448話:今一時の安息を


「……本当に、もう大丈夫?」

「あぁ、おかげさまでな」


 吹く風は穏やかで。

 さっきまでの戦いが、全部夢の中の出来事のようだった。

 見上げた空は暗く、星々は明るく瞬いている。

 其処にあるのはもう、偽りの夜ではなくなっていた。

 それを示すように、丸い月が淡い光で地上を照らしている。

 時間の経過とか、気にする余裕もなかったが。

 今はもう、とっくに真夜中であるらしい。

 血を流しすぎたのか、風の冷たさが身に染みる。

 俺は自然と、腕の中に捕まえた温もりを抱き締めていた。


「ねぇ、本当に大丈夫なの?」

「治療はしてくれただろ?」

「それは、当然したけど……」


 笑う。

 ちょっと前までの様子が、本当に嘘のようだ。

 膝の上で小さくなっている少女。

 アウローラは、心配そうな目で俺を見上げていた。

 涙で湿った瞳は、不安げな色で揺れている。

 賦活剤は呑んだし、その後には彼女が魔法の治療も施してくれた。

 おかげで傷は殆ど塞がっている。

 もう戦う余裕は流石に無いが、とりあえず死ぬ心配はない。

 アウローラの方も、それは分かっているはずだ。


「………………ごめんなさい」

「うん?」


 ぽつりと。

 顔を伏せ気味にして、アウローラは小さく呟いた。

 首を傾げると、今度は逆に黙ってしまう。

 それだけ見ると、叱られる前にしょげ返った子供みたいだ。

 髪や頬に指で触れて、そっと撫でてやる。

 くすぐったそうにしながらも、やはり元気の無さは変わらない。


「謝る事なんてあったか?」

「……いっぱい、酷い事をしたわ」

「あー」

「全部、覚えてる。

 かつての私に、戻ってしまっただけだから。

 その『私』が何をしたのか、全部……」

「そうか」


 これまで見たことがないような、酷い落ち込みっぷりだった。

 抱き締める。

 それから、なるべく優しく背中を撫でた。

 ようやく取り戻した体温。

 身に帯びた甲冑越しにも、その温かさは確かに伝わってきた。

 彼女も、力を抜いてこちらの胸元に身を預ける。

 微かに震えているのは、泣いているからか。


「最悪よ、ホントに……っ。

 貴方に対して、あんな……!」

「俺は気にしてないぞ」

「死ね、だなんて、もっと酷い事も……っ」

「昔はああだってだけの話だろ?

