159話:竜に挑むという事

 

 ……遠くで何か、大きな音がする。

 城の一部が崩れたような、そんな音だ。

 それが意味する処は分からなかった。

 分かるのは、それがレックス達が戦ってる方から響いて来た事。

 一度だけ鳴動した後は静かになった事だけだ。

 不安が無いワケじゃない。

 しかしオレの方も他を心配してられる程の余裕がなかった。

 

「ハハハハハ! 待てよ定命モータル!」

「うるせェよ誰が待つか!」

 

 ゲラゲラと笑う声に対し、オレは反射的に叫び返す。

 迷路のように曲がりくねった《天空城塞》内部の通路。

 其処を《金剛鬼》に抱えられて疾走する。

 前には糞エルフことウィリアムが。

 オレの直ぐ傍には姉さんが走っている。

 走る。少し前まではカエルみたいな真竜と戦ってた。

 ソイツはウィリアムの奴が顔面をぶった斬ったら驚いて逃げ出した。

 そこまでは良かった。

 一先ず目の前の奴は追い払ったし、レックス達の方は大丈夫かと。

 そう考えた矢先に、再び《転移》が起きた。

 現れたのは更に四匹の怪物。

 背中に色違いの鳥の翼を生やした巨大な女。

 首から上が輝く宝石と置き換わった偉丈夫。

 全身から剣に似た棘を生やしている痩せた男。

 身体をすっぽり覆う外套の下から何本も触手を生やした奴。

 考えるまでもなく、その全員が真竜だった。

 

「逃げるぞ」

 

 真っ白になりかけたオレの頭に、その言葉は強く響いた。

 そして今はウィリアムが言った通りに逃亡中だ。

 どれぐらい走っているかは良く分からん。

 背後には四匹の怪物が追いかけてくる。

 ……正直、こっちが追いつけないほど速いとは思わない。

 けれど真竜どもは一定の距離を保ったまま追ってくる。

 多分、わざとだ。

 その気になればいつでも追い付く事が出来る。

 が、それでは余り面白くない。

 だから敢えて速度を落とし、逃げ惑うオレ達の様子を楽しんでる。

 恐らくそんな処だろう。

 実に胸糞悪い話だ。

 

「オイ、これでどうするんだよ! あの連中、完全に遊んでやがる!」

「そうだな」

 

 オレは思わず先頭のウィリアムに叫んでいた。

 それすら楽しいのか、背後からゲラゲラと下品な笑い声が聞こえてくる。

 ムカっ腹は立つが今は呑み込む。

 ペースを変えずに前を走るウィリアムは、オレの言葉に小さく頷いた。

 そして背負っていた弓をスルリと手に取る。

 何をするのかと、そう思った瞬間。

 

「――ガッ……!?」

 

 後方で短い悲鳴が上がった。

 弓を手にしたウィリアムは、走りながらその場で跳躍。

 一瞬の早業で弓に矢を番えると、空中で後ろの真竜どもを射撃したのだ。

 そして着地すれば速度を落とさず何事もなかったように走り続ける。

 弓って武器自体、オレ自身はあまり馴染みがないが。

 あんな撃ち方もあるのかと、状況も忘れて感心しそうになる。

 

「急げ、少し早めるぞ」

「え、あ、あぁ」

 

 そんなオレにまたウィリアムは短く声を掛ける。

 こっちは《金剛鬼》に任せてるから速度を上げる分には何の問題もない。

 姉さんも平気な顔で此方と並走している。

 しかし、矢を一本撃ち込んでどうにかなるもんとは……。

 

「何だコレは……!?」

「クソッ、早くどうにかしろ!」

「ええい邪魔だ! どけっ!」

 

 と、何やら後方が別の意味で騒がしい。

 振り向いてる余裕は余りないので、一瞬だけ其方を見る。

 オレ達を追いかけていたはずの四匹の真竜。

 ソイツらが足を止めて、何か白いモノと相対していた。

 それが何なのかまでは本当に一瞬だったので良く分からない。

 確かなのはウィリアムが何かをして、追っ手の真竜を足止めした事だけだ。

 

「今のは?」

「手品だ。つまり種は教えられん」

 

 率直に聞いた姉さんに、ウィリアムはやっぱり淡々と応えた。

 手品、手品か。言い得て妙な気はする。

 コイツはこの手の技は幾つも隠してそうなイメージがある。

 或いは相手にそう思わせる事がこの男の戦略なのかもしれない。

 油断ならないと印象づければ、相手は勝手に警戒する。

 酒宴の時のゲマトリアなんてその典型だろう。

 ……うん、やっぱ性格悪いわコイツ。

 

「とはいえ、手品は所詮子供騙しだ。

 足止め程度は出来てもそれが限度だ」

「何か考えがあるなら伺いたいですね」

「主人やあの男が心配なのは分かるが、そう逸るな」

 

