第二章:黄金夜会からの招待

90話:戦闘訓練

 

 傾向として、この《学園》に在籍する生徒は実技を重視する。

 多くの場合は他都市での栄達を求めている為、それは当然だろう。

 特に真竜の《爪》になる事は、人の身で臨める最高の到達点。

 ――と、彼らは信じている。

 元々は《爪》であった私としては、胸中複雑なモノもある。

 勿論、そんな事は表に出したりはしない。

 今はあくまで一生徒として、私は今日も訓練に参加していた。

 

「それでは二人とも、互いの安全は私の方で配慮していますから。

 持てる力を出し切って下さいね」

 

 戦闘訓練用の試合場。

 一対一、相手に攻撃を当てる事も認められた対戦形式。

 向かい合うのは私と、その相手である男子生徒。

 そして危険を伴う訓練の場合は、基本的にマレウスが立ち会う事になっている。

 他の訓練参加者が見守る中、私と男子生徒は睨み合う。

 互いに武器は無しの徒手空拳。

 構えた姿はなかなかに隙が無く、身体も強化が施されていると分かる。

 私と相手の様子をもう一度確認してから、マレウスは頷いて。

 

「では――開始してください」

 

 静かに訓練の開始を告げた。

 最初に動いたのは男子生徒の方だった。

 訓練用の装甲プロテクターのついた腕で壁を作り正面から踏み込む。

 男女の体格差を生かしての先手必勝。

 戦闘訓練は殺し合いではないので、試合場の外へと押し出せばそれで勝ちだ。

 ルール上での正当な手段。

 勝利を自身の成績に加算する為に、男子生徒は躊躇いなく突っ込んでくる。

 避けるのは難しくなかったが、私は敢えてそれを受けて立った。

 向かって来る相手と同じように、此方も肩から相手にぶつかりに行く。

 装甲と激突する硬い感触。

 強化された身体能力は侮れないが、それは私とて同じ事。

 男子生徒は何とか力で押し切ろうとするが、それを私も力で押し留めた。

 

「くっ……!!」

 

 作戦失敗と見るや、相手は直ぐに思考を切り替えたようだ。

 自分から距離を開くような不用意な真似はせず、腰を捻って小さく身体を動かす。

 接触した状態からの肘による打撃。

 それを腕で受け止めたが、その衝撃で僅かに互いの距離に隙間が開く。

 其処へ捻じ込むような膝蹴り。

 打撃が通れば良し、通らずとも間合いを開く事は出来る。

 なかなかに悪くない判断だ。

 けれど、これが戦いである以上は攻めるのは一方ばかりではない。

 

「何っ……!?」

 

 私がした事は、片手で相手を軽く押しただけ。

 ただ少し、男子生徒の力の流れを利用する形で。

 攻め手にばかり意識を向けていたせいか、彼は思いの外簡単に後ろに転がる。

 とはいえ、これは単純にバランスが悪い所で押し倒しただけ。

 相手にダメージは無く、直ぐに復帰できるだろう。

 だから、今度は私がそれを許さない。

 転んで即座に起き上がろうとしたところに、思い切り蹴りを打ち込んだ。

 機械的な身体強化に加え、魔法による『強化』も加えた一撃。

 死なないよう調整はしているが、手抜きはしていない本気の蹴りだ。

 体格差など関係無しに、男子生徒の身体は大きく吹き飛ぶ。

 踏ん張る事も出来ず、彼はそのまま試合場の枠外まで転がって行った。

 

「そこまで!」

 

 同時に、マレウスが試合の終了を告げる。

 その宣言を受けてから、私は力を抜くように小さく息を吐き出した。

 ――当たり前かもしれないが、やはりレベルが高い。

 今の試合は、上手い具合に相手の隙を突く事が出来たが。

 もう少し戦いが長引いていたら、私の方も危なかった可能性もある。

 蹴りの衝撃で伸びてしまっている相手に、マレウスが駆け寄っていく。

 相手の練度や身体性能を考えれば、大した怪我もしていないはずだ。

 

「本当に凄いなテレサ……!」

「アレックスの奴を瞬殺だなんてな」

「戦闘訓練の成績じゃ五本指だってのに、こりゃ色々面白くなりそうだな」

「いや、私だってまだまだだよ。彼もとても強かった。

 次に訓練をする時は今以上に油断ならないだろう」

 

 口々に賞賛してくれる他の生徒達に、私は笑って応える。

 其処に偽りは無く、あくまで私の本心だ。

 皆は単純に「謙遜している」と受け取っているようだし、それを訂正する気もないが。

 ……そう、まだまだだ。この程度ではまったく足りない。

 思い起こされるのは、あの地下での戦い。

 狂える魔獣とも呼ぶべき強大な真竜に、一歩も退かずに戦い続ける男の姿。

 私は元《爪》だが、その経歴はむしろ汚点であり誇る気も無い。

 けれど自分の実力については、一定の自負があった。

 此処まであった戦いでも、少なくとも足手纏いにはなっていないはずだ。

 そう、「足手纏いになっていない」――それだけに過ぎない。

 怪我をしていたとか、身体強化が不調だったとか。

 そんなものは言い訳でしかなく、生死の境を渡る戦いの場では何の意味もない。

 あの時の彼は――レックスは、果たして万全と言えるだろうか?

