第一章:鬼と人間の国

352話:アウローラの逆鱗


 その「街」は、驚くほど活気に満ち溢れていた。

 岩か何かを削り出したと思われる、大小無数の建造物。

 その間に敷かれた道を行き交う人々。

 その多くは鬼だった。

 頭に角を生やした彼らは、しかし争い合う様子は見られない。

 それだけでも十分驚きだが。


「人間だよなぁ、アレ」

「ええ。私や貴方と同じね」


 こぼれた呟きに応じたのは《巨人殺し》の少女だ。

 人間。そう、人間だ。

 鬼に比べれば随分少ないが、通行人の中には明らかに人間が混ざっている。

 そこそこ普通の身なりをした者から、恐らく奴隷らしき者まで。

 後者にしても特に虐げられている様子は見られない。


「よっぽど扱いが良いんでしょうね。

 鬼の印象からして、待遇なんて非常食ぐらいを想像してたけど」


 俺と同じものを見ながら、アウローラもポツリと呟く。

 まぁそうだよな、正直俺も似た印象だったし。

 横で聞いていたトウテツは、呵々と笑ってこっちの背中を軽く叩いてきた。


「おうおう、間違っちゃおらんぞ?

 大抵の鬼はそんなもんよ」

「痛い」

「ちょっと、気軽にレックスを叩くのは止めて貰える?」

「いやいや大丈夫。で、本来なら俺たちのイメージが普通だと」

「おう。《巨人の大盤》に生きる鬼にとって、弱い人間は貴重な食料でしかない。

 だが、この《国》だけは違う」


 そう言って、トウテツは前方を示す。

 この「街」――いや、《国》に入ってからここまで。

 俺たちを案内してきた人物……いや、鬼。


「ハハハハハハハ!

 どうだ、入るのは随分久しぶりではないか?

 あの頃に比べたら、この《国》も大分デカくなっただろ!」

「…………」


 鬼の王カドゥル。

 見た目は胸も尻も体格もデカい金髪美女。

 体格に関してはトウテツと並んで遜色ないレベルだ。

 頭に立派な角が二本、ついでにお尻からは太い尻尾が一本生えている。

 鬼だ。種族は間違いようもなく鬼だ。

 性格に関してもトウテツに負けず劣らずの豪放磊落。

 『地砕き』を倒した後、こちらの事情を簡単に伝えた瞬間。


「分かった、まぁ詳しい話はオレ様の《国》に入ってからだな!

 歓迎しようじゃないか、遠き地から来た客人よ!

 あぁ遠慮はするなよ、お前たちがオレ様を訪ねて来た事。

 それこそが何よりの喜びだからな!」


 ……と、本当に上機嫌でお招きくださった。

 直後の熱烈なハグで、うっかり死にかけた事は割愛しておく。

 危うくアウローラさんがキレかけて地味に大変だった。

 まぁ、それは兎も角。


「鬼と人間が共存しているってのはマジなんだな」

「全てはあの最古の鬼王、カドゥルの成し遂げた事よ。

 基本は暴れるしかない鬼どもを制し、この《国》にある限りは人を傷つける事を禁じた。

 人も人で、この《国》にある限りは多くの事が許されている。

 鬼は人を奴隷とする事が出来るが、扱いが悪ければ裁きを下される」

「なるほどなぁ」


 その辺、完全に俺が知る人間の文明圏と変わらないようだ。

 統治者が法を敷き、それに反した者には罰が与えられる。

 見たところ、この《国》はかなり大規模な共同体だ。

 大雑把な予想だが、もしかしたら住民の数は数万を超えるかもしれない。

 確かに《国》と呼ぶに相応しい場所だ。

 それをこんな荒野のど真ん中に築いたとか、凄すぎて称賛の言葉も見つからないぐらいだ。

 などと、先頭のカドゥルたちの様子を見ていたら。


「おい、レックス」

「はい」

「アレ大丈夫なのか?」

「わかんない」


 姉のテレサに支えながら歩くイーリス。

 彼女の質問に、俺は首を横に振る他なかった。

 アレ、というのは。


「……いいから、そろそろ離して貰えないか……?」

「ガハハハ! いやいや、そう遠慮するな!

 しかしまぁ随分立派に育ったもんだなぁお前も!

