれほど見た目が美しく。
どれだけ全てが輝いていたとしても。
変わらない。
この場所も、地の底に横たわる屍の都である事に変わりはない。
死んでいるのだ、何もかも。
生きた者は恐らく、「私」達以外には――。
「これが、在りし日の《
呟くように森人の男は言う。
男の眼も、美しい広間を観察している。
腕の中の猫が、少しだけ居心地悪そうに身悶えした。
『つまり、他人の夢を見せられてるようなもんか』
「あぁ。誰が見ている夢かは、敢えて口にするまでもないな?」
「誰の夢だとしても、やることは変わらんけどな」
少し意地悪そうに笑う森人に、甲冑の彼は普段通りに言う。
……そうだ、彼の言う通り。
「私」がやるべきことは変わらない。
軽く手のひらで、甲冑の彼の腕を叩く。
すると何も言ってないのに、そっと床に「私」を下ろしてくれた。
今のだけで意図が伝わったことに、何故か気恥ずかしさを感じてしまう。
誤魔化すように猫を強く抱き締めたら、潰れた鳴き声が漏れた。
「その、ありがとう」
「良いさ。とりあえず、こっからも何があるか分からん。
俺もがんばるが、そっちも警戒はしといてくれ」
「ええ、勿論。頼りにしてるから」
首が絞まってぐったりしてる猫を抱いたまま、「私」は小さく頷いた。
「問題ないか?」
「動き出す分にはな」
「状況そのものが問題しかない、と言ったらそれまでか」
確認する森人の男は、甲冑の彼の言葉に笑いながら応える。
……もしかして、今のは冗談のつもりなのかしら。
物言いがアレだから、正直分かりづらい。
ともあれ、「私」達は覚悟を決めて前へと踏み出す。
他には誰もいない。
煌びやかな光に包まれた、過去に朽ちた屍の中へと。
「…………」
暫くは、誰も言葉を発しなかった。
枯れ色の森の時とは異なり、先頭には森人の男が立った。
鞘から白刃を抜き放ち、何が来ても直ぐに対応できる構えだ。
甲冑の彼は、猫を抱えた「私」のすぐ傍に。
床を靴の裏が叩く硬い音。
他に音がないせいか、やけに耳に響く。
「……綺麗な場所」
沈黙に耐えかねたワケではないけど。
広い廊下を進みながら、「私」はそんなことを呟いた。
綺麗。本当に、この白い宮殿は美しい。
かつて地上にあった《
ここにあるのは幻で、全ては過去に置き去られた。
それが何故か、「私」は酷く悲しいものだと感じていた。
「昔は、もっと大勢で賑わってたんだろうな」
「私」の呟いた声に、甲冑の彼が穏やかに応えた。
それもまた単なる憶測で、実際のところは知らないけれど。
「……そうね。きっと、そういう場所だったと思う」
否定することなく、「私」は頷いた。
きっと、この《
きっと大勢の者達の、愛と喜びに満ちていたと。
どこか祈るように、「私」は呟く。
――例えその果てに待っていたモノが、この結果だとしても。
「……待て」
と、先を行く森人の男が足を止めた。
手にした白刃を緩く構えて、明らかに臨戦態勢だ。
一瞬遅れて、甲冑の彼も片手に剣を握る。
また黒い「何か」が現れたのか、と。
「私」はそう考えて――。
「ッ……」
まったく想定とは異なるモノを目にして、小さく息を呑んだ。
様々な装飾や調度品、眩い光で彩られた白い通路。
その真ん中を塞ぐように、誰かが立っていた。
誰か――そう、誰か、誰かだ。
何故か「私」の目に、その顔は映らない。
それは黒髪を長く伸ばした、一人の女だった。
多少小柄だけど、凹凸はハッキリとした豊満な身体つき。
それを豪奢だけれど、露出の多い赤と黒の
間違いなく、十人いれば十人が振り返るだろう女。
ただ、「私」にはその顔だけは分からない。
きっと美しい女であることは、不思議と容易に想像できた。
「また個性的な美女だな」
軽口を叩きつつ、甲冑の彼は「私」を庇う位置に動く。
やっぱり、彼にも相手は顔無しに見えてるようだ。
不気味な美女は微動だにせず、ただ道を塞ぐ形で佇んでいる。
森人の男は白刃を構えた状態で、値踏みするように女を観察する。
それは時折、「私」に向けた視線と同じ種類に思えた。
「……敵意はない、か。
なんだ、貴様は。死んだバビロンの亡霊か?」
臆する様子など微塵も見せずに。
挑発とも取れる言葉を、森人の男は口にしていた。
対する顔無しの女は、無言。
何も語ることはなく、時折頭をフラつかせるぐらいの動きだけで。
「反応は無し、か。まぁ想定内だ」
『そのクソ度胸は一体どこから出てくるんだ。
いや、アレが化けて出たバビロンだとしたらめっちゃ怖いんだけど』
猫は「私」の腕の中で、微妙にビビリながら鳴き声を発する。
発言の内容も、冗談っぽいけど冗談じゃなかったわね。
「なに、幽霊とか怖いの?」
『《摂理》に反して残留するような魂、そりゃ怖いに決まってるだろ。
法則無視で何しでかすか分かったもんじゃないからな』
いっそ半分ぐらいはからかう気持ちだったけど。
思いの外真面目な言葉が返って来た。
猫の言ってることは、イマイチ良く分からなかった。
『――――』
顔のない女は、無言。
そもそも、アレは森人が言う通りのバビロンの亡霊なのか。
何も不明のまま、少しの間睨み合いが続く。
不気味だが、怪しい動きもない。
ただ其処にあるだけ――。
「む……?」
痺れを切らした森人が、手にした白刃を振るおうとした。
それとほぼ同じタイミングで、女の姿がブレる。
まるで、最初から幻か何かだったように。
輪郭を曖昧にさせながら、通路の奥へと消えていく。
……これは、「こちらに来い」と誘っているの?
