353話:生きた証
「おい、アウローラっ?
落ち着けよ、相手も冗談で言っただけで――」
「ちょっと黙ってなさい」
にわかに漂い出した剣呑な空気。
テレサに支えられたイーリスは、即諌めようと口を挟んだ。
しかしアウローラはこれを一蹴する。
これまでの経験でも五本の指に入るブチギレ具合だった。
敵に対してそうするように、アウローラはカドゥルの事を睨んでいた。
カドゥルの方はというと。
「? いや、オレ様は本気だぞ?」
怒りも敵意もどこ吹く風で。
イーリスの言葉を訂正する形で、あっさりそう言ってのけた。
トウテツが呆れた感じでため息を吐く。
「まぁ、いつもの事と言えばいつもの事だな」
「いつもの事なのか?」
「カドゥルは愛多き女よ。
特に強い男と見ればすぐに子を作りたがる。
種が鬼であろうと人であろうと一切構わずな」
ちなみにワシも誘われた事があるぞ、と。
俺の質問に答えた上で、トウテツはカラカラと笑った。
なるほど、異文化いうか何というか。
カドゥルからすればいつものスキンシップぐらいのノリなワケか。
それなら態度の軽さも納得は行くが。
「彼は私の王様よ。
そんな軽々に色目を使わないで欲しいのだけど」
「ふむ」
完全にキレてはいるが、手を出すギリギリで踏み止まっている。
そんなアウローラの警告に、カドゥルは首を傾げた。
「アレか、アウローラだったな。
それはお前がレックスの番であるからか?」
「つが……っ!」
「? 違うのか?」
「ち、がわないわ。ええ、そうよ、その通りよ!
だから勝手な真似はしないで頂戴!」
とりあえず、手が出ない内は黙って見ておこう。
ボレアスさんも頑張って笑いを堪えて欲しい。
あまりにも直球過ぎるカドゥルの確認に、アウローラは真っ赤になっている。
怒りよりも照れとか羞恥が一気に勝ってしまったようだ。
「レックス殿、大丈夫なんでしょうか……?」
「大丈夫じゃなかったら割って入るつもりではある。
ただまぁ、この空気なら多分大丈夫じゃ……」
「そうか、そうか。いや悪かった!
あまりそういう空気も感じなかった故、オレ様も気付かんかったわ」
「……どういう空気か知らないけど、分かったのなら……」
「そういう事なら、オレ様も夫として迎えようとは言うまい。
ただ強い子を成すために、種だけ貰えれば十分だ。
もしそれでも気にするなら、お前も一緒に――」
カドゥルが言い終えるよりも早く、アウローラは動いていた。
流石に一瞬過ぎて止める暇もない。
小柄な少女が跳躍し、遥かにデカい女の顔面目掛けて蹴りを叩き込む。
見た目こそ細いが、アウローラの本質は古竜。
ただの蹴りに見えて、その威力は竜の爪に等しい。
硬いモノが激突する音と衝撃が、街の空気を強く揺さぶった。
道行く人々がざわめき、思わず足を止めてこちらを見る。
「――ハッハッハ!
