397話:捨て去られた者の慟哭


『ハハハハハハハハハッ!!

 無駄、無駄無駄無駄、無駄だァ!!』


 前から思ってたが、あんまり語彙力ないよなコイツ。

 クソみたいに楽しそうに笑いながら。

 六眼六腕の《巨人》は無軌道に暴れまわる。

 大真竜イシュタル、その魂と血肉を呑み込んだ偽の神。

 《秘神》アベルは、好き勝手に奪い取った力を弄んでいた。

 まさに我が世の春とばかりに。

 開いた口から哄笑と戯言を垂れ流し、腕や足を振り回す。

 そうして大地を引き裂く――だけじゃない。

 荒野が砕かれる度に、《秘神》のサイズも大きくなっていく。

 最初は気のせいかと思ったが、違う。

 足で踏み砕き、腕で抉り取る度に。

 まるで屍を喰らって肥え太る虫のように、《秘神》の身体が肥大化していくのだ。

 既に最初の状態と比べて、多分二割か三割ほどは膨らんでやがる。

 おかげで多少肉を削っても、増えた分で傷は直ぐに埋められてしまう。


「……良くないわね」

「まぁ間違いなくな」

「戦況だけの話じゃないわ」


 呟く声に応じたら、更に否定の言葉が重なった。

 俺の身体にピッタリと身を寄せながら、アウローラは続ける。


「アイツ、

 権能すらまともに機能してない状態で、イシュタルを呑んだせいでしょうね。

 力の制御が出来ないせいで、《竜体》……アイツは《神体》とか言ってた?

