154話:潮時

 

 最初、ゲマトリアは何を言われてるのか意味が分からなかったようだ。

 五匹が全く同じ角度で首を傾げる様は何とも奇妙である。

 様子を見ていたボレアスが小さくため息を吐いた。

 

「興奮し過ぎて目が曇っているようだな。そら、その男の魂を良く見てみるがいい」

「魂をって…………?」

 

 促され、ゲマトリア達はじっと俺の方を見て来た。

 疑念の籠った眼差しは、だんだんと困惑の色に染まっていく。

 

「……は? えっ、ちょ、コレどういう事ですかっ?」

「まぁ、見ての通りなんじゃないか?」

「魂が無くないですかコレ!? えっ、なにこれ知らないんですけど!」

「魂無いってナニ!?」

「何ですかソレ! 意味が分かんないんですけど!」

「いやホントですって! 見て下さいよコレ!?」

 

 俄かに混乱し出す大公閣下たち。

 まぁ魂が燃え尽きてるとか意味が分からんよなぁ。

 俺自身も実感があるワケじゃないぐらいだ。

 ……そういえばブリーデはその辺り自分で気が付いたよな。

 やっぱり感覚の鈍い鋭いはあるんだろうな。

 

「ちょっと、説明して貰えませんか!?」

「……言って良いのか?」

「……そうね、隠しても仕方ないでしょう」

 

 ため息一つこぼすアウローラ。

 仮に黙っていたとしても、無理やり聞き出そうとしてくるだろうしな。

 別に隠しておく程の事でも無い……気がする。

 ちょっとそれは何とも言えないが。

 鼻息が荒くなって来てるゲマトリアに、とりあえず簡単に説明する事にした。

 俺が説明すると余分な事も言いそうなので、実際はアウローラ任せだ。

 彼女は仕方ないとばかりに話を始める。

 三千年前に、俺がボレアス――《北の王》と相打ちで死んだ事。

 その蘇生の為にアウローラが長い時間を費やした事。

 生き返りはしたが、蘇生術式は未だに完全ではない事。

 完全ではない為、俺の魂は未だに燃え尽きた灰のままである事。

 そして蘇生を完全なモノにする為、この時代の真竜を狩り回っている事。

 手段としての《一つの剣》の事は伏せて、アウローラは一通りの話を終える。

 とりあえず嘘は言っていない。

 大体は知ってるウィリアムは気が付いたろうが、相変わらずの直立不動だ。

 表情からはどんな感情も読み取る事はできない。

 

「……成る程、成る程。そんな事情があったワケですか」

 

 難しい顔をしながらも、とりあえずは納得したらしい。

 ゲマトリアは小さく何度も頷きながら、独り言のように呟く。

 

「確かに、魂を取り込もうにも片方が死人も同然では。

 そちらの言う通り、ボクの望む通りにするのは難しいかもしれませんねぇ」

「理解出来たのなら……」

「けど」

 

 力強く、有無を言わさない声。

 不都合な事実を前にしても、ゲマトリアには諦めた様子はない。

 むしろその顔には満面の笑みが浮かんでいた。

 

「貴女の施した蘇生術式とやらを完成させれば良いんですよね?

 そうすれば、そちらの彼――レックスの魂に火が戻り、完全な状態になる」

「理屈の上ではそうよ。けど、完全な死者蘇生は《摂理》に反する。

 私だって、後どれだけ竜の魂を集めれば良いか……」

「まぁ雑魚の魂じゃ数揃えても仕方ないかもしれませんねぇ」

 

 そうでなければこの場にいる連中を全員使っても良かったんですが、と。

 なかなか恐ろしい事を呟くゲマトリア。

 それは当然、周りにいる真竜達の耳にも届いているだろう。

 連中はびくりと震えるが、それ以上は何の反応リアクションもしない。

 口答えをすれば、実際に生贄にされかねないと知ってるのだろう。

 哀れな真竜達は黙って酒宴に興じ続ける。

 そして、ゲマトリアはというと……。

 

「術式自体は完璧だと、そう考えて宜しいんですね?

