幕間1:その時起こったこと

 

「えーと、でんしゃ? れっしゃ?

 乗るのは久しぶり――いや、ちゃんと乗るのは初めてか?」

『流石にちょっと暢気過ぎない?』

 

 ガタンゴトン、と。

 規則正しく揺れる乗り物の中。

 俺は壁に設置された座席に腰を下ろした。

 猫もツッコミを入れつつも、すぐ近くで丸くなっている。

 そして、もう一人。

 

「……そんな警戒しなくても、大丈夫だぞ?」

「そうは言うけど……」

 

 もう一人。

 記憶を失って、見た目も俺が良く知る姿からは少し変わっている彼女。

 普段では考えられないが、この状況に戸惑っているようだ。

 むしろ怯えていると言っても良い。

 俺の横に座る彼女の頭を、また軽く撫でた。

 ガタンゴトン、と「れっしゃ」は揺れる。

 今のところ、俺達以外は誰も乗っていない。

 窓の外は暗闇ばかりで、景色が見れないのが残念だ。

 

「何かあれば俺がなんとかする。

 割と疲れてるだろ? 少し休んでも良いぞ」

「うっ」

 

 疲れている、というのは図星であったらしい。

 彼女は小さく呻くと、恥じらうようにほんのり頬を染める。

 

「……気を、抜き過ぎじゃないかしら」

「俺がいるから、気にしなくて良いぞ」

「そういう貴方は、疲れてないの?」

「良いのか悪いのか、今の状態だとあんま疲労とか無いんだよなぁ。

 疲れる身体が無いせいか?」

「それはそれで問題あるんじゃ……?」

『オレもそう思うけど、現状どうしようもないからなー』

 

 至極もっともなツッコミだが、まぁ猫の言い分が全てだな。

 肉体がないのに、鎧の中に意識だけが通っている感覚。

 俺自身もなんとも形容しがたいが。

 コレをどうこうする手段は、今のところ俺達にはない。

 猫は「良く分からん」でお手上げだしな。

 

「それは先に進めば何とかなるかもしれんし。

 今はそっちの休憩の方が大事だな。

 いざって時に力尽きたんじゃ、色々困るだろ」

「…………そう、ね」

 

 俺の言葉に納得したようで、彼女は小さく頷く。

 不安げなのは、自分が置かれている状況すべてが未知だからだろう。

 眠って、目覚めて。

 その時点での自分が、眠る前の自分と同じ保証がない。

 何もないってのは、本当に心許ない話だ。

 だから俺は、彼女の肩に手を回した。

 がらんどうの腕で申し訳ないが、ちょっとぐらいはマシになるかと。

 

「……貴方って、『私』に対して遠慮がないわよね」

「嫌だったか?」

「嫌じゃないから、困ってるのよ」

 

 照れた様子で応える彼女は、俺の良く知る彼女と同じ。

 だからこっちも躊躇わず、細い身体を抱き寄せた。

 

「次の場所に着くか、異常が起こったらすぐに起こす。

 いや、そのまま抱えて移動した方が早いか?」

「ちゃんと起こして貰って良い?」

「了解」

 

 赤い顔を少し膨らませる彼女に、俺は笑って応える。

 嫌ではないようだから、実際にそうなったら抱えて行こうか。

 流石に走ったりすればそのまま起きるだろうしな。

 うん。何も問題ないし、それで行こう。

 

「……ん」

 

 なんて考えていたら、彼女はあっという間に寝息を立て始めた。

 抱き寄せた俺の腕を胸に抱くようにして。

 やっぱり疲れてたんだな。

 

『…………こうして見ると、まるで単なる人間みたいだな』

 

 そう呟くように言ったのは、座席の上で丸くなった猫。

 いや、《古き王オールドキング》の一柱である竜王ヴリトラだった。

 まぁ動きとか仕草とか、今はどう見ても猫だけど。

 

『で、どう思うよ。彼氏殿』

「何に対して聞いてるのかによるなぁ」

『全部だよ、全部。オレとしては何もかんも忘れて熟睡したいぐらいだ』

「そうしないで付き合ってくれてんのは感謝してる」

『じゃないとゆっくり眠れそうにないからな、この状況』

 

