158話:邪焔

 

 その炎の色には見覚えがあった。

 光を喰い尽くす暗黒の炎。

 魔法でも自然現象でもあり得ない燃え盛る闇。

 あの地下迷宮で出会った恐るべき真竜、バンダースナッチ。

 アレが見せたのも確か同じモノだったはずだ。

 両の手に黒い炎を揺らめかせて、《五龍大公》はニヤリと笑った。

 

「随分とまぁ余裕ぶってくれるわね――!」

 

 鋭く叫ぶアウローラの声には強い魔力が込められていた。

 その一言だけで炎と雷撃、それと氷の礫が同時に吹き荒れる。

 威力は当然、俺が使う魔法よりもよっぽどデカい。

 それでも意図は牽制か目眩まし程度のはずだ。

 押し寄せてくる複数の攻撃魔法。

 対してゲマトリアはその場を動かず、ただ軽く右手を翳した。

 黒い炎が揺れるその手を。

 

「無駄だって事、分かってますよね?」

 

 炎が踊る。

 闇の如き炎が宙を踊り、アウローラの魔法を呑み込む。

 相殺した――というよりも、一方的に焼き切った。

 僅かな余波も残さず、炎の向こうにいる大公は髪の毛一つも揺らしていない。

 その結果に、アウローラは小さく息を呑んだ。

 

「驚きましたか? 驚きましたよね?

 今みたいな小手先の技、大真竜であるボクには無意味ですよ!

 まぁまだ真竜じゃあ無いんですけどね!」

 

 ケラケラと笑うゲマトリア。

 その手には変わらず黒い炎が揺れている。

 

「……それ、確かバンダースナッチも使ってたな」

「おや、初見じゃありませんでしたか。

 道理で驚きが薄いと思いましたよ」

「一体何なんだ、ソレ? 魔法じゃないっぽいが」

「ふふーん、其処まで分かるとは慧眼ですねェ」

 

 楽しい遊びに興じる子供そのものの態度。

 ゲマトリアは指先で黒い炎を操りながら自慢げに語って来る。

 

「これはですよ」

「? 魂の炎?」

「ええ。魔力とは生命力、即ち肉体に宿る魂から生じる力。

 ですがコレは魔力では無く、魂そのものを燃やす事で発生する炎。

 それは物理を――いえ、この世界の《摂理》からも外れた力。

 故にその炎はあらゆるモノを焼き尽くします」

「……そんな力、私も初めて聞くわ」

「でしょうねぇ。この力を見つけたのはまだ千年前の話ですから」

 

 唸るようなアウローラの言葉に、ゲマトリアは笑顔で応じる。

 最古の竜王であるアウローラにとっても未知の力。

 ゲマトリアはそれを気軽にお手玉してみせた。

 まぁ見せつけたいんだろうな。

 

「便宜上、これをボクらは《邪焔》と呼んでますけどね。

 別にそちらが思う程に大した力じゃないですよ?

 ――なんと言っても、大真竜は誰でも使えるモノですからね!」

「成る程、ソイツは面倒だな」

 

 バンダースナッチの時も大概苦労した黒い炎。

 ゲマトリアを含めた大真竜は、全員この力が標準装備らしい。

 ぼそっと「まぁ一人、ちょっと例外がいますけど」とか呟いてるが。

 微妙に気になる話だが、それに関しては語るつもりは無いらしい。

 改めて両手に黒い炎を纏いながら、黒装束のゲマトリアが一歩前に踏み出す。

 心無しか、先程よりも感じる圧力が増している気がする。

 

「さぁ、二本で十分と言った理由。これだけでも分かりますよね?」

「ま、そうだな」

 

 挑発めいた言葉に応じながら、此方も剣を構えて前に出る。

 バンダースナッチと戦った時もそうだった。

 あの炎にはアウローラやボレアスでも下手に触るのは危険だ。

 こっちで対抗出来るのは俺の持つこの剣しかない。

 

「おや、まさか戦る気満々ですか。

 格が違うって事を教える為にわざわざ見せてあげたんですけど」

「それで諦めるような奴に見えてたのか?

 それならそれでガッカリだな、大公閣下」

「んんんー! 

