264話:暁は訪れる

 

 私は、答えるべき言葉を見失っていた。

 コッペリアは虚偽を語っていない。

 ここまで話した内容は、ほぼ間違いなく真実だろう。

 ……《黒》は、あの魔法使いは。

 頼みの綱だった剣を失い、私からも切り捨てられて。

 それでもまだ、何も諦めなかったの?

 たった一つの望みのために、諦めを拒絶して足掻き続ける。

 それは、私にも身に覚えのある感覚だった。

 

「君の罪だよ、アウローラ。

 いい加減、向き合うべき時じゃないか?」

 

 コッペリアは囁く。

 いつの間にか、私の目の前まで近付いて。

 

「僕らは君と、君の元共犯者がやった事の後始末をして来たんだ。

 この千年もの間をずっとね。

 狂ってしまった世界に、歪んでいると知った上での秩序を強いて。

 ――君が愚かな企てをしなければ。

 君があの狂った魔法使いをちゃんと殺していれば。

 こんな事にはならなかったんだ」

 

 コッペリアは笑っている。

 あくまで表情がその形をしている、というだけの笑み。

 声も、平静のようで煮え滾っている。

 ドス黒いまでの感情の海。

 極めて冷静に、コッペリアは怒り狂っていた。

 触れただけで全てを焼き滅ぼしてしまいそうな程に。

 

「……コッペリア」

「大丈夫だよ、ブリーデ。僕は冷静だ」

 

 諫めるブリーデの声に、コッペリアは変わらぬ調子で応じる。

 冷静、という言葉に嘘はないでしょうけど。

 

「そう難しいことを要求するつもりはないよ。

 君の彼氏――レックス、って言うんだったかな?

 そこの彼の魂と一つになって、大真竜の列に加わるんだ。

 そうすること自体は、別に君も嫌じゃないだろ?」

「……とんでもねェことサラっと言い出しやがったな」

 

 あまりの圧力に押し黙っていたイーリスも、思わず呟きを漏らす。

 ……盟約に加われ、というのはそういう意味か。

 ブリーデとゲマトリアが、凄い顔してこっち見てるんだけど。

 真竜は、人が竜の魂を取り込んだことで成立する存在。

 《最強最古》の竜王である私が、竜殺しであるレックスの魂を取り込む。

 それは大真竜と呼んで差し支えないモノになるだろう、けど……。

 

「何を悩む必要があるんだい?

 愛する者と一つになって、過去に犯した罪も清算できる。

 僕らも盟約の力を増やせて大助かりだ。

 だから――」

「とりあえず、アレだな」

 

 更に勧誘の言葉を重ねようとしたところで。

 レックスの声が、コッペリアを遮る。

 驚いて、思わず彼の方を見た。

 どんな表情をしているのかは、顔を覆う兜で分からない。

 ただ、声はあくまで落ち着いた調子で。

 

 

 あっさりと、そんなことを言ってしまった。

 空気が凍り付いたのが、私にもありありと感じられる。

 後ろの姉妹に、ブリーデとゲマトリア。

 目の前のコッペリアすら、予想もしてない発言に絶句してしまった。

 ただ一人、ウィリアム糞エルフだけは声も出さずに笑っている。

 かくいう私も、咄嗟に言葉が出て来ない。

 そんな凍てついた場の中で、レックスだけが構わず続ける。

 

「まぁ大昔のことまでは、流石に俺も分からんでアレだが。

 少なくとも千年前に関しては、やらかしたのは《黒》って奴なんだろ?

 その時なら、まだアウローラは引き籠ってたはずだ」

「……あぁ、その通りだ。

 けど、あの魔法使いが凶行に及んだのはそこの《最強最古》が原因だ。

 彼女が奴を裏切ったせいで――」

「そんでやらかした事については、あくまで《黒》の責任だろ。

 アウローラが直接やったんじゃないんだ」

 

 バッサリと。

 本当にバッサリと、レックスはコッペリアの言葉を切って捨てた。

 それから、軽く吐息をこぼして。

 

「その《黒》がやらかした事の後始末とかも。

 全部、そっちが自分たちがやろうと思ってやった話だろ。

 そこまでアウローラに責任求めるのは、流石に違うんじゃないか?」

「……君は、それで構わないのかい?

