157話:ゲマトリアの実力

 

 術式によって城の構造を変える事が出来る。

 アウローラとボレアスが確かそんな事を言っていた気がする。

 目の前でその言葉通りに通路が音を立てて変化していく。

 壁や床、天井がまるで飴細工のように捻じ曲がる。

 グネグネと動く様は確かに生き物のはらわたを連想させる。

 

「随分と余裕だな、大公殿!」

 

 鋭く叫び、ボレアスが赤い炎と共に走った。

 変化を続ける床を踏み砕き、伸ばした爪には炎を宿す。

 先程真竜を殴り飛ばした時以上の本気の一撃。

 それは真っ直ぐに、俺の傍に立つ黒いゲマトリアを捉える。

 だが。

 

「――いい加減、学習しましょうよ」

 

 ゲマトリアは嘲りの言葉を囁く。

 直撃すれば城の一撃を砕いただろうボレアスの爪撃。

 それをゲマトリアは片手で止めていた。

 余裕の表情で軽々と。

 ボレアスは本気で力を込めている。

 だがその手首を掴むゲマトリアの細腕はビクともしない。

 

「貴方達じゃあ、勝てないって事をね」

「ッ……!」

 

 俺の剣とボレアスの爪。

 片手でそれぞれ抑え込みながらゲマトリアは笑う。

 ボレアス同様、こっちも可能な限り全力で刃を押し込もうとはしていた。

 しかし動かない。

 大真竜の鱗は竜殺しの剣すら防いでいた。

 俺達が抑えられた時点で、アウローラも動こうとはしていた。

 此方の援護では無く、構造を変化させる城に対して。

 動く通路は明らかに俺達とウィリアムや姉妹を分断するように変化している。

 それを妨害する為にアウローラは術式を展開する。

 が、その目の前に赤色のゲマトリアが《転移》して来た。

 

「駄目ですよ邪魔をしちゃぁ!」

「っ、鬱陶しいわね……!」

 

 掴みかかって来る赤いゲマトリア。

 その手をアウローラの方から逆に掴み返す。

 両者の力は拮抗しているようで、お互いにその場で動きを止める。

 アウローラは構わずに術式を発動させようとしていた。

 これぐらいの妨害では彼女の集中力は阻害されないようだ。

 唇の中で小さく囁いて――しかし、何も起こらなかった。

 何故か発動するはずの術式が砕けるのを俺も知覚していた。

 

「これは……っ!?」

「アハハハハ! 驚きました!?」

 

 動揺するアウローラに、悪戯が成功した子供のように笑うゲマトリア。

 ケラケラと笑いながらガッチリと手を掴んでいる。

 

「これが

 魔法の発動を阻害する力場を広げられるんですよ!

 射程距離は大した事ないですが、この距離ならほぼ完璧に封じられますよ!」

 

 赤いゲマトリアは自慢げに己の能力を語る。

 成る程、そういう能力だからアウローラの魔法が失敗したのか。

 それと今、「赤いボクの能力」とか言ったな。

 此方の視線に気付いたか、黒いゲマトリアの方もニヤリと笑ってみせる。

 

「ご推察の通りですよ?

 五本の首に五つの固有能力ユニークスキル

 ボクが《五龍大公》なんて呼ばれている所以ですね!」

「まぁ実際は自称なんですけどねこの肩書き!」

 

 黒と赤、二匹のゲマトリアがケラケラ笑う。

 今の言葉が正しければ、赤が使う能力は魔法阻害。

 まだ黒は不明だが、警戒をすり抜けて突然現れた事に関係があるかもしれない。

 多少相手の手の内が分かったと素直に喜べたら良いが。

 

「レックス殿……!」

 

 響くテレサの声がもう随分と遠い。

 アウローラが妨害された事で城の変化は止まらない。

 ウィリアムの方は未だカエル似の真竜と戦っている最中だ。

 流石に糞エルフでも真竜相手に独りソロは厳しいはず。

 当の本人は何も言わず、目の前の敵に専念している。

 だからテレサは判断に迷ったようだ。

 イーリスを連れて此方の救援に向かうべきかどうかを。

 俺も迷う暇はなかった。

 

「テレサ、そっちは任せる!」

「ッ、ですが……!」

「こっちはこっちで何とかする!」

 

 少なくともゲマトリアの関心は此方に――正確には俺に向いている。

 向こうがノーマークになる事は無いだろうが、此方よりはマシだろう。

 後はまぁ、不安要素の方がデカいがウィリアムもいる。

 この状況であの糞エルフが特に目立ったアクションも起こしていない。

 そうした方が都合が良い何かがあると、そのぐらいの想像は付いた。

 まぁ考えすぎの可能性もあるが、それはそれだ。

 

「……分かりました、ご武運を!」

「あぁ、後でな!」

 

 その言葉を最後に、落ちて来た分厚い壁が変化の完了を告げた。

 すっかりと形を変えてしまった通路の真ん中。

 黒いゲマトリアはニタリニタリと笑う。

 

「いやぁ、カッコいいですねェ! けど分かってますか?