 まぁ確かに、その程度で折れるんじゃ期待外れなのは間違いないですけどぉー!」

「だろ?」

 

 わざとらしく身悶えるゲマトリアに、俺は軽く笑ってみせた。

 そして。

 

「ガアァ――――ッ!!」

 

 さっきから黙っていたボレアスが吼えた。

 密かに溜めていた《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 不意を打つ形のはずだが、流石にゲマトリアは素早く反応した。

 黒い炎――《邪焔》を纏った腕を伸ばし、放たれた炎熱を受け止める。

 炎を焼く炎という現実を捻じ曲げるような光景。

 しかし幻ではなく、ボレアスの炎をゲマトリアの《邪焔》が焼き潰す。

 

「こんなもの、目眩ましにしかなりませんよ!」

「あぁ」

 

 無駄な事をと嘲るゲマトリア。

 その通り、これは単なる目眩ましだ。

 

「ボレアス!」

「おうよ!」

 

 俺がその名を呼ぶと、ボレアスは即座に応える。

 此方が床を蹴るとほぼ同時に、その身体は炎に解けた。

 そして炎と化した竜王は手にした剣を通して再び俺の内に宿る。

 ゲマトリアは《吐息》を防ぐ為に大仰に構えていた。

 そのせいで此方の動きに対する反応が一瞬遅れる。

 ボレアスの力で強化された脚で、俺は一気に間合いを詰めた。

 

「つまらない小細工を……!」

「それをお前に言われたくはないわねっ!」

 

 当然、もう一人のアウローラもただ見ているワケがない。

 黒い炎を纏っていない赤い方のゲマトリア。

 魔法妨害の力場を纏う其方に、彼女は拳を固めて殴り掛かった。

 見た目は可憐なアウローラには似合わぬ乱暴な攻撃。

 まさか正面から殴りに来るとはゲマトリアも予想していなかったらしい。

 結果的に奇襲めいた形で、鋭い拳が赤い方の顔面を捉えていた。

 

「ぶっ!?」

「ちょ、ボクの可愛い顔になんてことを……!」

 

 そしたら黒い方の気も逸れたので、遠慮なく剣をぶち込んだ。

 まぁ当然、それでバッサリやられてくれる程に甘い相手ではない。

 《邪焔》で守られた腕は、容易く竜殺しの刃を受け止める。

 手元に感じる硬い手応えは先ほどまでと同様。

 さっき防がれたのも、腕にこの《邪焔》を薄く纏っていた為か。

 

「無駄ですよ、無駄無駄!

 《闘神》に勝ったぐらいでボクに勝てるワケないでしょ!」

「それはやって見なきゃ分からんだろ……!」

「結果なんて見えてますから!」

 

 剣と黒い炎がぶつかり合って火花を散らす。

 ゲマトリアの動きには洗練された技の気配は微塵もない。

 ただ膂力と速度にモノを言わせるだけの、実に竜らしい戦い方だ。

 俺もまぁ、技術的な事はエラそうに言えないが。

 

「ハハハハッ! どうしました!

 防戦一方じゃないですか!」

「ッ……!」

 

 弾く、弾く、弾き続ける。

 《邪焔》に対しては鎧の守りは殆ど意味がない。

 一発でもまともに当たればそれだけで致命傷になり得る。

 だから全てを剣で弾き落とす。

 力も速さも桁違いだが何とか耐えている。

 これでまだ《竜体》ですらないのだから恐ろしい話だ。

 

『――焦るなよ、竜殺し。

 奴の《邪焔》は確かに凄まじいが、何事にも必ず対価がある』

 

 内なるボレアスの囁きに、俺は声には出さず頷いた。

 ゲマトリアはあの黒い炎を「魂を燃やす事で生じる力」と言っていた。

 魂を燃やすなんて簡単に言ってるが、そんなモノの代償が軽いはずがない。

 現に俺は魂が燃え尽きたせいで殆ど死人であるようだし。

 軽々使っているように見えるのは、ゲマトリアが不滅の古竜だからだろう。

 人間一人の魂と古竜の持つ魂ではあらゆる意味で桁が違う。

 あの《邪焔》とやらも、強大な竜だからこそ使える力のはずだ。

 それでも永遠に使い続けられるとは考えられない。

 ボレアスの言う通り、何事にも必ず対価があるのだから。

 