 最初の竜殺し。あぁ、君についてもブリーデから聞いてるよ。

 君は《最強最古》の企みのせいで、《北の王》と戦って命を落とした。

 それも、彼女に責任はないと?」

「アレはあくまで、俺が自分でやるつもりでやった事だからな」

 

 問いかけるコッペリアに、レックスは躊躇なく頷く。

 語る言葉には一切の迷いがない。

 

「むしろ、俺だけじゃ死ぬだけの無茶にアウローラが手を貸してくれたんだ。

 感謝こそしてるが、責任がどうのなんて考えた事もないな」

「…………」

 

 その答えに、再びコッペリアは言葉を失ったようだった。

 私もこんな場所と状態でなければ、嬉しすぎて彼に抱き着いていただろう。

 ――あぁ、本当に。

 いつだって彼は、私の欲しいモノを与えてくれる。

 不死であるはずの心臓が、思わず止まってしまいそう。

 これだけの喜びを、「愛している」以上に表現できる言葉が見つからない。

 悠久の時を生きるはずの私の叡智ですら、それは不可能だった。

 

「……お前ってホンッッットに馬鹿だよな」

「拙かったか?」

「いや拙くはねぇよ、ただ馬鹿過ぎて逆に感心しただけだ」

「イーリス。……ただ、ええ。私も似た気持ちではあります」

 

 ため息の混じる声で、イーリスとテレサは笑っている。

 

「昔の責任がどうのだなんて話、今のオレらにはあんま関係ねーしな。

 恨みって意味なら、直接滅茶苦茶してきた真竜どもの方が強いね」

「……イーリスの言う通り。

 私達の人生を狂わせたのは、他でもない真竜たちだ。

 どういう事情があろうと、それは変わらない。

 救ってくれたのは、レックス殿と主の方だ」

 

 この時代における真竜の支配。

 それを直接受けて来た姉妹の言葉は、とても重いものだった。

 私とレックスでは、同じことは語れない。

 真竜の立場であるゲマトリアとブリーデは、表情に少し苦い物が混じる。

 そして、この場にいるもう一柱の大真竜は――。

 

「…………凄いな、君は。

 いや――そうか、そうだね。その通りだ」

 

 ふらりと、コッペリアの身体が揺らぐ。

 何歩か後ずさると、さっきまで座っていた椅子に腰を沈める。

 語る声には、先ほどのような怒りは鳴りを潜めていた。

 感情がいきなり抜け落ちたような、空虚な声が響く。

 

「“君には、何も罪はない”――か。

 あぁ、そうだね。君はいつだってそうだ。

 僕は何も背負えない。

 背負えば壊れてしまうから、と。

 君が僕の荷物まで背負ってしまうんだ――いつだって」

「……コッペリア?」

 

 ブツブツと、突然何かを呟き出したコッペリア。

 内容は支離滅裂で、恐らく私たちに向けたものではない。

 さっきまでの怒りとは、別種の危険を感じ取る。

 今、コッペリアの中にある踏み越えてはいけない線を踏み越えたような。

 

「……ウィリアム」

「何か、我が主」

「コッペリアが暴れ出すかもしれないから、備えて」

「それは備えて何とかなるものなのか?」

「構えもせずに嵐に巻き込まれるよりかはマシよ」

 

 ブリーデとウィリアムが、何やら不穏なことを言い出した。

 いや、確かに「死にたがり」の頃から割と頭のおかしい奴だったけど。

 そんな癇癪で暴れ出すようなタイプじゃなかったはず。

 だけど、さっきからコッペリアの独り言は止まる気配もない。

 空虚に見えた感情は、ただ感じ取れないほど奥に引っ込んだだけで。

 心の奥の奥で、激情がひたすら内圧を上げ続けている。

 ……うん、これは明らかにヤバいわね。

 

「どうして。どうして、どうして?

