幕間1:学園長の思惑
――其処は、この《学園》と呼ばれる都市の深奥。
余人には決して辿り着く事の出来ない場所。
永遠の暗黒のようであり、無限の星々を散りばめた海のようでもある。
見る者によってその姿を変える空。
その不可思議な夜を歩む者の姿があった。
真っ赤なドレスを身に纏った、金色の髪と瞳を持つ少女。
正確には、少女のような姿を持っているだけの怪物。
盟約の礎である七柱の大真竜。
その末席に名を連ねる《五龍大公》ゲマトリア。
首の一本である赤い娘は、やや面倒そうにため息をこぼす。
「もーちょっと行き易ければ良いんですけどねぇ」
ゲマトリアが一歩踏み出す度に、その足元に透明な階段が現れる。
硝子の板のような頼りないその足場を、慎重に踏んでいく。
下っているのか、上っているのか。
その認識も曖昧になりそうだが、そう考える事自体が無意味だ。
此方はただ、用意された道を進むだけで良い。
それさえ正しく認識していれば問題ない事を、ゲマトリアは理解していた。
一瞬にも、永遠にも思えるような時間。
どちらも錯覚で、やがて望む場所に彼女は辿り着く。
夜の海の底。星々が最後に落ちてくる場所。
幾つもの機械のようなモノが置かれた、異様に広い空間。
全体の雰囲気としては「実験室」と呼ぶべきだろうか。
目的地に到着した事に、ゲマトリアは少し安堵した。
――何度やっても、不慣れなモノは不慣れですからね。
大真竜の一角ともあろう者が迷子になりました、では示しが付かない。
そんな内心は(本人なりに)表に出さず。
「――御機嫌よう、『学園長』。調子はどうですか?」
いつもの如く余裕ぶった態度で声を掛ける。
ゲマトリア以外には誰もいない実験室。
暫しの間を置いてから、ようやく反応が返って来た。
『……おや。これは《大公》閣下。
今日は訪問の予定など無いと記録していましたが』
ゆっくりと。
空間の中心から滲み出るように「ソレ」は現れた。
人の姿をしているようで、定まった形など持たないようにも見える。
曖昧であやふやな不定形な存在。
語る声に関しても同じだ。
男のようにも女のようにも、或いは子供や老人の声にも聞こえる。
一秒毎に見た目と声の印象が目まぐるしく変化する。
そんな奇怪な人物に対し、ゲマトリアは別段気にした様子もない。
既に慣れていると言わんばかりに胸を逸らして。
「いやぁ、ちょっと急用でしてね!
もしかして『実験』のお邪魔しちゃいましたか!?」
『そうですね。基本的に普段は常に「実験」に時間を費やしていますので』
「あっれ其処は遠慮して『そんな事はありませんよ』とか言うところじゃないですか!?」
不定形の人物――「学園長」の対応もまた慣れたものだった。
自身の上位者であるゲマトリアも特に恐れた様子はない。
ただ機械的に対応しているという印象だった。
流れでお道化た態度を見せてから、大真竜は一つ咳払いをする。
それからなるべく真面目な表情を作り直して。
「まぁ貴方がボク程じゃないにしろ急がしいのは分かってますよ。
けどこれは緊急の案件なので勘弁してください」
『用件を伺いましょう』
「この都市に、《最強最古》が侵入した可能性があります」
その言葉に、「学園長」は直ぐには反応を返さなかった。
長くこの怪人物と接して来たゲマトリアにとっても、それは稀有な事態だった。
また暫しの沈黙。
その後、「学園長」は顔――それを顔と呼べるものならばだが――を上げて。
『……《最強最古》について、《大公》閣下はご存じなのですか?』
「すいません、実は全然知らないんですよ!」
『そうでしょうね。
彼の竜王は、貴女が生まれる前には既に消息不明でしたから』
あっさり認めるゲマトリアに、「学園長」は呆れた様子もなかった。
あくまで事務的、かつ機械的に。
『既に他の大真竜の方々から説明を受けたかもしれませんが。
かつて存在した偉大なる《古き王》。
二十柱の竜王達の長子が持っていた多くの異名の一つですね。
その呼び名の通り、全ての古竜の頂点に立っていた恐るべき存在です。
凡そ三千年ほど前から活動が確認されなくなり、何処かで滅んだとするのが定説でした』
「良くご存じですねぇ」
『あくまで知識、記録としてですが。
この《学園》は知識の集積所であり、教えを施す場所。
これぐらいの情報であれば直ぐに閲覧可能です』
「まぁ、その辺の話はどうでも良いんですが」
よいしょ、とわざわざ物を横に置くジェスチャーをするゲマトリア。
「学園長」は何も語らない。
続く上位者の言葉を、予測しながらも待つだけ。
「その《最強最古》とやらの生存が、最近確認されました。
同じ大真竜の一柱が接触したようなので、ほぼ間違いないかと」
『成る程。それが何故、この《学園》に?』
「確認された場所と距離的に一番近いですからね、此処が。
なので入り込んでる可能性が高いかなーと」
『この都市の堅牢さに関しては、《大公》閣下が良くご存じかと』
「ええそりゃあ勿論! 何せボクとコッペリアが共同で構築しましたからね!」
ゲマトリアはこれ以上無いしたり顔で頷く。
