503話:《造物主》の残骸


 自由落下は、思ったよりもすぐに終わった。

 視界を染めていた光は途切れて、世界はまた闇に閉ざされる。


「っと……!」


 着地して、直後にその身体を受け止めた。

 《竜体》から、再び人の姿に戻ったボレアス。

 辛うじて砕けてはいないが、ズタボロである事に変わりはない。

 ……アストレアのおかげで何とか助かったな。


「っ……ここ、は……?」

「喋らなくて良いわ。貴女はもう休んでなさい」


 傍らに降り立つアウローラ。

 息も絶え絶えなボレアスを案じて、その手を握る。

 空気が抜けるように、か細い笑みがこぼれた。


「長子殿に……そんな、心配を、される、とは……。

 いや、しかし……流石の、我も、疲れた。

 少し……眠らせて、貰おうか……」

「あぁ、ありがとうな。

 後はこっちでどうにかするから、それまで休んでいてくれ」


 感謝の言葉を聞いたからか、ボレアスは機嫌良さげに喉を鳴らす。

 それから、辛うじて頷く動作を見せて。


「頼むぞ……竜殺し……あとは、お前、だけが――」


 声は途中で途切れ、ボレアスの身体は炎に変わった。

 それは僅かに虚空を漂うと、剣を通して俺の内へと宿る。

 ……炎は燃えている。

 かなり弱ってはいるが、これなら大丈夫だろう。

 アウローラも、その様子にほっと胸を撫で下ろした。


「……まったく。

 いつも無茶をどうこう言う割に、自分だって大概無茶をするんだから」

「けど、そのおかげで助かったからな」


 微妙に不満げに呟くアウローラ。

 そんな彼女の髪を撫でてから、改めて周囲に視線を向ける。

 ――闇。

 広がっているのが闇である事は、さっきまでと大きく変わらない。

 違いがあるとすれば、先ずは俺たちが立っている場所だ。

 なにかの舞台……いや、祭壇か?

 全てが淡い光を放つ黄金で築き上げられた、巨大な祭壇。

 様式とか、そういうのは俺も詳しくはないので良く分からない。

 ただ神聖さとかよりも、全体的に冒涜的な禍々しさを感じるデザインだった。

 そんな祭壇が、真っ黒い泥の海の中にポツンと立っている。

 この黄金の祭壇以外に、いかなる光も見当たらない。

 見上げた空もまた、分厚い暗黒によって完全に遮られていた。


「酷いモンだな」


 呟く。

 完璧な世界だとか、理想世界とかいう楽園は何処に行った?

 俺の言葉に、アウローラも小さく頷いた。


「……きっと、これがあの人に見えている景色なんでしょうね。

 自分だけが完璧で、完全で。

 自分以外のモノは何の価値もない、汚泥の海が広がってるとしか認識できない。

 だからこそ、周りのモノを変えようと弄り回したのかもしれないわね」

「不毛だよなぁ」


 どんなことにも、変化は存在する。

 時の流れで自然と変わることも、些細な切欠きっかけで激的に変化する事もあるだろう。

 けど、自分以外の何かを、自分の思うままに変えてしまおう――なんてのは。

 不毛というか、それこそ無意味で無駄な話だ。

 思いのままになる事なんざ、都合よく存在するワケもないんだから。

 結局、《造物主》はそこを勘違いしていた。


「持って生まれた力がデカ過ぎたな」

「ええ。不幸だと言うのなら、それこそが《造物主》にとっての不幸でしょうね。

 …………まぁ、貴方はそんなこと、認めないでしょうけど」


 そう言って、アウローラは祭壇の中心に目を向けた。

 ――気配はずっと其処にあった。

 この場に辿り着いた時点で、俺も気付いていた。

 何もいないように見えて、実際のところは「何か」がいる。

 注意は向けつつ、動きはなかったのでとりあえずは触らないでいたが。

 アウローラの言葉をきっかけに、気配が一気に強まる。

 黄金の祭壇も一際眩い輝きを放ち、やがてその光が一つの形を成していく。


『――――?』


 空気を震わせず、頭の奥に直接響く声。

 応えずに、俺は剣を構えた。

 一歩前へと進み出て、アウローラを背に庇う位置を取る。

 黄金の光は、だんだんと人に近い姿を描き出す。


『何故、何故、何故?

