226話:願いの形
これで何度目かの暗闇への落下。
言葉は声にならない。
奈落の底へと引き摺り込まれるように、ただ落ちていく。
幸いと言うべきは、落ちているのが「私」だけではない事のみ。
森人の男も、猫も、甲冑の彼も。
等しく闇へと――。
「ちょっと猫、これ飛べないのか!?」
『さっきから試してるけどダメだわ! ゴメンネ!』
「さて、いよいよ拙い展開だな」
全てを吸い込む暗闇に響く、三者の声。
諦めていない。
明らかに絶望的な状況でも、誰もまだ諦めていない。
ならば、そう。
まだ何も、終わってはいないのだ。
「っ……!」
「私」がそう考えた瞬間に、強い衝撃が身体を打った。
どうやら落ちてる最中、「私」はまた甲冑の彼に抱えられていたようで。
中身のない腕は、守るために「私」を包み込む。
おかげで着地の影響は、殆ど受けずに済んだ。
精々、腕の中の猫を思い切り抱き潰してしまったぐらい。
「ぐえっ!?」って声が上がったけど、きっと大丈夫よね?
「無事か?」
「え、ええ。何とか」
『オレは割と死にそうです』
「……底なしかと思ったが、杞憂だったようだな」
中身がないせいか、元々頑丈なのか。
どちらかは分からないけど、甲冑の彼は案外平気そうだった。
猫は置いといて、森人の男も落下を苦にした様子はない。
「しかし、いよいよ悪夢じみて来たな」
「私」達から少し離れた位置。
落ちる前と変わらぬ様子で佇みながら、森人の男は呟く。
その眼は、周囲の状況を確認していた。
こちらも少し遅れて、同じようにそちらに目を向けて――。
「……これは」
思わず、息を呑んだ。
暗い。明かりの一つも存在しない、暗闇の世界。
にも拘らず、その場にいる全員の姿はハッキリと視認できる。
どういう仕掛けなのかは分からない。
物理的な法則なんて、悪夢の中では無意味なのかもしれない。
上は真っ暗で、さっきまでいた広間は見えなくなっていた。
横も同様、黒々とした闇が横たわるばかり。
壁がどこかも確認できないから、どの程度の広さなのかも不明。
そして、足下は――。
「インテリアにしては、流石に悪趣味だな」
珍しく、そんな皮肉を甲冑の彼が口にした。
光のない暗闇だというのに、ハッキリと見ることができる。
足下に床は見えず、代わりに大量の骨が敷き詰められていた。
骨。骨。骨。恐らくは、人間のもの。
或いは、遠目から見たら真っ白い絨毯と勘違いしたかもしれない。
そんな綺麗な白骨が、延々と果てしなく。
この暗闇の底で、見渡す限り広がっていた。
……本当、悪趣味ね。
「どう見る?」
『いや分からんよ。ここに来てからは分からんことばっかだ』
森人の問いに、猫はうんざりとした様子で応える。
謎を解くための手掛かりとか。
そういうものが、あれば良かったんでしょうけどね。
けれどそういったモノは何もなく。
ここまで、不確かな導だけで来てしまった。
だから、分からない。
何も分からないまま、流れだけは止まらない。
「っ……何……?」
微かな揺れが、足の下から伝わってくる。
カタカタと、無数に転がった白骨同士が音を立ててぶつかり合う。
何か、大きなモノが来る。
それを確信して、「私」は甲冑の彼へと身を寄せた。
無意識から出たごく自然な行為。
彼は剣を構え、「私」を守る形で立ってくれている。
胸から込み上げてくる愛しさに、「私」は震えてしまいそうだった。
やがて。
『―――――ッ!!』
声にならない咆哮。
「私」達の正面、敷き詰められた白骨が山のように盛り上がる。
そして水が弾けるように。
辺りに骨をバラ撒きながら、「何か」が姿を現した。
最初に見えたのは、真っ黒い汚泥。
ここまで何度か目にして、その度に「私」達を妨害してきた正体不明のモノ。
《天の柩》への侵入を阻もうとした時より、更に大量の黒泥。
それが白骨を蹴散らしながら噴き出す。
初めは粘り気のある水のように。
それが段々と、まるで黒い蛇みたいにうねり始める。
変化は急激に――けど。
「随分と悠長だな」
「だなぁ」
それを行儀よく見てる者ばかりじゃない。
森人の男は白刃を抜き放つと、その場で一閃。
「飛ぶ斬撃」が、渦巻く黒泥に直撃して削り取る。
殆ど同時に、甲冑の彼は剣を持ってない方の手を黒泥に向けた。
「《
唱えたのは《力ある言葉》。
即座に現れた握り拳よりも大きい火の球は、真っ直ぐ泥へと飛んで行く。
衝撃と炎。暗闇を押し退ける爆発。
容赦のない攻撃は、変化途中の黒泥を容赦なく抉る。
『まー変身途中に仕掛けちゃいけない決まりもないわな』
「……それはそうでしょうけどね」
呆れたように呟く猫の言葉に、「私」は頷くしかなかった。
……まぁ、これで終わってしまえば話が早いのでしょうけど。
残念ながらそう簡単な話でもない。
「まぁ、想定通りではあるな」
そう呟きながらも、森人の男は攻め手を一切緩めていない。
炎の炸裂で一部が抉られた黒い泥。
それに対して、「飛ぶ斬撃」を幾度も叩き込み続けている。
本当に、容赦の欠片もない。
甲冑の彼もまた、剣を構えて突っ込む真似はしなかった。
今はまだ距離を保ち、そのまま火矢など魔法による攻撃を仕掛ける。
斬られて、削られて、焼かれて。
けれど黒い泥は、それで無くなったりはしなかった。
