第二章:帰らずの岬

215話:油断ならないアイツ


 揺れる、揺れる。

 柔らかな振動が、「私」の身体を包み込んでいる。

 電車――列車? に乗ってる時とは異なる揺れ。

 眠る「私」を急き立てるのではなく。

 ただ守るように抱き締めてくれている、そんな揺れ。

 もうずっと、このままでいたい。

 そんな願望が、胸の奥から顔を出している。

 ――けど、ダメ。それはダメよ。

 一時だけ眠るのは良い。

 夢を見るのだって構わない。

 けれど、その底に沈み続けるのだけはダメ。

 それは決して、「私」の望みでは――。

 

「起きたか?」

「…………」

 

 瞼を開くと、すぐ目の前に兜があった。

 中身はないのに、笑ってるとすぐに分かった。

 ……こんなやり取りを、何回もしたことがある気がする。

 何も覚えてないはずなのに。

 

「……ここは?」

『あぁ、もう列車は下りたぞ』

「ちゃんと起こしてって、言った気がするんだけど……」

 

 足下から聞こえる猫の声。

 軽い抗議を口にしながら、「私」は目元を指で擦った。

 寝起きなせいか、視界がぼんやりしている。

 

「大丈夫か?」

「平気よ。……だから、そろそろ下ろして貰って良い?」

 

 ええ。

 別に嫌ではないし、照れてるワケでもないですけど。

 抱っこされたままというのは、どうにも。

 落ち着かない。ええ、落ち着かないんです。

 「私」は眠っていたから、運ぶ必要があるのは分かるけど。

 そんな「私」の言葉に、甲冑の彼は素直に従ってくれた。

 これ以上なく丁寧な動きで、「私」をそっと地面に下ろしてくれる。

 ……なんで、こんなに手慣れてるのかしら。

 

「その、ありがとう?」

「どういたしまして」

 

 一応お礼を言ったら、頭を撫でられてしまった。

 顔がまたちょっと熱くなるのを感じながら。

 「私」はそれを誤魔化すように、改めて周りに視線を向ける。

 列車は下りた、という話だったけど……。

 

「……なに、ここ?」

『分からん』

 

 やや茫然とした「私」の呟きに、猫は律儀に応えてくれた。

 相変わらず空は暗い。

 星一つもなくて真っ暗だけど、「私」の目はそれを見ていた。

 水。大量の水。

 「私」達が立っているのは不毛の荒野。

 その地面が途切れている先、暗く広がる空の下。

 やっぱり暗い色をした水が音を立てて渦巻いているのが見える。

 ザザァン、ザザァンと。

 規則正しく、時に不規則に。

 波の音は、まるで獣が発する不気味な唸り声にも聞こえた。

 

「これは……海?」

「列車では、『帰らずの岬』とか言ってたな。確か」

「なにその全力で不吉な名前は」

 

 一体どういう感性センスで付けたのよ、帰らずの岬なんて。

 言ってから、「私」はまた暗い海の方を見る。

 距離はまだ遠い。

 見渡す限りに水面が広がっているせいで、遠近感は微妙に狂ってるけど。

 

「…………」

 

 念のため、それ以外の周囲も見回してみた。

 乗って来たはずの列車の姿がどこにもないのは、まぁ予想通り。

 それ以外のモノも何もないのも、まぁ想定通り。

 この場にいるのは「私」達だけ。

 後は地面が途切れた先に横たわる、暗闇のような海があるのみ。

 問題は。

 

「……これ、どっちに進めば良いと思う?」

「順当に行けば海の方だよなぁ」

『荒野の方は延々彷徨うハメになりそうだよな』

「やっぱりそうよね……」

 

 何か、「私」の思いつかないような別の答えとか。

 そういうのを期待しなかった訳じゃないけど。

 あまりに模範的な言葉に、「私」はため息をこぼしてしまう。

 ……そもそも、「私」はさっきまで街中にいたはずなのに。

 目指す場所だって、都市の中心にある大神経塔のはず。

 

「なのにどうして、海の真ん前にいるわけ??」

「分からん」

『オレらに聞かれても困るわ』

 

 それもまた、実に模範的な回答だった。

 ザザァンと海が鳴っている。

 甲冑の彼が手を伸ばし、また「私」の髪を撫でた。

 

「俺も前に、似た感じの場所に迷い込んだ事があったが。

 ぶっちゃけ、繋がりなんざ曖昧なまま色んな所に繋がるからな。

 そういうのは気にしない方が良いぞ」

「そういうものなの……?」

「そういうモンだな。多分。きっと」

 

 最後の方を曖昧に濁すのは止めて欲しい。

 ……まぁ、ここで文句を言ってても仕方ないわよね。

 目指すべき場所は、大神経塔《天の柩ナピシュテム》。

 さっき聞いては見たけれど、実際のところは分かっている。

 進むべき道は、あの海の向こう側だ。

 

「問題はどうやって渡るか、なんだけど……」

「泳ぐとか?」

『絶対に途中で力尽きると思うわ』

 

