幕間2:蠢く影


 この大陸は、真竜達に支配されている。

 そこに一切の例外はない。

 現在たもたれている秩序とは、全て《大竜盟約レヴァイアサン・コード》がもたらしたものだ。

 「三頭目」の一角であるシラカバネ。

 彼女はその事実を、この地の誰よりも良く理解していた。

 ――ロンデミオ辺りは、勘違いをしてるだろうが。

 思い浮かべるのは、同じ「三頭目」の名を持つ愚かな老人。

 彼は自らが選ばれた存在であり、故にこの竜亡き廃都の支配者なのだと。

 そう疑いもせずに誤解している。

 だが、実態が異なることをシラカバネは知っていた。

 あの老人が「選ばれた」のは偶然だ。

 たまたま、この《天の都》の跡地で無法を働いていた小集団の一つを束ねていた。

 たまたま、他よりも少しだけ勢いがあった。

 だから「都合が良い」と見出され、現在の地位を得られるよう誘導された。

 それを全て、老人は自分の実力だと誤解していた。

 愚かではあるが、傀儡としては都合が良い。

 必要最低限の役割だけをこなしながら、狭い箱庭の余生を過ごす。

 ロンデミオは「三頭目」という歯車として、過不足なく機能していた。

 

「……何のつもりだ? カーライルめ」

 

 故に、シラカバネを苛立たせているのはもう一人の方だった。

 かつては《天の庭バビロン》と讃えられた都。

 その中心付近。

 古くは《天の柩ナピシュテム》の名で知られる塔が聳え立っていた場所。

 しかし今、その地には何もない。

 天高く伸びた塔の姿はなく、ただ底の見えない大穴が穿たれている。

 シラカバネがいるのは、その大穴を望める位置にある廃墟の一角。

 「監視」のために、この場所に陣取るのが必要であることは理解している。

 理解した上で、シラカバネは穴が視界を掠めるだけで不快な気分となっていた。

 あの奥底にある「モノ」を考えるだけで、恐ろしくて堪らない。

 

「馬鹿どもが」

 

 その恐怖を、憤怒で誤魔化すように呟く。

 誰一人、この地に生きる者達は理解していない。

 この都市の地下深くに、一体何が横たわっているのかを。

 

「……状況はどうなっている?」

 

 ロンデミオの私室とは異なる、最低限の清掃だけされた空間。

 廃墟の雰囲気をそのまま残した部屋に、シラカバネは一人でいた。

 通信端末が繋いでいるのは、配下の一人。

 くだんの「予定にない来客」の対応に向かわせた者だ。

 

『客はカーライルの《移動商団》に乗り込みました。

 如何しますか、頭目ボス

「《移動商団》に、カーライルの方から招き入れたんだな?」

『わざわざ迎えを寄こしています。間違いありません』

「クソッタレめ」

 

 堪え切れず、シラカバネは口汚く毒づく。

 ロンデミオではないが、今回の連中は不確定要素が大きすぎる。

 派遣した「殺し屋マーダーインク」の大半が無力化されるなど、これまでなかった事だ。

 ロンデミオに従う雑魚共と、シラカバネの配下では質が根本的に異なる。

 ――連中は《牙》だぞ、それを纏めて蹴散らすとは。

 ある真竜に仕える《牙》であり、この地の監視を任された部隊の長。

 それが他の「三頭目」も知らない、頭目シラカバネの実体だった。

 

「《移動商団》に入り込んでいる『虫』とは繋げられるか?」

『可能かとは思いますが、カーライルも油断なりません。

 気付かれる危険はありますが……』

「承知の上だ。多少の犠牲は必要経費と割り切る。

 カーライルの奴が何をするつもりか探り出せ」

『了解』

 

 その言葉を最後に、部下との通信を切断する。

 改めて、シラカバネは大きく息を吐き出す。

 ――何故、こんな事になったのか。

 痛む頭に指を添えて、シラカバネは奥歯を噛み締める。

 予定外の侵入者。

 それだけならば特に問題はなかった。

 ロンデミオの部下がしてやられたのも、まぁ許容範囲だ。

 だが「殺し屋」でも止められないとなれば、話は違って来る。

 この廃墟における最高戦力。

 人間相手ならば、十分過ぎるはずの装備と人員。

 それが通じないとなれば――。

 

「……いや、ダメだ」

 

 「上」に頼るのは、あくまで最後の手段。

 真竜はこの地を恐れ、直接的な干渉は極力避けている。

 だからこそ、その脅威を正しく認識していない人間だけが此処にいる。

 恵みの無い荒野。

 実りの無い廃都。

 そんな場所でも人間の生存を維持し、個体数の増減を管理する。

 何故そこまでする必要があるのかまでは、シラカバネは知らない。

 ただ、それが「三頭目」に求められる役割である事だけは理解していた。

 正しく機能してさえいれば、この地は平和だ。

 ――だというのに。

 

「……余計な欲でも掻いたか、カーライル。

 これならロンデミオの方がまだ、身の程を弁えているぞ」

 

 未知の侵入者達を、自分の懐に招き入れたもう一人の「頭目」。

 カーライル、彼についてシラカバネは多くを知らない。

 あの男はいつの間にかこの地に居着き、《休息地》の間を渡り歩いていた。

 バビロンの死骸から生じる、廃都における数少ない恩恵。

 しかし場所によっては環境などに差がある。

 カーライルはそれらの《休息地》を繋ぎ、水や食料などの物資の流れを作った。

 いつしか、カーライルを中心とした集団は《商団キャラバン》と呼ばれた。

 そこに目を付けた「上」の指示で、彼もまた「三頭目」の一人となったが。

 

「……本当に、何を考えている?」

 