 そう言われて、冷静に見えた姉さんがぐっと言葉に詰まった。

 まぁ、そりゃ心配だよな。

 正直あのゲマトリアは、これまで戦ったのと比較しても相当ヤバい。

 態度や言動はふざけてるが、オレじゃ理解が及ばない程度には怪物だ。

 レックス達でもアレは本当に勝てるのか……。

 

「勝つのは難しいだろうな」

「オイ言い方」

「事実だ。あの男は強いが、敵は仮にも大真竜の一柱だ。

 その末席に過ぎず実態が真竜を騙る古竜に過ぎなくともな。

 実力無しで名乗れる程に頂点の座は軽くはない」

「…………」

 

 この男の、糞エルフウィリアムの言う事はいちいち正しい。

 正しいからこそ聞いてて腹も立つんだが。

 

「勝つのは難しい。

 ――が、アレも容易く死ぬほどヤワな男でもあるまい」

 

 本当に、コイツは正しい事しか言わない。

 恐らく安心させようとかそんな気は微塵もないはずだ。

 ただ純粋に自分の中にある「真実」を口にしているだけで。

 

「気にするなとは言わんが、意識は此方に向けておけ。

 繰り返すが、今出来たのは足止め程度。

 程なくあの連中は追い付くだろうし、別口が現れる可能性もある」

「……そうですね。失礼しました」

「俺相手に畏まる必要はないぞ。

 今はたまたま協力しているだけの間柄だ」

「では、そのように」

 

 今のは多分、ウィリアムとしては冗句のつもりな気がする。

 姉さんには伝わってないだろうし、オレも反応してやらないけど。

 渾身の冗談が滑ってもウィリアムは気にしなかった。

 走りつつ、調子を変えないままに話を続ける。

 

「話を戻すが、これからどうするか。

 レックスの奴に言った通り、この城塞の中を探索する」

「……できんのか、ソレ?」

「できるできないではなくやるだけだ」

 

 真竜連中に追い回されて、あのヤバい大公もいつ現れるか分からない。

 そんなオレの不安をウィリアムは強い言葉で撫で切りにする。

 

「勝算は少ないがゼロではない。

 ゲマトリアは強大な竜王だが無敵ではない。

 必要なのは情報を集める事だ。

 オレ達は奴について知らなさ過ぎる。

 知らないままでは勝てる戦を勝つのは難しい」

「……確かに、言う通りか」

 

 ウィリアムの言葉に姉さんは小さく頷いた。

 オレもその通りだとは思った。

 言ったのがウィリアムなせいか、イマイチ気分がアレだが。

 言葉の内容自体はまったく正しい。

 ゲマトリアの目標ターゲットはレックス達の方だ。

 追ってくるのが他の真竜だけの間に、出来るだけの事はしなければ。

 

「それで何か分かれば、アイツがぶっ殺してくれる。

 いつもそんな感じだもんな。

 だから大丈夫だと思うぜ、姉さん」

「あぁ、イーリスの言う通りだな。

 であれば私達は、私達の出来る事をやろう」

 

 そう言って姉さんは微笑んだ。

 その表情からは大分不安が薄らいでいるように思えた。

 

「纏まったか?」

「あぁ、手間取らせて悪ィな」

「別に問題はない」

 

 こっちはこっちでもニコリともしないな。

 いや普通に笑うウィリアムとかあんま想像できんけども。

 むしろ微妙に気持ち悪いな。

 

「どうした」

「イヤなんでも」

「そうか。なら今後の行動方針についてだが」

 

 ごく自然と仕切るポジションに入るウィリアム。

 オレも姉さんも特に異論は口にしない。

 気に入らない事は多いが、こういう場合は頼りになるのも確かだ。

 少なくともレックスは信頼しているように思う。

 言ったら絶対に否定するだろうけどな。

 

「先ず前提として、俺の身に何があろうと構うな。

 どういう状況であれ無視して、自分達を最優先に考えろ」

「ええ、それは勿論」

「言いたい事は分かるけど、そんなん自分から言い切って良いのかよ」

「問題ない、ただの優先順位の話だ」

 

 危なくなっても自分は見捨てて問題ないと。

 ウィリアムは何でも無い事のように言ってのける。

 そりゃ、姉さんの命と自分の命。

 その二つをウィリアムと秤に掛けるのなら答えは明白だ。

 ウィリアムがヤバい状態に陥ったとしても、こっちが命を懸ける義理は余り無い。

 協力している以上、できる事は当然した上での話だが。

 しかしウィリアムの口ぶりはそれすら不要と言ってるように聞こえる。

 ……いや事実、そう言ってるんだコイツは。

 

「……であれば、逆も然りでしょう。

 此方の危機に対して、貴方が命を張る必要はない」

「いいや、それは違うな」

 

 姉さんの言葉にウィリアムは首を横に振った。

 てっきり「当然だ」とか真顔で言うかと思ったんだが。

 

