354話:戻るための方法


「結論から言っちまえば、オレ様でも《彼方の海》を渡る手段は持ってない」


 岩山の如きカドゥルの城。

 その内に招かれた俺たちは、直ぐに手厚い「もてなし」を受ける事になった。

 山の中心を綺麗にくり抜いたような大広間。

 カドゥルが城内の鬼たちに一声命じると、あっという間に宴の準備が進められた。

 石を削って作られた大皿に盛られた大量の肉。

 かなり癖の強い香りを漂わせる白く濁った酒。

 出てきたモノの種類としては、トウテツの領域とそう大きな差はない。

 酒と肉が積まれた席に俺たちがそれぞれ座ると、カドゥルも大きな石の玉座に腰を下ろす。

 恐らくこの場所は謁見の間も兼ねているのだろう。

 そして食事を取るよう勧めた上で、開口一番に鬼の王はそう告げてきた。


「《彼方の海》?」

「お前たちが来たという、鎖された大地。

 それとこの《巨人の大盤ギガンテッサ》を遮る海のことだ。

 鬼や、ましてや人では届かぬ《彼方の海》。

 船を作って渡ろうとする馬鹿は稀にいるが、誰も生きては戻って来ん」


 とりあえず、遠慮なく肉を摘みながら。

 首を傾げる俺に、カドゥルはため息交じりの言葉を返した。


「やっぱり、こちらでも基本はそういう認識なわけね」


 俺の傍ら、右腕辺りにピッタリとくっついてるアウローラ。

 カドゥルの答えは予想通りではあったのだろう。

 さほど落胆してはいないが、微妙に困った様子で呟く。

 特にアテもない現状。

 最古の鬼であるという彼女――カドゥルが唯一の頼みの綱ではあった。

 それがダメとなると、さてどうするかと首を捻るしかない。


「……本当に何も知らないの?

 クロが、貴女なら詳しく知ってると言っていたけど」

『あぁ、その女は「手段を持ってない」と言ったんだ。

 勿体ぶってないでちゃんと話したらどうだ?』

「ガハハハ! まぁまぁ、物事には順序ってものがあるだろう?」


 《巨人殺し》と、その相棒の黒蛇。

 後者は少女の懐に身を隠したままなので声だけだが。

 友人のツッコミを受けて、カドゥルは酒瓶を片手にカラカラと笑う。


「我らで言うところの第二次入植者。

 人にとっては遥かな昔、この地より大陸に渡ってきた者たち。

 そやつらにお前が関係していると、そう話を聞いたな」


 遠慮なく焼いた肉をバリバリと齧りつつ、ボレアスはその言葉を口にする。

 第二次入植者。

 俺やテレサ、イーリスたち大陸で生きる人間たち。

 その祖先にあたる連中って話だったな。

 ぐびりと酒を煽りながら、カドゥルは大きく頷く。


「あぁ、その時の船の建造はこの《国》で行われたからな。

 よく知っている――よく知っているとも」


 半ば独り言のように呟くその声。

 感じ取れるのは懐かしさと、どうしようもない哀しみ。

 事情を知らない俺には、それ以上の事は当然分からなかった。

 

「…………」


 半ば無理やり席に座らされている人物。

 《裁神》アストレア。

 とりあえず抵抗は無駄だと判断したか、今はすっかり大人しくなっていた。

 そんな彼女が、今のカドゥルの言葉に僅かに身を震わせた。

 意識して感情を凪にした表情。

 そこにさざなみが立った程度の反応。

 どうやらアストレアも、この話には何か思うところがあるらしい。

 正直、下手に突っ込むと火傷しそうな予感はあるが。


「ただ、船はあくまで移民連中を詰め込むための入れ物だ。

 船があったから《彼方の海》を渡れたワケじゃない」

「……そもそも、何故この《国》でそのような船を造ったのですか?」


 酒と肉は控えめに、話を聞いていたテレサが疑問を言葉にする。

 妹のイーリスは、その横でとりあえず話を聞く姿勢だ。

 問われたカドゥルは、指で自分の顎を軽く擦って。


「その当時、オレ様の《国》は今と比べれば大分規模も小さかった。

 当たり前だがそう多くの人間を抱えて養う余裕もない。

 オレ様自身、まだ若かったって部分もある。

 《巨人》どもや他の鬼どもと、面倒な外敵にも事欠かなかった」


 本当に心底苦労したと、ため息交じりにそう語る。


「どのぐらい昔かは知らないけど。

 それをここまでデカい共同体にしたんだから、マジで凄いよなぁ」

「ガハハハハ! 褒めろ褒めろ、オレ様の苦労も報われるってもんだ!