 主人らの救援が間に合わなければ、確かに彼とて命を落としていただろう。

 だがそれでも、あの恐るべきバンダースナッチ相手に死の間際まで持ち堪えた。

 その強さが、今の私には余りに遠い。

 

「――完敗だよ、テレサ。

 まさか入って間もない相手に、此処まであっさり負けるとはね」

 

 そう私に声を掛けて来たのは、復帰してきた男子生徒――アレックスだ。

 まだ足元が少々おぼつかないようだが、それ以上のダメージは見受けられない。

 彼の表情には間違いなく悔しさが滲んでいた。

 けれど同時に、私の事を認める晴れやかさも見て取れた。

 ただ自身の不足を悔いるだけでなく、それすら糧に前へ進もうとする意思。

 敗者である彼よりも、勝者であるはずの私の方が浅ましいように思えた。

 それは無意味なマイナス思考と分かっていても、胸の内に苦いモノが広がる。

 アレックスはあくまで他意無く私に声を掛ける。

 

「どうだろう、テレサ。君さえ良ければこの後、他の皆にも君の体術を――」

「アレックス、貴方は先ず身体を休めた方が良いわ」

 

 それをマレウスがやんわりと押し留めた。

 彼女はあくまで、柔らかく包み込むように微笑んで。

 

「テレサはまだ《学園》に入って日も浅い。

  だから貴方のように振る舞うのは難しいわ。

 貴方の今後の訓練に必要な情報は、《アヴェスター》が分析しているから。

 焦らず、少しずつやっていきましょう?」

「……確かに、先生の言う通りだ。

 すまない、テレサ。君の強さに少々興奮し過ぎたようだ」

「いや――私こそ、すまない。

 良ければまた訓練の相手をしてくれると嬉しい」

「勿論だ。次はこっちが勝たせて貰うよ」

 

 そう言って、アレックスは他の生徒達の方に向かう。

 優れた戦闘技術を持つ彼は、別の者達にも戦い方を教えるのが常のようだ。

 教師役を人工知能が多く代行する《学園》では、それが自然の流れなのだろう。

 私はあくまで、自身の強さを高める事しか考えていなかったが。

 

「……あまり、思い詰めるのも良くないわ」

 

 そんな私の内心を見透かしているのか。

 傍らに立つマレウスは、優しい声で語りかけて来た。

 果たして、私はそれに何と応えれば良いだろう。

 

「確か、貴女とイーリスは姉妹なんだっけ?

 仲も良さそうだし、羨ましいわ」

「仲は……良いのだろうか。

 頼り甲斐のない姉で、あの子に苦労をかけていないか、とか。

 どうにもそういう事ばかり気になってしまって」

「責任感が強いのね、貴女は。お姉さんとしても、それ以外も」

 

 責任感。本当にそうか?

 私はイーリスに対して、どうしようもない負い目がある。

 マーレボルジェに操られていたとはいえ、私の犯した罪は余りに重い。

 私がこの旅に同行している理由、その本質は多分贖罪の為だ。

 もうこの世で唯一人の肉親、イーリス。

 あの子の為なら何でも出来る、何でもしてやりたい。

 そう思っていても、私は酷く力不足だ。

 イーリスも同じ苦悩を抱えているが、それでも彼女は足掻いて結果を手繰り寄せる。

 それこそがあの子の強みで真価なのだと思う。

 比べて、私の方はどうだ?

 唯一の取り得とも呼べる戦闘も、レックス殿には遠く及ばない。

 このまま真竜との戦いが激化すれば、容易く命を落とす事も十分あり得る。

 今さら死ぬ事は恐れないが、イーリスをまた残してしまう事は恐ろしい。

 ならば、私はどうしたら――。

 

「……また難しい顔をしてるわ。

 責任感が強いのは良い事だけど、抱え込みがちなのは玉に瑕ね」

 

 気が付けば、マレウスが私の頭を撫でていた。

 驚き、思わず周りの様子を確認してしまう。

 しかし誰も特に気にした様子もなく、皆それぞれ訓練に勤しんでいた。

 

「私はお節介焼きだから、みんな慣れたものよ。

 だから照れる事ないわ」

「そ、そうは言いますが……」

「弱音を吐けないのって、辛いわね。

 私は大体の事が平気だから、余り共感はしてあげられないけど」

 