 兎も角、暴走した力が無秩序に器の体積を増やし続けてる。

 このままだと何処まで膨れ上がるか……」

「やべェな」


 思い出すのは「地砕き」の事だ。

 流石にあそこまで巨大化するとは思いたくないが。

 仮にアレの半分でもいい迷惑だ。

 しかもアウローラの様子からして、単にデカくなるだけじゃ無さそうだ。


「そう、大きくなるだけならまだ良いの。

 最終的に、どこかで自重を支えきれなくなって崩壊するだけならね」

「そうならなかった場合は?」

「……自壊して、それで終わりなら良い。

 けどあの無尽蔵な力が暴走を続けて、自壊しながらも質量を取り込み続けたら。

 細胞が崩壊するよりも、質量の増加の方が上回っていた場合は……」

「どうなるんだ?」

「最低でも、この《巨人の大盤ギガンテッサ》にとてつもなく大きな穴が開くでしょうね。

 それでも終わらなかったら、この星が滅ぶかもしれないわね」

「そんなに」


 こっちの想像の遥か斜め上をすっ飛ぶ答えだった。

 大陸に穴が開くまではまだしも、星が滅ぶとか。

 流石に規模スケールがデカ過ぎてコメントに困るな。

 前に《鬼神》を呑み込んだ時は、本人が自爆しただけで済んだってのに。

 懲りてないどころか、より酷くなってるとかホントにどうしようもない話だ。

 まぁ、どうあれこの野郎をブッ飛ばすしかないワケだ。


「死ね――ッ!!」


 鋭い叫びはアストレアのものだった。

 膨れた肉を、宙を舞う《神罰の剣》がゴリゴリと削り取る。

 刻んだ傷そのものは大きいが、肥大化した総体と比べれば掠り傷。

 その事実を《秘神》は嘲る。


『ハハハハハ!! いや、死ぬのは貴様だアストレアッ!!』


 振るわれる巨腕。

 大気を歪めるほどの力場を纏い、余波だけで地面を引っ剥がす。

 アストレアは身を躱すが、向こうの腕は六本ある。

 一つ避けても、二つ三つと連続で拳が迫る。

 さながら巨大な竜巻だ。

 ただ動くだけで、容易く全てを蹂躙していく。

 破壊の渦に巻き込まれかけたアストレアだが。


「おらァ!!」

「いい加減、臭い口を閉じたらどう?」


 それをカドゥルと《巨人殺し》が助力フォローする。

 力場を纏う腕の一本を、鬼王の拳が下から派手にかち上げた。

 別の拳も、《巨人殺し》の一刀とアストレア自身の「剣」が叩き落とす。

 で、こっちもそれを眺めてたワケじゃない。


「脇が甘いぞ神様!!」


 アストレアひとりに集中し過ぎだ。

 がら空きになった胴体に刃を当て、全力で撫で斬りにする。

 黒い外皮を突き破り、内側の肉を抉り出す。

 殆どが取り込んだ土砂のはずだが、断面は不気味なぐらいに赤黒い。

 流れ出す真っ黒い何かは、汚泥か《巨人》の流血か。

 思いっきり斬り裂いたはずだが、《秘神》は痛みを感じた様子はない。

 ただゲラゲラと嘲り笑うばかりだ。


『何だ、何だ何だそれはァ!

 無駄だ! 無意味だ! お前らの存在に何の価値もない!!

 不完全で不安定!! 一片の存在意義すらない痴愚どもめっ!!

 この私を、完璧で完全であるこの私をォ!!

 それで討ち取れるつもりかァ!?』


 笑う。大笑いというか爆笑レベルだ。

 六つの眼をギョロギョロ動かし、開いた大口から涎と泡を飛ばしながら。

 《秘神》アベルは狂ったように笑い続ける。

 ぶっちゃけ、もうオレたちを見てすらいないんじゃないか?


『元からおかしくはあったが、いよいよ言動が拙くなって来ているな』

「そうね。

 力の制御ができてない影響が、精神にも出始めてるんだと思う」


 唸るボレアスの声に、アウローラは顔を顰めて応じる。

 どんどん酷くなっていく《秘神》の様子が不快ってのもあるだろう。

 けど、それに加えて。


「イーリスとテレサが心配だな」

「………そうね」


 敢えて口に出すと、存外素直に頷いた。

 取り込まれてしまったイシュタル――いや、ルミエルを救いに動いた二人。

 彼女らが何をどうする気かは、細かくは分からない。

 ヤバいぐらい無謀な真似をしている事だけは確かだろう。

 ただこの状況、あの二人が望む通りに成し遂げられるかも重要だった。

 暴走する《秘神》の力の源は、間違いなくルミエルの魂。

 これさえ抑えられれば、少なくとも大陸に穴が開く事態は避けられるはず。

 こっちはこっちで、その進行を抑えつつイーリスたちを守る必要がある。

 揺らめく死線を、ギリギリで渡り切るような戦い。

 いつもの事だと、俺は笑う事にした。

 踏み込む。荒れ狂う嵐の内側へと。

 力の焦点は定まらず、振り回される腕に合わせて吹く暴風に等しい。

 僅かな余波でさえ致命的で、完全な回避は不可能。

 それでも、俺は躊躇わずに突っ込んだ。

 消耗した状態でも、アウローラは防御のための魔法を広げる。

 垂れ流しの力場の風を、振り下ろした刃で断ち切っていく。


「キツいが、まぁ何とかなるな……!」

『ハハハハハハハハハハハッ――――!!』


 自らを鼓舞するつもりで出した声に、《秘神》の馬鹿笑いが重なった。

 アストレアの《神罰の剣》が。

 カドゥルの《邪焔》を帯びた拳が。

 《巨人殺し》の刃と炎が。

 そして俺の剣が、幾度となく黒い《巨人》の肉を削る。

 削る。削る。削り取る。

 抉って斬り裂いて、逆にこっちが吹き飛ばされかける。

 傷は再生せず、新たなに盛り上がった肉が埋め尽くしていく。

 六本腕の《巨人》という形は、気付けば殆ど崩れ去ってしまった。

 手足はあるが、数も長さもデタラメだ。

 辛うじて人型だったのはもう遠い昔のようで。

 無秩序に膨らむ肉は、もうこの世のどんな生き物とすら似ていない。

 不完全で不安定。

 奇しくもそれは、先ほど《秘神》が罵った言葉そのままの有り様だった。

 嫌悪と憐憫を誘う肉塊は、変わらずに笑い声を発し続ける。


『ハハハハハハハ!! 素晴らしい、力が尽きんぞ!

