幕間4:悪魔は嗤う


 ――眼下は地獄の有様だった。

 船の縁から身を乗り出して、オレはその光景を見ていた。

 傍らで、こっちが誤って落ちないよう支えてくれている姉さん。

 触れている手が、微かに震えていた。


「大丈夫だよ、姉さん。

 アイツら、どうにか勝ちそうだ」

「見えているのか?」

「何となくな」


 問われて、目を離さないまま頷く。

 見えている、というと微妙に違う気がする。

 今、オレと姉さんがいるのは空飛ぶ船の上だ。

 万が一でも巻き込まれぬよう、かなりの高さで浮かんでいる。

 その状態でも、激しく吹き飛ぶ地上の様子は見えていた。

 ただ細かいところまでは肉眼ではハッキリ確認はできない。

 姉さんの方も似たようなもんだろう。

 ただ、オレの場合は少し違う。

 首元を指で触れる。

 《星神》シャレムから貰った星の首飾り。

 何となく、見えないはずのモノが見えている感覚。

 それは丁度、電子の海に自分を繋げている時に近かった。

 五感が拡張されて、頭の中に無数の情報が流れ込む。

 大真竜イシュタルとレックスたちの死闘。

 とうとう相手の翼の両方を、あのスケベ兜が断ち切った瞬間。

 間違いなく、オレはその光景を感じ取っていた。


「……勝った。

 レックスの奴、本当に勝ちやがった」

「本当に? 主やレックス殿たちは……」

「あぁ、大丈夫。

 アウローラはすげェ重傷だけど、あっちは死なないし。

 レックスも大概ボロボロだけどまだ平気そうだ」

「そうか……」


 良かった、と。

 小さく呟いて、姉さんは安堵の息をこぼす。

 こっちもこっちで、見ているだけなのにドッと疲れてしまった。

 いや、マジでヤバかった。

 遠くから眺めてるこっちですら生きた心地がしなかった。

 大真竜イシュタル。

 以前の遭遇では姿をちょっと見ただけだった。

 デタラメな強さを無茶苦茶に振り回され、正直ダメかとも思ったが。


「……やっぱ流石だな」


 ため息混じりに、自然とそんな言葉を口にしていた。

 レックスにアウローラ、それとボレアス。

 アストレアやカドゥルもいなければ、とても勝ち目はなかっただろう。

 この面子が共闘する事ができたのは偶然だ。

 偶然でも、オレたちはあのクソ強い大真竜を相手に勝ったのだ。

 まぁ、今回こっちは完全に見物してただけだけどな。


「……これで四柱か」

「あぁ」


 四柱。

 姉さんが漏らした言葉を、オレも頭の中で繰り返す。

 そう、これで四柱だ。

 オレたちは《大竜盟約》の大真竜に、それだけ勝利してきた。

 ゲマトリア、ブリーデ、ヘカーティア。

 そしてイシュタル。

 残る大真竜は三柱だ。


「最初はどうなる事かと思ったけどな。

 レックスの奴、ホントに全部の大真竜に勝っちまいそうだな」

「本人もやる気だろうからな。

 レックス殿なら、それも不可能ではないだろう」

「付き合うこっちの方が大変かもな」

「それは確かに」


 冗談まじりに言うと、姉さんはくすりと笑った。

 ついさっきまでは張り詰めていた空気。

 レックスの勝利を確信した事で、その糸が徐々に緩んでいく。

 とはいえ、イシュタルもまだ倒れたワケじゃない。

 殆ど勝敗は決してるが、油断はできない。

 ……後もう一つ、どうにも気になる事があった。

 戦況がヤバ過ぎて、とても注意を向ける余裕がなかったが。


「? イーリス?」


 再び身を乗り出して、地上を凝視する。

 姉さんが不思議そうにこっちを見てるが、今は気にしない。

 何故だか妙な感覚があった。

 懐かしさ……とでも言えば良いのか?