実際、彼女はこの《学園》の護りに関しては絶対的な自信を持っていた。
故に今回の事も、ただ「念の為」の警告に過ぎない。
本当に侵入しているとは思っていないが、この都市は稀少な価値を持つ場所。
それに万が一が無いよう、注意を促しに来たのだ。
「学園長」もそれを理解していた。
だからこれに関しては「余計な事」を言わず、ただ頷くだけ。
『ええ、《大公》閣下の仰る通り。
無理に侵入するつもりであれば、最低でも貴方ぐらいの力が無ければ不可能。
正規の手続き以外は、内側から招き入れられない限り無理でしょうね』
「ええ、ええ、全く貴方の言う通り。
そしてこの貴方がそんな真似を許すはずありませんし、問題ありませんね!」
『ええ、「実験」の妨害になる要素は見逃しませんよ』
これに関しても、ゲマトリアは一点の曇りも無く信用していた。
「学園長」がこの都市を滞りなく管理する限り、例え大真竜であっても不可侵。
直接の上位者であるゲマトリアでもそれは同じだ。
それがこの《学園》の恩恵を最大限に受ける手段と納得し、そう契約した。
――盟約の礎である大真竜達は上昇志向に乏しい。
と、言うより既に強さは極まっている為、それ以上を望む必要はないのだ。
だがゲマトリアは違う。
彼女は自分が成長途上だと思っているし、「頂点に立つ」という野心がある。
それは古竜側から真竜に寝返った今も変わらない。
他の大真竜達は盟約の同志ではある。
その強大さも含めて、彼らと敵対する気は毛頭ない。
だがそれとこれとは別次元の話だ。
上を目指すという行為は、ゲマトリアにとって本能に近かった。
「貴方はボクの為に知識を収集し、それを元に人材を育成する。
ボクは盟約の名で不可侵を約束し、貴方はこの《学園》で『実験』を続ける。
いつものように確認しますが、契約に間違いはありませんね?」
『勿論です、《大公》閣下。
お互いの利益の為に相応しい行いをする。
正しい協力関係ではないかと』
淡々とした答えだが、内容に関しては不満は無かった。
ゲマトリアは鷹揚に頷いてから、そろそろ立ち去る事を考えた。
自分は他の大真竜と比しても多忙の身だ。
首が五本あってもなかなか回らない。
この《学園》は確かに稀少だが、他に同じくらい重要な拠点は幾つもある。
それらの確認も行わねばならない。
ゲマトリアは《最強最古》の事は知らない。
けれど他の大真竜達の警戒度は軽く見ていなかった。
『――お待ちを、《大公》閣下』
が、去ろうとした寸前。
意外にも「学園長」の方が呼び止めて来た。
互いに寸暇も惜しい身、普段は用件が終わればすぐに立ち去るのが常だ。
これは非常に珍しく、ゲマトリアは首を傾げて振り向いた。
「おや、何か他に用事がありましたか?」
『いえ、懐かしい名前も出たので、一つ気になっていた事をお伺いしようかと』
「それは《最強最古》と関係のある事ですかね?」
『あるかもしれないし、ないかもしれません。
少なくとも、この質問は単純に好奇心から来るものです』
この「学園長」にしては、酷く迂遠な物言いだ。
それもまた稀有な事で、ゲマトリアも好奇心が頭をもたげて来た。
「で、何ですか? わざわざこのボクに聞きたい事と言うのは」
『千年前の事です』
淡々と。
感情の混ざらない無機質な声で、「学園長」はその言葉を口にした。
その瞬間に、場の空気が変わった。
何もかも曖昧だった世界が、まるで氷のように凍て付いていた。
その状態を引き起こしたのは大真竜ゲマトリア。
少し前までのお道化た雰囲気は微塵も無い。
何も語らず何もせぬまま、ただ「在る」だけで全てを圧倒していた。
――これでもまだ五分の一。
五本ある首の一本分の力でしかない。
並みの真竜ならその威圧だけで潰れかねないが。
相対する「学園長」もまた並みではなかった。
『常々疑問に感じてはいたのです。
我々真竜は、千年前に古竜達を駆逐して今の地位を確立した。
大バビロンの死後、《古き王》を含めた全ての竜同士で争いが起こった。
その最中に立ち上がり、彼らに戦いを挑んだのが大真竜の方々だ』
「ええ、その認識であっていますが。それが何か?」
『私を含めた真竜の多くは、かつてその戦いに参加したはずです。
多くの同胞は狂気に陥り、その頃の記憶を持つ者自体が稀。
私は「対策」をしたので発狂する事はありませんでしたが……』
そこで僅かに言葉を切る。
ゲマトリアの反応を伺いながら、「学園長」は慎重に続けた。
『そもそも、戦いの始まりは何だったのか。
それについての記録は、どれだけ探っても見当たらない』
「……言ってる意味が分からないですね。
別にそんなの、どうだって良いじゃないですか」
『この疑問が重要な事か、私には分かりません。
だからこれは単なる好奇心です』
あくまではぐらかそうとするゲマトリア。
その反応から「学園長」は確信を深めていた。
千年前に、大真竜達以外には知られてはいけない「何か」があったのだと。
『何故、古竜達は争ったのか。
大バビロンの死が切欠と言われていますが、本当にそうでしょうか?