 分断したのは貴方達が脅威だとか、そういう話じゃ全然ありませんよ?」

「本命以外には用がないってだけだろ?」

「その通りで御座います!

 雑魚にチョロチョロされても面倒なだけですからね!」

 

 余裕を見せつけるように、ゲマトリアは仕掛けて来ない。

 俺とボレアスを片手で抑えたままの状態でただ嘲笑い続ける。

 

「後はまぁ、ボクも宴の主催者ですし?

 折角集まった下の連中を楽しませるのは義務ですよね?」

「成る程な」

 

 つまり、他の真竜どもは向こうに対してけしかけると。

 敢えてそれを伝える事で、こっちを精神的に嬲るつもりだったんだろう。

 反応リアクションが薄い事がご不満なようで、大公閣下は微妙に眉をひそめた。

 

「何ですか何ですか、もうちょっと言う事は無いんですか?

 それとも意外に薄情だったりします?」

「まぁ情熱的なつもりはあんまりないけどな」

「コイツは大体いつもこんなものだぞ」」

 

 理解度の高いボレアスさんが愉快そうに笑う。

 それに、だ。

 

「テレサは強いし、イーリスは頑張れる奴だからな。

 色々あるけどウィリアムの奴もいる。

 ――だったらまぁ、雑魚が群れるぐらいは何とでもなるだろ」

 

 心配ではあるが、思うところはそれぐらいだ。

 きっと何とかするだろう。

 駄目なら駄目でその時はその時だ。

 

「……宴の席でも思いましたけど。

 思った以上に面白い人間ですね、貴方は」

 

 相変わらず、ゲマトリアの表情は笑みのままだ。

 けれど声の調子は少し変わった気がする。

 嘲りを多く含んだ感情から、言葉通りの好奇心に。

 後は何処か、過去を懐かしむような。

 

「嗚呼、おかげでますます欲しくなって来ましたよ。

 やっぱりボクが真なる竜となる為には、その魂が必要だ!」

「それはお断りしただろ……!」

「拒否権なんてあるワケ無いでしょ!」

 

 垣間見た何かは直ぐに消え、ゲマトリアはまた悪童のように笑い出す。

 態度はふざけ切ってるがさっきから全く隙がない。

 いや敢えて隙らしいモノは見せて来ている。

 引くのも押すのも出来そうだが、その後がどうなるか。

 恐らくわざとこっちから仕掛けさせて、その上で叩き潰す腹積もりだろう。

 ボレアスもそれを察してか動くに動けない様子だ。

 酒宴で激昂した時とは違って、ゲマトリアは完全に余裕の構えだ。

 ただジリジリと、剣と噛み合っている腕に力を入れてくる。

 

「さぁ、何時までも睨めっこしてて良いんですか?

 ボクは別にどれだけ時間をかけても構いませんけど」

 

 黒いゲマトリアは身動きの取れない俺を嘲る。

 其方から意識を外さぬようにしながら、チラリと視線をアウローラに向ける。

 そっちも状況としては似たようなものだ。

 アウローラは嘲る赤いゲマトリアと掴み合った状態で動けない。

 動けない――本当か?

 喋りたくるゲマトリアに対し、彼女は口を噤んだまま。

 術式の行使は魔法阻害で封じられ、腕力でも押し切れない。

 一見すれば手も足も出ない状態だが……。

 

「――――」

 

 こっちの視線に気付いたか。

 アウローラの方も一瞬だけ此方を見た。

 時間にすれば一秒に満たないが。

 それだけで何かをするつもりである事は理解出来た。

 だから俺は迷わず行動に移る。

 

「むっ……!?」

 

 全身をバネのように動かし、ほんの少しだけゲマトリアの腕を弾く。

 同時に蹴りを叩き込むが、此方は大して効果は無かった。

 小柄な少女の見た目とは裏腹に、蹴った感触は巨木のそれだ。

 大地に根を下ろしているかのようにビクともしない。

 だが反動で僅かに間合いを離す事には成功した。

 俺の方に気を取られた一瞬の隙を突き、ボレアスもまた一端距離を取る。

 どうやらあっちもアウローラの意図に気付いたらしい。

 ほぼ同時に離れた俺達に対し、ゲマトリアもまた即座に反応する。

 逃がさないと、自ら口にした言葉を証明する為に。

 その手が俺とボレアスに向けて伸びた――その瞬間。

 

「ガァ――――ッ!!」

 