 同じアウローラなんだから、別に大丈夫だ」

「けど……!」

「愛してる」


 一言。

 口にした瞬間、アウローラは声を詰まらせた。

 息を呑んで、俺の顔を見る。

 ビックリしてる表情も可愛いので、そっと唇を触れさせた。

 ちょっとばかり鉄の味がするが、それはそれだ。


「ぁ――……レ、ックス……」

「聞こえてただろ?」

「っ……うん、うん……」

「だったら良かった。

 いや、あんだけ言っといて聞こえてなかったら、こっちが恥ずかしいしな」


 まぁ、改めて言うのもやっぱり照れるんだが。

 俺が笑うと、アウローラの瞳から大粒の涙がこぼれた。

 泣かせてしまったかと、そう思ったが。

 涙で頬を濡らしながらも、彼女は笑っていた。

 心底嬉しそうな微笑みだ。

 それから、もの凄い力で押し倒された。

 彼女の方だって、俺と同じぐらいボロボロだろうに。

 人間の俺では、竜の力には抗いようもない。

 いや、最初っから抗う気もなかったが。


「んっ……」


 また、互いの熱が触れた。

 生きている事を、確かめ合うように。

 何度も、何度も。

 触れて、なぞって、撫でて、舐めて、噛みついて。

 繰り返す、どれだけ求めても足りないぐらい。

 俺も彼女も生きている。

 生きた熱を相手に与えて、相手から受け取る。

 どれだけやっても足りないぐらいなのに、胸の奥は満たされていく。

 心地良さに溺れ、漏れる吐息は炎のように熱かった。


「……っ、は……ぁ」


 離れると、じわりと冷たさが染みる。

 表面は夜風の寒さを感じるが、身体の芯は温かいままだ。

 手を伸ばし、頬に触れる。

 上気して桜色に染まった肌を、指先でなぞる。

 くすぐったそうに笑って、アウローラは俺の手を握った。


「……愛してる」

「あぁ」

「愛してるの、レックス」

「俺もだ」

「愛してる、愛してる。愛してる。

 何度言っても、全然足りない。

 貴方を愛してるって、そんな言葉じゃ表せないぐらい、貴方を愛してるの」


 抱き締める。

 笑って、涙を流し、愛に狂った一柱の竜。

 そんな彼女を、俺は力の限り抱き締めていた。

 愛している。

 言葉にするのは大事だが、言葉だけじゃきっと足りない。

 永遠不滅であるはずの竜が、どうしようもなく狂ってしまう程。

 理屈にできないぐらいに、愛している。

 俺も、アウローラも。

 お互いのことを、愛していた。


「…………」

「? アウローラ?」


 ふと気付くと、腕の中の彼女がまた黙り込んでいた。

 ただ、さっきまでとは微妙に様子が違う。

 泣いてはいないし、落ち込んでいるワケでもない。

 ただ赤く染まった頬を隠すみたいに、そっと目を伏せている。

 角度的に表情は良く見えない。

 よく分からずに首を傾げると、アウローラは上目遣いに視線を向けて。


「……少し、私から離れた方が良いかも」

「何でだ?」

「それは――その……」


 文字通り、死ぬほど苦労して。

 やっと取り戻すことができたんだ。

 俺としては、もう暫くはこのままで休んでいたい。

 テレサの方が心配は心配だが、あっちは多分大丈夫だろう。

 まぁそもそも、今の俺に戦う力とか残ってないしな。

 で、アウローラの方はなにやらもじもじしている。

 うーむ、本当に大丈夫だろうか?


「…………こうして、貴方と一緒にいられるのは、凄く嬉しいの」

「あぁ」

「もう、貴方のことが愛しくて愛しくて、堪らないぐらい」

「うん」

「だから――多分、私自身が傷で弱ってるせいもあると思うけど……」

「?」


 言いたい事がイマイチ理解できず、こっちは首を傾げる他ない。

 そんな俺を見ながら、アウローラは躊躇いに唇を震わせて。


「…………今、凄く、貴方のことを食べたいと思ってる」

「……おぉ」


 成る程、そういう話だったか。

 言われてみれば、確かにおかしくなってる間にも割と食欲ぶつけられてたな。

 アレも、アウローラ自身の欲求であるのは間違いなかったか。

 ついつい笑ってしまうと、彼女は顔を真っ赤にして睨んできた。


「わ、笑いごとじゃないのよ……!?

 食べちゃいたいぐらいに愛してるって、比喩じゃないんだからね……!」

「そんだけ愛されてるなら、それはそれで本望だなぁ」

「だから、そんなこと言ったら我慢できなくなるから……!」

「別に我慢しなくても良いぞ?」


 そう応えて、頭を撫でる。

 冗談とか抜きで、マジで俺を食いたくなってるんだろうな。

 涙目で睨んでくる目元に、軽く唇を触れさせる。

 くすぐったそうに震えるアウローラを、俺は強く抱き締めた。


「アウローラがそうしたいのなら、俺は構わないぞ。

 まぁ、流石にそれで死ぬのはちょっと困るかもしれんが」

「……それで貴方が死んだら、また何千年使ってでも生き返らせるんだから」

「あぁ、良いぞ。お前がそうしたいのなら、俺は付き合うさ」

「本気だからね?」

「分かってる。俺も本気だぞ」


 笑う。

 俺もアウローラも、互いに笑いあった。

 また唇に噛みついて、舌で触れて。

 生きてる熱を交換し合う。

 世界の終わりみたいに、破壊し尽くされた荒野で。

 俺たちは生きて、互いを愛していた。

 きっとこんな一瞬を過ごす度に、誰もが永遠を願ったのだろう。

 それがありえない事だと分かっていても、そう思う気持ちは理解できた。


「……ねぇ、本当に食べちゃうわよ?」

「良いぞ」

「そういう貴方は、どうなの?」

「うん?」

「だから――その……」


 ゴニョゴニョと、口の中で言葉を転がすアウローラ。

 良く聞こえなかったので、耳を寄せてみる。

 すると、小鳥が囀るぐらいの声で。


「…………私のこと、食べたいとは、思わないの?」


 そんな、可愛らしいことを聞かれてしまった。


「思うぞ?」

「ッ――――」


 素直に、率直に答えてみた。

 そりゃあまぁ、「食べる」の意味が若干違うとは思うけど。

 愛してるって、そういう欲求もセットだろう。

 俺も人間なワケで、当然そんぐらいはな?

