126話:剣魔の業

 

 ちょっと森へ散歩に来ました――ドロシアの佇まいはそんな感じだ。

 しかし傍から見て纏う空気は尋常じゃない。

 普段からして血の匂いをほのかに漂わせてる手合いだ。

 それが戦場に立った時はどうなるか。

 ――これまで「」と思った相手は幾らでもいる。

 しかし竜でもない人間相手に「」と感じたのは稀だ。

 分厚い死の空気を纏うドロシアは、朗らかにこっちに手なんぞ振ってくる。

 と、見えた瞬間にはいつの間にか目前まで迫っていた。

 

「――――ッ!!」

 

 ビリビリと頭の中を電撃が走るような感覚。

 その直感に従って横っ飛びに躱す。

 髪の毛一本分ぐらいの差で、俺がいたはずの空間を「何か」が過ぎた。

 空気すら断ち割ったんじゃないかと、そう錯覚しそうな斬撃。

 ぶらりと無造作に下げたドロシアの剣が揺れるのまでは見えていた。

 しかしどのように剣を振るったかまでは認識出来ない。

 

「よっと」

 

 そして当然、一度避けたぐらいじゃ終わらない。

 死の風が吹き荒ぶのを、俺は跳ねるように回避し続ける。

 避け切れずに何度か鎧を削られた。

 ……攻撃の出所が見えないのは、単にドロシアの剣が「速い」からだ。

 其処までは分かる。

 しかしこうして実際に攻撃に晒された上で、不可解な事があった。

 何度目になるか分からないドロシアの剣風。

 やはりしっかりとは見えないまま、俺は勘だけで回避と防御を繰り返す。

 認識外からの斬撃を剣で防ぎ、それと同時に地面を転がる。

 瞬間、鎧を硬い爪が引っ掻いたみたいな耳障りな金属音が響く。

 それも三つ四つ、全く異なる箇所からだ。

 ――ドロシアが手にした剣は一本。

 にも拘らず、一度に複数の剣撃が同時に襲って来る。

 多分だが四つか五つ。もしかしたらそれより多い可能性もあった。

 

「……うん、やっぱり凄いな。

 これだけ死なないって時点で稀なのに、もしかしてもう気付いてる?」

 

 世間話でもしてるみたいな軽い調子でドロシアは俺に語り掛ける。

 そうしている間も攻撃の手は一切緩めてくれないが。

 

「まぁ、多分だけどな!」

「十分凄いよ。大抵の相手は何も分からないまま死んじゃうから」

 

 こっちは避けるのに必死で、あんまり応える余裕ないんだけどな。

 そんな様子が面白かったのか、ドロシアは童女のようにクスクスと笑った。

 半森人だからそれなりにお歳っぽいが、まぁ可愛らしくはある。

 死神の鎌も同然に振り回される剣に可愛げは一切ないが。

 

「で、手品の種を教えてくれる流れかっ?」

「うーん、それは別に構わないけどね」

「構わないのかよ」

 

 攻防と呼ぶには一方的な戦い。

 しかし回数を重ねれば、俺も多少なりとも慣れては来た。

 無造作にぶら下げているようにしか見えなかったドロシアの剣。

 それが「技」に入る前兆は何となく分かって来た。

 まだ斬撃そのものは良く見えないが大分マシではある。

 複数同時に飛んでくる剣も、狙いが俺である以上は軌道は限定される。

 あとは勘と気合いで捌いていく。

 まぁ死なないのが精一杯で、とても反撃する余裕は無いけどな!

 割と修羅場なこっちの胸中などお構いなしに、ドロシアは実に楽しそうだ。

 機嫌良さげに笑いつつ、繰り出される死の風は止む気配がない。

 それから必死に逃げ続ける俺に向けて、ドロシアは言葉を続けた。

 

「――ま、

「マジで??」

「うん、魔法とかそういうんじゃないよ?

