359話:一休み


「何だかんだ、《巨人》と戦うのも慣れてきた気がするな」

「自信を持つのは良いけど、油断はしないで」

「あぁ、勿論だ」


 独り言のつもりだったが、《巨人殺し》は聞き逃さずにツッコミを入れてくる。

 まったくその通りなので俺は素直に頷いた。

 足元に転がった巨大な

 《核》を失った《巨人》の肉を、もう少し念入りに刻んでおく。


「……《国》を出て半日ぐらいか?

 これで何匹目だよ」

「最初の巨大ミミズを含めて四体。

 ……率直に言って、恐ろしい頻度だな」


 指折り数えるテレサの言葉に、イーリスは無言で天を仰いだ。

 姉妹の言う通り、カドゥルの《国》を離れて半日ほど。

 高い位置にあった太陽も、今は地平線近くに下りてきている。

 そう時間も経たずに夜が訪れるだろう。


「《人界》へは、大体どのぐらいの時間が必要なのだ?」

「……一概には言えない。

 が、過去に《人界》に辿り着いた者は七日をかけた」

「七日かぁ」


 ボレアスに問われて、アストレアは意外と素直に答えてくれた。

 ……確か、案内する事以外に施すつもりはないとか言ってた覚えがある。

 てっきり回答拒否するかと思ったが。

 そんな俺の空気を読んだか、裁きの神様がじろっと睨んできた。


「……今の質問程度なら、答えるのは案内役の範疇と判断したまでだ。

 妙な勘違いをするなよ」

「分かってる。ありがとうな」

「……チッ」


 軽く礼を返したら、今度は思いっきり舌打ちをされてしまった。

 コミュニケーションってのはなかなか難しい。

 キレられる前に、アウローラの頭を撫でて宥めるのも忘れない。

 唸る代わりに喉を鳴らして、アウローラは俺の腕にぎゅっと抱き着いた。

 それから進む先へと視線を向け、小さくため息を吐く。


「……《巡礼の道》ね。空を飛んでしまえば楽なんだけど」

「辿るべき道は一つだけだ。

 そこから少しでも『外れた』なら、《人界》には辿り着けない。

 己の足で試練を超える、そうしなければ楽園の門が開かれる事はない」

「もう十分説明されたから、当然分かってるわ」


 ぼやくアウローラに、アストレアは冷たい声で応える。

 触れれば切り裂かれるような、鋭い刃にも似た言葉だった。

 ほんの少し前までとは、明らかに気配が違う。

 今この瞬間、アストレアは神という上位存在として語っていた。

 上からの物言いに、アウローラは不快そうに眉を顰める。


「徒歩で向かわない限り、ちゃんとは辿り着けない。

 道中は《巨人》どもが群がりやすい。

 他には何かあるのか?」

「……ただ《巨人》が寄って来るだけでは、試練とは言い難い。

 だが、それについて私からは細かく言うつもりはない」

「? それは何故だ?」


 首を傾げるボレアス。

 アストレアは睨みもせず、ただ淡々と言葉を続ける。


「人に試練を課す者とは、即ち神だ。

 如何なる神がお前たちの前に立つのかは私も知らない。

 言える事は、相応しき神威が必ず立ちはだかるという一点のみだ」

「なるほどなぁ」


 とりあえず、《巨人》だけでなく神様も邪魔してくると。

 それが誰かまでは教えてくれないワケだ。

 まぁ、試練だからそれはそれで当然の話だな。

 《巨人》以外も警戒すべきだと分かった。

 今はそれで十分だろう。


「……お前たちは弱くはない。

 いや、《巨人》を討つその手腕はと認めても良い」

「? 急にどうした?」

「だが、《人界》の神には到底届くものではない。

 お前たちが穢れた罪人である限り、神の《光輪ハイロゥ》は破れない。

 私との戦いで、その程度は学習したはずだ」

「…………」


 言われて、アウローラはほんの僅かに怒りを滲ませる。

 ただそれだけで、特に反論したり罵倒したりする事はなかった。

 ――腹立たしくはあるが、認めるしかない。

 アウローラの内心は多分そんなところだろう。

 ボレアスも似たような顔をして黙り込んだままだ。

 ただ、横で聞いていたイーリスは軽く舌打ちをして。


「で? 神様自慢なんか聞かせてどういうつもりだ?

 だから大人しく諦めろって話か?」

「そうだ、人間。

 お前たちは神に敵わない。

 穢れた罪人は決して高貴なる光を傷付けられない。

 ――時間の無駄だと、そう思わないか?」

「案内役が嫌だから、さっさと済ませたいってところか?」


 まぁ、マジでずっと嫌がってたしな。

 俺が率直に指摘すると、アストレアは数秒ほど黙り込んだ。

 ……うん、図星だったかな?

