216話:暗い海を越えて
「またこんな場所に突然顔出すとかホントお前さぁ」
「なんだ、少しは落ち着いたらどうだ?」
「俺は十分冷静ですよ?」
「……えーっと」
一体、これはどういう流れなのかしら。
突然現れた森人の男。
「助けになりに来た」とか言っていたけど。
甲冑の彼は剣を抜いたまま、躊躇いなく船へと近付いて。
そしてあっさりと、森人の胸元を片手で引っ掴んで持ち上げてしまった。
森人も森人で特に驚きもせず、むしろ愉快そうに笑っている。
……本当に、どういう状況なのコレ?
「……知り合いなの?」
『実はオレも初対面で良く分からん』
猫も微妙に困惑しながら首を傾げていた。
「で、どういう目的なんだ?」
「どうやら悲しい誤解があるようだな、竜殺し」
「いやぁ誤解は特にした覚えはないなぁ」
「……ねぇ。とりあえず、ちゃんと話を聞いてみたら?」
このままだと、延々と同じやり取りが繰り返されそうな気がする。
ちょっと迷ったけど、一応口を挟んでおいた。
それを聞いて、甲冑の彼は微妙に唸る。
「……で、目的は?」
「助けになりに来たと、先程も述べたはずだぞ」
「嘘は言ってなさそうなのが逆にタチが悪いよなぁコレ」
ため息まじりに言って、彼は森人の男を地面に下ろす。
かなり乱暴に扱われたのに、森人は特に気分を害した様子もない。
……意外と仲が良いのかしら、この二人。
口に出したらいけない気がしたので、胸の奥にしまっておく。
衣服の乱れた部分を整えながら、森人は「私」達に視線を向ける。
「……しかしまた、珍妙な状態になっているようだな」
「そういうお前は普通なのか?」
「お前達と違って、最低限の『備え』はして来たからな。
どういう異常が起こるか分からない、と。
まさにその実例を見せられてるのが現状だな」
どこか意味ありげに笑う森人の男。
「備え」とは、何の話だろう。
『一応、こっちも確認したいんだけど。
そちらの紳士はオレらの味方って認識で良いワケ?』
「あぁ、そう考えて貰って問題ない」
「今の『味方だ』って微妙に明言は避けてるから注意な」
「逆に『敵だ』とも明言はしていないだろう?」
「言ってないだけじゃねーかソレ」
……やっぱり仲が良いわよね、この二人。
なんて考えてたら、森人はまた「私」の方を見た。
観察してるというか、何というか。
微妙に刺すような眼差し。
甲冑の彼がそれとなく移動して、それを遮ってくれたけど。
そんな
「助けに来たのは事実だが、俺も全てを把握してるワケではない。
……それで。まさかとは思うが、そちらの娘が?」
「想像してる通りだ。残念ながら、今は色々思い出せない状態だな」
「成る程。それは――少しばかり難儀しそうだな」
そう呟く森人の男。
仲は良い気がするけど、甲冑の彼は剣を片手に抜いたまま。
油断ならないという印象は、どうやら間違っていないらしい。
敵なのか、味方なのか。
灰色の線上を少しも揺れずに渡り切るような。
明らかに危ういはずなのに、不敵な笑みを少しも崩さない。
きっとこの男に関しては、出会い頭に殴り掛かるのが正解な気がする。
……って、流石にそれは物騒過ぎるわね。
『で、話を進めて良い?』
「あぁ、構わん」
『助けに来たってのがホントなら、ここの脱出方法とかも詳しいの?』
「いいや、そういうワケではない」
「何しに来たの??」
彼のツッコミにも、森人は少しも揺るがなかった。
そこはちょっと揺らいで欲しかったけど。
「繰り返すが、俺も事情を全て把握してるワケではない。
俺をここに送り込んだ者も同様にな」
森人は言葉を続けながら、船の方を示した。
「先へ進む手段はコレだろう?