 僕は君のためなら何だって出来たんだ。

 死にたかった、苦しかった。

 死ねるはずもない事こそが苦しかったんだ。

 父は最低最悪の存在だ。

 完璧な生命なんていう妄想で、僕らのような哀れな生き物を創って。

 挙句、何の責任も果たさずに放り投げた。

 許せるわけがない。

 終わりも用意されない苦痛に、僕らは永遠にのた打ち回れと?」

「なぁちょっと、拘束外して貰えないか?

 いや絶対にヤバいだろコレ」

「地雷踏んだのはそっちですから、自業自得と諦めましょうか!」

 

 魔力が、激情と共に膨らんで行く。

 最早空虚さなんて何処にも無い。

 今のコッペリアは、巨大な嵐が訪れる予兆そのものだった。

 

「おいおい、どうすんだコレ……!?」

「テレサ、イーリスと二人で私とレックスの後ろへ可能な限り下がりなさい」

「っ、承知しました……!」

 

 無駄である可能性は大きいけど、一先ず姉妹は後方に置く。

 レックスの方は、私より一歩ほど前に出た。

 

「今頃、ボレアスは剣の中で暴れているでしょうね」

「早いところ出してやりたいんだけどなぁ」

 

 剣も身体も拘束された状態では、それもままならない。

 ウィリアムはその手に白刃を抜き放ち、ブリーデの前に立つ。

 ナメクジは、腕に弱体化したゲマトリアも庇っていた。

 ……クソ雑魚の分際で、また余計なことを。

 

『あの、オレのポジションは?』

「盾だな。努力と献身を期待している」

『どうしてどいつもこいつもオレへの扱いが雑で統一されてんの??』

 

 ウィリアムの空いた手に、猫はシールドとして装備されていた。

 まぁ、要するに首根っこ掴まれて吊られてるだけだけど。

 ……コッペリアの方も、いよいよ臨界に近付いてる。

 力をロクに出せない私やレックスでは、先制攻撃なんて真似は不可能だ。

 そもそも、下手に近付いただけで吹き飛ばされかねない。

 ギシギシと、空間のあちこちから軋む音が響く。

 相当頑丈に造られてるはずでしょうに。

 部屋――いえ、この巨大な塔全体がコッペリアの魔力に耐え切れなくなっていく。

 コッペリア――いえ、ヘカーティアの有する権能は「天候支配」。

 私が知っている頃でも、大陸全土を大嵐で呑み込むほどの力があった。

 大真竜となった現在、それがどれほど強化されているのか。

 流石に、色々と覚悟を決めた――その時。

 

「……ッ!?」

 

 衝撃が襲った。

 けどそれは、コッペリアの起こしたものではなかった。

 分厚い部屋の壁に突如として開いた大穴。

 もうもうと立ち込める煙の向こう側に、誰かが立っている。

 

「――礼を失した行い、平に謝罪する。

 だが火急ゆえ、ご容赦願いたい」

 

 それは、若い男の声だった。

 若く、だけど同時に途方もない年月を重ねた重みを宿す声。

 聞き覚えがあるような、無いような……?

 

「……嗚呼」

 

 男に応じたのは、女の声。

 いえ、一人の少女の声。

 空間そのものを歪ませるような重圧は、この一時は鳴りを潜めていた。

 コッペリアは夢見るような表情で椅子から立ち上がる。

 そして、未だ晴れぬ煙の向こうを見ながら。

 

「――君に罪はなかった。だが、

「知ってる、知ってるよ。だから君は諦めない。

 諦めず、何度でも僕のところへ来てくれる」

 

 コッペリアは笑っていた。

 泣いているような、喜んでいるような。

 これまでで一番幼い、少女の顔で。

 

「だからどうか、今日は簡単には壊れないで欲しい。

 愛しい、僕の英雄マイヒーロー

 

 毒々しくも甘ったるい、愛の言葉を囁いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る