393話:砕かれる翼


 圧倒的な力を宿す闇の翼。

 その片方が、半ばから砕け散った。

 イシュタルの表情が苦痛に歪む。


「ぁ、ぐ……ッ……!?」


 堪え切れず、その唇からも悲鳴が漏れた。

 腕に伝わる確かな手応え。

 《竜体》の半分近くを叩き斬ったダメージは相当に深いはずだ。

 が、イシュタルが怯んだのは刹那以下の時間。

 渾身の力を叩きつけた後の俺たちよりも、遥かに早く動き出す。


「まだ、こんな事で――!!」


 殆ど絶叫するように。

 咆哮するイシュタルは、残った片翼を横薙ぎに振り回した。

 先ほどみたいに剣の形状に変えてもいない。

 必滅の羽根を撒き散らしながら、まるで鈍器も同然の扱いだ。

 苦し紛れの攻撃だが、その威力が致命的過ぎる。

 当たれば文字通り消し飛ぶそれを。


「流石にしんどいわ……っ!」


 《巨人殺し》が、我が身を盾にして受け止める。

 再生した四肢がまた砕けて、黒い光と赤い血が火花のように咲く。

 礼を言葉にする余裕もない。

 撒かれた羽根を叩き、俺とアストレアは追撃を仕掛けた。


「っ……」


 大地を踏み締めた瞬間、身体から滑り落ちる感触。

 アウローラだ。

 しがみつく力も失った彼女は、そのまま地面に転げ落ちる。

 落ちる直前に目が合った。

 片腕を失い、身体も肩から腹の辺りまで切り裂かれて。

 血まみれの有様で、それでもアウローラは微笑んでいた。

 それは信頼の笑みだった。

 俺が必ず勝つと、そう信じた上で。

 彼女は安堵の表情で地に落ちる。

 今は言葉を返す事も、手を差し伸べる事もしない。

 アウローラは俺を信じて無茶をしてくれた。

 だったら俺は、そんな彼女の献身に報いなければならない。

 絶対に勝つ。

 それだけを胸に、手負いの《雷帝》に挑む。


「オラァっ!!」


 吼える。

 反射的に退こうとするイシュタルを追って。

 相手の右を狙って剣を振る。

 イシュタルの反応は極めて迅速だ。

 当然、その剣撃も見えているが。


「ッ!?」


 防げず、回避も間に合わない。

 切っ先が脇腹を掠めて、血肉を浅く刻む。

 偶然ではあるが、さっき砕いたのは右側の翼だ。

 そしてイシュタルは、俺たちと戦い始める前から右腕を失っていた。

 今の彼女は右側が殆ど死角に等しい状態だった。


「小癪な……!」

「人間であれば、姑息な手に出るのはある意味当然だな!」


 悪態に応じたのは、俺ではなくアストレア。

 神様は獣じみた笑みを浮かべ、右ではなく左に《神罰の剣》を叩き込む。

 手に構えているだけでなく、空中にも刃の群れを百と浮かべて。

 散った羽根を剣で相殺し、更に激しく攻め立てる。


「だが、私は神だ。

 望み通り力比べに付き合ってやろう、遠慮はするなよ……!」

「お前も大概性格悪いわね……!」


 舌打ち一つ。

 イシュタルは腹立たしげに応えながら、闇の片翼を振るう。

 触れるだけでも即死な黒い羽根。

 アストレアもその全てには対処できない。

 だから漏れた分は、俺が剣で叩いて粉砕していく。

 この作業にもそこそこ慣れてきた。

 羽根を切り裂き、空白ができればイシュタル自身に刃を当てる。

 硬いが、斬れないほどじゃない。

 少しずつ――本当に少しずつだが。

 無敵と思われた大真竜の身体にも傷が積み重なっていく。

 その痛みからか、イシュタルがまた不快に顔を歪めた。


「死ね――ッ!!」

「っと……!」


 羽根に紛れて射出される不可視の礫。

 こんな状態でも放てるのか。

 驚きはしたが、攻撃そのものはもう何度も見てる。

 速すぎて目には見えないが、感覚としては既に掴んでいた。

 後は流石に、先ほどまでよりは数が少ない。