なら立ち話より、移動しながらの方が有意義だろう」
「だからここで待ち伏せしてたのか。
言っとくが、漕ぐのは手伝って貰うぞ?」
「まったく残念な話だが、
と、まぁ何やかんやと。
甲冑の彼と森人の二人で船を漕いでくれるみたい。
「私」は猫を抱えて船に乗っておく。
「あっちこっち残骸だらけで、絶対にヤバい奴だよなぁコレ」
「だが、進むべき者が進まなければ道は開けない。
それは理解してるのだろう?」
「お前絶対に知ってる情報吐いて貰うからな?」
変わらない両者のやり取りを聞きながら。
「私」達は小舟に乗って、果てなく続く暗い海へと漕ぎ出した。
「……あっという間に離れていくわね」
程なくして。
最初にいた浜辺は遠くなり、周り全てが海に閉ざされる。
流れはなく、風も少ない。
酷く凪いだ海の上を、船は進む。
甲冑の彼と森人の男の、そのどちらもパワフルで。
船の速度は思った以上に速い。
「……今、俺達がいるこの場所。
ここは竜王バビロンの亡骸、その内側だ」
『は? バビロンの?』
唐突な森人の呟きに、真っ先に反応したのは猫だった。
と、その直後に森人の方が難しい顔をした。
「……やはり、口に出すと認識阻害に引っ掛かるようだな。
『分かっている』者には最低限、意味は通じる辺りそれほど強力ではないか」
「とりあえず、俺らは大昔に死んだ竜王の腹の中にいる、と?」
一瞬、甲冑の彼が「私」の方を見た。
気遣う視線に、軽く手を振って応えておく。
そんなやり取りに気付いているかどうかは分からないけど。
特に気にも留めず、森人の男は話を続けた。
「その認識で間違いはない。
かつて《天の庭》と讃えられた巨大都市を築き、大陸の支配者として君臨した者。
かの竜王は「死」した後も、己の庭を守る事に固執したらしい」
『……それが、この妙な世界だって事か?』
「私」の腕の中で、猫は難しい顔をしていた。
森人の男は、やはり気にした様子はない。
「当事者ではない俺では、ハッキリしたことは言えん。
事実として、この世界は死んだ竜王の亡骸の内側である事。
そして唯一の脱出経路は、地上との接点である《天の柩》だけという事だけだ」
「地上?」
気になる単語に、つい「私」も聞き返してしまった。
また刃に似た表情で、森人はこちらを見る。
森人の男が、「私」に対してどんな感情を持っているのか。
その表情からは、少しも読み取ることはできなかった。
「そうだ。竜王の亡骸は都市の地下深くに横たわっている。
地上にある都のかつての呼び名に対して、《
「《地の獄》……」
天の庭に対して、地の獄。
それ自体は単なる言葉に過ぎないのに。
口に出すだけで、胸の奥からゾワゾワと怖気が立つ。
思わず、腕の中の猫を強く抱き締めてしまった。
灰色の毛玉が少しジタバタもがくけど、今は構わない。
「とりあえず、《天の柩》を目指すって方針は正しいワケだな」
「そうだな。かつては竜王の本体――魂を納めていた頭脳と呼ぶべき場所。
今地上の都市と繋がっているのは、あそこだけのはずだ」
『なんでそんなこと知ってんのかとか、ツッコミ入れて良い奴なの?』
甲冑の彼の確認に対して、森人の男は小さく頷く。
そして灰色の尻尾を揺らしながら、猫が横から気になる所を突いた。
ええ、本人は大したことは知らない顔だけど。
正直かなり詳しいわよね?