 睨んでくる視線は、物理的に貫通しそうなぐらいに強烈だった。


「……そうだ。その通りだ。

 私はさっさと《人界》に戻りたいが、これは王命。

 カドゥル――あの女に説き伏せられて、この役目を引き受けたワケではない。

 どの道、お前たちは《巡礼の道》を越えられない。

 だったら手早く済ませるべきだと、そう言っているまでだ」

「でもそれ結局、《裁神》の使命とやらに戻るだけだろ?」

「それは――……そう、だな。

 罪人であるお前たちを、私が見逃す理由はない」

「だろ?」


 ……どうやらアストレアは、今俺に言われて気付いたらしい。

 本人が納得して役目を請けたワケじゃないせいだろう。

 内心は未だに整理し切らず、かなりグチャグチャなようだった。


「《巡礼の道》を進み続ければ、途中どっかで別の神様に襲われる。

 けど諦めた時点で、お前は改めて俺たちに殴りかかってくる。

 どっちにしろ神様と戦うなら、前者の方がまだマシだろ?」

「どの道、死ぬという結果は変わらないのにか?」

「どっちも同じかは分からんけどな。

 ただ後者は生き残ってもまた振り出しだ。

 前者は、生き残りさえすれば先へ進む道は見えてる。

 だったら俺は、このまま真っ直ぐ進むよ」


 だろう?