 数発ほどの礫を、俺は身を捻ってギリギリで回避した。

 鎧の表面が削られる程度、何の問題もない。


「避けた……!?」

「おう、避けたぞ!!」


 驚くイシュタルに叫び返し、剣を横薙ぎに払う。

 今度は隻腕に切っ先が掠った。

 赤い血が流れる。

 大真竜の魂に届くにはまだ遠い。

 だが、一手ずつ確実に近付いていた。

 勝利を疑っていなかったイシュタルに、微かな焦りが漂い始める。


「あり得ない、こんな事……!!」

「気持ちは分かるぞ、イシュタルとやら……!」


 口を開けて笑うアストレアというのは、地味にレアな気がする。

 かなり愉快そうなその笑顔には、間違いなく父親の面影が見てとれた。

 きっとアストレア本人は自覚してないだろうが。

 

「自分の方が圧倒的に格上だと!

 油断や慢心など無いつもりでも、自然とそう考えていたはずだ。

 本気を出せば自分が負ける可能性などありはしない。

 お前は傲慢にも確信していたはずだ!」

「ッ……!!」


 嘲るようなアストレアの言葉に、イシュタルは奥歯を噛み締める。

 まぁ図星ではあるんだろうな。

 イシュタルは俺たちよりも遥かに強い。

 まともに戦えば欠片も勝機がないぐらいには。

 それは単なる事実だ。

 だからこそ、イシュタルは戸惑っているかもしれない。

 絶対に負けるはずのない戦い。

 その先行きが見えなくなりつつある事に。


「ハハハっ!

 あぁ分かるぞ、少し前の私も同じ心境だったとも!

 無力なはずの人間を殺せない!

 むしろ僅かにでも敗北を意識してしまう!

 不条理だと怒りすら感じる程だ!」

「お褒めに預かり光栄だね……!」


 そんな余裕もないぐらいピンチなワケだが。

 アストレアの物言いに、ついつい笑ってしまった。

 表情には困惑を、視線には憤怒を。

 二つの感情を見せながら、イシュタルは俺たちを睨みつける。

 きっと、彼女は理解できていないんだろうな。

 何故、自分の片翼が砕かれてしまったのか。


「図に乗らないで欲しいわね!!

 翼が一部欠けたとしても、私の優位は揺るがない!!」

「そうだろうとも!

 認めよう、神をも恐れぬ大罪人よ!!

 お前の力は古の神を除けば、《人界》の如何なる神より強大だと!」


 笑う、アストレアは笑い続ける。

 最初に見せていた怒りや敵意は、今は殆ど鳴りを潜めていた。

 《神罰の剣》を自在に操り、闇の翼に挑む。

 勝機は薄いと、俺も彼女も分かっている。

 だが、俺たちはまだ負けていない。

 この手足は動き、刃を振るう力が残っている。

 だったらやる事は一つだ。


「腹立たしい事この上ないが、そこの愚か者から得た学びだ!

 心折れずに挑むなら、最後の瞬間までは結果は分からんものだとな……!」

「俺はそんな大層なこと考えてないっすよ神様!」

「安心しろ、だから愚か者だと言ったのだ!」


 うーん、まだ短い付き合いだが理解度が高い。

 必死に燃え続けている、内側のボレアスさんも爆笑してるわ。


『馬鹿の本質が見切られてるぞ、竜殺しよ!』

「向こうもまぁまぁ馬鹿になってんだからお互い様だろ!」


 言ってて何がお互い様かは不明だが。

 剣が閃き、羽根が舞う。

 片翼となってもイシュタルの力は強大なままだ。

 しかし手数は明らかに減っている。

 アストレアは権能を全力で行使し、俺は燃え尽きたはずの魂を燃やす。

 《摂理》だの何だの、そういう道理を踏み潰して。

 届かぬはずの大真竜の生命へと剣を届かせる。

 一つ、また一つ。

 イシュタルの肌に傷を重ねていく。

 ギシリと、闇の翼が軋む音を響かせた。

 何かする気だと、直感が頭を通さずに身体を突き動かす。


「戯言はもういいわ!!