 オレ様と前に会った時はこんな豆粒みたいに小さくなかったか!?」

「そんなに小さくはない……」


 はい。

 カドゥルの腕に抱えられた状態の女。

 ちょっと前まで俺たちと二度に渡って戦った《裁神》アストレアだ。

 今はその激しい気性も完全に鳴りを潜め、借りてきた猫みたいに大人しい。

 ……大人しい、というか。

 なんだろうな、完璧に諦めの境地と言うべきか。

 一応、『地砕き』を倒した直後ぐらいは必死に抵抗してたんだが。


「まぁ、《神罰の剣》とやらで何度刺しても堪えんとあってはな」

「アストレアも大概疲弊してたしな、ウン」


 微妙に同情めいた雰囲気を漂わせるボレアス。

 彼女の言葉に、俺は小さく頷いた。

 アストレアはただ力で振り払おうとするだけでなく、《神罰の剣》での攻撃も仕掛けていた。

 カドゥルは回避もせずに、飛んできた「剣」に我が身を貫かせた。

 その上で、全く堪えた様子もなくアストレアを熱烈にハグし続けたのだ。

 どう見ても何本かの「剣」は急所に入ってたと思う。

 しかしカドゥルは死ぬどころか、殆どダメージを受けた素振りすら見せなかった。

 事実、「剣」で貫かれた傷は今はもう微かな痕しか残っていないのだ。

 それこそ、《巨人》にも匹敵する生命力だった。


「――さて! そちらのお客人がたもどうだ!」

「ど、どう、とは?」

「オレ様の《国》だよ!!

 自分で言う事じゃあないが、見事なもんだろう?」


 突然話を振られて戸惑うテレサ。

 特に気を悪くしたりもせず、カドゥルは笑いながら片手を広げてみせた。

 示すのは賑やかな街並み。

 恐るべき《巨人》が闊歩する死滅の荒野。

 そんな地獄のど真ん中に存在する、鬼と人とが共存する生存圏。

 何よりも誇らしく、カドゥルはそれらに目を向けていた。


「ここまで発展させるのに数千年。

 《巨人》どもが襲ってくる事なんざ日常茶飯事よ。

 その度に壊され、少なからず死ぬ奴も出て、それでも今日まで生きてきた。

 オレ様も、オレ様のガキ共も、この国に暮らす人や鬼全て。

 ここが、ここだけが《巨人の大盤》で唯一つ《国》と呼べる場所だ。

 『過酷な世界で、それでも一人でも多くの者たちが、少しでも穏やかに生きられるように』。

 そう願った全てと共に築き上げた、それがこの《国》だ」

「…………」


 一瞬。

 本当に一瞬だったが。

 誇らしく語るカドゥルの腕に抱えられたまま。

 アストレアが痛みを堪えるような顔をした。

 その表情もすぐに消えたので、見間違いの可能性もあるが。


「まぁ、ワシの目から見ても見事なのは否定せんがな」


 苦笑いを浮かべながら、トウテツは小さく鼻を鳴らす。


「今やこれほどの大所帯だ。

 貴様自身に何かあれば、そのまま弾けて消えてしまうのではないか?」

「ハハハハ、まぁ言いたい事は分かるぞトウテツ。

 というかお前、自分の領地はどうした?」

「そこの神を名乗る小娘に根こそぎ滅ぼされたのでな。

 仕方がないので、暫くは貴様のところに身を寄せようとな」

「ハハハハハハ! なるほど、それはまぁ災難だったな」

「その一言で済ませて良いのか……?」

「価値観の違いにいちいち突っ込んでたらキリが無いわよ?」


 領地全滅とか、まぁまぁ重い話だろうとは俺も思う。

 つい突っ込んでしまいそうになったイーリスを、アウローラは軽く窘めた。

 うん、こればっかりは価値観とか文化の違いだよなぁ。

 トウテツもアストレアを敵視はしていても、憎悪してる様子はあまり見られない。

 彼ら鬼にとって、生き死にとは「そういうモノ」なんだろうな。


「――まぁ、トウテツの言うことにも一理ある」


 と。

 さっきまでとは少し違う雰囲気で、カドゥルは小さく笑った。


「この《国》の今はオレ様一人の功績じゃあない。

 ガキ共は良く働いてくれてるし、他の連中にしたってそうだ。

 最初はオレ様ともう一人で始めた事だった。

 それが今やこんだけデカくなった。

 とてもじゃないが、こんなもんオレ様一人で成し遂げられた事じゃない」


 だが。


「同時に、今この《国》はオレ様一人の存在が要になってるのも事実だ。

 ガキ共は良く働いてくれてるし、他の連中にしたってそうだ。

 オレ様だけじゃあこの《国》は形にならなかったろう。

 だが、万が一にもオレ様が死ねばこの《国》は形を無くすやもしれん」

「……ただ一人のカリスマに依ってる場合は、まぁよくある話ね?」


 アウローラの言葉に、カドゥルは僅かに苦笑を滲ませる。

 彼女自身、現状は良く分かっているようだ。

 それでも。


「仮にオレ様の身に万一があり、この《国》が崩れる事になったとしても。

 オレ様のガキ共やそれ以外の連中が、また『新しく』始めてくれるだろうさ。

 それがどんな形になるかは、流石にオレ様でも分からんけどな」


 呵々と笑うカドゥルの表情は明るい。

 先に破滅があり、その更に先は無明の荒野が広がるばかりだとしても。

 自分の「次」に続く者が、必ずどうにかするだろうと。

 それは眩く輝く星のような信頼だった。


「……なんて、聞こえの良いことを言って。

 今更隠居なんて誰も許さないでしょ。特に貴女の子供たちは」

「いやオレ様、軽く数千年以上は働き詰めなんだが??」

「好きで始めた事なら、最後まで責任取りなさい」

「ホンット、オレ様相手でも遠慮容赦がないよなぁ《巨人殺し》!