 必要なのは術式を完全にする為の燃料だと」

「……それがどうしたの? 何度も言うけど、そう簡単には――」

「いやぁ、難しい事なんて何もないじゃないですか!

 ボクだって分かってるんですよぉとぼけないで下さい!」

 

 ニコニコと笑いながら、一方的な言葉を吐き散らす。

 声自体は明るくいっそ朗らかな響きだが、宿る感情は極めて不穏だ。

 黒く濁った油のような悪意。

 ゲマトリアは己の意思を隠そうともしていなかった。

 

「――貴女ですよ、《最強最古》。

 まさかソレを欠片も考えなかったなんて言わないでしょう?」

「…………」

 

 その言葉に、アウローラは応えない。

 何を言っているのか、俺も一瞬意味が分からなかった。

 テレサやイーリスも怪訝そうに互いの顔を見合わせている。

 

「言われているぞ、長子殿」

「…………そうね」

 

 ボレアスは理解しているようだ。

 言われたアウローラ自身も同じで、小さく息を吐いた。

 

「言いたい事があるなら、ハッキリ言ったらどうなの?」

使!」

 

 アウローラに促される形で。

 ゲマトリアはとうとうその言葉を口にした。

 正直、それは全く考えていなかった。

 少なからず驚く俺を余所に、ゲマトリアは更に捲くし立てる。

 

「ええ、分かってますよ!

 今の貴女はボクと比べてもそう大した事はありません!

 ですが《最強最古》なんて呼ばれてた《古き王》だっただけの事はありますねぇ。

 ちゃんと見ればその魂の強さは、他の大真竜がたと比べても抜きんでてます」

「お褒めに預かり光栄です、なんて言えば満足?」

「王の冠すら戴いてない古竜の魂じゃ、山と積み上げても足りないかもしれない。

 ですが貴女の魂ならどうですか!?

 たった一つでも十分、蘇生を成し遂げる事が出来る可能性はある!

 どうですか、違いますか!!」

「…………」

 

 沈黙。アウローラは直ぐには何も言わなかった。

 言いたい事だけ言ってとりあえず満足したか、ゲマトリアも口を閉ざす。

 ただその眼だけは爛々と輝き、獲物を狙う蛇のようにアウローラを見つめている。

 俺――俺やテレサ、イーリスも一先ず黙っていた。

 姉妹二人の方は言うべき言葉が見つからないのだろう。

 俺はとりあえず、アウローラが何か言うのを待った。

 沈黙が続いたのは、ほんの僅かな時間。

 

「…………そうね。お前の言う通り」

 

 それは諦めを含んだ声だった。

 笑みを深めるゲマトリアに、アウローラは軽く肩を竦めてみせる。

 

「三千年の時間と、私の魂の一部。

 それと其処にいる《北の王》……いえ、ボレアスの魂。

 未完成とはいえレックスを今の状態にするのに必要だった代償コスト

 更に此処まで何匹かの真竜を狩った事で、魔力はそれなりに集まってきている。

 其処に私の残りの魂を加えれば――まぁ、足りるかもしれないわね」

「なら、迷う必要などないと思いませんか?」

 

 笑う。ゲマトリアは笑っている。

 己の望みを叶える為ならば、手段を択ばない。

 それは実に古竜ドラゴンらしい表情に思えた。

 

「三千年も使って、その男を蘇らせたかったんでしょう?

 自分の魂を一部削ってまでそれを望んだんでしょう?

 そうする為に《大竜盟約》に喧嘩を売って真竜を殺して回ってたんでしょう?

 全部全部、其処の彼――レックスを蘇らせたい一心だけで!」

「…………」

「だったら自分の魂ぐらい、全て支払ったって悔いはないはずですよ!

 本当にそれを願い、何よりも欲しているというなら!