「ちょ、《最強最古》なんですから、もう少し戦い方が……!?」

「五月蠅いわね!」

 

 赤い方とアウローラも地味に激闘を繰り広げていた。

 少なくとも両者のパワーに大きな差はない。

 故に先手を取って殴り倒し、そのまま馬乗りマウントを取ったアウローラが有利だ。

 見た目は女の子同士の殴り合いキャットファイト

 それも竜の腕力でやっているものだから聞こえてくる音とかは凄まじい。

 

「こっちはこのまま、私が抑えてるから……!」

「あぁ」

 

 実際とても助かる。

 《邪焔》を操る黒いの一匹でも相当に厳しいからな。

 そしてゲマトリアの方も口で語る程には余裕は無いようだった。

 此方にそう見えるように振る舞っているだけで。

 

「まったく、しぶとい……!」

「お互いにな……!」

 

 笑うゲマトリアに浮かぶ僅かな焦り。

 一発でも《邪焔》を当てれば俺は仕留められる。

 向こうの目的を考えると殺す気まではないかもしれないが。

 どちらにせよ《邪焔》が直撃する事だけは絶対に避ける必要があった。

 だから一つもまともには喰らってやらない。

 《邪焔》を宿した爪を剣で弾き、時には大きく動いて身を躱す。

 避ける事と防ぐ事に専念している為、此方もまた一度も剣を当ててはいない。

 当ててはいないが、ゲマトリアは確実に消耗しつつあった。

 

「やっぱり燃費悪いようだな、その《邪焔》ってのは!」

「否定はしませんよ!」

 

 俺の言葉に叫び返すゲマトリア。

 同時にその口から強酸の《吐息》が吐き出された。

 霧状に噴射されたソレは、鎧の表面を焼きながら此方の視界を塞いでくる。

 《邪焔》だけの力押しと思わせてからの《吐息》による攻撃。

 目の前が一瞬黒い霧に覆い隠されるが。

 

「ッ……!!」

 

 見えずとも勘で危険は感じ取れる。

 身を投げ出す形で床を転がれば、頭上ギリギリを爪の一撃が掠めた。

 

「今のを避けた……!?」

 

 驚くゲマトリアに対し、俺は動きを止めない。

 即座に身を起こすと共に、霧に煙る視界を裂くように剣を振るう。

 仕留める気だった攻撃を外した事でゲマトリアは僅かに硬直していた。

 その隙を突く形で、切っ先は黒装束の脇腹を抉る。

 軽くはない手応え。

 《吐息》による酸の霧が晴れると、ゲマトリアの表情は苦痛に歪んでいた。

 やはり負傷ダメージは受けている、それは間違いない。

 宴の席でウィリアムに首を刎ねられた時はあっさりと繋げていたが。

 それも見た目ほどに軽い負傷だったのかは分からない。

 少なくとも、この大真竜を騙る相手が無敵でない事だけは確かだ。

 

『剣は通じているぞ。

 今ぐらいの傷ではまだ致命傷には遠かろうがな』

 

 ボレアスも俺と同じ見立てのようだ。

 魂とかそういうのが見えるワケではないので非常に助かる。

 

「本当に強いですね、腹立たしいのを通り越して嬉しくなりますよ!」

「そりゃどうも……!」

 

 負傷は受けている。

 俺の剣は確かにゲマトリアに通じている。

 それは間違いないし、手応えも確かにある。

 だが、何故だろう。

 直接的な危険ではなく、妙な不安を俺は感じ取っていた。

 そう、何か単純な事を見落としているような――。

 

「ええ、本当に強い。流石はあの《闘神》を倒しただけの事はある。

 ――そして、ええ。此処まで戦って十分分かりましたよ」

 

 再び《邪焔》と竜殺しの剣をぶつけ合いながらゲマトリアは笑う。

 その笑みに満ちていたのは、余裕ではなく確信だった。

 

「ボクにとって脅威となり得るのは、レックス。貴方だけだ。

 いえ、より正確に言うのなら――」

「ッ、ぐぁ……!?」

 

 ゲマトリアの声に重なった、小さな悲鳴。

 それを発したのは誰か。

 目の前に集中していたせいで、反応が遅れてしまった。

 