 普段は絶対に出さない、獣に近い咆哮。

 事前に分かっていなければアウローラの声とは思わなかったかもしれない。

 声と共に発せられたのは青白い輝き。

 その色はテレサが良く使う《分解》の魔法に似ていた。

 放たれた光は先ずアウローラの正面にいる赤いゲマトリアを直撃する。

 強烈な熱と衝撃に悲鳴を掻き消されながら吹き飛ぶ。

 更に放つ閃光を横薙ぎに払い、その軌道上にいた黒いゲマトリアを捉えた。

 

「なッ……!?」

 

 一瞬踏み止まるが、その結果は赤い方と同じだ。

 閃光は余波だけでも通路の一部を粉砕しつつ、黒いゲマトリアをぶっ飛ばした。

 赤も黒も、どっちのゲマトリアも光に薙ぎ払われて瓦礫に沈む。

 ぶっちゃけこっちも危うく吹き飛ばされるところだった。

 何とか紙一重で回避し、無事だった床の上を思いっ切り転がる。

 ボレアスも似たような様だが、こっちは床にべったりと這い蹲っていた。

 

「ッ、は……ぁ……!」

 

 ゲマトリアを蹴散らしたのを確認してから、アウローラは苦し気に息を吐いた。

 赤い奴の魔法阻害を受けた状態で放った今の大技。

 

「今のは《吐息ブレス》か?」

「ええ、そうよ。正直、あんまり使いたくはなかったのだけど」

 

 細い指で自分の喉を抑えつつアウローラは小さく笑った。

 彼女も《古き王》である以上、《竜王の吐息ドラゴンブレス》は当然使えるよな。

 これまで一度も使ったのを見た覚えがないのでちょっと驚いた。

 僅かな時間で通路の半分以上を砕いた様を見て、ボレアスは目を細めて笑う。

 

「流石よな、長子殿。

 竜の中で誰よりも魔導に精通しているだけではない。

 吐き出す《吐息》の威力もまた、兄弟姉妹の中でも最上位であったからな。

 衰えたりとはいえ凄まじい威力よ」

「……今の状態で使うのは負担が大きいし、何より威力がね。

 だから出来れば使いたくはなかったのよ」

 

 理由はそれだけじゃないけど、と。

 そんな言葉を小さく呟き、アウローラは自らが刻んだ破壊の痕跡を見た。

 

「魔法を阻害する異能――確かに厄介ではあるわね。

 推測だけれど、恐らく触れた魔力の流れを乱す力場を発しているのでしょうね。

 術式は発動する為に魔力を『外』に向けて展開する必要がある。

 だから力場に触れた魔法は正しく効果を発揮しないままに消えてしまう」

 

 種を明かすように語るアウローラ。

 それに反応する形で瓦礫の一部が動いた。

 

「けれど魔力を乱し阻害してしまうから、逆にそれらの感知が難しくなる。

 全然気付いていなかったでしょう?

 私が黙っている間、《吐息》を放つ魔力を体内で練っていたなんて」

「……確かに、ボクの油断ですね。

 力場で阻害出来るのは、まだ『加工』されてない魔力の状態だけ。

 既に身体の内で現象として完成してる《吐息》までは防げない。

 油断――いえ、流石は《最強最古》と言うべきですか?」

「別にお世辞なんてどうでも良いわ。特にお前のはね」

 

 瓦礫を退けて……いや、すり抜けて。

 赤と黒、両方のゲマトリアがゆるりと立ち上がった。

 身体は焼け焦げているようだが、然程大きな負傷(ダメージ)には見えない。

 さっきのが直撃してもこの程度とは恐れ入る。

 それと今、ゲマトリアの身体が瓦礫を貫通したっぽいが。

 

「成る程、突然現れた種はソレか」

「どういう事だ?」

「奴自身が語っていた通り、この城はあの大公閣下の腹の中。

 魔力を通して構造が弄れるのなら、壁や床の中を移動する事も容易かろう。

 つまり奴は、通路など使わずとも城の中なら好きに動けるワケだ」

 

 単純そうに見えて意外と芸が細かいな《五龍大公》。

 ボレアスの口にした説明を、ゲマトリアは特に否定しなかった。

 その態度はあくまで余裕で満ちている。

 

「まー今のはちょっとビックリしましたけど、所詮はそれだけ。

 諦めて降参してくれると嬉しいんですけどねぇ?」

「そっちこそ余裕な空気出してて良いのか?

 このまま首二本でやるつもりかよ」

「貴方達をボコボコにするなら二本もあれば十分って事です」

 

 剣を構え直す俺に対し、黒いゲマトリアは軽く両手を広げる。

 ほんの僅かにだが、纏う空気が変わった気がした。

 

「そう、二本で十分ですが――ちょっと舐め過ぎたのも事実。

 だから此処からが『本番』ですよ?」

 

 気取った口調で嘯くゲマトリア。

 その言葉と共に、黒い方の両手が炎に包まれる。

 普通の炎とは異なり、それは赤ではなく漆黒の色で輝いていた。

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