「俺が勝手に死ぬ分には俺個人の責任だ。

 しかしお前達に万が一があれば、あの男から恨まれるかもしれん。

 可能な限りそれは避けたいところだ」

「……マジで言ってんのかソレ?」

「なんだ、冗談に聞こえたか?」

「お前の言い方だとマジなのか冗談なのか分かり辛ェんだよ」

 

 とりあえずド直球でツッコんでおいた。

 ウィリアムは「そうか……」と呟くと少し唸ったようだった。

 地味に気にしたんだろうか、良く分からん。

 そのやり取りを聞いて姉さんはそっとため息を吐いた。

 

「真意はどうあれ、素直に受け取っておきましょう。

 だからと言って甘えるつもりも、足を引く気もないですが」

「あぁ、それで良い。

 俺としても若い娘に目の前で死なれるのは避けたい。

 繰り返すが、自分達を最優先に考えろ」

「分かったよ」

 

 今の発言も何処まで本気なのやら。

 追っ手の真竜は遠ざかったようで、通路にオレ達以外の気配はない。

 走る脚音と、言葉を交わす三人の声だけが響く。

 

「前置きが長くなったな。

 俺が探しているのは、この城内でゲマトリアだけが入れる区画エリアだ」

「ゲマトリアだけが?」

「そうだ。この《天空城塞》が奴の根城なら、必ずそういう場所があるはずだ」

 

 緩く首を傾げる姉さんに、ウィリアムは淡々と応える。

 ゲマトリアだけが入れる秘密の場所、か。

 まぁ大真竜の居城なら、そういうのもある気はする。

 問題はその手の部屋があったとして、其処に何が隠されているかだ。

 オレの表情からその疑問を読み取ったらしい。

 ウィリアムは軽く笑いながら。

 

「何があるかまでは、当然俺にも分からん」

「オイ」

「分からんが、探す価値はあるはずだ。

 どの道これは勝ち目の方が薄い勝負だ。

 伏せられた札をめくってみるのも一興だろう」

「……それ完全にダメな勝負師ギャンブラーの台詞じゃねぇかよ」

 

 しかしこの状況自体、分の悪い賭けだと言われたら否定し切れない。

 オレの言葉を面白い冗句とでも受け取ったか。

 ウィリアムは妙に楽しげに笑った。

 

賭博ギャンブルか、確かにそう間違っていないな。

 それならば、今言うべきはあの男の口癖だろうな」

 

 あの男――レックスの口癖。

 これまで何度も聞いた、そしてその度に何とかしてきた言葉。

 姉さんは少し呆れた様子で笑った。

 

「しくじったら死ぬだけ、ですか」

「そうだ。しかし、考えればあの男も大概に無謀な勝負師だな」

「それこそ死ぬほど今さらだろ」

 

 言っててオレも笑ってしまった。

 違いない、とウィリアムも軽く笑いながら応える。

 レックス達がどうなっているのか、考えたらまた不安が過ぎる。

 ――相手はこれまでとは違う。

 ――いいや、だからどうしたよ。

 何だかんだと死にそうになっても、アイツは此処まで何とかして来た。

 だからこっちもできる事をやる。

 そう考えればいつもと同じだ、何も変わらない。

 

「どうやら問題は無さそうだな」

「いちいち人の顔色を読むのヤメロってば」

 

 あと姉さんも走りながら人の頭撫でんな。

 危ねェから前見ろ前。

 

「《金剛鬼》の感覚器センサーを全開にして警戒に当たるわ。

 先導はそっちに任せて良いんだよな?」

「ウェルキンの形見を上手く活用できているようだな、結構な事だ」

 

 それこそ糞エルフにとっては最上級の冗句だったに違いない。

 こっちが全く笑わなかった事は気にせず前を走る。

 姉さんは引き続き、オレをカバーできる距離で殿に着いた。

 今のところ、他に真竜の気配はない。

 

「気を抜くなよ。一つ古い格言を教えてやろう」

「格言?」

「竜の逆鱗を探るな。竜の尾を踏むな。そもそも竜に関わるな、だ」

「……なんだソレ」

「それだけ竜に挑むのは危険という事だ」

 

 竜を殺した男が口にするには、それは余りに皮肉な言葉だ。

 しかしオレ達の状況は正に格言の通り。

 何処にあるかも分からない逆鱗を探して、竜の尾をこれ以上なく踏んづけている。

 だとしても。

 

「やれる事をやるだけだし、しくじったら死ぬだけ。そうだろ?」

「あぁ、その通りだな」

 

 それだけ応えて、ウィリアムは進む先へと意識を向けた。

 ……もしかしたら今の格言云々も、こっちを気遣っての事かもしれない。

 実際は違う可能性もあるが、とりあえず置いておく。

 今はただ、目の前に広がる竜の居城の探索に集中する事にした。

 

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