 ……と、その頃は今よりもずっとギリギリだった。

 《国》の立ち上げに関わったオレ様の友。

 『苦しむ人間を、出来る限り救いたい』と願った彼女。

 《彼方の海》の更に向こう、旧き時代に悪神が創り出したという大地。

 既に悪神の気配が途絶えたと知った友は、そこを新天地にと考えたのだ」

「……それ要するに、オレたちの知ってる大陸か」


 なるほど、と。

 酒をちびちびと舐めながらイーリスは頷く。

 不死の《巨人》が闊歩し、人間より遥かに強い鬼が争う《巨人の大盤》。

 確かに、ここよりは大陸の方がまだマシな環境かもしれない。

 少なくとも、当時のカドゥルたちはそう考えたわけだ。


「オレ様はこの大盤に残り、《国》をより大きくする。

 友はその時点では《国》に入れぬ多くの民を連れて新天地を目指す。

 そうして造られた船と共に、友と彼らは《彼方の海》へ去った。

 ……その後については、当然オレ様も知る由はなかったが」


 カドゥルの眼が、俺と姉妹をそれぞれ見た。

 見てから、満足そうに笑って。


「友は無事に、海の向こうへ届いたのだな。

 あやつならやり遂げるだろうと、疑ってはいなかった。

 しかしこうして実際に目の当たりにすると、なかなか胸にクるものがあるな!」

「…………っ」


 懐かしさと誇らしさで彩られた声。

 本当にカドゥルは愉快そうに大笑いしてみせた。

 逆に、アストレアの方からは小さく軋む音が聞こえてくる。

 恐らくだが、奥歯を噛み締めた音だ。

 まるで苦痛を堪えるような表情でアストレアは押し黙っていた。


「……思い出話は良いけど、まだ肝心な事が分かってないわ」


 カドゥルの大笑も、アストレアの様子も。

 どちらも気にもとめず、アウローラは言葉を続ける。


「それで貴女のお友達とやらは、どうやってあの海を超えたの?