まるで生き物みたいに悶え、攻撃に晒されながらも変化を続ける。
足下に転がる無数の白骨を取り込んで。
流動し続ける泥を、その印象通りの黒い蛇に似た身体に変える。
そして花が綻ぶように、汚泥の中心から現れるモノ。
それはこの場まで「私」達を誘った、顔のない女だった。
亡霊はどこまでも醜悪に、どこまでも可憐に。
悪意の如く渦巻く、黒い泥の淵で咲き誇っていた。
『……どうやら、コイツがここの大ボスっぽいな。
ちょっと、いや明らかにヤバいだろ、コレ』
猫の声には、動揺が隠し切れていなかった。
微かな震えが、抱く腕を通して伝わってくる。
「確かに、さっきから攻撃してんのに応えた様子がないよな」
「単純な物理攻撃では、効果が薄いのかもしれんな」
一方、戦う二人は一切ブレない。
敵が強大なことぐらい、当たり前だと言わんばかりで。
甲冑の彼も、森人の男も。
どちらも愛用の剣を手に、黒い怪物と相対する。
頼もしくもあり、同時に怖くもなる光景。
猫の方も、「私」と同じ感想を持ったのかもしれない。
『ここまでは希薄だったが、ありゃ間違いない。
あの黒い怪物からバビロン――支配者だった竜王の気配がプンプン漂って来てる』
「それは割とヤバそうだなぁ」
『昔の力を残してるのかとか、それが分からんと何とも言えんけどな。
かつては《五大》に数えられた一柱だ。
《古き王》と呼ばれた他の兄弟姉妹と比べても、隔絶してる。
前戦った大真竜とそう変わらんはずだ』
「絶対にヤバい奴だな」
そうして言葉を交わしている間も。
巨大な蛇に似た身体を得た顔の無い女は、微動だにせず留まっていた。
油断なく睨む森人の男を意識して――ではない。
顔の無い女は、森人も甲冑の彼も、当然猫のことも見ていなかった。
無貌の眼差しで見つめる相手は、ただ一人。
「私」だけだった。
『――――』
見ている。
見られている。
言葉の通り、蛇に睨まれた「私」は動けなかった。
動けず、その眼差しを見つめ返して――。
『……おい、どうした?』
「私」の腕の中。
異変を感じ取った猫が、鳴き声を上げたけれど。
全てが遅かった。
「ッ――――……!」
声にならず、「私」はその場に膝を付いた。
抱いていた猫も、堪らず足下に落としてしまった。
呼吸は乱れ、反射的に胸を押さえる。
視界も上手く定まらない。
何もかもが、頭の上から崩れ落ちていくような錯覚。
世界の全てが歪む中で、動くモノがあった。
甲冑の彼だ。
手にした剣を振り上げて、疾風の如く駆け抜ける。
向かう先は、黒い汚泥を纏う顔の無い女。
ただそこに在るだけで、強大な魔力を放つ怪物。
だけど彼は、ほんの僅かにも怯まず。
蛇に似た胴体を、剣の一閃で斬り裂いた。
『――――!!』
甲高い、歌うような声。
苦痛を訴える響きは、彼の剣が通じることを示していた。
けど刻まれた傷は、再生能力ですぐ塞がってしまう。
甲冑の彼は手を止めず、追撃を仕掛けようとして。
「っと……!?」
女が歌う声と共に放った、不可視の衝撃波。
全方位を押し流す見えない津波を、回避する術などなかった。
彼と、女の死角から狙っていた森人。
そのどちらも、抗えず派手に吹き飛ばされてしまう。
「私」は、有効な射程の外側にいたので巻き込まれずに済んだ。
「ッ……」
それでも、呼びかける余裕もない。
次々と、熱い「何か」が胸の奥から溢れ出す。
ここまで曖昧だったもの。
完全には理解できていなかったもの。
失ったはずのもの。
全て、全て内側から湧き上がり――。
『おい、しっかりしろ! 聞こえてないのか!?』
「……そっちは、どんな感じだ?」
言葉を発することもできず、白骨の上で蹲る「私」。
猫が叩いたりして呼びかける横で、吹き飛ばされた彼が立ち上がった。
視線の先は、正面の怪物女からは決して逸らさない。
『いきなり倒れた以外は、正直何も分からん。
多分、あの化け物に何かされたとは思うんだが……』
「呪いの類か? であれば、すぐに対処するのは難しいな」
こちらも、彼と同じように吹き飛ばされたはずだけど。
目立った怪我もなく、森人の男は平然としていた。
手には白刃を構え、視線はやはり怪物の方へ。
油断はない。
誰もが、目の前の脅威に集中している。
「私」は何もできない。
まだ、何も。
「あの化け物を潰せば、何とかなりそうか?」
『分からん。分からんが、今一番可能性が高いのは間違いない』
「だろうな。この状況では、他の手を考慮している暇もあるまい」
二人と一匹は言葉を交わし、蠢く黒い汚泥と相対する。
漂う魔力と瘴気は、常人なら触れただけで肉も骨も溶けてしまう濃度だ。
それを全身に晒しながら、戦う二人は少しも揺るがない。
「――悪いな、ちょっとだけ待っててくれ」
甲冑の彼は、正面を見たまま声をかけてきた。
「私」は、それに応えることはできない。
顔を伏せたままで、今は耐える。
――きっと、ここで全てが上手く行くはず。
「私」はただ、声には出さずに祈った。
そうして、この《地の獄》における最後の戦いが始まる。
願った結末まで、あと少し。
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