 大いなる父よ、愚かなる《造物主》よ!!

 見ているのだろう――見ているはずだ、そうに違いない!!

 貴方が死んだ? 何を馬鹿なっ!

 あの大いなる竜、大地の化身たる怒れる《焔》さえ滅ぼせなかった!

 星すら滅ぼす超越者たる貴方が死ぬなど、あり得ん!

 あり得るはずがないだろう、そんな事は!!』

「…………」


 ほんの少し。

 ほんの少しだけだが、アウローラの表情に苦いものが浮かんだ。

 《造物主》の死。

 その事実を《秘神》に告げたのは、他ならぬ彼女だ。

 どうやらそれは、向こうにすれば余程受け入れがたい事だったらしい。

 狂ったように……いや、実際にもう狂気に陥ってるんだが。

 閉じなくなった口からは、ひたすら否定の言葉が溢れ続ける。


『そうだ、私を見ろ! 私を見ろ!!

 捨てたのなら何故創った!?

 不完全さを嫌悪しながら、何故完璧な創造を実現しなかった!?

 私を見ろ、この世界を見ろ!!

 この不完全で穢らわしい世界で、完璧で完全なのは私だけだ!!

 他の《天使》どもすら醜い失敗作でしかなく、尽くをあの《焔》が滅した!

 しかし私は――私だけは!!

 完璧で完全な私だけは滅ばず、今も在り続けているぞ!』


 どうしようもなく狂った叫びだった。

 だがそれは、同時に《秘神》の本心ではあったのだろう。

 まるで悲鳴だった。

 捨てられ、置き去られた子供の上げる断末魔。

 滅びへと転がる醜悪な肉塊は、剥き出しの激情を吠え立てる。


『私は完璧で、完全……無謬で、無欠……!!

 そうだ、貴方と同じ――同じ、同じ同じ、同じだ、同じはずだ!!

 なのに何故、何故だ何故だ何故だ何故だ!!

 何故、私を見捨てた……!?