 私も第二次入植者たちについては知ってる。

 けどあの時、彼らがどうやって《断絶流域》を突破したのかは分からなかった。

 普通に考えたらありえない事なんだけど……」

「当時の長子殿は、海の向こうから蟻の群れが流れ着いた程度の態度だったな。

 何柱かの兄弟らは入植者たちに興味を持って接触を図っていたが。

 長子殿は『矮小な者が運良く流れ着いた程度で騒ぎすぎだ』と一蹴するだけで……」

「ちょっと黙ってて貰える??」


 ボレアスによる唐突な黒歴史(?)暴露。

 それにアウローラは一瞬キレかけるが、すぐに咳払いを一つ。


「……そんな事より、答えて貰えるわよね?」

「おうとも。

 とはいえ、そう難しい話でもない。

 《彼方の海》へ旅立った我が友――彼女は《人界》の神だった」


 《人界の神》。

 それはつまり、アストレアと同じような存在って事か。

 思わずチラッと視線を向けると、即座にギロリと睨まれてしまった。

 うーん、やっぱ猛烈に不機嫌そうだな。


「もっと言えば、彼女はこの地に最初に降り立った神の一柱。

 《人界》の王に仕える最も古い神――《最古の三神》の一角でもあった。

 その力は凄まじく、彼女がいたからこそ船は海を越えられたと考えて良いはずだ」

「……それって、つまり」


 カドゥルの話を聞いて、イーリスが半ば独り言のように呟く。


「海を越えて大陸へ戻るには、神様の力が必要って事か?」

「うむ、結論としてはそうなるな!!」

「……まぁ、確かに分かりやすい話ではあるわよね」


 微妙に苦い顔をするアウローラ。

 頷いて、彼女もまた近くに座っている神の方を見た。

 アストレアは無言。

 肉も酒も手をつけず、ただ黙ってそこにあるだけ。

 見られても、睨み返す以上の事はしない。


「話が大体見えて来たぞ」


 もう一人。

 最初からずっと肉と酒を食っていた大柄な鬼。

 トウテツは、やや呆れ気味に呟いた。


「《人界》に行け、と。要するにそういう話だろう?」

「そうだ。オレ様にあの海を越える手段はない。

 だが《人界》であれば。

 あの絶対不可侵の理想郷ならば方法はある」

「……神の力で、それが可能なら。

 彼女にやって貰うことはできないの?」


 睨み返されるのも構わず、アストレアを見ながら。

 《巨人殺し》の少女は、神様相手でも一切の遠慮なしに突っ込んだ。

 隠れてる黒蛇も思わず唸り声を漏らした。

 アストレアの方は、睨む目に怒りと敵意を滲ませる。


「……何故、《裁神》たる私が罪人相手にそこまでしてやらねばならん」

「元いた場所に戻るなら、何も問題はないと思うけど。

 それが《人界》に影響すると? それは違うでしょう?」

「する必要がない、という話だ。

 今一時だけ見逃しているのは、単に私が消耗しているが故だ。

 力が戻り次第、すぐにまた神としての裁きを下す。

 これはもう定めた事で――」

「できんのだろう? アストレア」

「ッ――――」


 ギシリ、と。

 空気が物理的に軋んだ気がした。

 刺さりそうな視線をぶつけられても、カドゥルは揺るがない。

 玉座に肘を付き、手の上に顎を乗せながら。


「《彼方の海》を越えるのは、神でも簡単な事ではないと聞いた。

 特殊な手段――それこそ、海を隔てた悪神の力を使うか。

 小さな穴を無理やり、かつほんの僅かに開くだけなら力技でも不可能ではないそうだが」

「…………」

「複数の人間が安全に越えるとなると、まぁ生半可な事ではあるまい。

 最古の神であった我が友。

 彼の地から渡ってきたお前たちが、彼女の事を知らぬのであれば……」


 そこで少しだけ言葉を切り、カドゥルは杯の酒を呷る。

 全て飲み干すと、大きく息を吐いた。


「力尽きたと、そう考えるしかあるまいな。

 数多の人間たちを載せた船を渡らせた代償は、神と言えども軽くはなかったか」

「…………あぁ、認めよう。

 貴様の言う通り、私の力だけでは不可能だと」


 憤怒か、それとも別種の感情か。

 その内容は兎も角として、アストレアは思いっきり顔を歪ませる。

 吐き出す声も血反吐をぶちまけているのに近い。


「もし仮に、その望みを叶えたいと言うなら。

 そこの鬼の言う通り、《人界》へ向かう以外に術はあるまい。

 偉大なる王の御力であれば容易き事だ。

 ……だが、それが叶うなどとは決して思うなよ」

「そりゃまたどうしてだ?」

「《人界》は選ばれた者以外には門を開かぬ。

 神々の許しなく、理想郷に足を踏み入れる事は許されないからだ」


 そう言った瞬間だけは堂々と、アストレアは勝ち誇るように胸を反らす。


「諦めろ、決して望みは叶わぬと。

 お前たちは罪人として、私の裁きを……」

「ま、要するに辿り着けば良いのだ。

 問題とするべきは『辿り着くための方法』のみよ」


 神様の口上をカドゥルは容赦なくぶった切った。

 再び睨まれるが、鬼の王様は一切気にしない。


「《人界》に入る方法は限られている。

 少なくとも、オレ様が知る中では二通りだけだ」

「それは?」

「一つはアストレアが今言った通り。

 神の許しを得た上で、直接招かれること。

 ……ま、これが難しいのは説明するまでもないな?」

「だなぁ」


 アウローラと二人、思わず同時にアストレアを見てしまった。

 おぉ、睨んでる睨んでる。

 で、そうなるともう一つの方法だが。


「《巡礼の道》、と呼ばれるものがある。

 今は廃れてしまったが、人間が《人界》に入るための正規ルートだ。

 この道を使って辿り着いた者であれば、《人界》の門は開かれる」

「……聞く限り、それも困難という意味では大差ないように思えますが」

「その通り。《巡礼の道》を辿るのは極めて過酷な難行だ。

 そもそも案内なくば正しく通ることも難しいだろう」


 テレサの言葉に頷いて、カドゥルは杯に新たな酒を注いだ。


「その案内、というのは貴女ができるの?」

「いいや、オレ様は無理だ。

 古き友は神であったが、オレ様自身は《人界》に行った事はない。

 ――案内役であれば、ホレ。

 そこにおるだろう?」


 アウローラの問いに、意地の悪い笑みを浮かべて。

 カドゥルは杯を持った手の指で、席の一つを指差してみせた。

 そこに座っているのは当然――。


「…………は?」


 裁きの神であるアストレア。

 彼女自身、それは予想もしていなかった事なのだろう。

 驚愕と困惑が綯い交ぜになった、そんな声をこぼしていた。

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