355話:母の愛


「……で、どう思うよ?」

「何とも言えんよなぁ」


 訝しげなイーリスの問いに、俺は首を傾げた。

 アウローラにボレアス、テレサ。

 大陸から来た面子は大体みんな似たような顔をしている。

 まぁ、それも仕方ないっちゃ仕方ない。

 《人界》へ至るための《巡礼の道》。

 その道案内をアストレアにやって貰えば良い。

 そんなカドゥルの発言の直後。


「ふざけているのか貴様!!」


 案の定というべきか、アストレアの爆弾が見事に炸裂した。

 その直前ぐらいまでは、この場は大人しくするつもりだったろうが。

 何もかも全部吹き飛んで、女神様は一瞬でブチギレてしまった。

 勢いに任せて展開される《神罰の剣》。

 しかしその数は大分少なく、アストレアの消耗具合を物語っている。

 反射的にこっちも構えそうになるが。


「良いぞ、問題ない。

 ここはオレ様の城だからな、責任はこっちが持とう」


 玉座から立ち上がったカドゥルはその動きを制した。

 キレて今にも仕掛けてきそうなアストレア。

 彼女を真っ直ぐ見て、カドゥルは一歩ずつ近づいていく。


「今は宴の時間だ。

 余興であれば構わんが、そうでないなら剣を下ろせ」

「私は《裁神》、貴様のような鬼に指図されるいわれなどない!」

「だろうなぁ。オレ様も別に、互いの立場から物を言ってるワケじゃない」


 二歩、三歩と。

 カドゥルの歩みに躊躇いはない。

 攻撃されないと、そう思っているワケじゃない。

 仮に「剣」が飛んできても、全て我が身で受ける覚悟を決めているだけだ。

 多分、アストレアもそれは分かっているはず。

 分かっているからこそ、すぐに「剣」を飛ばすような真似はしない。


「……お前は鬼で、穢れた罪人だ」

「うん、《人界》の神であるお前から見ればその通りだろうな」

「如何に大きな共同体を築き、死の荒野から人間を庇護しようが。

 鬼は――お前たちは、ただ存在するだけで罪だ。

 この星の表層にこびり付いた汚濁だ」

「《巨人》よりはマシだと思うが、まぁどっちもどっちだろうよ」


 カドゥルは笑っていた。

 およそ全否定とも言える罵りを受けながらも。

 浮かべる笑みは変わらず、いっそアストレアに対する親愛だけに満ちていた。

 ……アストレアは強く奥歯を噛み締めた。


「…………関係ない」

「アストレア」

「関係ないっ! 貴様は鬼だっ、穢れた罪人だ!!

 私は神で、貴様の敵だろうが!!

 だというのに、気安すぎる、不遜だ、不敬極まりない!!

 私は――――」

「神だとか鬼だとか、そんな立場以前に。

 お前は、友の娘だ。アストレア。

 お前にとっては余計なお世話だろうがな。

 オレ様は、お前のことを我が子と同じぐらいに愛している」


 ……なるほど。

 薄々そんな気はしてたが、やっぱりそういう関係なのか。

 カドゥルの語っていた、遥か昔に《彼方の海》を越えたという友。

 その神様の娘がアストレアだったと。

 彼女が見せていた微妙な反応も、それなら納得が行く。


「愛してる――だと……っ?

 正気か、正気でそれを言ってるのかっ?」

「さて、狂ってる奴は自分が狂ってるなどとは思わんしなぁ」

「そうだ貴様は狂ってる。

 我が子と同じくらいに愛している?

 その我が子とやらを、これまで何人を《人界》の神に殺されたっ?

 貴様の血は酷く多いからな!

