間章:それは運命だと狂女は笑う
286話:背後に立つ死神
大階段は果てしなく、高く高く続いていく。
竜を殺した二人の決闘は、もう遥か遠い。
振り向くことなく、「彼ら」は上を目指していた。
過ちに満ちた理想郷の主。
哀れな人形劇に興じる大真竜のいる場所へと。
「……流石に警備が厚いな」
僅かに息を切らしながら、イーリスは呟く。
辺りに散らばった機械人形の残骸を、つまずかないように踏み越える。
既に何度目になるか分からない襲撃。
殆ど鎧袖一触で蹴散らしているが、進む足はどうしても鈍ってしまう。
「疲れていないか?」
「こんぐらいは平気だよ、姉さん」
傍で気遣う姉に、少女は軽く笑ってみせた。
実際、戦闘に関しては他の戦力が多くを担っている。
イーリスのやる事は、《奇跡》を用いてのアシストだけで十分だった。
「人形ばかりでは歯応えがイマイチだな。
まぁ、此処にいるのは大半が人形であろうが」
『言い方もーちょい考えない?』
笑うボレアスと、いつの間にかその頭の上に陣取る猫。
衰えたりとはいえ古竜、その中でも最も強大であった《古き王》が二柱。
どれだけ高度な技術で造られようと、ただの人形は物の数ではない。
「クソっ、こんなのは小手調べですよ!!
コッペリアさんが出てきたらお前たちなんて……!」
「それは此方としても望むところだ」
アカツキに担がれた状態で、ゲマトリアはジタバタと喚いた。
本気で抵抗しているようだが、鋼鉄の腕はびくともしなかった。
倒された人形たちと同じく、アカツキもまた機械仕掛け。
しかし大真竜の恋人、その魂を複製して組み込まれた特別な存在だ。
彼の戦闘力は、その他の機械人形たちとは格が違った。
今もその能力を存分に発揮し、道を塞ぐ障害を薙ぎ払っている。
順調と言えば順調。
ただそれは、嵐の前の静けさにも似ていた。
「……ホント、不気味な場所だよな」
足を止めず、階段を駆け上がりながら。
イーリスは辺りに視線を巡らせる。
永遠に続くかのような螺旋階段と、その壁一面を満たす巨大な機械仕掛け。
この《中枢》は、文字通り理想都市の中心。
傀儡ばかりの楽園を、大真竜がこの機械を介して全てを動かしている。
死んだ恋人への想いに囚われて、女は墓場で人形遊びを繰り返す。
その為に創られた偽物の心臓。
腐った臓物を内側から見ているような気分で、イーリスは小さく呻いた。
「正直、オレはそこまでやる意味が理解できねェけど」
「そうだろうな。理解するのは難しい。
愛は度を過ぎれば狂気に近い」
ぼやくような言葉に、アカツキは律儀に応える。
「彼女は狂っている。それは間違いない。
だが、模倣された魂とそれに基づく心を持つ私は正気と言えるのか。
私自身も断言はできない。
一歩……いや、半歩でも間違えれば、この身は彼女に砕かれる。
その結末を知りながらも、私の心に迷いはない。
これもまた、理解できない他人から見れば狂気に近いはずだ」
感情の熱を感じさせない口調。
けれど淡々とした言葉の奥底には、魂から湧き上がる熱があった。
それを感じ取ったのか、イーリスは少しだけバツが悪そうな顔をした。
「悪い、別に馬鹿にするつもりはなかったんだ」
「構わない。彼女の愛も、私の愛も、私たちだけは理解している。
それで良いんだ」
その有様は、きっと愚かなものだろう。
けれどアカツキは、それで良いと受け入れていた。
「まぁ、愚かではあるな」
飾ることなく、ストレートにボレアスは笑った。
あまりの空気の読めなさに、頭の上で猫がぐぅと唸った。
『ちょいと、今それ言うタイミングじゃなくない?』
「愚かなものを愚かと笑って何が悪い?