 やれやれと、首を振ってヴリトラはため息を吐く。

 猫の姿で人間めいた仕草をするのは、なかなか見ていて面白い。

 残念ながら、ヴリトラ自身も言ってる通り。

 状況はそう気楽にいさせてはくれないワケだが。

 

『……寝てる?』

「ぐっすりだな。ちょっとやそっとじゃ起きないぐらいには」

『だったら丁度良い。ちょっとばかし状況を整理するか』

「俺も割と混乱してるから、そうして貰えると助かる」

『全然そうは見えないんだけどなぁ……』

 

 いやいや、そんな事はないぞ。

 単に、やることそのものはいつもと変わらないってだけで。

 まぁそれは兎も角だ。

 

『オレも彼氏殿、それに長兄殿。

 全員、あの《バビロンの聖櫃せいひつ》に近付いたらこうなってた。

 それで間違いないか?』

「俺の記憶がおかしくなってなければ、そのはずだ」

 

 ヴリトラの確認に俺は頷く。

 ここに来てから、時間の感覚はサッパリだが。

 思い出すのは、俺達が《天庭バビロン》と呼ばれる都市を探索し始めた時だ。

 

「この都市は、一部の機能はまだ生きてる。

 それと、この都市の外周を取り囲むような深い霧。

 恐らく何かを隠そうとする意図があるわ」

 

 そう言ったのは、今も俺の傍らで眠る彼女。

 記憶も何も失う前のアウローラだった。

 霧に包まれた外周部は、テレサとイーリスの姉妹が簡単には調査してくれていた。

 何者かが用意したと思しき、携帯食料の保存場所。

 姉妹が見た限りでは、大半の建物は朽ちていたそうだ。

 が、食料庫も含めて「生きている」場所は幾つかあった。

 そして、いつまでも晴れない奇妙な濃霧。

 遥か昔に滅びたはずの都だが、ここには何かがある。

 そんな想像をさせるには十分過ぎた。

 

「何があるかは知れんがな。

 かつて栄華を極めた巨大都市《天庭バビロン》。

 そこに何らかの秘密があるとしたら、大真竜どもが関わってないとは思えんな」

 

 とはボレアスの言だ。

 それについても、誰も異論はなかった。

 ゲマトリアを倒した以上、《大竜盟約》とやらとの激突は不可避。

 だったら、ダメ元でも何か情報を拾えれば良いと。

 そんなノリで、俺達は廃都をもっと詳細に探索することにした。

 最初は霧に閉ざされていた区画エリアを探った。

 が、ここはテレサとイーリスが調べたのと大差なかった。

 うっかり霧の中で逸れてしまわないよう、警戒しながら奥へ、奥へ。

 分厚い壁みたいな霧を抜けようとした矢先に、俺達は「それ」を見つけた。

 半ば崩落した建物の中、瓦礫に埋まるような形で存在した「黒い箱」。

 他の建物とかは年月で風化している物が多い。

 にも関わらず、その人間の身長の三倍以上ありそうな箱だけは完全に無傷だった。

 光を一切反射しない、その黒い箱を見て。

 

「……《バビロンの聖櫃》ね。まさか残ってるとは」

 

 アウローラは、聞き慣れない単語を口にした。

 

「ばびろんのせいひつ?」

「竜王バビロンについてはお前も知っていよう。

 《古き王》の中でも、とりわけ強大な力を持つとされる《五大》の座。

 その一つを埋めるバビロンは、事実上この大陸の支配者だった」

 

 やや離れた位置から黒い箱を見上げて。

 ボレアスは面白くもなさそうに、それについて淡々と説明をしてくれた。

 

「大陸の半分以上を版図とした巨大国家、《王国マルクト》。

 《王国》の支配者たるバビロンは、その全てを己の知恵と力で直接統治を行った」

「……大陸の半分以上なんだろ? 国の大きさ」


 一応、《王国》については朧気ながら知識はある。

 ただ改めて聞くと、無茶苦茶具合が過ぎて現実感が薄い。

 俺の確認に対し、ボレアスは一つ頷いて。


「然り。普通に考えればそんな事は不可能であろう。

 その不可能を実現するために造られたのが、この《バビロンの聖櫃》だ」

 