 シラカバネは、誰もいない部屋で小さく呟く。

 分からない。

 「三頭目」としての利益も何も、この都市が鎖された箱庭である事が前提だ。

 外は大真竜を中心とした《大竜盟約》が支配する世界。

 弱い人間の理屈など、僅かにでも差し挟まる余地はない。

 ロンデミオのように限られた庭に浸っていれば、それで良いはずだ。

 シラカバネ自身も、あの地の底に通じる大穴さえ見なければ満足だった。

 ここは楽園だ。

 弱者を踏みつける程度の力さえあれば、見える範囲の世界は自分のモノ。

 無駄なことさえ考えなければ、世界は淡々と回り続ける。

 それだけのはずなのに。

 

「……動くしかない、か」

 

 呟く。

 出来れば避けたかった、とは口にしない。

 何もなければそれが一番だ。

 ただ大穴の様子を眺め、馬鹿どもの相手をするだけ。

 しかし、状況はその線からはみ出してしまった。

 動かなければどうなるのか、それはシラカバネにも分からない。

 動くことすら、彼女にとって最善なのかは不明だ。

 それでも、そうと決めたのなら迷いは不要。

 立ち上がると、シラカバネは手早く自分の装備を整える。

 鍛錬と手入れは欠かしていないが、それでも実戦そのものは久しい。

 《牙》の部隊長という自負も、今はあまり意味がないものだ。

 ――未知の侵入者と、カーライルの接触に介入する。

 侵入者を排除できるとは、シラカバネ自身も考えてはいなかった。

 しかし最低限、カーライルの真意を糺す必要があった。

 

「覚悟しろ、青二才め」

 

 カーライルの目的は、どれだけ考えても分からない。

 この箱庭の利益だけならば、男のやる事に意味を見出せない。

 「殺し屋」さえ蹴散らす戦力を、自分の手駒として抱えようとしている?

 そこまで頭が悪いなら、そもそも「三頭目」の地位にいないはずだ。

 ロンデミオは愚かではあるが、決して無能ではないのだ。

 

「…………」

 

 装備の確認を終えて。

 シラカバネは、ふと窓の外に目を向けた。

 都市の中心に口を開いた、深い大穴。

 底は見えず、そもそもどれぐらいの深さがあるかも分からない奈落。

 詳細は知らない、知りたくもない。

 ただ、死せるバビロンが未だそこに横たわっている事。

 シラカバネが知らされている事実は、それだけだ。

 もし、異常とやらが発生したとして。

 それで具体的に何が起こるのか。

 

「……馬鹿げているな」

 

 ため息一つ。

 悲観的な妄想に囚われかけたと、自嘲の笑みをこぼす。

 そんなこと、幾ら考えても意味はない。

 所詮、この身はより大きな盤上で思惑を動かす指し手の駒だ。

 ならば余計なことを思わず、己の役に徹していれば良い。

 腰に下げた長刃ブレードを、シラカバネは軽く指でなぞる。

 鍛錬は欠かしていないが、実戦は久しい。

 鈍っていないかという危惧もある。

 だがそれ以上に、己を単なる武器とする感覚が心地良かった。

 

「やはり、私にお山の大将など向いていないな」

 

 それもまた自嘲だ。

 あまり良くないなと、検めるべき事を考えながら。

 ――ふと、シラカバネは足を止めた。

 

「…………?」

 

 何も感じなかった。

 この部屋には自分しかいない。

 なのに何故、足を止めてしまったのか。

 分からない。

 五感はそこには何もないと、そう告げて――。

 

「ッ……!?」

 

 その瞬間。

 シラカバネを突き動かしたのは、根拠のない直感だった。

 全身に仕込まれた人工筋肉が過熱する。

 常人の何倍もの速度で身体を駆動させ、腰に下げた長刃を抜き放つ。

 重い合金で形成された刀刃。

 それを鞘の内部で発生させた電磁力によって「射出」する。

 シラカバネを上位の《牙》たらしめる必殺剣。

 音速を超える抜き打ちは、直撃すれば竜の鱗さえ切り裂くだろう。

 ――直撃さえすれば。

 

「な……っ」

 

 勘働きで狙った部屋の片隅。

 微かに影が落ちているだけのはずの、その場所で。

 黒々とした闇があった。

 まるで奈落の底が、人の容を成したような。

 足下に伸びる影が、独りでに立ち上がったような。

 この世の如何なる言葉でも形容しがたい。

 そこにいるはずなのに、気配など微塵も感じ取れない。

 何もいないとしたら、怖気を誘うこの空気は何なのか。

 シラカバネには何も分からなかった。

 ただ、目の前で起こっていること。

 必殺のはずの一刀を、正体不明の闇に止められた。

 手応えは、まるでないのに。

 刃の切っ先だけを掴まれている感触。

 それだけでもビクともしないし、何故か柄を手放すこともできなかった。

 

「なんだ、貴様……!?」

 

 驚愕に震える声。

 口からこぼれた問いに、闇は応える素振りも見せない。

 迫る。闇が迫って来る。

 あの大穴の底のような、闇が。

 

『――――』

 

 何かが聞こえた気がした。

 音として認識できない声を、眼前の闇が囁いた。

 などと、シラカバネには理解する余裕など欠片もなかった。

 手足は萎え、逃げることも抗うこともできない。

 気を失えれば良かったが、意識だけは煌々と冴え渡っている。

 

「やめッ――!」

 

 その言葉が、結果として断末魔となった。

 渦巻く闇――いや、立ち上がった影のような「何か」。

 それはとてもあっさりと、シラカバネを呑み込んだ。

 影に似たソレは、僅かに震える。

 それからまた、床に溶けるように消え失せた。

 誰もいなくなった部屋。

 ほんの僅かに、死臭だけが漂っていた。

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