 どんな代償を支払っても、危険を冒しても!

 何も恥じない悔いない惜しまない!

 ええ、ボクが言っている事が正しいはずです!」

 

 声高らかに、それこそ詩でも歌うように。

 ゲマトリアは己の正しさを叫ぶ。

 アウローラは何も応えない。

 だから俺もまだ、何も言わない。

 

「そう、迷う必要なんて何処にも無いじゃないですか!

 古竜の、竜王の魂は永遠不滅! 仮に術式を回す為の魔力の火になろうとも!

 自己の境界は消えるかもしれませんが、蘇った彼と永遠に一つになったも同然!

 素晴らしいじゃないですか!

 ついでにボクも《最強最古》の力をゲット出来るんですから文句無しだ!」

「…………面白い子ね、お前」

 

 言いたい放題言われながら、アウローラは少しだけ笑った。

 これまで怒りと敵意、後は嫌悪ぐらいしか向けて来なかった相手に。

 アウローラは別の感情を込めて、ほんの少しだけ笑った。

 

「正直態度が気に入らないし、馬鹿で不遜な小娘だと思ったけど。

 いえ、今でもそれは思っているけど、面白いわね。感性が独特と言うか」

「いやぁそんな褒められると照れますねェ!

 それで、ボクの素晴らしい提案はどうでしょう!

 ホントに迷う必要なんてこれっぽっちも無いと思うんで!

 力づくとか今さら手間ですから、素直に頷いて貰えると嬉しいですね!」

「……無茶苦茶言いやがるな」

「……大公閣下にとって、それが自明の理なんだろう」

 

 変わらぬゲマトリアの物言いに、姉妹も思わず呟く。

 言われた方は気にもせず、あくまで意識をアウローラだけに向ける。

 今語った通り、仮にアウローラが頷かなくとも力に訴えて無理やり生贄にする。

 ただそれは面倒だから、自発的にそうして貰いたいと。

 イーリスの言う通り、実に無茶苦茶な話だ。

 それに対して、アウローラは。

 

「……そうね、お前の言う通り。

 私の魂の全てを使えば、レックスの蘇生を完成できる可能性はあるわ」

「でしたら……!」

「けど、それをお前に命じられてやる気はないわ。

 仮に力で上回られようが、絶対に」

「ッ――」

 

 穏やかな口調とは裏腹の強固な意思。

 其処にはゲマトリアも一瞬言葉を詰まらせる程の圧力があった。

 相手が口を閉ざすと、アウローラは俺の方に視線を向ける。

 その眼を見た時、何故だか俺はあの月夜の目覚めを思い出していた。

 

「レックス」

「あぁ」

 

 あの夜、あの時に定めた俺の名前。

 それを口にしながら、アウローラは微笑んだ。

 

「貴方は、どう思う?」

 

 ――この魂を使えば、蘇生術式は完成する。

 ――それを聞いた上で、貴方はどうしたいか。

 そんなアウローラの問いかけに、俺は迷わず応える。

 

「正直に言えば、困るな」

「? 困る?」

 

 余り予想していない言葉だったらしい。

 きょとんとしながら可愛らしく首を傾げるアウローラ。

 彼女の頭を俺はわしゃりと撫でる。

 

「あくまで例え話だが……仮に、俺が死ぬ気でやれば何とかなる事があったとして。

 それを何とかする為に俺が死ぬのは、まぁギリギリ有りだ」

「有りじゃないんですけど??」

「あくまで例え話だし、別に死ぬ気もなければ死にたいワケでもないからな?」

 

 とはいえ何事にも絶対はない。

 この先も戦い続けたとして、そうなる可能性はゼロじゃない。

 

「死ぬ気はないし、死ぬのが怖くないワケじゃない。

 それでも多分、死ぬ時は死ぬんだ。それは良いか?」

「……良くはないけど。ええ、それで?」

「そうして俺が死んだとして、諦めるのかまた蘇生を試してみるのか。

 どうするかはアウローラの自由だし、どっちでも俺は受け入れるつもりだ。

 ……あくまで例え話だからな?」

 

