幕間6:まくられたヴェール
頭の奥がズキズキと痛む。
原因は考えるまでもなく分かってる。
昨夜のあの馬鹿騒ぎのせいだ。
やっぱ酒の風呂とか絶対にアホの所業だ。
その場では何かフワフワした心地だったが、今は地獄の底だ。
「あー、チクショウ……」
「大丈夫か、イーリス?」
寝台の上で唸るオレに、姉さんは白いカップを差し出す。
中身は温かいお茶で、オレは有難く受け取った。
一口啜ると思わず吐息が漏れる。
「……姉さんは割と平気そうだよな」
「私か? まぁ、まだ多少アルコールは残ってるが」
昨日はあんなぐでんぐでんだったのに。
いやそういう意味じゃオレも同じだけどさ。
お茶をゆっくり呑めば気分も多少マシになってくる。
そんでチラリと、他の寝台の様子を見る。
「……レックスとマレウスの姿は見えねェけど。
姉さんは何か聞いてるか?」
「いや、私は何も。
まぁあの二人なら大丈夫だと思うが……」
「むしろ大丈夫じゃなさそうなのはこっちだよな」
未だに一人ふて寝を続けているアウローラ。
多分起きてるだろうが、起きてレックスがいない事がよっぽど堪えたらしい。
下手に突っ込むと絶対藪蛇なのでそっとしておくしかない。
それが竜の尾と分かっていて踏んづける奴を世間では馬鹿と呼ぶんだ。
ちなみにボレアスの奴は床に転がっていびきをかいてる。
こっちはこっちで自由だなマジで。
「はぁ、完全に寝過ごしちまったし、午前の訓練課程はダメだな」
「昨日がアレだったから仕方がない。
《アヴェスター》に確認したが、欠席の手続きはされていたよ。
恐らくマレウスがやっておいてくれたんだろう」
「そっか。まぁそれなら良いけどさ」
姉さんの言葉に思わず安堵が漏れた。
自分はこんな真面目な人間だったかとちょっと驚く。
ともあれ、これで昼までは丸々フリーになったわけか。
まだ頭痛はするが、温かいお茶も呑んで大分落ち着いて来た。
これなら午後は大丈夫だろう。
まぁその前に、レックス達が戻って来たら何してたか確認しないと。
『――警告、警告』
そう考えた矢先。
機械的な音声――《アヴェスター》の声が耳に飛び込んで来た。
いつもの定時刻に流れる放送とは違う。
一体何だと首を捻ってる間にも《アヴェスター》は続ける。
『第一から第六までの幻想異体の動作停止が確認されました。
《学園》全体に展開中の《寓話結界》の密度低下。
間もなく《七不思議》実験は最終段階へ移行します。
一般学生の皆さんは予め設定された避難経路を使用して下さい。
焦らず、身の安全を最優先に行動願います』
「……何だ、これ?」
流れる音声の意味を、半分も理解できなかった。
幻想異体? 《学園》に展開中の《寓話結界》??
待て待て、一体何の話だ。
《七不思議》の単語が出てたし、それに関係してる事は分かる。
いや《寓話結界》ってのは《七不思議》の怪異がいる空間じゃないのか?
それが《学園》全体に展開されてる? は?
ぶっちゃけ意味が分からない。
傍で聞いてる姉さんも似た反応だ。
「……ねぇ、今のは何?」
「いや、オレも正直良く分かんねェけど」
やっぱり困惑した様子で、アウローラがもそもそと寝台から身を起こす。
流石にボレアスも今の放送で眠ってはいられなかったか。
まだ眠そうに欠伸はしつつも目を開く。
まぁ見た感じ、完全に再起動するまでもう少し掛かりそうだが。
それより問題はさっき《アヴェスター》が言ってた事だ。
とりあえず直ちに異常は感じられない。
「……部屋の外を見て来たが、廊下に他の生徒達も出てきているな。
全員一様に困惑した様子だ。
あの放送、私達だけに聞こえたとかそういう事は無いらしい」
「そっか、ありがとう姉さん」
扉の向こうを軽く覗き込む姉さん。
その姿を視界の端に置いて、オレはさっきの放送について考える。
どうやらこっちの把握してない処で事態が動いたらしい。
十中八九、今この場にはいないレックスやマレウスが関係してるだろう。
となると動いた方が良いのは間違いないはず。
どの道、こんな状態じゃあ午後の訓練も予定通りには――。
「…………あん?」
待て、今オレは何を考えた。
ほんの少し前までは気にもならなかった違和感。
まったく唐突に、頭の中にデカい石が詰まったみたいな感覚。
おかしい……何が、何がおかしい?