「――ボクの《邪焔》に対抗出来るのは、その剣だけのようですね。

 いや、まだ隠し玉があるかは分かりませんけどね?」

 

 笑う。ゲマトリアは笑っている。

 そう語るのは俺と戦っていた黒い奴でも。

 アウローラが殴り倒していた赤い奴でもなかった。

 気配は感じなかった。

 《転移》で現れたのではなく、城の壁か床の内部を移動して来たのだろう。

 それでも不自然なほどに何の気配も無く。

 赤いのを殴っていたアウローラの背後に、緑の装束のゲマトリアが立っていた。

 そして緑のゲマトリアの手に宿るのは、光を呑み込む暗黒の炎。

 黒いゲマトリアが出したモノと同じ《邪焔》だった。

 

「黒いボクしか使わなかったから勘違いしてました?

 残念ですが《邪焔この力》は、普通に使えるんですよねぇ!」

「っ……ホントに、不覚ね。

 こんな子供騙しに、引っ掛かるなんて……!」

 

 背中を《邪焔》を纏った爪で裂かれて、アウローラは苦し気に呻く。

 黒い奴も使えて、緑の奴も使える。

 そしてゲマトリアの言葉通りなら、どの色の首でも関係が無い。

 当然、アウローラに殴られていた赤い奴も同じように。

 

「さて、先ずは一人……ッ!?」

 

 判断を迷うワケには行かなかった。

 《邪焔》を出した赤いゲマトリアに対し、俺は剣をブン投げた。

 流石にそれは予想していなかったらしい。

 意識外から飛んで来た剣は赤い奴の顔面に思い切り突き刺さった。

 うん、やっぱ《邪焔》で防がれなければ普通に通るな。

 

「いきなり無茶苦茶しますねぇ!」

 

 そう叫んだのは黒いゲマトリアだった。

 攻防の最中に繰り出した剣の投擲。

 防ぐモノを失った俺に対し《邪焔》を纏う爪が容赦なく襲う。

 頭上から落ちてくる大振りの一撃。

 それを俺は避けるのではなく、わざと腕で受け止めた。

 回避は出来たが、そうすれば竜の乱舞は切れ目なく続く。

 可能な限り力を込めた腕で払うように受ける事で、僅かにだが攻撃に隙間を作る。

 当然、《邪焔》付きの爪に焼かれる事になるが構わない。

 その隙間を無理やりこじ開ける形で、俺はゲマトリアの間合いを離脱する。

 走る。ボレアスの力も借りて、可能な限り全力で。

 赤い奴は顔面を貫かれて動けない。

 緑の奴はいきなり飛んで来た剣に驚き、ひと呼吸だけ動きが遅れている。

 アウローラは――やっぱり受けた傷がデカいな。

 

『本当に、つくづく無茶をする男だなお前は!』

「付き合わせて悪いとは思ってるぞ!」

 

 ボレアスの声は呆れ混じりの笑い声だ。

 だから俺も笑っておいた。

 動けないアウローラの身体を片手で抱えて、ついでに剣も引き抜く。

 慌てて緑の奴が《邪焔》を纏った爪で殴って来るが、それは何とか回避した。

 走る。黒い奴のを受けた右腕が痛むが一先ず無視だ。

 そちらの腕でアウローラをしっかり抱え、左手で剣を握る。

 

「っ……レックス……」

「辛いなら喋らなくて良いぞ」

 

 明らかに弱った様子のアウローラに応じながら、今は兎に角走った。

 アウローラの放った《吐息》で破壊された通路。

 その砕けた壁や床の裂け目に飛び込む。

 間を置かずに背後で膨れ上がる敵意と重圧。

 当たり前だが大公閣下はこのまま見逃してはくれないらしい。

 

「――――」

 

 苦し気な吐息を漏らしながら、何事かを呟くアウローラ。

 

「だからァ、逃がすつもりはないって言ってるでしょうがァ――!!」

 

 その声を掻き消すのはゲマトリアの咆哮。

 逃げる俺達を追いかける形で迫って来るのは三匹分の《吐息ブレス》。

 当然、此方には防ぐ手立てはなかった。

 強酸と猛毒の混じった炎熱の嵐。

 城の一角を砕くその《吐息》に、俺達は成す術も無く呑み込まれた。

 

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