398話:それはそれ、これはこれ


 地獄の再演は終わらない。

 むしろその激しさを増していく一方だった。

 黒い竜は、まるで地の底から立ち上がった永遠不滅の焔で。

 黄金の男は、全てを蔑み嘲笑う超絶の冒涜者だった。

 戦いは終わらない。

 魂と精神で存在する今のオレたちに、物理的な時間の縛りは意味がない。

 その非物質の感覚で観測される時間は、一秒も永遠も当価値だった。

 戦いは終わらない。

 体感上では、経過した時間はまだほんの数秒程度にも思える。

 同時に、既に何百何千何万年も経過しているような錯覚も覚えた。

 何もかもが曖昧かつデタラメで、法則も道理も意味を失う。

 二柱の超越者、拮抗する両者の力はそれほどまでに凄まじかった。


『――――――!!』


 黒い竜が吼えた。

 既に何度目になるか分からない蒼白い極光。

 万物を焼き尽くす《吐息》だが、黄金の侵略者だけは燃える事はない。

 

『痴愚が――!!』


 傲慢極まりない男の声。

 それは激しい遠雷の如くに世界を揺るがす。

 男がどんな攻撃を仕掛けたのか。

 こっちにはただ、黄金の光が無数に瞬いたようにしか見えなかった。

 本質を理解するには、人間の存在は矮小に過ぎる。

 今見ているモノが、単なる過去の幻像で。

 再生されているだけの映像だと分かっていても。

 恐ろしい、余りにも恐ろしい。

 肉体はないはずなのに、細胞の一つ一つが悲鳴を上げてるのが分かる。

 原初に刻み込まれた、絶対的な恐怖。

 この世界の全てが、一度あの黄金に焼き尽くされた時の記憶。

 単なる過去の映像にすら、魂が屈してしまいそうだ。


「……っ、クソッタレ……!」


 いいや、ふざけるなよ。

 そんなもんに負けてたまるかよクソッタレめ。

 これは記憶だ、恐らくは《秘神》アベルが見ている悪夢。

 その中で、未だに黒い竜と黄金の男は不毛な争いを続けている。

 だが、こっちはそんなもんに構う必要なんざないんだ。


「立てるか、姉さん!」

「っ……あぁ、すまない、大丈夫だ……!」


 オレが声をかけると、姉さんも我に返ったようだった。

 変わらず、手足どころか全身が震えている。

 けど、それはオレも同じだ。

 恐怖は拭い去れない。

 だが、オレたちは今を生きてる。

 とっくの昔にどっか行った過去なんかに、ビビったままでいられるか。

 そんな強がりだけで、オレと姉さんはどうにか立ち上がった。

 爆音と軽い衝撃は感じられるが、熱の類はない。

 アレが映像に過ぎないと、そう理解しているからだろう。

 少しでも「本物」だと思いこんだら、危なかったかもしれない。


「大丈夫だが……どうするんだ?