何処からおかしかった?
そもそも、最初から全部おかしかったのでは?
「イーリス、どうした?」
「……なぁ、姉さん」
「? 何だ?」
「どうしてオレ達は訓練だの何だの、《学園》の生活を優先して考えてたんだ?」
そうだ、それが最初からおかしかった。
オレ達が生徒って身分を利用したのは、あくまで行動の制限を少なくする為。
目的は「学園長」とやらをどうにかする事だったはず。
極論、《学園》でのアレコレは最低限のカモフラージュ程度で良かったはずだ。
その辺を誤魔化す手段は幾らでもあった。
何ならオレが《学園》の電脳に侵入して、情報を書き換える事も出来た。
むしろ真面目に訓練に出るよりは、そっちの方が時間も手間も簡単だった。
なのにオレ達は必要以上に学生として振る舞った。
《黄金夜会》だの《七不思議》だの。
明らかに「学園長」と繋がってる要素が出て来た後も。
先ず学生としての訓練課程を優先して考えていた。
……いや、おかしいだろソレは。
手段と目的が完全に入れ替わってる、文字通りの本末転倒だ。
「……《寓話結界》」
小さく呟いたのはアウローラだ。
こっちもこっちで、オレと同じ違和感に気付いたらしい。
「《寓話結界》の中に取り込まれた者は、内部の
……成る程ね、私も完全に油断してた」
「主? それは一体どういう……」
「この《学園》で生活する学生は、学業を先ず優先すべし。
設定されていたルールは恐らくそんな処ね。
私達は何も気付かず、この《学園》に入った時点で術中だったのよ」
詳しい理屈は当然オレには分からない。
ただ、《七不思議》と同じ結界が最初から《学園》を覆っていた。
だからオレ達は始めから影響を受けてたワケか。
それは良い、いや良くないが。
問題なのは――。
「じゃあ、マレウスは最初っから……?」
「――それは無かろうよ」
まだ若干眠そうにしながら、応えたのはボレアスだ。
やっと身体を起こすと大きく伸びをする。
そうしてから一つ息を吐き出して。
「如何に色ボケしていようと、長子殿は策謀家だ。
身内相手の色眼鏡を考慮しても、騙す気なら最初に気付くだろうよ」
「色々言い返したい事はあるけど、概ねボレアスの言う通りね。
仮にマレウスが私を嵌めるつもりだったら分かったはず。
あの子は何も知らなかった――そう考えるのが妥当ね」
「……つまり、全ては『学園長』の手の内だった、と」
「まぁそうなるかしらね。腹立たしい限りだけど」
姉さんの言葉に頷きながら、アウローラは低く唸った。
あぁ、これはマジでご立腹だな。
このまま暴れ出して《学園》校舎を更地にするんじゃないか。
そんな危惧が頭を過る。
「……何にせよ、先ずはレックスとマレウスね。
あの二人がいない時に状況が変化した。
多分、あっちで何かしらあったんでしょう」
「探せるか?」
「誰にモノを言ってるのよ。あっという間に見つけ出してあげる。
テレサもイーリスも、直ぐに支度して頂戴。
のんびりしてる暇はもう無さそうよ」
が、アウローラは思った以上に冷静だった。
ボレアスに言い返すと、オレや姉さんに行動を促す。
姉さんは即座に頷いた。
けど、オレには一つやっておくべき事があった。
「悪い、アウローラ。そっちは任せて良いか?」
「任せるって……貴女はどうする気なの?」
「《学園》の
今まで《七不思議》については何度も調べた。
でも何かと言い訳して、
其処を探れば、多分もうちょっと色々分かると思う」
そうやって「やらなかった」理由付けも、大体が学業優先とかそんな感じだ。
自分の思考に全く違和感を持たなかった事に戦慄する。
オレの提案に、アウローラは一瞬だけ考え込む仕草を見せてから。
「……分かった。レックス達は私とボレアスで探すわ。
《念話》は繋げておくから、何か分かり次第直ぐに知らせて頂戴。
テレサ、貴女は妹のお守りをしっかりね」
「承知しました、主」
「悪いな、そっちも気を付けてくれよ」
方針が決まったら、後は行動あるのみだ。
古竜の二人が部屋を出ると同時に、オレは自分の作業に集中する。
身体から意識を完全に切り離す
現実の安全は姉さんに任せて、オレは電子の海へと身を投げる。
星々の光が無数に浮かぶ暗黒の海。
そんなイメージの中を、オレは自由に泳ぎ回る。
《学園》に入る前に触れたのはまだ比較的浅い部分だったが。
今は兎に角、より深い場所――この海の「底」を目指す。
代償として「痛み」を感じるが、それは一旦無視した。
反動で幾らか肉体に