良いな、オレ様は活きの良い奴は男でも女でも好きだぞ!」
「やかましいわよこのクソデカ変態女……!!」
アウローラの蹴り。
それをカドゥルは片手で防いでいた。
抱えたままのアストレアは自分の身体で隠すように立ちながら。
心底楽しそうに、鬼の女王は笑っていた。
「彼は私のモノだと言ってるでしょうが……!」
「うむ、だから子種だけ貰えればオレ様は満足だぞ?」
「死ねッ!!」
怒り任せに叫ぶ、アウローラは更に蹴りを重ねる。
場所が場所だ、魔法や《吐息》を使わないだけの理性は残ってるようだが。
殴る力だけは全力で、笑うカドゥルへとぶつけていく。
この《国》の支配者である女王への狼藉。
通りのど真ん中で行われるソレを、住民全員が見ている状態だ。
本来ならかなりヤバいはずなんだが。
「何だ、カドゥル様相手に喧嘩吹っ掛けた奴がいるのか?」
「すげェな、一体どこのどいつだ?」
「おいちょっとどけよ、良く見えねェだろ!」
「押すなって! カドゥル様はでけーんだから下がっても見えるだろ!」
うーん、完璧に見世物扱いだな。
それを分かっているのか、カドゥルの方も楽しそうだ。
じゃれる獣の相手をするみたいに、自分からは手を出さない。
片腕だけで、アウローラの打撃を全て防いでいる。
走る『地砕き』を止めたのも見たが、やっぱり力の強さが尋常じゃないな。
「この……っ!」
小さく、アウローラの唇から歌うような声が漏れた。
魔法だが、自分への身体強化の術だろう。
速度も力も跳ね上がった拳が、カドゥルの腕に突き刺さる。
ミシリと、微かに骨身が軋む音が響く。
「おぉ……!?」
「余裕を見せすぎよ!!」
予想していた以上のパワーで殴られたためか。
驚きの声をこぼしたカドゥルに、強化を施したアウローラが迫る。
腕の守りを払って、そのまま顔面を蹴り飛ばそうと。
「うん、流石にいい加減落ち着こうな」
する前に、俺はアウローラを後ろから抱きかかえた。
力と勢いで吹き飛ばされるのも覚悟していたが。
「ッ、レックス……!?」
幸い、アウローラは止めに入ったのが俺だとすぐ分かったらしい。
カドゥルをぶっ飛ばすつもりで溜めていた力は抜け、すぐ大人しくなってくれた。
よしよし、ちょっと危なかったが何とかなったな。
片腕を腰の辺りに回し、空いた手で彼女の頭をぐりぐりと撫でる。
「落ち着いたか?」
「っ……落ち着いたから、そんな風に撫でるのは……!」
「嫌だったか?」
「い、いやではないけどっ」
「そうかそうか」
なら何も問題はないな。
怒りのゲージを空にするためにも、引き続き抱っこしたまま撫で回す。
そんな俺たちの様子を、カドゥルは首を傾げながら見下ろしていた。
「何だ、もうおしまいか?」
「悪かったな、急に殴りかかったりして」
「ウン? そんな事は気にする必要はないぞ。
鬼が理由なく人を殺すのは重罪だ。
人が意味なく鬼に挑むのも重罪だ。
だがこれは理由も意味もあるし、何よりオレ様は強いからな。
この《国》では唯一、オレ様に挑む分には何の法にも触れんのだ」
「なるほどなぁ」
堂々とした物言いに感心する他ない。
まぁそういう事なら、街の者たちも見物モードに入るわな。
「……とりあえず、今のは貴女が悪いわ。カドゥル。
それと貴方――レックスも」
「あぁ、そうだな」
黙って見ていた《巨人殺し》に、ため息交じりで咎められてしまった。
うん、アウローラが爆速でキレたせいで後手に回ったのは事実だ。
彼女を抱えたままで、俺はカドゥルを見上げる。
「折角のお誘いだが、悪いな。
今見た通り、アウローラも怒るからお断りさせて貰うよ」
「む。そうか、お前がそう言うなら仕方あるまい」
そう言うと、カドゥルは存外あっさりと引っ込んでくれた。
鬼だし、無理やり来る可能性も微妙に心配してたが。
どうやらそれに関しては完全に杞憂だったようだ。
軽く安堵の息をこぼしてから、改めて腕の中のアウローラを見た。
「機嫌は治ったか?」
「…………その、ごめんなさい」
「良いさ。俺は気にしてないからな」
撫でると、彼女は腕の中で小さくなる。
最初っから俺が断るだけで話が済んだのだと、今更理解したからだろう。
まぁ、たまにはそういう事もあるな。
「そらそら、喧嘩は
いつまでも見物しとらんで散れ、散れ!」