 まぁそういうところが好きだけどな!」

「頭撫でるのは止めて。首の骨が折れる」


 満面の笑顔でカドゥルが手を伸ばす。

 が、それはあえなく《巨人殺し》に拒否されてはたかれてしまう。

 しかし鬼の女王は、そんな反応にさえ愉快に笑ってみせた。


「ハッハッハ!

 良い良い、死なぬ身では思い煩う事も多かろうが。

 それだけ威勢が良ければ問題なかろうよ」

「余計なお世話ね」

「ハハハ、その態度も含めて愛い奴だよ。お前は」


 やや刺々しい《巨人殺し》。

 それに対し、カドゥルは軽く指先で頭を撫でた。

 《巨人殺し》の少女は拒否はせず、黙って乱れた髪を整えるだけ。

 そんな様を見て、カドゥルはまた小さく喉を鳴らした。

 まだ出会って間もないし、ちゃんと言葉を交わしたワケでもない。

 それでも伝わってくる器の広さ。

 或いは俺が生きてきた中で、このカドゥルが一番の大物かもしれなかった。


「……レックス?」

「うん?」


 カドゥルの様子を眺めていると。

 傍らのアウローラが控えめに腕を引っ張って来た。

 何かあったのかと、首を傾げてそちらを向く。

 アウローラは微妙にむくれた顔で俺を見上げていた。

 そして開口一番。


「幾ら何でも胸を見過ぎじゃない??」

「ちがうんです」


 不機嫌気味な声に俺は即座に否定を返す。

 いやホントに誤解なんですよ。

 確かにカドゥルの方は見てたました。

 けどそれは、無闇にデカい胸を見てたワケではないんだ。

 ただ単純に向こうの背が高すぎてな。

 視線をちょっと上げるとその部分ぐらいしか見えないだけで。


「ウン? 何だ、どうした?」

「いや何でも」


 視線に気付いたか、自分が話題になってると察したか。

 どちらかは不明だが、カドゥルがぐるっと振り向いてきた。

 ええ、ちょっとアウローラに手を齧られてるだけなんで特に問題は。

 ちなみにカドゥルに抱えられたままのアストレアだが……。


「…………」

「……そっちはそっちでぐったりしてるけど大丈夫か?」

「うるさい、だまれ」


 ただでさえ消耗し切った状態だ。

 流石に抵抗は無駄だと悟ったようで、すっかり大人しくなっていた。

 それが良いか悪いかは別として。

 とりあえず、問答無用で襲い掛かってくる事は当分無さそうだ。


「ハハハっ! まぁあの『地砕き』と一戦やらかした後だ。

 さぞ疲れているだろうが、もう少し我慢して歩いてくれよ。

 オレ様の城までもうすぐだ。

 着き次第、宴の準備をさせよう」

「私は不要だ。というか、本当に離せ」

「久しく会った友の娘だ。少なくとも一晩は返さんぞ?」

「いいから離せ……!」


 口では言いつつも、大人しくする以外にないアストレア。

 からからと笑ってから、カドゥルは改めて俺の方に視線を向けてくる。

 その眼は、どこか観察しているようで。


「確か、レックスだったか?

 彼方の地より渡って来た異邦人。

 見たところ随分と場数を踏んだ戦士のようだな」

「まーそれなりには」


 一応、名乗りが必要な面子は『地砕き』を討った後に済ませていた。

 俺の名を確認して、カドゥルは一つ頷く。


「謙遜する必要はない。

 オレ様はこの大地で最も古い鬼の王。

 即ち全ての戦士らの頂点であり、その多くの母でもある。

 そのオレ様の眼から見ても、随分派手な修羅場を潜っているな。

 種族など関係なしに、オレ様は強い戦士が好きだ」

「……まぁ、確かにレックスは凄いですけどね?」


 ひとしきり俺の手に歯型を付けて、一先ず満足したか。

 カドゥルからの称賛に、アウローラは我が事を誇るように応える。

 ……とりあえず、機嫌は良くなったか?

 あんまり持ち上げられるのは慣れてないが。

 アウローラが満足そうなら、それはそれで良い事だ。

 なんて考えてると、カドゥルは満面の笑みで。


「だから、レックスとやらよ。

 お前さえ望むなら、オレ様と子を作るか?」

「…………うん??」


 今なんとおっしゃられた?

 一気に辺りの空気が冷えた――少なくとも、誰もがそう錯覚した。

 感じていないのは当のカドゥルぐらいだろう。

 ミシリと、掴まれたままの右手が軋んだ。


「……今、何を言ったの。貴女」


 地獄の底から響く獣の唸り声。

 そんな感じの声を出しながら、アウローラは笑うカドゥルを強く睨みつけた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る