 自分でも良く分からない。

 ただ、何となく。

 オレは傷付いて、息も絶え絶えなイシュタルから目を離せなかった。

 ……アイツを見たのは、ゲマトリアの城から脱出した時。

 遠目から一瞬だけ姿を見た程度。

 そのはずなのに。


「――そんなに身を乗り出したら危ないよ、お嬢さん」

「ッ!?」


 声。知らない男の――いや。

 それは知っている男の声だった。

 勿論レックスじゃない。

 オレと姉さんは殆ど同時に振り向く。

 間違いなく、この船にはオレたちしかいなかったはず。

 気配も何もなしに、いつの間にかソイツはいた。

 甲板の真ん中に佇んでいるのは――。


「カーライル……?」

「やぁ、御機嫌よう。

 こうして顔を合わせるのは、随分と久しぶりな気がするね」


 胡散臭いぐらいに爽やかな笑顔。

 そこに立っていたのは、見覚えのある伊達男だった。

 雰囲気は大分異なる気がするが、間違いない。

 あの廃都バビロンで死んだはずの……いや、これは。


「……お前、あの灰色野郎とグルだったのかよ」

「おっと。

 まさかそこまで分かるのかい?」


 勘、ではない。

 そこはかとなく漂う気配。

 カーライルから、あの《灰色アッシュ》と同じモノを感じた。

 だから口に出してみたが、どうやら当たりだったらしい。

 クソッタレが。


「あの時のアレも、ただの猿芝居だったワケかよ」

「気を悪くしたなら謝るよ。

 ただこっちもこっちで、それなりの事情があってね」

「事情ってのは何だよ。

 ソレは人をコケにして許される類のもんなのか?

 ついつい同情してオレが勘弁してやるように語れんのか?」

「いや、それはなかなか難易度が高いな」


 伊達男の笑みに苦いものが混ざる。

 明らかに、以前出会った相手とは異質だ。

 何が違うかと聞かれると、言葉にするのは難しい。

 まぁ、前からして気を抜けるような相手じゃなかったが……。


「……それで、一体何の用だ?」


 声に強い警戒を含ませて。

 姉さんはオレを背中に庇い、カーライルと相対する。

 危険な男だと、姉さんも感じ取っている。

 しかし今は、レックスやアウローラたちの助けは期待できない。

 伊達男は身構えるでもなく、佇む姿はひどく無造作で無防備だった。


「いや、本当は用なんて無いんだよ。

 私は君たちと接触する必要もないし、意味もない。

 ただちょっと、個人的に別れの挨拶をしようと思ってね」

「ソイツは前に済ませたはずなんだけどな」

「騙した事については謝るよ、すまなかった」

「謝られても許してやらねェけどな」


 手厳しい、と苦笑するカーライル。

 ……分からない。

 一体、カーライルが何を考えているのか。

 少なくとも、オレや姉さんをどうこうする気は感じられない。

 路端で友人を見かけたから、つい声をかけた。

 伊達男はそんな空気を醸していた。


「ホントに警戒しなくて良いよ。

 用件は今言った通り、せめて顔を見せてお別れをしたかっただけなんだ。

 ……十中八九、この場で死ぬ君たちにね」

「何をする気だよ」

「とりあえず、


 笑う。

 カーライルは……いや、それも多分偽名だろう。

 本当の名を伏せたまま、伊達男は笑っている。

 気付かなかった。

 コイツは、こんな空虚な笑い方をする野郎だったのか。

 まるで中身のない鈴みたいだ。


「答えろ、何が目的だ」

「目的? さて、それは私のご主人様に聞いて貰わないと。

 こっちはやり方は好きにしろとブン投げられただけの下っ端なんだ」

「それで、テメェは一体何をしたんだって聞いてんだよ」

「怖いね、これでも気が小さい方なんだ。

 女の子が相手でも、そう睨まれたら恐ろしくて震えてしまうよ」

「嬉しそうな顔で戯言吐くんじゃねぇよ」


 クソ野郎が。

 あくまで伊達男はお道化た態度を崩さない。

 語る声の一つ一つに、妙な力を感じるのは気のせいか?

 聞いているだけで胸がムカムカしてくる。

 以前はこんな感じはなかった気がするが……。

 こっちの内心は知ってか知らずか。

 伊達男は芝居がかった、大仰な身振りを交えながら言葉を続けた。


「無粋な横槍って奴だよ、イーリス」

「は?」

「私のやった事だ。

 正直に言わせて貰うと、こっちも博打だった。

 《盟約》の序列四位、《雷帝》イシュタル。

 上位三強は別格と考えても、彼女の強さも圧倒的だ。

 それこそ、全盛期の《最強最古》にさえ迫るだろうね。

 本人が年若いせいで甘さは目立つが、それを埋めて余り過ぎる程の才覚。

 《始祖》と《古き王》の間に生まれた奇跡の娘。

 少なくとも、私みたいな使いっぱしりじゃとても手に負えない相手だ」


 ……姉さんは、完全にカーライルの語り言葉に聞き入っていた。

 強い魔力が込められたように、伊達男の声は聞く者を惹きつける。

 だが、オレは別の事が気になっていた。

 今、コイツは何て言った?

 《始祖》と《古き王》の間に生まれた、奇跡の娘?