 随分長く斬って来たけど、気付いたら出来るようになってたんだよね」

 

 これ、と。

 殊更強調するように、見えない斬撃の群れが吹き抜ける。

 魔法とかそういう小細工抜きに、単純に「技」として斬撃が増えるとか。

 なかなか無茶苦茶な事を言ってくれる。

 剣士――いや「剣魔」の業とでも呼ぶべきか。

 それで少し思い出したのはウィリアムの事だった。

 アイツも何か魔法抜きで飛ぶ斬撃とかやってきたな、そういえば。

 などと考えてる間も動きは止めない。

 少しでもミスれば首や鎧の間接から刈り取られる。

 まぁ種も仕掛けも無いならそれはそれ。

 兎に角、まともに喰らう事だけは避ける必要があった。

 彼我の距離は離れすぎない程度を維持する。

 いや単純に、それ以上は踏み込めてないだけではあるが。

 逆に間合いを離して魔法で攻撃するのもちょっと考えはした。

 しかし直ぐそれは悪手であると直感する。

 ドロシアの剣が届く範囲は、恐らく今見ているよりずっと広い。

 下手に後ろに退いた場合、あっという間に膾切りにされる可能性は十分ある。

 

「まぁ年の功って奴かな? いや別に年上アピールするワケじゃないけどね?」

「ちなみに実際幾つぐらいなんだ?」

「お、仮にも乙女レディに対して直球で来るね。

 別に構わないけど、実はちゃんと数えて無いんだよ。

 少なくとも百は超えてるはずだけど」

「半森人だもんなぁ」

 

 見た目は十代で通じそうなぐらいだが。

 話している間も、絶え間なく襲って来る不可視の斬撃。

 ちょっとずつ慣れて来たはずだが、それでも防ぐのがやっとだ。

 気のせいでなければ、剣速が上がってる気がする。

 ついでに「全く同時」だった斬撃も、タイミングが微妙にズレ出している。

 どうやら相手も簡単に突破させる気は無いようだ。

 

「ところでさ」

「うん?」

「君の方は幾つなんだい? 声からして若そうだけど、その恰好だからさ」

「まぁ分からんよな」

 

 全身甲冑+兜で露出度ほぼゼロだ。

 無数の斬撃を無限に弾き続ける地獄の只中。

 そんな世間話してる状況じゃない気もするが、まぁ良いだろう。

 

「さんぜん」

「うん?」

「だから、さんぜんさいとちょっと。

 俺も正確に数えたワケじゃないから大体だな」

「……そういう冗談かな?」

「いやマジマジ」

「君、人間だろう?」

 

 まぁそういう反応になるよな。

 そもそもさんぜんねんは死んで生き返るまでの期間だ。

 それをイコール年齢と言って良いかは割と謎だ。

 でも別に嘘ではないしな、ウン。

 半ばぐらいは本気の発言なのは伝わったようで。

 ドロシアはクスクスと楽しげに笑う。

 

「それが本当なら、君は私より随分年上になるけど」

「まーどっちが上とかあんま関係ないだろ」

「いやいや、そうでもないよ」

 

 さっきまでとはちょっと雰囲気が異なる意味深な笑み。

 それに合わせて見えざる剣が勢いを増した。

 速度や鋭さだけじゃない。

 一度に襲って来る剣閃の数が、五から七ぐらいにいきなり増えやがった。

 しかもこの感じだとまだ余力があるな……!

 

「私――いや、“僕”はこれで年上が好みなんだ」

 

 初耳な情報を口にしながら、ドロシアの攻め手が過熱する。

 一応見えていた「技」の前兆も霞がかる。

 吹き荒ぶ風は鎧の表面を削り、更に間接の隙間にも入り込んで来た。

 うーん、コイツはキツい。

 がんばってはいるがジリジリと圧され始める。

 単純な技量差が大きい。

 今は致命傷だけは確実に避けられるよう防御に専念する。

 亀になった俺に対しても、ドロシアは笑みを崩さない。

 

「凄いな、ここまで梃子摺るのはちょっと記憶にないよ!」

「だろうなぁ……!」

 

 こんだけ腕前が滅茶苦茶なら、苦戦する相手すら滅多にいないだろ。

 俺も竜以外の相手でこんだけしんどいのは初めてだ。

 負けるつもりは毛頭ない。

 が、勝機はまだ見出せずにいる。

 今は兎に角耐え続けて――。

 

「キエエエェェェ――――ッ!!」

 