 「私」も猫の言う通りだと思う。

 そんな風に話しながら、「私」達は一先ず海の方へと向かう。

 荒れ野は本当に何も無くて、風だけが寂しく行き過ぎる。

 一体、この場所にはどういう意味があるのかしら。

 

「……まさかとは思うがなぁ」

「? どうしたの?」

 

 甲冑の彼が漏らした呟きに、「私」は思わず聞き返した。

 彼はほんのちょっとだけ言い淀むと。

 

「……昔、こういう場所を見た覚えがあったな、と」

「ホントに?」

「一緒に見たんだけどな」

 

 やっぱり思い出せないか、と。

 彼に問われて、「私」はまた海を見た。

 ……思い出せない。

 やっぱり、今の「私」には何も分からない。

 分からない。分からない、けど。

 

「…………これじゃない」

 

 違う。

 違うということだけは、ハッキリと分かる。

 この景色は、「私」が見たいものではないと。

 「私」の中の何かが、そう告げていた。

 

「……そうだな」

 

 彼の指が、「私」の髪や頬に触れる。

 硬いはずの指先の感触は、心地良くて本当に困る。

 胸の奥が、溶けてしまいそうで。

 

「再現なのか、別に意味があるのかは俺も分からんけど。

 あの時に見た海は、もうちょっと綺麗だったからな」

 

 少なくとも、こんなに暗く淀んではいなかった。

 ほんの少しだけ懐かしそうに彼は言う。

 

「……その時の海は、綺麗だったの?」

「あぁ。まだ夜が明けたばかりで、遠くまで良く見えたよ」

「それは、『私』も見てたの?」

「見てたな。良い眺めだった」

 

 「私」の知らない「私」。

 「私」の分からない「私」。

 それを語る彼の声は、本当に温かくて。

 

「…………見てみたいな」

 

 思わず、「私」はそんなことを呟いていた。

 その時の「私」は、「私」とは違うかもしれないのに。

 こんな暗い海ではなく、彼が綺麗と言った海を見たいだなんて。

 儚い夢に過ぎないと、「私」が一番良く分かっていた。

 けれど、彼は。

 

「見に行くか」

 

 呆気なく、そんな風に言ってしまうのだ。

 驚いて見上げる「私」の頭を、彼はゆっくりと撫でる。

 

「まぁ、もしかしたら直ぐにとは行かないかもしれないけどな」

「良いの?」

「あぁ、目的地もあんまり定まってないブラリ旅だしな。

 そういう寄り道も、たまには良いだろ」

 

 うむ、と頷く彼。

 言ってることは、何だか凄く適当だけど。

 嬉しいと、そう感じている「私」を誤魔化し切れない。

 ――「私」はきっと、美しいものを見たいのだ。

 

『イチャついてるところ悪いけどよ、お二人さんや』

「べ、別にイチャついてなんかっ」

『アレ見て、アレ』

「アレ?」

 

 促されて、「私」と彼は海の方を見る。

 見えて来たのは、水と土の境目。

 暗い波が寄せては引く、やっぱり暗い色をした浜辺。

 そこに何か、大きな物が幾つも転がっていた。

 それは――。

 

「船の残骸だな」

 

 そう、船だ。

 大きい……と言っても、見上げるほど大きいワケじゃない。

 精々、頑張れば五人乗れる程度の木製の船。

 恐らく手で漕ぐタイプの単純シンプルな代物。

 それが見えてる範囲でも十以上。

 無惨に破壊され、野晒しの屍みたいに浜辺に転がっている。

 ……本物の死体は、流石に見当たらないけど。

 

「……これ、全部この海を渡ろうとして失敗した跡かしら」

『まぁそうとしか見えんよなぁ』

「確か『帰らずの岬』、だったよな。ここ」

 

 敢えて口に出さなかったことを言わないで欲しい。

 帰らずの岬。

 つまり海へ出た者は、誰も帰ってこないのだ。

 船の残骸だけが流れ着く、それがこの場所。

 ……どうしましょうか、コレ。

 

「こんなの渡ったらダメじゃない??」

「まぁな」

『渡る目途が立ったら起こして貰って良い?』

 

 一人(?)だけ逃げるなんて許さないわよ、この猫。

 猫を引っ掴んでぶら下げても、事態の解決にはならない。

 差し当たって、一番の問題は……。

 

「この海を渡る手段、よね」

 

 当たり前だけど、泳いで渡るのは論外。

 最低でも、その辺に転がってる船ぐらいは必要だと思う。

 まぁ、見えてるのはどれも壊されて航行不能な残骸ばかりだけど。

 もしくは。

 

「飛んで渡る、ってのは?」

 

 何も船を使うばかりが手段じゃない。

 「私」が抱えている猫に対し、甲冑の彼が問いかける。

 最初の街でも、猫の力で空を飛んでたはず。

 これなら……!