 それを、オレは知ってるはずだ。


「そう、手に負えない。

 本来ならそのはずだった。

 しかし君たちのおかげで、横槍を入れる隙間ができた。

 を拾う事ができたのも幸運だったよ」


 笑う声に、粘つくような悪意が滲み出す。

 衝動的にブン殴りたくなったが、それは姉さんに止められてしまう。

 もう何かし終わった後だと。

 さっきこのクソ野郎は言っていた。

 そんで今の話だ。

 コイツが余計な事をした相手は、つまり。


「――さぁ、大人しく眠ると良い。

 

 その血肉と魂を、堕ちたる神の供物としよう」


 笑う、悪魔が笑っている。

 べろりと晒した長い舌べらには、赤い紋様が輝いていた。

 その紋様は竜を象っているように見えた。

 朗々と、詩に似た言葉をカーライルは語り出す。


「言語の王、古きバベルの名において支配を施す。

 父母を亡くした哀れなルミエル。

 眠れ、ただ眠れ。

 目覚める必要はもうない。

 捧げられる贄として、その役目を果たし給え」


 それは「仕上げ」だった。

 魂の奥底に響く呪言。

 ソイツは、オレたちの前で堂々と悪事の〆を行いやがった。

 完全にわざとだ、何がもう「し終わった後」だ!

 ブチギレかけた時、地上で気配が弾けた。

 物理的とは違う、言葉では表現し難い未知の感触。

 死ぬほど不愉快な「何か」が大気を満たす。

 その「臭い」には覚えがあった。

 確か、《秘神》アベルだとか名乗っていた、あの……!


「テメェ、まさか……!!」

「ハハハハハハ、そう怒らないで欲しい。

 イシュタルと名を改めたあの哀れな娘は、君らにとっても敵だろう?

 まさかのこのこ一人で外界に出てくるなんて。

 迷子の娘が悪い狼の餌食になるのは、昔語りの定番だ。

 なんて馬鹿な子供だと、君もそう思うだろ?」

「ッ!!」


 完璧に頭の血管がキレた。

 姉さんの腕を振り払い、オレは甲板を駆けた。

 絶対にブン殴る。

 しかし固めた拳は、あっさりと空を切る。

 伊達男の姿は何処にも見当たらない。


「悪いが、痛いのは苦手なんだ。

 ではサヨウナラ、イーリスにテレサ。

 恐らく君らは生き残れまい。

 だからこれを今生の別れとしよう」

「ゴチャゴチャうるせぇよ、この玉無し野郎!!

 さっさとこっち出てきて殴らせろ!!」


 叫んだが、返って来るのは沈黙だけ。

 逃げたのか、姿を隠したのか。

 ゲスの好きにされてるのが死ぬほど腹立たしい。

 と、焦った顔で姉さんが駆け寄って来る。


「イーリス! お前はまた無茶を……!」

「悪い、姉さん。小言は後で聞くから。

 今は急がねぇとルミエルがヤバい」

「ルミエル……ルミエル?

 ルミエルって、あのルミエルの事かっ?」

「そうだよ、地下迷宮で別れたアイツだ。

 クソっ、なんで気付かなかった」


 脳裏に浮かぶのは、かつて出会った幼い少女の姿。

 ……こうして考えてみると、確かに面影がないではない。

 いや、流石に育ち過ぎだろ。

 オレもあのクソ野郎が名前出すまで全然結び付かんかったわ。

 姉さんも「信じられん……」と何度も呟く。

 すげぇ驚いたが、それよりも。


「姉さん」

「んっ、どうした?」

「もうちょい無茶する。

 付き合って貰って良いか?」

「……イシュタル――いや、ルミエルを助けるためか?」

「あぁ」


 頷く。

 迷いや躊躇いはなかった。

 あの泣き虫の小娘ガキの事を、オレは良く覚えてる。

 だったら行かない理由はなかった。

 大真竜がどうとか、その辺は全部後回しだ。

 ほんの少しだけ、姉さんは呆れた様子でため息を吐く。


「改めて聞くまでもない。

 何処であれ、私は一緒に行くよ」

「……ん。ありがとう、姉さん」


 改めて礼を言うと、どうにも照れ臭くて仕方ない。

 いやいや、ンなガキっぽいこと考えてる場合じゃねーんだ。

 軽く両頬を叩いて気合いを入れ直す。

 そうしてから、首飾りを右手で軽く握り締めた。


「イーリス、どうする気だ?」

「揺れるだろうから、姉さんはしっかり掴まっててくれ」


 応えて、意識は船全体に広げていく。

 機械を《奇跡》で動かす時とそう変わらない。

 翼を大きく広げて、更に船首を下の方へと向ける。

 地表では異常が巻き起こってる最中だ。

 伊達男気取りのクソが仕掛けた、タチの悪いおふざけだ。

 好きにさせるかよ、絶対に。

 だから。


「このまま突っ込む――!!」


 叫んだ言葉通り、オレは船を一気に加速させた。

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