 と、周りで聞いてる顔ぶれにも同意を求めてみた。

 真っ先に頷いたのはアウローラとボレアス、後は《巨人殺し》だ。


「決めた以上、前へ進むだけ。

 最初から分かりきっていた事でしょう。

 それを今更蒸し返す方がどうかと思うわ」

『ブラザー、あんまり言うのは止めとけよ』

「いや、オレも同じ意見だわ。

 此処まで来といてグスグス言うなよ、日が暮れちまうだろうが」


 《巨人殺し》の少女に、イーリスも余分な一言を付けながら同意する。

 テレサも意見そのものは同じらしく、控えめに頷いてみせた。


「…………」

「いや、親切で言ってくれたんだったら悪いけどな。

 俺たちはこのまま進むつもりだから、案内はよろしく頼む」

「……王命だ。繰り返すが、頼まれたから引き受けたワケじゃない」


 忌々しそうに応えて、アストレアは顔を背けた。

 それに対し、イーリスがまた何かを言おうとしたが。


「イーリス」

「むぐっ」


 テレサが先手を取って口を塞いでしまった。

 うん、まぁ仕方ないね。

 正直にズバズバ言えるのはイーリスの良いところだけどな。


「……なんだかんだで、もう日が暮れそうね」


 空を見上げて、アウローラが小さく呟いた。

 まだ暗くはなっていないが、荒野の空は茜色に染まりつつある。

 遠からず夜は訪れる。

 当然、周囲には休めるような場所はどこにもない。

 あるのは、ついさっき倒したばかりの《巨人》の残骸ぐらいだ。


「どうする? このまま進むか?」

「いや、流石に日が落ちて移動するのは危ないからな」

「我は別に構わんぞ?」

「そりゃあボレアスさんは竜だしなぁ」


 何故かドヤ顔のボレアスさんに一応ツッコミは入れておく。

 俺も進む分には特に問題はない。

 ただ、イーリスは体力的にも結構キツいはずだ。

 視線を向けると、ちょっとむくれた顔で睨み返されてしまった。


「イーリス?」

「……平気だ、とは言わねェよ。

 悪いな」

「いいや、休める時に休むのも大事だぞ」

「レックス殿の言う通りだ。

 お前が気に病むことは何もない」


 自分が弱っているせいで足が止まってしまう。

 そんな風に考えているだろうイーリスの頭を、姉共々撫で回してやる。

 最初は反射的に嫌がったが、すぐに観念した様子で大人しくなった。

 普段ならもっと強く反発しそうなもんだが。


「しおらしいのはあんまり似合わんな」

「うるせェよスケベ兜。

 ……そうだな、休むか。休もうぜ。

 別に急ぎの旅ってワケでもなかったしな、実際」

「だなぁ」


 まぁアストレアは急いで戻りたそうな空気出してるけど、それはそれだ。

 話は決まったので、今日は此処までだ。


「……まさか、このまま野営するつもりか?」


 正気か、と言わんばかりに。

 アストレアは俺たちを訝しげな目で見ていた。

 普通はそう思うよな。


「確認だけど。

 《巡礼の道》とやらは貴女の案内から外れなければ良いのよね?」

「質問の意図を明確にしろ」

「空を飛ぶとか、大きく道から出てしまうとか。

 そうしなければ問題はないのか、って聞いてるのよ」


 アウローラの言葉に、アストレアは眉間にシワを寄せる。

 多分、喉元まで出かかった罵倒を呑み込んだか。

 一度呼吸を整えてから、裁きの神様は改めて口を開く。


「……そうだな、その通りだ。

 だが、何故今そんなことを聞く?」

「勿論、野営の準備をするからよ」


 どこか得意げに笑って、アウローラは軽く指を鳴らす。

 流れる魔力が一つの形を無し、荒野の真ん中に一枚の扉が現れた。

 「隠れ家」に通じる魔法の扉だ。

 俺たちはそこそこ馴染みがあるが、アストレアが見るのは初めてのはず。

 いや、この場にはもう一人いたか。


「? なに、この扉は」

「隠れ家――まぁ、アウローラの魔法で出せる拠点だな。

 この中で休めるし、《巨人》とかにも襲われる心配はないぞ」

「それは……便利ね」


 珍しく、顔に純粋な驚きを表して。

 《巨人殺し》の少女は、しげしげと「隠れ家」の扉を観察する。

 一方、アストレアの方はというと……。


「……神でもないモノが、このような業を……」


 どうやら、何か地雷を微妙に踏んだらしい。

 怒りと戸惑いが半々ぐらいの表情で、アウローラを睨みつける。


「《摂理》に反しているという意味では、あの男が最も悍ましいが。

 やはり貴様が一番罪深い存在のようだな」

「神様ってのはホントに失礼ね?

 別にこのぐらい、私からすれば児戯と大差ないんだけど」

「昔の長子殿ならもっと好き勝手やっていたろうしな」


 ボレアスが笑って茶々を入れるが、アウローラはこれを無視(スルー)。

 見せつけるような動作で「隠れ家」の扉に手を掛けた。


「さ――どうするの?

 別に貴女一人、荒野で寝泊まりするなら構わないけど?」

「…………」


 うーんメッチャ睨んでるな。

 ニヤニヤと笑うアウローラに、全身から殺意を漲らせるアストレア。

 両者の睨み合いが続いたのはほんの数秒ほど。

 やがて、アストレアの方が吐き出す息と共に力を抜いた。


「……私を招くと、そう言うんだな?」

「貴女が嫌でなければね?

 こっちも、案内役を無碍に扱いたいワケじゃないもの」

「……良いだろう。今の私は《裁神》としての責務を果たす必要がない」


 それは完全に自分自身に言い聞かせる言葉だった。

 どういう理屈であれ、納得して呑み込んでくれるなら何よりだ。

 だから、それは良いとして。


「アウローラ」

「? なに、レックス?」

「『お願いしますぐらい言えないの?』とか、そういうのは無しでな」

「…………」

「おう、そういうとこだぞ長子殿」


 普段はそこまで気にしないが、流石に今拗れるのは良くない。

 念のため釘を刺したら、案の定アウローラは沈黙してしまった。

 ボレアスさんもツッコミは程々にしてやって欲しい。


「大変そうね」

「このぐらいはそうでもないぞ」


 《巨人殺し》の言葉には、微妙に同情が含まれていた。

 まぁ、慣れてるから特に問題はない。

 口数の少ない黒蛇殿は、さて何を思っているやら。


「……ええ、分かってる。分かってるわ。

 当然言いませんよ、そんな事。はしたない」

「だよなぁ」


 真意は置いといて、ちょっと拗ねたアウローラの頭を撫でる。

 彼女のおかげで、怪物がうろつく荒野で寝るという無謀をせずに済むんだ。

 感謝はどれだけしてもし足りない。


「竜殺しは長子殿に甘すぎると思うぞ」

「まーまー」

「…………」


 そんなやり取りを、アストレアは黙って見ていた。

 その視線に込められた感情の種類は、俺には分からなかったが。


「大丈夫か?」

「……それは何に対する心配だ?」

「いや、何となく」

「不遜だぞ、口を慎め」


 変わらぬ口調で罵られると、何となく笑ってしまった。

 兜の下で声を抑えたつもりだったが、気付かれてまた睨まれた。

 いやまったく、コミュニケーションって奴は難しい。

 とりあえず、傍らのアウローラを片手で抱え上げておく。

 それから「隠れ家」の扉に一番手で近付いて。


「入るよな?」

「前言を翻すつもりはない」


 確認の言葉に、アストレアはすぐに応えた。

 後は躊躇うこともなく、俺の立っている傍まで歩を進める。


「……私以外の神が、試練の名において必ずお前たちを討ち滅ぼす。

 その時が訪れるまでは、慈悲深く接してやろう」

「そうだな。仲良くしてくれるならありがたい」

「…………」


 笑って応えたが、それには何も言わず。

 俺が扉を開けて中に入れば、アストレアは黙ってついて来てくれた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る