 ゆっくりと。

 マレウスの細い指が、私の髪を梳いていく。

 自分の中で張り詰めていた糸が、柔らかく解れてしまいそうだ。

 それは甘やかす優しさではなく。

 ただ寄り添い、安心させてくれる優しさだ。

 貴方は一人ではないと、マレウスは言葉にせず諭してくる。

 

「世界は残酷で、未来は辛い事ばかりかもしれない。

 自分は弱いと嘆き、焦ってしまう気持ちは分かるわ。

 ――だからこそ、此処にいる間ぐらいはゆっくりと自分を見つめ直して欲しい」

「副学長……」

「マレウスで良いわ。生徒とか、そういう立場は抜きで親しくして欲しいの。

 せめて、この《学園》にいる間はね」

 

 微笑む彼女は、これまでどれだけの別れを経験して来たのか。

 大体は平気だと、マレウスは口にしていたけど。

 この《学園》で姿を見せぬ「学園長」に支配されたまま。

 数多の生徒達と出会って別れてを繰り返すその胸中は、私の想像の外だ。

 少なくとも哀しみを微塵も感じさせず、マレウスはとても穏やかに笑っている。

 

「大丈夫、貴女が独りなら辛いでしょうけど。

 妹さんや仲間が傍にいて、貴女自身もそれを忘れてないはず。

 だったら世の中の大体の事は、きっと何とかなるわ」

「……ありがとう御座います、マレウス。

 おかげで、少し気が楽になった気がします」

「年寄りがそれっぽい事を言ってるだけだから、気にしないで」

 

 悪戯っぽく微笑むマレウスに、私も思わず笑ってしまった。

 正体不明の「学園長」を探し出す、という目的はある。

 ただそれ以外は、個人的にするべき事があるわけではない。

 それならマレウスの言う通り、自己の研鑽に時を使うのも良いかもしれない。

 出来れば、レックス殿とも鍛錬がしてみたい。

 《学園》で学べる事は多いし、それは訓練課程を通じて血肉にするつもりだ。

 それとは別に、私が知る最も強い戦士を目標にしたかった。

 ……レックス殿は二つ返事だろうが、問題は主人か。

 最近の彼女の様子からして、レックス殿が頷けば文句はないはずだ。

 

「……とりあえずは大丈夫そうね?」

「貴女のおかげですよ。年長者の言葉は、やはりためになります」

「もう、おばあちゃんを煽てても何も無いわよ?」

 

 いるだけで心が落ち着く、和やかな空気。

 戦闘訓練という殺伐として当たり前の場所とは思えない。

 これがマレウスの人徳なのだろう。

 竜王と一口で言っても、様々なタイプがいる事を改めて実感し――。

 

「……?」

 

 ふと、訓練室の一角がざわめいている事に気付く。

 誰かが新たに入って来たようだが。

 

「……テレサ、少し下がって」

「マレウス?」

「ちょっとだけ、厄介なお客様が来たみたい」

 

 そういうマレウスの声は変わらず穏やかだ。

 が、その表情は明らかに硬い。

 やって来たその人物に対し、訓練中の生徒達は自然と道を開く。

 ――歳の頃は、多分イーリスと同じ十代半ばぐらい。

 黒い軽装甲服を纏い、濃い灰色の髪を長く伸ばした少女。

 顔立ちは整っているが、剣呑さを隠さない表情が魅力を減じている。

 彼女の姿で一番目を引くのはその背中にあるものだ。

 翼――鴉のように真っ黒で大きな翼。

 明らかに普通の人間にはあり得ない身体的特徴だ。

 

「――マレウス副学長。

 今日は貴女に用はありません、速やかに下がって下さい」

 

 相手を突き刺す棘だらけの言葉。

 少女は何故か、敵意すら感じる声をマレウスに向けた。

 マレウスはそれを正面から受けつつも、退く素振りも見せずに応じる。

 

「戦闘訓練は、今日の貴女の訓練課程には含まれていないはずよ。オーガスタ」

「今の私は《黄金夜会ゴールデンドーン》のメンバーとして行動許可を得ています。

 二度は言いませんよ、マレウス副学長」

 

 《黄金夜会》。

 それはイーリスから事前に貰った《学園》の基本情報に含まれていた。

 確か生徒による自治を目的とした少数組織。

 特記事項は――「学園長」直属。

 

「私は《黄金夜会》副会長、オーガスタ。

 テレサ、貴女を我らの夜会に招待致しましょう」

 

 言葉ほどには歓迎した様子もない暗い色の瞳。

 少女――《黄金夜会》のオーガスタは、私を睨みながら一方的に言い放った。

 

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