109話:美術室での決着

 

 俺は走った。

 その直ぐ後ろをマレウスが続く。

 何だか良く分からない形状の石膏像を殴り倒し。

 知らない風景の描かれた絵画を斬り裂く。

 それらは破壊しても直ぐに復元するが、一度排除したら後は無視だ。

 マレウスも水弾を飛ばして援護してくれる。

 予想通り、包囲を突破するだけなら大した問題じゃなかった。

 が、それだけで終わるほど相手も甘くはなかった。

 俺もマレウスも全力で走っている。

 それこそ一秒もあればイヴリスの前に辿り着いてるはず。

 にも関わらず、互いの距離は一向に縮まらない。

 怪異の核である絵画と共に、微笑みながら佇むイヴリス。

 彼女はまったく動いている様子もない。

 

「この《寓話結界》は私の支配下と、そう言いましたよね?

 であれば、これぐらいの事は簡単ですよ」

 

 笑みを含んだ声でイヴリスは語る。

 立っているだけの彼女に、何故か俺達は追い付けない。

 その理由は酷く単純なものだ。

 

「部屋が動いてる……!?」

 

 そのマレウスの言葉が正解だった。

 俺達がいる場所は変わらずに古ぼけた美術室だ。

 今や怪異と化した無数の絵画や石膏像、見慣れない画材が幾つも置かれた部屋。

 全体のイメージは変わらないまま、部屋自体は激しく変化していた。

 俺やマレウスが走った分だけ床や壁は伸びる。

 新たな怪異となる芸術品は後から無数に湧き出す。

 更にイヴリスが絵筆を振るえば、また別の現象が俺達を襲った。

 

「“風よ吹け”」

 

 まるで歌うような声。

 イヴリスはそう囁くと、筆をキャンパスではなく宙に走らせる。

 緑っぽい色が虚空に線を描くと、それは言葉通りの風となって吹き荒れた。

 正面から押し寄せてくる突風。

 吹き飛ばされないよう我慢するが、どうしたって動きは鈍る。

 其処を狙い、絵画や石膏像の姿をした怪異が殺到する。

 

「レックス!」

 

 危険を呼びかけながら、マレウスは水を操る。

 風の圧力にも負けない勢いで水弾を放ち、向かって来た絵画を撃ち落とす。

 俺も剣で風を引き裂き、何体かの石膏像を纏めて薙ぎ払った。

 今のはちょっと危なかったな。

 攻撃を切り抜けた俺達を、イヴリスは童女のように笑って見ていた。

 

「本当に凄い。今のは結構本気でやったんですけどね」

「もうちょっとぐらいなら頑張れるぞ」

「頼もしい言葉ですね」

 

 距離は一向に変わらない。

 言葉を交わしながら、イヴリスはまた絵筆を動かす。

 今度は数枚のキャンパスに赤い絵の具を乗せる。

 同時にそれらは火に包まれ、砲弾みたいな勢いで飛んで来た。

 直撃すればヤバそうだが、俺は敢えて無視した。

 楽しむのは良いが攻撃の選択を間違えたな。

 

「あら」

 

 イヴリスの唇から、僅かに漏れる驚きの声。

 俺に向けて放った炎は悉く撃ち落されるのを見たからだ。

 やったのは当然マレウス。

 強力な水弾を放つ事で、全ての火球を同時に打ち砕いた。

 一瞬。ほんの一瞬だったが、イヴリスの気が逸れた。

 俺はひと際強く床を蹴る。

 なかなか間合いに入れないが、この距離が永遠に続く筈もない。

 少なくともあの十三階段はそうだった。

 だったら気合いを入れれば何とかなる――はず。

 根拠は何も無いが、俺は兎に角走った。

 怪異と化した絵画や石膏像は剣の一払いで蹴散らして。

 そのまま絵の前に佇むイヴリスへと手を伸ばす。

 が、指が届く直前に視界が揺れた。

 

「何だ……!?」

 

 突然、俺は天地を見失った。

 目の前には黒い空間が広がり、浮遊感が全身を包み込む。

 拙い、何だか分からんが「落下」している。

 そう気付いた瞬間、俺は手にした剣を振り回した。

 殆ど勘で取った行動だが、幸運にも切っ先に感触があった。

 その硬い何かに向けて全力で剣を突き立てる。

 腕に強い衝撃が走るが、それはどうにか堪え切る。

 ……止まった。

 下を見れば、ただ黒々とした闇が延々と続いている。

 周りも似たような感じだが、剣はその闇の一部に突き刺さっていた。

 良く分からんが、これは穴か何かか。

 そう思い、今度は上を見上げる。

 予想通り、丸く見える美術室の天井と。

 その穴の縁から覗くイヴリスの姿があった。

 

「しくじったな、落とし穴か」

「単純な罠ほど、引っ掛かってくれた時は気持ちが良いですね?」

 

 笑うイヴリスの手には、先が黒く濡れた筆がある。

 俺が距離を詰めようとした一瞬で、床に「穴」を描いたわけか。

 とりあえず転落死は避けられたが、さてどうするかな。

 