 私が殺した鬼の中にも、当然含まれているはずだぞ!」


 強い。

 その一言は、これまでで一番強い言葉だった。

 激情のまま吐き出していたアストレアも、その一言に喉を詰まらせる。

 カドゥルの表情から笑みは消えていた。

 ただ、そこにある愛は揺るぎない。


「どんな子であれ、血を分けた我が子をオレ様は愛している。

 血の繋がりがなくとも、この《国》で共に生きる者たちを愛している。

 遠くの地に消え、そこで運命を終えただろう友を愛している。

 その友が生きた証とも言うべき、そこの旅人たちもオレ様は愛そう」

「…………」

「そして、アストレア。

 お前が信じずとも、オレ様は何度でも繰り返そう

 ――血を分けた我が子らと同じく、お前の事を愛している」


 絶句し、その場に立ち尽くすアストレア。

 そんな彼女に、カドゥルは手を伸ばす。


「ッ……!!」


 反射的に。

 身体に染み付いた動作として、アストレアが動く。

 素早く振りかざした右腕に従い、数本の「剣」が虚空を裂いた。

 カドゥルは防ぐ素振りすら見せず。


「むっ」


 その全てが胴体に突き刺さった。

 広間にいる俺たち以外の鬼。

 様子を見ていた彼らも、流石に一気にざわめき出した。


「カドゥル様!!」

「おい、早く《羅刹》の方々を……!」

「余計なことはせんで宜しいっ!!」


 一声そう叫ぶだけで、広間の大気がビリビリと震える。

 鬼たちはその声に縛られたように動きを止めた。

 アストレアも動かない――いや、動けない。

 「剣」を放った姿勢のまま、伸びてくる手を振り払う事もできないようで。


「……鬼は穢れだ。

 オレ様がどれだけ力を尽くそうが、鬼は人を喰らう。

 《国》ではそれを許しておらんし、大半の者は良く守ってくれている。

 だが、それも完璧じゃあない。

 お前が神として鬼を殺すのは正しい。

 怒りも悲しみもあるが、恨んじゃあいない。

 それがアストレア、お前相手であるなら尚更だ」


 身体に剣が刺さった状態。

 それでも構わず、カドゥルはアストレアを抱き締めた。

 アストレアは動かない。

 ただ抱きしめるだけの行為を、纏う《光輪》は妨げなかった。


「母が一人で行ってしまったお前の気持ちを、分かるとは言わん。

 《人界》の神として、どれほどの重責を背負っているかも想像に余る。

 だが――それでも。

 それでも、お前には否定して欲しくはないのだ。

 少なくとも彼らの多くは、お前の母が命を賭したからこそ繋がった命だ。

 それをオレ様は、良き事だと信じている。

 だからお前にも、その事だけは正しく向き合って欲しい」

「ッ…………!」


 何かを言おうとして。

 けれど、アストレアはそれが言葉にはならなかったようだった。

 せめてもの抵抗に、抱き締めるカドゥルの身体を叩く。

 が、その手には殆ど力が入っていなかった。

 子供が癇癪を起こして、母親を相手に駄々を捏ねる。

 そんな光景そのままに、アストレアはカドゥルの腕の中で暴れていた。

 それを見て、カドゥルは僅かに苦笑いを滲ませて。


「ふむ、すまんな。

 これはもうちょっと話をせねば納得してくれんらしい。

 悪いが席を外す。

 もし休みたければ、近くの者にそう伝えてくれ。

 客室に案内させよう」

「あぁ、ありがとう。……大丈夫そうか?」

「なに、聞かん坊の相手は慣れっこだ」


 大丈夫だろうとは思うが、それでも相手が相手だ。

 一応心配を口にしてみると、カドゥルは明るく笑って応える。

 それはまさに子を愛する母の笑みだった。

 そんな顔で言われたら、こっちからもう何も言うことはない。

 ともあれ、カドゥルは暴れるアストレアを抱えて広間を立ち去ったワケだが……。


「それで、あの神様が無事に説得されて?