 大気を震わせる雄叫び。

 俺にのみ刃を向けていたドロシアに鋼の塊が突っ込んだ。

 それはゲオルグだった。

 こっちも意識する余裕がなかったが、巻き添えで死んではいなかったらしい。

 片腕と戦斧を失っても戦意は僅かにも衰えていない。

 無事な腕に予備の剣を抜き放ち、怖れも見せずドロシアに挑みかかる。

 そんな鉱人の特攻に視線の一つも寄越さずに。

 ドロシアの放つ死の風だけがゲオルグを撫でた。

 

「ガッ……!?」

「捨て身ぐらいで届くと思ったかい?」

 

 頑強な五体も分厚い装甲も纏めて斬り裂かれる。

 薄紙の如く払われるゲオルグ。

 だが当然、それは無策の突撃などでは無かった。

 

「っ、頼んだぞ……!」

 

 力尽きる寸前、ゲオルグは血の混じった声でそう呟く。

 それとほぼ同時に、殆ど音も気配もなくドロシアに迫る巨影。

 身体に幾つも刀傷を受けながら拳を振り上げるゴライアス。

 どうやら隠形の技術も持ち合わせていたらしい。

 気合いを声として吐き出す事もなく、ただ殺意を拳の形に固めている。

 傍から見ても完全に不意を突いた形だ。

 俺もギリギリまで気付かなかったし、恐らくドロシアも同じだ。

 しかし。

 

「うん、惜しいね」

 

 それでも、その剣の方が僅かに速い。

 放たれた拳は無慈悲に断ち斬られ、ドロシアの命までは届かない。

 岩の肌も彼女の剣の前では生身と変わらないようだ。

 拳を切り裂くのと同時にゴライアスの喉元も裂かれていた。

 敵意と殺意を漲らせてはいるが、致命傷だ。

 そして俺も、二人が殺られるのをただ眺めてはいられない。

 ドロシアの剣がゲオルグ達に向いた隙を突く形で、開いていた間合いを詰める。

 ようやくこっちの剣がまともに届く距離だ。

 ゴライアスを斬り殺したばかりのドロシアに全力で打ち込む。

 大上段からの一撃、それをドロシアは剣の表面で受け流す。

 見た感じ、彼女が持っているのは業物ではあるが特別な剣ではない。

 細身の刀身は俺の剣ならば容易く圧し折れるはずだ。

 それはドロシアも理解しているようで、渾身の一刀を鮮やかに捌いてみせた。

 うん、やっぱり凄い腕前だな。

 

「ハハハッ! 今のはちょっと危なかったな!」

 

 本当にちょっとだけな感じだが。

 心底楽しそうに笑うドロシアに、俺は更に剣を振るう。

 少しでも攻め続けないと、またさっきみたいに攻撃密度で一方的に押し込まれる。

 ドロシアは軽い動きで俺の剣を流しつつ、同時に反撃まで食らわしてくる。

 流石に防ぎながらでは手数は減っているが、それでもキツい。

 鎧が特別製でなかったら、とっくの昔にバラバラにされてもおかしくない。

 何とか踏ん張って、俺は再びドロシアに意識を集中した。

 

「――――!?」

 

 直後、「ソレ」は起こった。

 拳と喉笛を斬り裂かれ、戦闘不能となったゴライアス。

 それでも直ぐには倒れずに、岩人はドロシアへと殺意を向け続けていた。

 仮に最後の力を振り絞っても自分には届かない。

 ドロシアはそう判断し、ゴライアスの方は見ていなかった。

 ただ俺の方は、角度的にそれが見えた。

 血に塗れ、その眼に殺気を燃やしながらも笑うゴライアスの顔が。

 その口が「くたばれ」と、声を伴わずに語ると同時に。

 岩人の胸辺りがいきなり

 真っ赤な血が派手に飛び散り、ゴライアスの身体を「何か」がぶち抜く。

 それは一本の矢だ。

 ゴライアスの身体を背中からぶち抜く形で撃ち込まれた矢。

 放ったのが誰かなんて考えるまでもない。

 岩人の巨体を物理的な遮蔽に、燃える殺気に射手の殺意を紛れさせて。

 その矢は今度こそ、完全な形でドロシアの不意を突いた。

 

「何……っ!?」

 

 俺との攻防に専念し始めた直後だったのも大きい。

 壁代わりにしたゴライアスを貫いた事で、威力はかなり落ちていたようだが。

 それでも剣と剣の隙間を抜けて、その矢はドロシアの右肩に突き刺さった。

 

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