 彼女自身も望んだ言葉だと思うが、何故か酷く狼狽しているようだ。

 そんな様子も、また可愛らしい。


「なんだ、俺もアウローラのこと食べても良い流れか?」

「ぁ――や、いえ、嫌じゃないわ! 嫌ではないですけど、ちょっと、そのっ」

「はっきり言って貰わないと困るなぁ」

「わ、私が貴方を食べるって話じゃなかったかしらっ」

「食べて良いぞ。で、聞かれて答えたんだし、俺も食べて良い流れだよな?」

「待って、待って。本当に待って。心の準備がまだ……!」


 うーん、反応が面白すぎる。

 本気が七割ぐらいの、からかいが三割ぐらいの気分だな。

 正直、俺は全然オッケーなんだが、アウローラの気持ちは大事にしたい。

 顔を真っ赤にして、慌てる子供みたいに悶える彼女。

 その頭を、手のひらでゆっくりと撫でてやる。

 すると、拗ねた目でアウローラは俺を見上げていた。


「……もしかして、からかってる?」

「いや、大分本気だな」

「…………嬉しいけど、今は、ダメ」

「そうか」

「貴方も、傷ついてるもの。

 死んじゃったら、困るでしょう?」

「確かにな」


 まぁ確かに、現状だと命の危険は結構感じるな。

 だから今は我慢して、唇や肌に触れるだけで我慢しておく。

 夜風の冷たさは、もう気にならない。

 広い世界で、俺たちしかいないみたいな錯覚に陥りそうだ。


「ねぇ、レックス」

「何だ?」

「愛してる」

「あぁ。俺も、愛してる」


 何度口にしても足りない言葉を、またお互いが口にして。

 俺もアウローラも、笑っていた。

 もう暫くは、このままで良い。

 そんな事を思いながら、俺たちはまた相手の熱を確かめ合った。




 …………気付いていない。

 《最強最古》も、その男の方も。

 死力を尽くした戦いの直後で、どちらも気を緩めている。

 それ以前に、戦う力がそもそも残ってはいまい。

 好機だった。

 気配は完全に消し、死人のように息を潜めていた。

 戦いの余波だけで廃城は崩れ、本当に埋葬されかけはしたが。

 それもどうにか乗り切った。

 待って、待って、ひたすら待ち続けて。

 ようやく、その瞬間が訪れた。

 魂の奥底から、再び引き出すのは力を帯びた文字列。

 邪悪なる偽神――《造物主》の真名。

 万物の解答とも呼ぶべき呪文。

 俺はかつて、これを使って古竜たちの大半を狂気に駆り立てた。

 そして、今回やる事もそれに近い。


「――終わりだ、《最強最古》」


 気配も姿も消したまま。

 遠く距離を置いた、瓦礫の陰で呟く。

 明らかに弱っている今の状態なら、この真名の力が通るはずだ。

 《最強最古》の魂を、完全に支配する。

 理想は《大竜盟約》と相討った後だったが、贅沢は言っていられない。

 あの忌まわしい大悪竜を掌握し、ついでにあの男を殺す。

 三千年前に奪われた魔剣。

 それも手に入れられるのなら、これ以上の結果はない。

 好機だ、間違いなく。

 慎重に、けれど躊躇いなく。

 俺は手にした《造物主》の真名に意識を集中させる。

 《最強最古》を支配し、竜殺しの魔剣を奪い返す。

 《盟約》の大真竜も残り二柱で、《黒銀の王》は楔の玉座からは動けない。

 勝利はもう、目前まで見えていた。

 俺が全てを手に入れて、全てを取り返す未来。

 それが手の届く場所まで、俺はようやく辿り着いたんだ……!


「さぁ、これで――!!」


 終わりで、そして始まりだ。

 かつての俺が終わり、そして始まった場所で。

 その瞬間を迎えるなんて、これこそまさに運命――。



 聞こえる声は、大分耳慣れた相手のモノだった。

 死神ではない。

 だが、俺にとっては死神と大差はない。

 真名の操作に、意識を集中させ過ぎてしまった。

 目の前に立たれるまで、存在に気付かないなんて……!


「直接顔を合わせんのは、随分久しぶりだな。灰色野郎」

「っ……お前は、イーリス……!?」

「正解だよ」


 腕を掴む、その少女の名を口にした瞬間。

 イーリスの拳が、俺の顔面へと思いきり突き刺さっていた。

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