「どうも、誘導してるような気配だな」
「同感だ。
罠かどうかは分からんが、あまり素直に付いて行きたくはないな」
甲冑の彼が言うと、森人もそれに同意した。
「私」も大体同じ考えだったし、猫も大きく頷いている。
とはいえ、ここから引き返すという選択肢は「私」達にはなかった。
この「塔」――《天の柩》だけが、《
何もかもが不確かな世界の、それは不確かな導。
その導きのまま、「私」達は先へと進む。
「……けど、この道で合ってるか?」
「それを俺に聞かれてもな」
進む、前へ前へ。
煌びやかな通路に、煌めく階段。
時折姿を見せる、顔の無い不気味な女の影。
相変わらず生きた気配が微塵もない中を、「私」達は進み続ける。
……もう、どの道をどう辿ったかも分からない。
これでは完全に迷路だ。
ならばあの顔の無い女は、本当に哀れな犠牲者を誘う亡霊なのか。
『……何も襲って来ないっつーのも、まぁ不気味だよなぁ』
「私」の腕の中で、猫がぽつりと呟く。
『この《天の柩》に入る前も、おかしな獣が通せんぼして来たってのに。
侵入したらフリーパス、ってのも変な話じゃね?』
「だからまぁ、罠の可能性はデカいよな」
懸念する猫に、甲冑の彼はあっさり頷いた。
それについては、森人の男も意見は同じようで。
「それが竜の尾と分かっていても、今は踏むしかあるまい。
結果が良きにしろ、悪しきにしろな」
「他に道があるワケでもないしな」
結論としては、それが全てだった。
だから「私」達は、複雑に入り組んだ《天の柩》の内へと踏み入る。
敵はいない。
「私」達以外に生者はない。
屍の如き世界には、朽ちた花の甘い死臭が漂うばかり。
ただ、揺らめく女の影を追って。
「私」は――いえ、「私」達は進み続けた。
やがて。
「……ここは……?」
辿り着いたのは、これまで以上に広大な空間。
広間のように見えるけど、最早見慣れた装飾の類は欠片もない。
煌びやかさは微塵も見られず、壁や床には無機質な紋様が刻まれている。
それはまるで、生物の身体に走る無数の血管のようで。
「私」は、胸の奥からまた奇妙な不快感が湧き上がって来るのを感じた。
この空間に、「私」は何を読み取ったのか。
分からない。分からないまま、状況は動き続ける。
「ふむ。ここが《天の柩》の中心か?」
相変わらず、油断なんて微塵もない様子で。
森人は静かにその場を観察している。
振り返れば、さっきまであったはずの階段や通路は見当たらない。
何処とも繋がらないはずの、《天の柩》心臓部。
そう――ここは、心臓だ。
かつてはこの「塔」の支配者の魂、その総体の大半を収めていた枢要。
「私」は、その事実を知っていた。
ならばやはり、此処にいるのは――。
『――――』
また、「私」達の前にソレは現れる。
顔の無い女。
生者でも死者でもない、まるで屍みたいな女。
顔は無い……いえ、認識できないはずだけれど。
それでも、「私」には分かる。
――この女は、こちらを見ている。
「いい加減、ダンマリではこちらも困るのだがな」
最初に動いたのは森人の男。
そう言いながら、男は素早く弓を構えていた。
返事は待たぬとばかりに、放たれるのは三本の矢。
頭と胸元、それに脚。
矢の速度も調整しての三点同時射撃。
けどそれは、女の身体を無意味にすり抜けるだけで終わった。
森人は僅かに眉を顰めて、小さく舌打ちを漏らす。
「予想はしていたが、やはり実体がないか」
『……それじゃホントに亡霊だな』
猫の声には、少しばかりの畏怖が込められていた。
対して、甲冑の彼は一切の恐れを見せずに剣を構える。
「そっちが何をしたいのかとか、そういうのは分からんが。
邪魔をするつもりなら、このまま斬り倒す。
もし地上に続く道を知ってるんなら、素直に教えて貰いたいね」
どうだ、と。
甲冑の彼は、最後通告に近い言葉を口にする。
顔の無い女は、無言――いえ。
ゆらりゆらりと、不安定に身体を揺らしながら。
はじめて、女は声を発した。
生きてもなければ死んでもいない、眠れる少女のような声。
『――何故?』
果たして、それは何に向けての疑問なのか。
誰もそれに応える余裕はなかった。
顔の無い女が、その問いを声として発すると同時に。
足下にあったはずの床が、いきなり全て消え去ってしまったから。
「――――!?」
悲鳴すらも呑み込んでしまう黒い穴。
傍にいる甲冑の彼、その手を必死に握り締めて。
それ以外には成す術もなく、「私」はその深淵へと落ちて行った。
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