深く、深く、星明りも見えないぐらいに暗い水底へ。
もっと早くに知るべきだった真実が、この何処かにあるはずだ。
《七不思議》計画か、若しくは「学園長」の事でも良い。
何かしらの情報を――。
「……あった」
重要機密として厳重に
軽い解析で読み取れる表題は――「《七不思議》計画についての記録」。
予想以上に早く得た収穫に疑心が沸いて来る。
だが今は、それで手を止めている余裕もない状況だ。
仮に罠なら食い破る覚悟で、オレは鍵を無理やり引き剥がす。
それから本を開く要領で中身のデータを展開する。
「《七不思議》実験……七番目を除いた六つの怪異……
これらは予め用意された「設定」を、生徒達に意図的に流布し……。
彼らが共有・認識した『幻想』を、それぞれの《寓話結界》の内部に投影する……?」
いきなりドバっと出て来た情報の渦。
とりあえず目に入ったモノを読み上げたが、軽く頭が混乱しそうだ。
《寓話結界》は特別に用意された魔術式であるとか。
多数が共通して認識した「
これらは『原典』を通じて制御が行われるが、『原典』は結界内部には直接影響できないとか。
魔術に詳しいアウローラとかなら一発で理解できるんだろうけど。
その辺素人のオレにはイマイチぴんと来ない。
とりあえず、片っ端から
他にも《七不思議》として登録されてる怪異の情報とかもあって……。
「……あ?」
コピーついでにざっと目を通していたオレは、とうとう「ソレ」を見つけた。
七番目の《七不思議》、「存在しない」とだけ語られる不明の怪異。
どれだけ噂話を掘っても、それについては出て来なかった。
だがこの情報には、その呼び名がちゃんと記されていた。
誰も語れない七つ目の不思議。
その秘された名前は――《
其処には、「彼女は今も水底で沈んでいる」という一文だけが添えられている。
……おい待て。
その呼び名は、確か。
『――認証を確認、最後の《七不思議》が開示されました。
《
「はっ……!?」
いきなり流れ出した機械音声。
しまった、やっぱり罠があったのか。
てか、今なんか《アヴェスター》とか言わなかったか……!?
動揺するオレを余所に、事態は勝手に転がり出す。
『ようこそ、ようこそ。
定められた物語は、未知なる貴女を歓迎します』
抵抗する暇もあったもんじゃない。
まるで大きな渦潮に呑み込まれるように、オレは更なる深淵に引き込まれる。
ヤバいとは思ったが、思っただけじゃどうしょうもない。
何とかならないかとオレが抗おうとした――直後。
両足に伝わる硬い感触。
此処は現実じゃない、電脳が映し出す仮想の世界だ。
――だからオレが引き込まれたその場所も、誰かが造った人工の空間。
さっきまでいたはずの暗い海は、ぽっかりと開いた天井の向こう。
幾つもの機械のようなモノが置かれただだっ広い部屋。
趣味の悪い実験室とかそんな趣きだ。
気付くとオレはその悪趣味な空間のど真ん中に立っていた。
「何だ、此処……?」
『――良く来たね、鍵を開けた人。
こんな所だ、来客相手にお茶も出せない無礼は大目に見て欲しい』
その声は男にも女にも、或いは老人にも子供のようにも聞こえた。
まるで複数の人間が同時に喋っているような。
そんな奇妙極まりない声と共に、「ソレ」は現れた。
人の姿はしているはずなのに、どんな姿であるのか正確に認識できない。
不定形で不鮮明、直視してると頭が痛くなってくる。
語り口こそ穏やかだが、ハッキリ言って怪しい事この上ない。
警戒するオレに対し、「ソレ」は両腕を広げたようだ。
ちゃんと形が認識できないせいで、正直良く分からんけど。
『警戒はしなくて良い、イーリス。
少なくとも今この場で、私は君と争う気はない』
「っ……オレの事は知ってるのかよ。テメェ、一体何者だ……!?」
『あぁ――そうか。大体の想像は付いてると思うが。
確かに、先ずは客を迎えた側が身分を明かすべきだったね』
そう言って、「ソレ」はオレに向けて頭(?)を下げる。
しかし大体の想像は付いてる……って、まさか。
やっとその可能性に思い至ったオレを余所に、「ソレ」は自らが何者かを告げた。
『私は君らが「学園長」と呼ぶ者。
そして《学園》全体の管理・運営を行う統括術式《
その中枢である
残念ながら個人を識別する名称は持たない身だ。
故に「学園長」と呼んで貰えると助かる』
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