「出来ればあのまま落下してくれれば楽だったんですけどね」

「悪いが、しぶといぐらいしか取り柄が無くてな」

「謙遜を。

  ……此処から下手に何かすると、それはそれで上手く利用されそうですね」

 

 手元に絵画の兵士を浮かべながら、イヴリスは小首を傾げる。

 あの辺なんか飛ばして来たら、最悪足場に出来ないかとかは考えてたが。

 

「マレウス、そっちは無事か?」

「私は平気だけど、貴方は……!?」

「いや、とりあえずは大丈夫だ。とりあえずはだけどな」

 

 一応声を掛けてみたら、マレウスも穴の縁から顔を見せた。

 水を使って助けようとは考えてるみたいだが、正面にはイヴリスがいる。

 近くに絵画を浮かべているのも、マレウスに対する牽制が目的だろう。

 穴に落ちた俺を挟んだ、教師と生徒の睨み合いになる。

 ぶら下がってるだけなら当分平気だが、流石にこのままじゃな。

 状況を打開する手段はないか、足りない頭を働かせる。

 そうしている間も、マレウスとイヴリスは互いを見ていた。

 

「……貴女に勝ち目は無い。分かっているでしょう、イヴリス」

「またお話ですか? 先生は優しいですよね。

 どれだけ出来の悪い相手でも、いつも根気良く付き合ってくれて」

「出来が悪いと思った事なんて、これまで一度も無いわ。

 私にとって、皆は同じぐらい大切な生徒だもの」

「……偽りなくそう言えてしまうところが、本当に優しいですね」

 

 少しだけだったが。

 イヴリスの呟いたその言葉には痛みが伴っているように感じた。

 何処が痛み、何を悼んでいるのか。

 それは俺には分からない。

 今のマレウスはどうだろう。

 言える事は、下から様子を見るってのはなかなかしんどいって事だ。

 とりあえず俺はその場で軽く手を伸ばす。

 剣が突き刺さっている辺りに触れると、其処には硬い感触があった。

 どれも真っ黒い色に染まってるせいで分かりづらいが、其処に壁があるっぽい。

 もう一つ試しに、柄を持つ手に力を入れてみる。

 身体が少し持ち上がるが、剣が壁から抜けたりはしない。

 大分しっかり刺さってるようだな。

 これなら何とかなるかもしれない――が。

 今、俺から動いてもイヴリスは即座に対処するだろう。

 だから無力に宙ぶらりんだと装って様子を見る。

 マレウスが状況を動かしてくれると期待しながら。

 

「けれど、貴女が何を言っても止める気はありませんよ」

「……何が、そこまで」

「それに答えて欲しいのなら、私に勝って下さいよ。

 殆ど力を制限されてる今の先生に出来るかは分かりませんけど」

 

 そういうイヴリスの言葉は、またいつもの調子を取り戻していた。

 床の穴を挟んだ向こう側。

 対峙するマレウスを見ながらも、意識はこっちにも向けている。

 無力アピールのつもりで手を振ってみた。

 が、残念ながら無視スルーされる。

 イヴリスはマレウスから視線を外さないまま絵筆を走らせる。

 描く対象は、絵画ではなく石膏像。

 騎士の姿を模した像に色を乗せたようだ。

 見た目がより「本物の騎士」に近付いた影響か、明らかに力が漲っている。

 そんな騎士像が一つでは無く複数。

 俺の角度からじゃ全部は見えないが、二体や三体じゃないだろう。

 それに対して、マレウスは動かない。

 イヴリスの仕込みが終わるのを待っているようだ。

 それを見てまたイヴリスは笑った。

 

「余裕のつもりですか、先生」

「いいえ。……貴女が本気なのは分かったから。

 それなら私も、それを本気で受け止めなくちゃダメでしょう?」

「――そういうのを余裕と言うんですよ、マレウス先生!」

 

 その言葉を「命令」としたか。

 イヴリスが鋭く叫ぶと、騎士像たちは動き出す。

 そこそこ幅のある穴も軽々と飛び越えて。

 其処に佇むマレウスへと、鋭い剣を振り下ろす。

 彼女はあくまで不動。

 まるで無抵抗に、その剣を受け止めて――。

 

「……貴女の言う通りよ、イヴリス。

 私の力は、かつて竜王と呼ばれた頃に比べれば大きく制限されてる」

 

 穏やかな、けれど揺るがぬ強さを持ったマレウスの声。

 怪異の騎士達が繰り出した剣を、彼女は避けようともしなかった。

 その場から一歩も退かず――その刃を、両腕で防いでいた。

 剣は喰い込み、刻まれた傷からは赤い血が滲んでいる。

 だがそれだけだ。

 マレウスはその細腕で、騎士達の剣を完全に止めていた。

 

「それでも、私は竜の王。

 弱っていても、このぐらいの事は出来るわ」

「流石……!」

 