 見捨てるのなら、どうして我らを創造したのだ、父よ!!』

「……ホント、哀れな男ね」


 囁くような声にも、また苦味が混じっている。

 痛ましいものを見る目で、アウローラは狂った肉塊を一瞥した。


「あの身勝手な超越者に、一体何を期待してたのやら。

 ……アレが見ていたのは、最初から自分の中にしかない理想だけ。

 完璧で完全で、己を頂点に永遠不死の生命が無限に繁栄をし続ける永劫楽土。

 そのためにこの世界を蹂躙して、新たな創造に手を付けては投げ捨てて。

 結局、最後は自分自身の不完全さに耐え切れずに自殺した。

 そんなどうしようもなく愚かでくだらない末路を辿った、哀れな父。

 ええ、今のお前は《造物主》の生き写しね」


 本当に、愚かでどうしようもないと。

 憐憫と侮蔑を込めた声で、アウローラは呟く。

 それに対して、俺は何も言わなかった。

 ただ片手で彼女の髪を撫でる。

 鎧越しでも、温もりは確かに感じられた。


「平気か」

「ええ、ちょっと感傷的になっただけよ」

『長子殿もそういう機微がある事に驚きだな』

「お前はいちいちうるさいわね。

 そんな事より、アレをどうにかしないとね」

「あぁ」


 《秘神》が叫ぶ中でも、アストレアたちは戦い続けている。

 絶え間なく血肉を削っているが、向こうが肥大化する速度の方がまだ早い。


「……少し、無茶をしても良い?」

「いつもはこっちがやってる事だしな」

『そういうところだぞ竜殺し』

「ホントにね。そこはちょっとぐらい止めて欲しいのだけど?」

「アウローラがやる気なら、俺は付き合うだけだぞ」


 それこそいつもの事だしな。

 内側で、ボレアスが苦笑いをこぼすのが伝わってくる。


「それで、どうするんだ?」

「何とか、あの愚か者の懐に飛び込んで欲しいの。

 そうしたら、胴体の何処でも良いから剣を突き刺して」

「分かった」


 確認するのはそれで十分。

 俺は早速行動に移る。

 正直、胴体と呼んで良いかも怪しいぐらいに肉の塊だが。

 デタラメに生えた複数の腕が、鈍器の如く乱雑に振り回される。

 纏う力場の暴風、その隙間を掻い潜る。

 なかなかヒヤッとするが、流石にコイツの戦い方にも慣れてきた。

 そして。


「刺せば良いんだな!」

「ええ、できるだけ中心を捉えられるよう深くお願い!」


 言われた通りにした。

 幸い、狂った《秘神》はもう殆どこっちを見ていない。

 胴体らしき部分に、刃を突き刺すのは簡単だった。

 黒い外皮をぶち抜いて、可能な限り深く。

 柄の手前まで一気に貫いた。

 同時に、アウローラの手が俺の手と重なる。

 その瞬間、何かしらの術式が発動した。


「暴走してる力の一部を、剣を経由して私が取り込むわ……!!」


 魔力が脈動する。

 突き立てた剣から、それを握るこっちの腕を通じてアウローラへと。

 それは氾濫した大河を生身で受け止めるのに等しいと、俺でも直ぐに分かった。

 万全ならまだしも、今の傷付いた状態では相当キツいはずだ。


「大丈夫、身体が破裂しない程度に制限はするから!

 ここまでの消耗も穴埋めできるし、何の問題もないわね!」

「物は言いようだなぁ……!!」


 だが、これで《秘神》の肥大化はある程度は抑止できるはず。

 実際に、アストレアたちの攻撃がこれを境に目に見えて効果を上げ始めた。

 削れば削っただけ傷が残り、血肉の増加も緩やかだ。

 後はこっちが、この状態で堪えられるかだな。


『ガアアアアアアアアアアアァァァァ!!』


 獣じみた咆哮。

 腕の一本が、煩わしげに俺たちに向けて拳を落としてくる。

 当然、剣を突き刺した状態じゃ回避は不能。

 それに対し、アウローラが奪った魔力で防御魔法を展開した。

 激突。

 魔法の力場と《秘神》の力場、二つの衝突で空間が軋みを上げた。


「ッ……この……!」


 片手で俺の腕に触れ、もう片方の手を空に掲げる。

 アウローラの口元から赤い血がこぼれた。


「キツそうだな!」

「貴方だって、私ほどじゃないけど厳しいでしょ……!」

「このぐらいは平気だぞ!」

『長子殿も竜殺しも、我の助けに感謝しろよ!!』


 確かに、俺の方も剣を通じて脈動する魔力の影響を受けていた。

 血管に大量の熱湯を流し込まれてる感覚だが、まぁ我慢できなくはない。

 本人が言ってる通り、内側でボレアスも助けてくれていた。

 だから間違いなく、アウローラの方が辛いはずだ。


『邪魔を、邪魔をするな塵埃どもがッ!!

 不完全で醜い、救いようのない愚か者がァ……!!』

「……全部自分の事じゃない、バカバカしい」


 笑う。

 笑って、アウローラは今度は一瞥もしなかった。

 視線は突き刺した剣と、そこに繋がる術式に向けて。


「あの姉妹がどうにかするまで、このまま持ち堪えるわ。

 いけそう?」

「がんばる」

「じゃあ、一緒にがんばりましょうか」


 過酷な状況を忘れてしまいそうな。

 そんな場違いなぐらいに愛らしく、アウローラは微笑んでみせた。

 だから俺は、絶対に離さぬよう剣の柄を握り締める。

 イーリスとテレサなら、必ず必要なことをやり遂げてくる。

 巨大な拳が防御結界を叩く音を聞きながら、俺はそう確信していた。


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