 何か微妙に泣きそうなアウローラの頭をゆっくりと撫でてやる。

 例え話ではあるが、本当にあり得ない話でもない。

 そしてその場合、選べる選択肢が多いのは間違いなくアウローラの方だ。

 ならば逆の場合はどうだろう。

 

「仮にアウローラに万一があったら、俺じゃ大した事はしてやれない。

 頑張っても原因をぶっ殺すのが精々だな」

 

 無論、仮にそうなったら出来る事はやるつもりだ。

 しかし俺は人間だし、どうしたって取れる手は限られてる。

 アウローラと同じ事をするのはどう頑張っても難しい。

 だから、最悪俺が死ぬのは有りだ。

 しかしその逆は困る。

 

「そもそも蘇生術式の完成だの、俺自身は別に焦ってないしな。

 だからその為にお前が犠牲になるとか、そういうのは無しだな。

 やる意味ないだろ、実際」

 

 わしゃわしゃと、ちょっと荒くアウローラの頭を撫でる。

 さっきからずっと撫でてるせいで、髪を大分くしゃくしゃにしてしまった。

 嫌がる様子がないのが幸いだ。

 横で聞いていたボレアスが愉快そうに喉を鳴らす。

 

「ハハハハハッ! いや、実にお前らしい物言いよなぁ竜殺し?」

「問題あったか?」

「いいや無いとも。

 それにお前の為とはいえ、自己犠牲など長子殿には似合うまいよ」

「それはそれで何か引っかかる言い方ね……」

 

 微妙に不満げに唸るアウローラ。

 まぁうん、言いたい事はとても分かるけどな。

 イーリスも堪え切れないといった様子で笑い出す。

 

「確かに、そんなしおらしい事するより好き勝手やる方がらしいよな」

「イーリス。

 ……とはいえ、私も主が望むようにするべきだと、そう思っています」

「…………」

 

 姉妹二人の言葉を受けて、アウローラは少し俯いた。

 それから何か呟いたようだが、内容までは聞こえなかった。

 聞こえなかったが、それで良いんだろう。

 彼女は直ぐに顔を上げると、迷わず俺の腕に抱き着いた。

 その上でゲマトリアの方を見て。

 

「――何か色々言ってたみたいだけど。

 全部私の知った事じゃないわ、大公閣下?」

 

 艶やかに笑いながらそう言った。

 声も表情も、見ていてぞっとするぐらいに美しい。

 逆にゲマトリアの顔からは笑みが消えていた。

 

「……ボクは別にお願いしてるワケじゃないんですよ?」

「ええ、それならやる事は一つでしょう?」

「勝てると思ってるんですか」

「そんな台詞は鏡に向けて言いなさいな」

 

 バチバチと、睨み合う両者の間に火花が散る。

 比喩ではなく物理的に。

 どうやら楽しい食事会の時間は終わりのようだ。

 俺はアウローラを片手で抱きながら、空いた手で剣の柄に指をかける。

 ボレアスは笑みの形に歪めた口から火の粉をこぼす。

 周囲の客達も空気の変化を感じてか、俄かに殺気立っていく。

 イーリスが心配だが、そっちはテレサに任せるしかない。

 こっちは大公閣下に睨まれて、恐らく余裕もなくなるだろう。

 

「まったく、折角こっちは平和的に済ませるつもりだったのに……!」

 

 実に勝手な事を言いながら、五匹のゲマトリアが立ち上がる。

 そして。

 

「――

 

 するりと。

 誰も――少なくとも、俺以外は誰も見ていなかった意識の空白。

 その間隙に音も無く入り込む一振りの剣。

 ウィリアムの手にした白刃が、大公閣下の首の一つを音も無く斬り飛ばした。

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