 正直、私には想像も付かないんだが」

「だよな」


 困惑し、まだ恐怖は拭えないまま。

 姉さんの目は、破滅的な地獄に引き寄せられていた。

 こっちは可能な限り意識の外に弾き出し、その他のモノを見る。

 多分、構造的にはヘカーティアの時と変わらないはずだ。

 何処かに魂の本質となる場所がある。

 ここがあのクソ野郎――《秘神》アベルの内側だとして。

 取り込まれているルミエルも、間違いなくこのどっかにいる。

 問題は、その「何処か」が分からない事だが――。


「……?」


 ふと、何かが動いた。

 黒い竜でも、黄金の男でもない。

 オレのすぐ傍で、小さな影が過るのが見えた。

 反射的にそれを視線で追うと……。


「ウサギ……?」


 そう、白いウサギだ。

 生き物じゃない――ぬいぐるみだ。

 古ぼけた、手縫いで作ったと思しきウサギのぬいぐるみ。

 あの日、地下迷宮で残されたたった一つの縁。

 それが今、まるで生き物みたいに一人でに動いているのだ。

 迷宮の時を思い出す。

 あそこでも、オレたちは白いウサギに導かれた。

 だったら――。


「姉さん!」

「あぁ、追いかけよう」


 頷き、オレたちは地獄の中を走り出す。

 ウサギのぬいぐるみは思いの外素早かった。

 その姿は、まるで追いかけっこを仕掛ける子供みたいだ。

 見失わぬようにだけ注意して、全力で後を追う。


「一体、何処へ行くつもりなんだ……!?」

「それが分かったら苦労しねェんだけどなぁ……!」


 走る、走り続ける。

 肉体はないので、物理的な疲労とは無縁だ。

 しかし身体を基点に活動する以上、どうしたって感覚は引っ張られる。

 今だって、足の速さはあくまで常識的な範疇だ。

 いきなり風の如く駆けたりはできないし、ウサギに追いつくのも容易くない。

 オレと姉さん、それにウサギが走っている間も。

 超越者同士の戦闘は終わらない。

 黒い竜は大地を滅ぼす勢いで攻撃し続けて。

 黄金の男はそれを尽く受け止めていた。

 反撃もしているようだが、黒い竜も堪えた様子はなかった。

 ……もしかしたら、永遠に終わらないんじゃないか。

 それはあり得ない事なんだが、見ている方は本気でそう思ってしまう。

 永遠なんて、この世には存在しない。

 だが、どうやら黄金の男も決着が付かない事に苛立ってるようだった。

 距離は遠く、本来なら目に見えるはずもない。

 けど、オレは確かにそれを感じ取った。

 不快げに顔を歪めて、黄金の男は舌打ちをする。

 そうしてから、軽く右腕を掲げて――。


「っと……!?」

「何だ!!」


 爆発。

 それも、これまでで一番の規模だ。

 熱はまったく伝わってこないが、衝撃と音がヤバ過ぎる。

 うっかり転びかけたぐらいだ。

 が、姉さんに支えて貰ったおかげでギリギリ持ち堪える。

 ついでにウサギの方もひっくり返りかけていた。

 ちょっと心配になったが、どうやら平気そうだった。

 足を止めたオレたちを見て、律儀に向こうも止まってくれていた。

 で、戦いの方だが……。


「……消えた……?」


 ぽつりと、姉さんが呟く。

 その言葉通りの光景が広がっていた。

 天地を引き裂くような爆発の後も、黒い竜は変わらず其処にいた。

 そう、いたのは黒い竜だけだ。

 爆発を引き起こした黄金の男の姿は、もう何処にも見当たらない。

 それはつまり。


「逃げた、のか?」

「……決着が付かない事に苛立ち、去ったんだろうな」

「そういや、そんな話も聞いたような……」


 黄金の男――《造物主》。

 大地の怒りとの戦いの後に、海の彼方へと消えた。

 そしてその先で、新たな大地を生み出した。

 それこそが、オレたちがいた《竜在りし地ドラグナール》と呼ばれた大陸。

 ならば、今見たのが神話の終幕か。


「……イーリス、ウサギが」

「おう」


 つい呆然と余所見をしてしまったが。

 オレたちが平気そうなのを確認したからか、ウサギが再び走り出した。

 ホント、何処に向かってるのか。

 地下迷宮の時みたく、ルミエルの元へ導いてるのだと信じたい。


「しかし、アレは大丈夫なのか……?」

「ほっとけよ、姉さん。

 あくまで過去の映像で、オレたちをどうこうしたりはしない。

 そもそもあんなデカブツから見たら、こっちなんて芥子粒以下だろ」


 黄金の侵略者は消えたが、未だに黒い怒りは留まっている。

 世界そのものを滅ぼしかねない絶対的な質量。

 映像でしかないのに、見ているだけで目が潰れそうな重圧だ。

 姉さんが不安なのも分かるが、構っていても仕方がない。

 「外」では未だにレックスたちが戦ってるはずだ。

 負けるはずもないが、こっちの仕事を完遂しなけりゃ向こうも困る。

 だから急いだ。

 荒野を駆けるウサギの後に続く形で。

 果たして、どれぐらいそうしただろうか。

 やがて、どこからか奇妙な音が耳に飛び込んできた。

 音……いや、これは……。


「泣き声、か?」

「……そうだな。私も、同じものが聞こえる」


 泣き声。

 誰かが啜り泣く声。

 一瞬、ルミエルのモノかとも思ったが……違う。

 それは男の声だったからだ。

 無様に、醜く、けれど酷く切実に。

 哀れに泣き叫ぶ男の慟哭。


『何故――何故、何故、何故だ!!

 何故ですか、父よ!

 なにゆえ私を見捨てたのだ……!!』

「…………」


 いた。

 ウサギのぬいぐるみが導いた先。

 恐らくは、この地獄の再現である荒野の中心。

 そこに一人の男の姿があった。

 長く伸びた黒い髪はボサボサで、身体は酷く薄汚れていた。

 大分印象は違うが、間違いなく人間の姿を取っていた時の《秘神》と同じだ。

 その目はオレたちを見ていない。

 遠く、恐らくあの黄金が消えた空を凝視していた。

 涙を滂沱と溢れさせ、裂けるほどに開いた口からは金切り声が迸る。

 《秘神》……いや、神となる前の、見捨てられたアベル。

 遠く消えてしまった父を求めて、伸ばした右腕が虚しく宙を掴んでいた。


『私は貴方の望む通りにしたのに!

 この不完全で不出来な世界を焼却する事!

 そのために必要なことを、私は全てやった!

 貴方が望む通り、貴方の御心のままに!

 なのに、何故――何故……どうして、どうしてだ!

 どうして私を見捨てたのだ、父よ……!』


 叫び続ける。

 喉から血が吹き出しそうなぐらい、激しく。

 ……違和感こそ感じはしたが。

 オレは最初、ここをルミエルの魂だと感じた理由。

 きっと本質的に、コイツとあの子が似ているからだ。

 親を失ったのも、親に捨てられたのも。

 子供が抱える孤独って意味ではそう大差はない。

 だから、コイツの慟哭が少しだけ胸に響いた。

 理由はどうあれ、親に見放されるのは子供にゃ辛い話だ。

 そう、オレにもその痛みは理解できた。


「イーリス……?」

「…………」


 気遣い、不安を秘めた姉さんの声。

 それには応えないまま、オレは歩を進める。

 アベルは動かない。

 こっちの存在など気付かぬまま、自身の悲嘆に沈み込んでいた。

 ぬいぐるみは、じっとその姿を見ている。

 それが意味するところは一つだ。


『父よ、応えてくれ! 貴方にはその義務があるはずだ!

 我々を、私を創造しながら、何故――』


 そうする必要はなかったかもしれない。

 だけど、オレは敢えてアベルの悲憤を遮った。

 そこで初めて、泣き叫ぶ男は顔を上げる。

 あぁ、ようやくこっちを見やがったなこの野郎。

 お前の痛みは分かる。

 ただのクソ野郎かと思ったが、根底にはそれなりの理由がある事。

 それもちょっとぐらいは理解できた。

 だけど、ソレとコレとは別だ。


「ルミエルをとっとと返せよ、このド腐れが!!」


 今のルミエルの魂はアベルに取り込まれている。

 つまりコイツの中に、あの子は囚われているはずだ。

 だからオレは、可能な限り全力で。

 這いつくばってる男の顔面に、固めた拳を叩き込んだ。


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