 改めて、瓦礫に埋まった巨大な黒い箱を示す。

 

「これは中枢たる《天庭》を含めて、大陸に点在する主要な都市に配置された。

 バビロンの力と意思、それを遠く離れた場所でも無駄なく伝達するために。

 事実として、バビロンはこの《聖櫃》を通じてあらゆる事を行った。

 各都市に対する魔力エネルギー供給。

 『託宣』という形で都市毎に向けた具体的な運営計画とその指示。

 天候の調整までもこの《聖櫃》で行っていたらしいな。

 はては死した国民は例外なく、この《聖櫃》に葬られたとか」

「ほえー」

 

 規模スケールがデカ過ぎて、なかなか想像が追いつかない。

 死ぬ前からして田舎者だった俺に興味深い話だったが。

 傍から聞いてたアウローラは、あまり面白くなかったらしい。

 微妙に不機嫌そうな様子で黒い箱――《聖櫃》へと近付く。

 その足元に、灰色の猫が滑り込んだ。

 

『長兄殿や、流石にそれでヤキモチ焼くのはどうかと思うわ』

「うるさいわね駄猫。そういうのじゃありませんから。

 とっくに死んだ淫売がちょっと持ち上げられたからって、気分を害してません」

『そういうとこだぞ長兄殿』

 

 と、猫がアウローラに軽く踏んづけられた。

 ボレアスの後ろ辺りから、テレサとイーリスの姉妹もそれを見ていた。

 未だに原形を留めているバビロン時代の遺物。

 俺も含めて、人間はいきなり近寄らない方が良いって話だが。

 

「おい、そんなホイホイ寄って大丈夫なのか?」

「平気よ、貴女イーリスも心配性ね」

 

 気遣うイーリスに、アウローラは軽く笑ってみせた。

 別に彼女も油断していたワケでは……いや、ちょっとはしてたかも。

 俺も含めて、一応警戒はしていた。

 少なくともその時点で、おかしな気配や兆候はなかった。

 だからアウローラも、深く考えずに黒い箱に近付く。

 念のため傍にいたヴリトラも、何か起こるとは考えていなかったようだ。

 ――その瞬間が、訪れるまでは。

 

「《聖櫃》が崩壊してないなら、都市の一部が生きてるのは納得ね。

 ただ、バビロンが既に死んでるなら、何処から……」

 

 思考を言葉として呟きながら。

 より詳しく分析しようと、アウローラは《聖櫃》に指を触れさせる。

 異変は、その直後に起こった。

 

『……ッ! おい、長兄殿! 何かおかしな気配が――』

「えっ?」

 

 真っ先に気付いたのはヴリトラだった。

 アウローラは思わず動きを止め、離れていた俺達も反応が遅れた。

 それで詰みだった。

 

「なっ……!?」

 

 突然、真っ暗な「何か」が《聖櫃》から溢れ出した。

 抵抗する暇もなく、アウローラの身体にソレは絡みつく。

 警告を発したため、逃げ遅れた猫も同様に。

 

「悪いが、そっち頼んだ」

「レックス殿!?」

 

 テレサに一方的に言い置いて、俺は躊躇わずに《聖櫃》へと向かう。

 剣を抜き放ち、アウローラとヴリトラを捕えるモノを斬り裂こうとしたが。

 

「ダメよ、レックス! コイツは――――」

 

 最後に耳に届いたのは、必死に訴えかけるアウローラの声。

 彼女は一体、何を伝えようとしたのか。

 それを聞き終わる前に、俺の意識は闇に引き込まれた。

 《聖櫃》から溢れ出した黒い何か。

 アウローラを助けようと、斬りかかったところまでは覚えてるんだが。

 

「……お互い、気付いたらこの有様で。

 目覚めた時は、さっきの街中のそこらに放り出されていた、と」

『オレと彼氏殿がさっさと合流できたのは、不幸中の幸いかねぇ』

「間違いないな」

 