 素直にこっちの都合で動いてくれると思う?」

「分からんよなぁ」


 不安で曇ったアウローラの言葉に、俺は軽く頷いた。

 こればかりはカドゥルを信ずるしかなかった。

 あの頑固な神様を説き伏せる言葉は、どう足掻いても俺たちからは出てこない。

 今は向こうの言葉に甘えて、身体を休めながら待つ以外なかった。


「……ところで、レックス?」

「うん?」

「貴方は身体とか、特に異常はない?」

「俺か?」


 身を寄せながら、アウローラがじっと俺の顔を見てきた。

 改めてそう問われると微妙に首を傾げてしまう。

 手を軽く動かしたり、鎧の上からだが自分の身体を見下ろしてみる。

 うん、特に違和感の類もない。

 そういえば少し前は、割と定期的に確認してた気はするが。


「問題ないな。うん、大丈夫」

「ホントに? 隠したりしてない?」

「ホントに大丈夫だぞ??」


 妙に念入りに心配されてしまった。

 はて、何か余所から見ておかしい点でもあったろうか。

 近くで酒を舐めていたボレアスが、やや呆れた様子で吐息をこぼす。


「まぁ、近頃は無茶な戦いの連続であったしな。

 それに竜殺しよ、最近はアレを使ってるか?」

「アレ?」

「賦活剤だ。暫く前は良く使っていただろう」

「……あー」


 言われて気付いた。

 そういえば最近は飲んでない気がする。

 鎧の懐を確認するが、変わらずその空間には保持したままだ。


「何だよ、レックスも何かおかしいのか?」

「おかしい……という様子は、あまり見られない気もしますが……」

「うーん、俺もあんま自覚は無いんだよな」


 首を傾げる姉妹に、俺の方も曖昧に応えるしかない。

 ……うん、調子は本当に悪くない。

 《地砕き》相手に一戦やった後、この《国》に来るまで大分疲れはしたが。

 今も肉と酒を食って、体力はそこそこ回復してきたぐらいだ。

 そんな俺の様子を、アウローラはやっぱりじっと見つめてくる。


「アウローラ?」

「……ううん、ごめんなさい。

 多分、魔剣の影響だとは思うから。

 まだ蘇生術式は完成していない、貴方の魂は燃え尽きたまま。

 けど、数多の真竜を斬ってその魂を剣は取り込み続けてる。

 剣の炉心で燃え続ける火は、貴方自身を強くしてるはず」

「ふむ」


 アウローラの予測は、正直ピンとは来なかった。

 毎度毎度必死こいて戦ってるせいもあって、「強くなってる」という自覚は薄い。

 ただ、彼女がそう言うなら間違ってはいないはずだ。

 ボレアスは愉快げに喉を鳴らす。


「ま、おこぼれではあるが我もその影響は受けているからな。

 いずれは完全な形を取り戻せる日も来よう」

「……まさか、それで今更裏切るとは言わないでしょうね?」

「さて、それは竜殺しや長子殿次第ではないか?」

「まーまー」


 とりあえず、一応歓待されてる席だからな。

 流石に物理的に喧嘩をするのはあまりよろしくない。

 いつも通りに竜の二人を宥めていると、ふと視線を感じた。

 そちらを向くと、《巨人殺し》と目が合う。

 観察するような眼差し。

 暫し、意味もなく見つめ合ってから。


「……貴方も、色々と大変そうね」

「かな? いや、あんまり自覚は無いんだが」

「そうね。そうでしょうね」


 やや呆れた感じでため息を吐かれてしまった。

 さて、今ので《巨人殺し》の彼女にどう思われてしまったやら。

 懐で笑っている黒蛇の相棒を、少女は軽く叩いて黙らせる。

 

「……しかし、《人界ミッドガル》か」


 大陸へ戻るために目指す必要がある、次の目的地。

 今分かっているのは、そこは神様が支配している理想郷である事だけ。

 果たして、実際にはどんな場所なのやら。


「神様って、あのアストレアみたいな奴ばっかだったらどうするよ?」

「その時はその時だよなぁ」


 イーリスが口にした仮定に、俺は笑って応えた。

 その時はその時、戦う必要があるなら戦うしかないだろう。

 間違いなく穏便に、とは行かないはずだ。

 まだボレアスと睨み合ってるアウローラの頭を軽く撫でる。


「ま、今はもう少しのんびりしとくか」

「……ええ。そうね、それが良いと思うわ」


 アウローラは俺の言葉に微笑んで、兜にそっと唇を寄せた。

 《人界》への案内を、あのアストレアが引き受けてくれるか否か。

 それはカドゥルの器の大きさに期待して。

 俺たちは暫し、身体を休めながら待つ事にした。

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