 何故だ?

 何故、誰も彼も理解しない?

 誰も彼も、愚か過ぎて分からないのか?

 こんなにも容易く、自明な事であるはずなのに?

 何故、何故?

 何故お前たちは――こんな不完全な世界で、生きて死ぬことに耐えられる?』

「…………」


 うわ言のように繰り返される、「何故?」という疑問の言葉。

 きっと、何を言ってもコイツには届かない。

 そもそも理解する気がないのだから、どうしようもない話だった。

 ……さっきまでは気配だけだった存在が、ついに実像を結ぶ。

 祭壇の中心に立つのは、一人の男だ。

 見た目はほぼ人間だったが、纏う気配は人間ではあり得ない。

 地面に届くぐらいに長い、黄金に輝く髪。

 完璧に均整が取れた肉体に、金剛石を思わせる筋肉。

 顔立ちも、一目で分かるぐらいにとんでもない美形だった。

 あくまで印象レベルではあるが、アウローラとちょっと似てる気もしなくもない。

 黄金の光を放つその姿は、確かに神様と呼んで差し支えないものだった。

 ……しかし。


『――――もういい。もう、何もかもがどうでもいい。

 お前たちの罪は、無知蒙昧であったこと。

 正しさを知らずに、愚かなままであったこと。

 私は完璧な世界を創ろうとした。

 

 ならば……もう、どうでもいい。

 私はお前たちに失望した。

 この不完全な世界に絶望した』


 今、黄金の髪はところどころが灰色にくすんでいる。

 完璧だったはずの肉体はひび割れて、欠け落ちた箇所には黒い闇が覗いていた。

 亀裂は顔にも至っており、殆ど死人の相だ。

 それは残骸だった。

 かつて死んだはずの、《造物主》の残骸。

 死体がたまたま起き上がってしまっただけのソイツは、戯言を吐き続ける。


『だから、何もかもを消す。

 やり直すことはない。

 私には、こんな不完全な世界は堪えられない。

 私の完全性を損なったモノなど、塵の一つも残さずに消え去ればいい――!!』

「いや死ぬなら一人で死ねよ」


 駆け出す。

 剣を上段に構えて、真っ直ぐに。

 近付くだけで、鎧の上からでもビリビリと存在感が伝わってくる。

 サイズは全く違うが、その圧力は世界蛇だった時と大きな差はなかった。

 あぁ、当然のようにヤバい相手だ。

 残骸とはいえ、かつては星の怒りでも滅ぼし切れなかった相手だ。

 それを理解した上で、構わずに突っ込む。

 振り下ろす刃を、《造物主》――その残骸は、ひび割れた腕で受け止めた。

 ぴしり、と。

 受けた腕に走った亀裂の一つが、ほんの少しだけ広がった。


『――何だ、貴様は?』

「あ、今まで気付いてなかったのか? もしかして。

 どーも、最後だし挨拶に来ました。娘さんを俺に下さい」

「ちょっと、何を言ってるのレックス……!?」


 いや、そういえば挨拶も目的の一つだった気がして。

 きっと、今を逃すと言うタイミングがないと思って、つい。


『……何故、何故。何故だ?

 何故、不完全な人間が私の世界に入り込んでいる。

 何故――私の、身体に、傷を』


 が、《造物主》の耳にはこっちの声は届いていなかった。

 自分が見えているモノだけが全て。

 認識していない――認識を拒んだモノは、この世に無いも同然だ。

 不遜で傲慢で、傍から見てあまりにもバカバカしい在り方。

 《造物主》はそれを恥とも思わず、手前勝手な理屈のままに激怒した。


『どこまで、醜いのだ、ゴミクズどもが――!!』

「っと……!?」


 物理的な衝撃が空間を揺さぶる。

 踏ん張らず、押されるままに後方へと転がった。

 ほんの一瞬だけ遅れて、光の軌跡が過ぎる。

 ついさっきまで、俺の首があった辺りの場所を。


『……度し難い、許し難い。

 何故だ、何故、何故、何故、何故!