 

『期待して貰って悪いけど、それはどうやらっぽいな』

「反則? どういうこと?」

 

 意味が分かっていない「私」に、猫は肩(?)を竦めて。

 

『さっきから試しちゃいるんだけどな。

 「飛ぶ」のはこの空間じゃ禁止らしい。

 身体がちっとも浮き上がらないでやんの』

「また面倒臭いな、ソレ」

 

 猫の言葉に、甲冑の彼は率直な感想を述べた。

 ホント、どうしてそんな面倒な仕組みになってるのかしら。

 「私」もまったく同意見だけど、猫だけは違うみたい。

 尻尾をゆらめかせながら、視線をぐるりと辺りに向けている。

 

『まぁ確かに面倒だが、そういうもんだと諦めるしかないわな』

「けど、それならどうやって……」

『ちょっと前と同じさ。行くべき場所があるんだろ?』

 

 不意に、抱えられたままの猫が「私」に聞いて来た。

 行くべき場所。

 この不可思議な世界の中心。

 今も佇んでいるはずの大神経塔、《天の柩》。

 海を越えた先にまた、そこに通じる道があるはずだと。

 変わらず、「私」の中の誰かが告げている。

 だから。

 

「ええ。こんな暗い水溜まりの前で、いつまでも足踏みしてられないわ」

『だったら、探してみようぜ。

 道があると信じれば、必ずそこに道はあるだろうさ』

「猫のクセに哲学的だなぁ」

『何を隠そう、猫じゃないからなオレ』

「隠すも何もちょっと前に自分で言ってなかった??」

 

 我ながら、馬鹿な話をしてると思う。

 こんな異常極まりない状況でも、おかげで落ち着いていられる。

 そういう意味では、確かに助かっている――けれど。

 

「……本当に、そう都合よく行く?」

『どっち道、大して選択肢はないからなぁ。

 ちょっと前は実際に都合よく行っただろう?』

 

 微妙にやる気のない猫の返答。

 そう言われると、「私」も反論する材料がない。

 進めば道が繋がるという、根拠のない確信。

 それに身を任せて、「私」はこの浜辺まで辿り着いた。

 だから「私達」は、そのままひたすらに浜辺を歩き続けた。

 延々と広がる暗い海と、打ち上げられた船の残骸。

 適当に調べては見たけど、そこには木材の破片以外は何もない。

 乗っていたはずの誰かの亡骸さえなかった。

 ザザァン、と。

 「私」達の声以外には、波の音しか聞こえない。

 

「…………」

 

 半ば無意識に、「私」は甲冑の彼の手を握っていた。

 中身のない籠手は、何も言わずに「私」の指を絡め取る。

 それから包むようにして、ぎゅっと握り返してくれた。

 

「……ありがとう」

「おう」

 

 照れて小声になってしまったお礼に、彼は軽く笑って応えた。

 足下でニヤニヤと猫が笑っていたので、そっちは尻尾を踏んでおいた。

 まったくもう。

 

『酷くない?? あぁそれと、やっぱり見えて来たぞ』

「酷くないです。あんな風に意地悪そうに笑うから――って、え?」

 

 一体、何が見えて来たのか。

 前足で指し示された方に、「私」と彼は目を向ける。

 景色に大きな変わり映えはなく、並ぶのは船の残骸ばかり。

 そう、そのはずだった。

 けど一隻だけ、殆ど無傷な状態の船が鎮座していた。

 ……他は全て壊れているのに、何故?

 本当に、何もかも都合が良すぎる。

 

「船だな。アレ使うってことで良いのか?」

『ダメならダメで、また考えれば良いだろうしな』

「まぁ、それもそうだな」

「いやあんまり良くないわよねソレ」

 

 船がダメなら正直お手上げだと思うんですけど。

 なんて言いながら、「私」達は船の方に近付いて……?

 

「……ねぇ、誰かいるわ」

『マジで?』

「……だな。船の方に、微妙に気配がある」

 

 ガシャリと音を立てて、彼は剣を構えた。

 それから一人だけ前へと踏み出す。

 完全に臨戦態勢ね。

 くだんの船とは。まだ距離がある。

 見たところ、特にこれといった動きは――。

 

「――待て。こちらに戦う気はない」

 

 聞こえて来たのは、年若い男の声。

 同時に、数百年を生きた大樹に似た重みのある声。

 

「げっ」

『どしたよ?』

 

 それに合わせるように。

 何故か甲冑の彼は、酷く嫌そうな声を漏らした。

 知っている相手なのかしら?

 猫と揃って首を傾げていると、船の方で動きがあった。

 

「あんまりな反応で傷付くな」

「なかなか面白い冗談だが、とりあえず姿見せろよ。

 こっちも船ごとぶっ飛ばしたくはないからな。

 足が無くなるのは大変困る」

「短気は損するばかりだぞ」

 

 船の中から立ち上がったのは、一人の男。

 ゆったりとした白装束を、隙間なく纏った長身痩躯。

 金色の髪に尖った耳は、男が森人エルフである事を示していた。

 浮かべる笑みは、酷く油断ならない印象しかない。

 そんな刃めいた表情で、男は戦意がない事を示すように両手を広げて。

 

「そう睨んでくれるなよ。

 俺はお前達の助けになりに来たのだからな」

 

 しゃあしゃあと、そんな台詞を口にしてみせた。

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