それを問われても、森人の男は笑みを崩すことはなかった。
「秘密だ――などと、気取っても良いが。
別に大した話じゃない。
さっきも言った通り、俺をこの場に送り込んだ者がいる。
今の知識は全て、そちらからの受け売りだ」
そういえば、そんなことも言っていた気がする。
森人自身の印象が強すぎて、うっかり抜け落ちていたけど。
「ソイツが誰なのかは、聞いても良いのか?」
「お前も良く知っている相手だ。
残念だが、特に言伝は預かっていないがな」
「……そうか。まぁ、元気そうなら良いんだ」
「アレを元気そう、と評して良いかは難しいところだな」
濁した言葉でも、甲冑の彼はすぐに察したらしい。
少しだけ、ほんの少しだけ。
懐かしむような、気遣うような。
そんな気配が、彼の声から滲んでいた。
何故か「私」は、ちょっとだけモヤっとしてしまった。
発散しようと、また猫を軽く締めてしまう。
苦し気にジタバタしてるけど、今は我慢して欲しい。
『なんか雑な扱いに微妙にホッとしてる自分がいるわっ!』
「良かったなー」
『あんま良くないんですけどねっ!?』
「……しかし、喋る猫とはまた奇怪な姿だな」
なんか今さら過ぎることを、森人の男は口にする。
いやホント、それを突っ込むのは大分遅いんじゃないかしら。
「まぁ、ここに来る前の時点でも猫ではあったんだけどな。
今は固定されてるらしい」
「そういうお前も、空っぽの鎧だけとはな。
何がどう作用してそんな変化が起きてるんだ?」
「聞かれてもなぁ。
眠気と空腹がないのは、まぁ良し悪しだよな」
話しながらも船は進む。
きちんと目指すべき場所に向かっているのか。
そう不安になるぐらい、周囲の景色に変化はない。
暗い空と海の狭間に、「私」達だけが取り残されていた。
「……不安を感じれば、その分だけ彷徨う時間が増えるだけだろうな」
「……貴方、分かるの?」
「勘だ、根拠はない」
適当なことを、また随分と自信満々に言い切ったわね。
呆れ顔の「私」を見て、森人の男はわざとらしく肩を竦めた。
「まるで根拠がないワケじゃない。
ここは心象世界――死んだはずの竜が見ている、夢のような世界らしい」
「夢?」
「さっき言った通り、雇い主からの受け売りだ。
故にここでは、物理的な距離はあまり意味がない。
必要なのは到達するための意思だ――と、分かりやすい話だろう?」
皮肉げに森人の男は笑う。
確かに、分かりやすい。
「私」もその事実は理解している――根拠なんて欠片もないけど。
同時に、「私」にしかそれを成し遂げられない事も。
そう、どれも理解しているはずだ。
けれど何故か、引っ掛かることがあった。
今の話には、何か重要な見落としがあるんじゃないか……。
「痛っ……」
ズキリと、頭の奥が痛んだ。
誰かが、「私」の思考を邪魔するみたいに。
同時に今までは凪いでいた海が、だんだんと波打ち始める。
櫂を置いて、甲冑の彼は剣を手にした。
森人の方もまた、淡く輝く白刃を抜き放つ。
「進む意思があれば、当然阻む意思もあるか。
その状態でもやれるか、竜殺し」
「誰に言ってんのかな、この糞エルフ。
――こっちは何とかするから、そっちは頼めるか?」
『正直寝たいけど、まぁ何とかするわ。
最低限、船が沈まない程度にはな』
これから起こる事に対処するため、二人は立ち上がる。
痛みを堪える「私」の腕の中で、猫は軽く鳴き声を上げた。
伸びて来た中身のない籠手が、一度だけ「私」の頭を撫でていく。
脳髄を刺すような痛みが、少し和らいだ気がした。
「行って来るから、ちょっと待っててくれ」
「……うん、待ってる」
彼の言葉に、「私」は何とか顔を上げた。
応えた時、ちゃんと笑えていたかしら。
気付けば海は、さながら嵐の真っ只中にいるように荒れ出していた。
暗い海面の向こう側に、何かがいる。
「ッ……!」
衝撃。
激しく水を跳ね上げて、巨大な「何か」が現れる。
それだけでこんな小舟ぐらい、転覆してもおかしくはなかった。
けれどそれは、腕の中の猫が何とかしてくれたらしい。
猫を中心に広がる淡い光が、波に押される船全体を包み込む。
だから「私」は、現れた
一瞬、巨大な蛸の怪物かと思ったけど――違う。
それは異様に膨れ上がった女の頭部だ。
船の十倍近い大きさで、造形そのものが酷く歪んでいる。
そのせいかは分からないけど。
顔の詳細は、何故か視界が乱れたようにハッキリしない。
そんな悍ましい女の頭には、真っ黒い髪が張り付いている。
ぬらぬらと濡れて光る、長い黒髪。
それらは途中で束ねられ、複数の黒蛇となって鎌首をもたげる。
しゅうしゅうと響く、不快な蛇の呼吸音。
女の眼は、片方しか存在しなかった。
一つだけ残る濁った眼が、船上の「私」を見ていた。
『――さァ、一つにナりまショう?』
そして、聞くも恐ろしい声で囁いて。
その直後。
「おらァッ!!」
空気を一切読まない甲冑の彼。
その手に携えた剣が、女の顔面を真っ直ぐに斬り裂いた。
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