 ため息まじりの猫の言葉に、俺は素直に同意した。

 中身のない鎧だけ、という状態で一人放り出されたら流石にしんどかったろう。

 そういう意味で、ヴリトラが近くにいたのは本当に幸運だった。

 で、おかしな街を適当にぶらついて探していたら、ひと際大きな音がして。

 影みたいな連中が大挙して押し寄せている中心。

 そこにいた少女は、見た目こそ違ったが良く知る気配を纏っていた。

 そっから先は、今さら語るまでもないだろう。

 

『……前途多難だな、マジで』

「流れを確認しても、結局『よく分からん』ってのが結論だなぁ」

『長兄殿がもうちょいマシな状態なら良かったんだけどなー……』

 

 言いながら、猫は俺の傍らを見た。

 気配も温もりも、間違いなく俺の知る彼女だが。

 そこに《最強最古》なんて呼ばれた、賢くて強いドラゴンはいなかった。

 穏やかな寝息を立てて、ぐっすりと眠る少女。

 本当に、ただの人間みたいだ。

 

「そっちは、何か分からないか?」

『期待に添えず悪いがな。

 ……あの黒いのは、姉貴――バビロンの仕業かとも、ちょっと思ったけどな』

 

 竜王バビロン。

 かつては実質的に大陸を支配していた、最も強大な古竜だったが。

 

「死んだ……んだよな? でも古竜って不死なんだろ?」

『彼氏殿の持ってる剣とか、例外はあるさ。

 まぁそれは魂喰いの剣だからな。

 それで切られて「死んだ」って表現するのはちょっと違うが』

「だけど、それでもバビロンは死んでるって話だ。

 ここに来る前に見た《天庭》も、生きてるのは一部でほぼ廃墟だったしな」

 

 昔語りや、他に得た情報でもそれが真実のはずだ。

 ヴリトラは難しい顔で唸る。

 

『オレだって、バビロンの死を直接確認したワケじゃない。

 ただ、死んだって情報は間違いないはずだ。

 バビロンが仮に生きてたら、自分の街をあんな状態じゃ放置しない。

 さっきの黒いのも、バビロンの気配はなかった』

「なるほどなぁ」

 

 兄弟であるヴリトラが言うなら、それは間違いないはずだ。

 しかし、そうなると。

 

「《聖櫃》から出て来たアレはなんだ?」

『そいつはオレが聞きたい』

「だよなぁ」

 

 結局、分からないということが再確認できた。

 列車は未だに、ガタンゴトンと穏やかに揺れている。

 

『ただ呑まれる直前の様子からして。

 長兄殿は、アレが何なのか分かってた気がするな』

「それは俺もそう思う」

 

 最後に何かを言いかけてたしな。

 残念ながら、今はその本人が何も覚えてないから聞きようもない。

 それはそれで仕方ないと、俺は眠る彼女の頬を撫でる。

 少しだけ、少女はくすぐったそうに身震いした。

 

『……彼氏殿はすげェよなぁ』

「そうか?」

『そうだよ』

 

 呆れ顔で笑うヴリトラに、俺は首を傾げる。

 

『……これはあくまで予想だが。

 恐らくこの妙な空間は、長兄殿に進む意思がある限りは先へ進める。

 どういう意図があってのルールかまでは分からんが』

「都合よく扉があったり、都合よくその鍵があったり。

 まぁ、その辺は分かりやすいよな」

『全部罠って可能性も捨てきれないのが痛いけどな』

 

 それはそれで、まぁ仕方ない。

 以前、地下迷宮に落ちた時も色々おかしい空間を彷徨ったが。

 今回もアレに近い――けど、何か違う印象もある。

 流石に細かいところは良く分からんが。

 

「まぁ、先へ進めるのなら何とかなるだろ」

『……マジでそう言い切れるのは、ホントすげェよ。いやマジで』

 

 やっぱり呆れた様子でヴリトラは笑った。

 やがて、列車の揺れが穏やかになり始める。

 速度が緩み、程なくして。

 

『――間もなく、「帰らずの岬」に到着します』

 

 無機質な女の声が、次の行先の名前を告げた。

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