 塵も残さず消し飛びなさい――!!」


 翼が一瞬激しく膨らんだ。

 放たれるのは、羽根と礫を織り交ぜた全方位爆撃。

 恐らく、《竜体》を晒した際に《神罰の剣》を薙ぎ払ったのもコレだ。

 万物を崩壊させる黒雷の輝き。

 それが津波の如くイシュタルの周囲に広がる。


「チッ……!?」


 俺より反応が遅かったアストレア。

 咄嗟に《神罰の剣》を展開して盾にするが、耐えられたのは一瞬。

 すぐに「剣」は砕け、黒い光が彼女を呑み込もうと――。


「オラァッ!!」

「ふんっ!!」


 する前に、俺ともう一人が割り込んだ。

 こっちが剣を爆ぜる黒雷に突き立てるのと同じように。

 《邪焔》を纏う拳を、カドゥルが打ち込んでいた。

 圧倒的な出力差に、鬼の王の腕から嫌な音が聞こえてくる。

 しかしカドゥルは怯む様子さえ見せない。


「カドゥル、貴様……!?」

「ハハハハハハっ!!

 ガキが気張ってるのに見物なんてしてられるかよ!!」


 呵々大笑。

 触れた肉を削られながら、カドゥルはアストレアを背に庇う。

 こっちも踏ん張るが、かなり厳しい。

 一瞬の爆発ではく、イシュタルは力を放ち続けている。

 片翼にも関わらず絶望的な破壊力だ。

 俺の剣は持ち堪えているが、カドゥルはどれだけ。


「おい、レックスよ」

「ん??」

「こじ開けてやる。後は何とかできるか?」

「あぁ」


 頷く。

 躊躇いも迷いもない。

 必要ならばやるだけの話だ。

 「良し」とカドゥルは笑い、大きく息を吸い込んだ。

 巨体にこれまで以上の力が漲り――。


「アストレア、手伝え!!」

「神に指図をするな!!」


 文句で応じながら、同時に《神罰の剣》も応える。

 黒い炎に染まったカドゥルの拳。

 稲妻の羽撃はばたきに、輝く「剣」と共に突き刺さった。

 渾身の一撃だ。

 それは刹那、押し寄せる闇に隙間を作った。

 本当に僅かな空隙だ。

 《裁神》と最古の鬼王が全力をぶつけてもそれが限度。

 俺は迷わず剣を構える。

 当然、一人じゃ絶対に無理だろうが。


「おぉぉッ!!」


 短く吼えて、刃を振り下ろす。

 背後で光が瞬いた。

 振り向かずとも、それが何かはすぐに分かった。

 闇に剣が触れるのとほぼ同時に。

 後方から撃ち込まれた極光が、魔剣の刀身を射抜いた。

 《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 重傷で満足に動く事もできない。

 そんな状態でアウローラが放った援護射撃。

 聞こえるはずのない、か細い吐息に等しい声。

 けれど、それは間違いなく俺の耳に届いていた。


「レックス、やっちゃって」


 あぁ。

 こっちは任せて、後は見ていてくれ。

 剣はアウローラの力を喰らい、刃に輝く炎を走らせる。

 一人ではどうしようもなかった。

 突破することなど不可能で、呑まれて死ぬしかない滅びの羽撃き。

 それを、今。


「――――ッ!!」


 斬り裂いた。

 分厚いベールを剥ぎ取るように。

 振り下ろされた剣は、足元の大地まで深い亀裂を刻んだ。

 その上で。


「っ……な……!?」


 あり得ないと、驚愕に震えるイシュタル。

 その背中で、残りの片翼が音を立てて砕け散る。

 翼だけでなく、左肩から胸にかけても刃の痕が真っ直ぐに伸びていた。

 溢れた赤い血が水音と共に広がる。

 こっちもギリギリで身体を支えながら。

 ぐらりと揺れるイシュタルを見て、俺は息を吐き出した。


「――俺たちの、勝ちだな」

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