集まりつつあった野次馬を、カドゥルは軽く手を振って追い払う。
口々に文句を言いつつも、鬼も人も街の営みへと戻っていく。
それを見届けてから、イーリスは大きく息を吐いた。
姉のテレサがその背を軽く撫でて。
「大丈夫か?」
「このままフクロ叩きにされるんじゃねーかとマジで心配だったわ……」
「ハハハ、まぁ長子殿も素手以上の火力には訴えんかったからな。
その程度の理性は残していた事は称賛すべきだろう」
「悪かったわよ……!」
からかうボレアスに、アウローラは赤い顔のまま小さく叫んだ。
どうあれ、必要以上に大きな騒動にはならなかったのは幸いだった。
……とか考えていたら、でっかい手が伸びてきた。
カドゥルだ。
彼女はアウローラを抱えている俺を、そのまま空いた腕に抱え上げる。
おぉ、視点がすげー高い。
「ちょ、ちょっとっ?」
「ハハハ、安心しろ。一度断られた以上、もう同じ事は言わんとも。
互いに想い合った良き番だ。
その上どちらも強いとなれば、オレ様としては愛でたくもなる」
そう言って、カドゥルはカラカラと笑った。
そして俺たちを抱えたまま、再び通りをズンズンと進んでいく。
うーん、しかし本当にでっかいな。
「レックスは人間のようだが、アウローラは人では無かろう?」
「……そうね。竜、と言っても通じないでしょう?」
「分からんな。だが人よりは鬼に近い、という事ぐらいは分かるぞ」
抱える以外には特に意図もないようで。
最初は焦っていたアウローラだが、すぐに大人しくなった。
ちなみにアストレアはずっと大人しいが。
あっちはあっちで大丈夫だろうかと、微妙に心配にはなるな。
「オレ様も数える程度だが、人間の男を伴侶とした事がある。
本当に稀な事だが、人の身で鬼にも負けぬ強者はいるからな。
同意の上での事であるし、ちゃんと子も成したのだぞ?」
「……その話を私にしてどうしたいのよ」
「人は死ぬぞ。オレ様やお前ほどには長くは生きない」
「…………」
語る声は明るく、いっそ笑みさえ含んでいる。
けれどカドゥルの言葉は、アウローラには酷く重く聞こえたようだった。
俺は何も言わない。
何も言わず、彼女の頭を撫でておく。
「野暮とは分かっているが、一応はな。
出会いも別れにも、何一つ悔いがないとは言わん。
それでもオレ様は納得はできたからな」
「…………そうね。
とりあえず、忠告としては受け取っておくわ」
「うむ、それが良い。
どう生きて、どう死ぬのか。
この過酷な地ではそんなささやかな自由もない。
しかしお前にはその自由を手にするだけの強さがあろう。
であれば、その権利を上手く使うといい」
小さく頷くアウローラ。
それを見て、カドゥルもまた満足げに頷いた。
この話はそれで終わりだと、言外に示しながら。
やがてカドゥルは、一際大きな建造物の前で足を止めた。
それはこの《国》に入ってから、ずっと遠くには見えていたものだった。
石の城――というより、岩山を削り出した城と言うべきか。
自然としての巨岩の形をある程度残したまま、必要な分だけ形を削ったような。
『地砕き』を見た後だと感覚が狂うが、それは十分に大きな城だった。
「さぁて。改めて歓迎しようか、遠き地の客人がた」
城を見上げる俺たちに、カドゥルは満面の笑みを向ける。
「お前たち――特に、レックスやそちらの姉妹。
その生命は、遠い昔に海の彼方へ消えた我が友の生きた証でもある。
歓迎しよう。酒を飲み、飯を食って語ろうじゃないか。
オレ様にしてやれる事は多くないやもしれんが、遠慮はせずに頼ってくれ」
我が友と。
そう語ったカドゥルの声には、ほんの少しの哀しみがあった。
そして、腕に大人しく抱えられたアストレア。
彼女の身体が僅かに震えたように見えた。
鬼の王と裁きの神。
これまでの知識で考えると、明らかに敵対関係にあるはずの二人。
彼女らが一体どういう関係であるのか。
現状では、分からない事の方が多いが――とりあえず。
「うん、お邪魔します」
先ずは挨拶から。
今の俺たちに、カドゥル以上に頼れる相手もいない。
言われた通り遠慮なく頼らせて貰おう。
抱えられたまま頭を下げる俺を見て、カドゥルは楽しそうに笑ってみせた。
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