竜は人間以上の知性を有する高次生命体。
それが果たして、自滅を招く程の争いを起こすのか……』
「――その辺にしておきましょうか」
穏やかだが、反論を許さない強い声。
ゲマトリアは能面のような笑みを浮かべていた。
「貴方の仕事はこの《学園》を管理し、叡智を集めて人材を育てる事。
それでボクは勢力を拡大し、自身の力も増大させる。
代わりに貴方は、外部から邪魔されない環境でお望みの『実験』を続ける。
大事なのはそれだけでしょう?」
『ええ、貴女の仰る通り』
「だったら余計な事を考えるのは止めましょう。
ボクとしても、折角の優秀な配下を失いたくありませんからねぇ」
そう言って、ゲマトリアは改めて背を向けた。
「学園長」もそれ以上は追及する事はしなかった。
物分かりの良い部下に満足し、ゲマトリアはその場を去って行く。
「それじゃ、何かあったら報告してくださいねー?」
『仰せの侭に、《大公》閣下』
機嫌良さげに夜空の向こうに消えるゲマトリアを、「学園長」は暫し見送る。
気配が完全に去ったのを確認してから、一息。
『やはり、腐っても大真竜の一角ですか。あまり侮れませんね』
道化じみてはいても、肩書きに相応しい力を持つ実力者だ。
「学園長」としても、単なる好奇心の為に自身の立場を危うくしたくない。
ゲマトリアが口にした通り、重要なのはこの《学園》だ。
正確には、この箱庭で行い続けている「実験」。
もう数百年は繰り返し続けた作業に、「学園長」は真っ直ぐ向き合う。
飽きるとか腐るとか、そんな淀みは欠片も無い。
全て、この「唯一つ」の為に行って来たのだから。
故に「実験」を阻む者を「学園長」は決して許さない。
それについてゲマトリアの認識は間違っていない。
間違いがあるとすれば。
『――マレウスが招き入れた新入生、ですか』
目の前に複数の映像を浮かべて、その一つ一つを吟味する。
映し出された者達は、登録済の
この《学園》の内側で、「学園長」の目が届かない場所は絶無。
当然、新たに入って来た者達も「学園長」は把握していた。
マレウスが何を考えてそのような事をしたのか。
またこの新入生の中に、件の《最強最古》が混じっているのか。
極論、それ自体は「学園長」はどうでも良かった。
重要なのは、この未知数が自分の「実験」にどんな影響を及ぼすのか。
この一点だけだ。だから「学園長」はこれを見過ごす。
『完全な未知数は久しくなかった事だ。
果たして、これはどんな結果に繋がるのか……』
それはまだ分からない。
分からないという事は喜びだ。
箱の中で猫が生きている事を期待できるのだから。
だがこれが「実験」である以上は、最後まで観測しなければならない。
その結果が、箱の底に横たわる無惨な屍だとしても。
『手始めに、《
どんな反応を検出できるか、楽しみですね』
「学園長」はゆっくりと自分の盤面を動かしていく。
さぁ、今日も「実験」を始めよう。
未だに望む結果を得られていないが、まだたかだか数百年。
今回が駄目だとしてもまだ次がある。
狂気すら切り捨てたこの身には、時間だけは無限に存在している。
誰にも触れられない海の底で、「学園長」は一人笑う。
せめて笑っていなければ、こんな事はやっていられないから。
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