 愉快げに笑いながら、イヴリスは再び筆を動かす。

 だがそれよりマレウスが早かった。

 騎士達の剣を防いだままの状態で水を操る。

 鋭い刃と化した水流は、一息に騎士の像を打ち砕く。

 ただ粉砕しただけではない。

 砕けた破片が、そのままイヴリスの視界を遮るように散る。

 それによってイヴリスの動きが一瞬だけ鈍る。

 逆にマレウスの動きに迷いはない。

 

「イヴリス!」

 

 教え子の名を呼びながら、今度は彼女が穴を飛び越えた。

 俺は真下からそれを見ていた。

 また部屋そのものを変化させ、互いの距離を引き延ばされる可能性はあった。

 だが「受け止める」と宣言したマレウスへの対抗意識か。

 イヴリスの方も正面から迎え撃つ事にしたらしい。

 

「“斬り裂け”!」

 

 鋭く叫ぶ《力ある言葉》。

 同時に筆が宙を走り、幾つもの銀色の刃が矢の如く放たれる。

 飛んでいる最中のマレウスに避ける術はない。

 刃は容赦なく彼女の身体を抉り、真っ赤な血が飛び散る。

 人間ならば間違いなく重傷で、即戦闘不能でもおかしくはない。

 しかし、其処はマレウス自身が言った通り。

 弱っていても彼女は竜だ。

 そのぐらいの負傷では止まらない。

 

「まだ……っ!」

 

 身体を斬り裂かれながらも、マレウスは無事に着地したようだ。

 ただ浅くない傷のせいか、足下が若干ふらついたのが見える。

 対するイヴリスは、ダメ押しとばかりに筆を動かす。

 その眼は完全にマレウスだけを捉えていた。

 ――意識が逸れたな。

 やっと訪れた好機に、こっちはこっちで動き出す。

 それでもこの瞬間はイヴリスが一番早い。

 間に合うかとちょっと焦った――が。

 

「ッ、これは……!?」

 

 恐らく、イヴリスは筆によって怪異の力を振るうつもりだったのだろう。

 色の点いた筆で虚空に色を乗せるが、結果は何も起こらなかった。

 その時に初めて、イヴリスの声に焦りが混じる。

 一体何が起こったのか理解出来なかったろう。

 それを見て、血に塗れながらもマレウスは微笑んだ。

 

「私は竜だから、本気で攻撃しないと足を止められない。

 その判断は正しいけれど、方法の選択を誤ったわね」

 

 語る声は、子供に教え諭す時のように。

 その手に自らの血を掬い、マレウスは自らがした事を示した。

 

「私の魔力は水を操れる。普通の水も、魔力で生み出した水も。

 そして自分のモノであれば、

 

 マレウスの手の上で、赤い水が踊っている。

 其処でイヴリスは気付いたようだ。

 手にした筆の先が真っ赤に染まって固まっている事に。

 さっき派手に斬り裂かれた時に飛び散った血液。

 あの時にイヴリスの筆を自分の血で固めて封じていたわけだ。

 

「まだですよ、マレウス先生……! このぐらいで勝ったとは」

「いいえ、終わりよ。イヴリス」

 

 未だ諦めないイヴリスに、マレウスは静かに告げる。

 子供の遊びは此処までだと。

 俺はその言葉に応える為に、大きく「跳んだ」。

 突き刺さった剣を足場に、《跳躍》で強化された脚力で。

 一息に上までジャンプすれば、丁度目の前にイヴリスがいた。

 

「よう、世話になったな」

「っ……!!」

 

 俺の言葉に、イヴリスは何か言おうとしたようだが。

 それより早くその身体を抱え上げた。

 筆を持つ手を抑え、口も窒息だけは注意して塞いだ。

 うん、小柄だが思ったよりデカいな。

 ちょっとジタバタ暴れられるが、力は見た目相応にしかないようだ。

 傍から見た絵面がヤバい気もするが、俺はしっかりとイヴリスを抑え込む。

 

「……ありがとう、優しくしてくれて」

「ま、このぐらいはな。そっちは大丈夫か?」

「ええ、流石にちょっと痛いけどね」

 

 手とか足とか、かなりバッサリな状態でマレウスは笑った。

 それで「ちょっと痛い」は流石だな竜王。

 イヴリスは捕まえたまま、俺は彼女の持つ筆に力を込める。

 試しにやってみただけだが、思ったよりも簡単に圧し折る事が出来た。

 同時に、足下の床で硬い金属音が響いた。

 そっちに視線を向ければ、其処には俺の剣が転がっているのが見える。

 筆を壊した事で穴が消失し、内側に刺さっていた剣は床の上に押し出されたようだ

 そのまま紛失する可能性もちょっと考えていたので、思わず安堵の息が漏れる。

 まぁ、それは兎も角だ。

 

「子供の遊びも終わったし、これでようやく本題に入れるな?」

 

 捕まえてるイヴリスにそう言うと。

 彼女はようやく観念した様子で、身体から力を抜いた。


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