 何故、お前たちはそれほど蒙昧なままで生きられる……!!』


 叫ぶ《造物主》の右手に握られているのは、一本の剣。

 恐らくは、力をそのまま結晶化させた代物だろう。

 光が形を成しただけのシンプルな刃には、凄まじい力が漲っていた。

 けど、こっちの魔剣も劣ってはいない。


「アウローラ」

「ええ、分かってる。援護は任せて」

「頼んだ。

 流石に一人じゃ死にそうだからな」


 笑う。

 まぁ、それも大体いつも通りな気はするが。

 相対する《造物主》の残骸。

 感じる圧力は、あの《黒銀の王》にも匹敵する。

 ……いや、体感的には向こうのがちょっと上ぐらいか?

 それでも、俺から見ればとてつもない化け物である事に大きな違いはない。

 違いはないが――こっちは、その《黒銀の王》に勝ってきた身だ。

 だから、死んでも負けるワケにはいかない。


「――もし、死んでしまったとしても。

 また、生き返らせてあげるから」


 笑みを含んだ――けど、切実な祈りに似た言葉。

 一瞬だけ。

 俺は一瞬だけ、アウローラの方を見た。

 彼女は微笑んでいた。

 何よりも強い信頼を込めて、俺に微笑みかける。


「だから、大丈夫よ。

 必ず勝ちましょう、レックス」

「あぁ」


 頷く。

 剣を強く握り締め、呼吸を整える。

 アウローラと言葉を交わしている間、《造物主》は何もしなかった。

 多少の隙はあったと思う。

 それでも動かず、残骸の男はただ俺たちを見ていた。

 ひび割れた眼に映るのは、憤怒と憎悪。

 失望、絶望――それからほんの僅かな憐憫と、ひと欠片程度の悲哀。



 それらの感情を、全て傲慢さでひと括りにする。

 どこまでも高いところから、《造物主》は自分以外の全てを見下していた。


『何もしなければ、間もなく苦しまずに死ねるというのに。

 何故、敢えて困難を選ぶ?

 死という結果は変わらない。

 なのに、何故、お前たちは愚かな方を選ぶのだ』

「それが『生きる』ってことだからだろ」


 今さら何を言ってるんだか、この神様モドキは。

 死ぬと分かって生きている。

 死んでたまるかと生きている。

 最後に辿り着く、死という結果は変わらずとも。

 誰もがそいつなりに生きている。

 そこに愚かだとか何だとか、他人が値踏みする事なんざないんだ。

 大きな何かを成し遂げるのも、志半ばで野垂れ死ぬのも。

 生きて死んだ、そのことに変わりはない。


「まぁ、どうせ言っても理解できないよな」


 笑う。

 愚かだなんだという話なら、コイツだって大概だ。

 とはいえ、《造物主》がいなかったらアウローラたちは出会えなかった。

 だからそれに関してだけは、コイツにも本気で感謝している。

 ――まぁ、それ以外は全部が兎に角クソ迷惑だけどな。

 特に勝手に絶望して世界ごと無理心中とが、誰がやらせるかよ。


「そんなに自殺したいんなら、俺がぶっ殺してやるよ。

 どうせ死ぬって結果は同じなんだ。

 それで別に構わないだろ? なぁ、お義父さん」

『――戯言など、聞きたくもない』


 ギシリと、音を立てて空間が軋む。

 怒りの強さが増すほどに、残骸から発せられる力も強大になっていく。

 割れた眼球を憤怒の炎一色で染め上げ、《造物主》は吼えた。


『殺してやるぞ、人間がっ!!

 その魂、灰も残らぬと思え――!!』

「もうそれは一度聞いたんだよなぁ、殺れるもんなら殺ってみろよ!!」


 ブッ殺すと、誓いを立てて剣を握った。

 後ろで、アウローラも展開した術式に魔力を通している。

 俺は躊躇わずに、怒り狂う《造物主》――その残骸に向かって踏み込んだ。

 最後の戦いが、始まった。


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