理解できぬと言ったイーリスの方が正しかろうよ。
狂気を理解するのは、狂気に自ら一歩近づくことであろうからな」
「ボレアス殿……」
飾らない、飾る気なんて欠片もない言葉。
猫もテレサも呆れてしまうが、ボレアスは一切構わなかった。
「人も竜も、その点においては何も変わるまいよ。
そこに狂気があった。それに近付こうとした者がいた。
その者を見て、また別の誰かも続いてしまった。
――そうして全ての竜は、あの瞬間から狂ってしまったのだろうな。
完全な生命であるが故に、完璧に満たされている。
故に全ての古竜は、生まれた瞬間から一歩も動く必要はなかった。
……そのはずだったのだがな」
笑う。ボレアスは笑っている。
それは自虐に近かった。
遠い過去を思いながら、古き竜は己を嘲っていた。
『……おい』
「いや、すまんな。長子殿といい、姉上といい。
ついでに人形遊びを覚えてしまった、愚かなヘカーティアといい。
どうにも立て続けに愚かな同胞の姿を見てしまったせか。
我としたことが、少々感傷的になってしまったようだ」
気遣う猫にも、ボレアスはやはり笑って応えた。
「まぁ、思えば昔の我も《造物主》の真似事をしようと躍起になっていた。
それも傍から見れば十分狂気の沙汰だったろうなぁ」
「付き合ってるとつい忘れそうになるけど。
そういえばお前も大概邪悪の権化みたいな奴だったよな」
「昔の話よ、昔のな」
イーリスのツッコミに、かつての《北の王》は白々しく返した。
それが真実であるか否かは、ボレアス本人にしか分からない。
更に問うてもはぐらかされるだけだと、その場の誰もが理解していた。
話をしている間も、大階段を進み続ける。
彼方は遠く、それでも確実に目指すべき場所に近付きつつあった。
けれど。
「――やはり、出て来たか」
そんな言葉と共に。
先頭を進んでいたアカツキが足を止めた。
自然とその後ろに続く全員も。
見上げる視線の先、立ち塞がるのは白い影。
「……来たか。来なければ彼女の心も乱れる事はなかったのに。
やはり来てしまったか」
「来たとも。私は来た。
例え招かれずとも、そうする事が私の使命だ」
声は同じ。
魂の形もまた同一。
ただ、お互いの立ち位置だけが真逆だった。
白い装束を纏った黒髪の青年。
一切の穢れなどない、地に突き立つ稲妻の如き姿。
その場でイーリスだけが、一目でその実体を看破していた。
「お前も、アカツキのコピーって奴か」
「然り。そこにいる人形と同じく、かつてあったはずの男の残響。
今はただ大真竜コッペリアの《爪》とだけ名乗ろう」
淡々と語る《爪》に対し、戦う者たちは一歩前に出た。
《爪》は自らを壁とするかのように不動。
蒼雷を宿す眼差しだけが、眼前の敵対者たちをなぞる。
「……言っても無駄だろうが、それでも言わねばなるまい。
そこを退け、愚かな《爪》よ。
お前もまた、彼女の過ちを理解しているはずだ」
「結論が違うだけだ、愚かな模造品よ。
彼女の在り方は間違っている、そんな事は今さら語るまでもない。
だが、道を誤らせたのは『私』の選択がゆえだ。
ならば私は、彼女の愚かさに殉じる事を責任と考える」
二人のアカツキ。
いや、アカツキと呼ばれた男の影法師。
両者は同一でありながら、愛というモノの結論で決定的に対立していた。
どちらが間違いで、どちらが正しいのか。
それは当人同士ですら定かならない事だろう。
「まぁ、そちらの事情など我にはどうでも良い話だが」
空気を読まず、《北の王》だった者は更に踏み出す。
その総身には魔力が漲り、いつでも戦える事を示していた。
《爪》は変わらず不動。
衰えたりとはいえ、《古き王》の威圧を前に平然と佇んでいる。
「どうあっても退かぬと。
我らの道を妨げようと、そういう話であろう?
その忠義か愛かは知らぬが、それを違えようとは言うまい?」
「無論だ、玉座と冠を失ったかつての王よ。
私は私の全存在を以て、その侵攻を阻むために此処へ来た」
「ハハハハ! 良い覚悟だ、そうでなくては面白くない」
『ここに来てから全然暴れないんでフラストレーション溜まってるなぁ……』
頭に張り付いたまま、猫は嫌そうな鳴き声を上げた。
「ちょっと!! それは良いんですけど、先に助けて貰えませんかね!?」
「残念だが、それは任務として受領していない」
「杓子定規に過ぎるのは良くないと思いまーす!!」
未だにアカツキに抱えられたままのゲマトリア。
助けを求めるが、それは《爪》に冷たく受け流されてしまう。
隙を見て抜け出そうとしているようだが、彼女の周りはそれほど甘くはない。
「イーリス、少し下がっているんだ」
「勿論、火花を全身に浴びたくはないね」
前に出るテレサとは逆に、イーリスは少しだけ後ろへ下がる。
とはいえ、イーリスも自分を安全圏に置いたままにするつもりはなかった。
機械に干渉し、これを意の侭に操る《奇跡》。
見た目こそ人間のようだが、《爪》もまた中身は機械人形。
容易くは干渉できないが、《奇跡》が有効な相手であるのは間違いない。
――完全に壊さず取り押さえられれば、大真竜へのアドバンテージになるはず。
そんな目論見も頭に浮かべながら、能力を使うために集中する。
戦いの始まりは間もなく。
誰もがそう考えていた。
ただ一人、立ち塞がる《爪》以外は。
「……私はコッペリアに頼まれ、君たちを阻むために此処に来た。
私一人で相対する、そのつもりだった」
何故か、戦意は薄く。
《爪》は不動のままその場に立っているだけ。
殴り掛かる気満々だったボレアスも、その様子に眉をひそめた。
何を言っているのかと、それを誰かが問う前に。
状況は一瞬で動いていた。
「だが、彼女の興味を引いてしまったモノがこの場にはあった。
―――残念に思う。が、これも運命だ」
「…………あ?」
声が漏れたのは、後ろの方。
その弱々しい響きを聞いて、テレサは弾かれたように振り向いた。
すぐ真後ろにいた妹。
イーリスの傍に、別の影があった。
人形めいた笑みを顔に貼り付けて、愛に狂った女がそこにいた。
「何っ……て、めぇ……!」
「――この都市の多くは、《中枢》を通じて僕と繋がっているからね。
何かされてるっていうのは分かってたんだよ」
囁くコッペリアの声には、抑え切れない喜悦が混ざっていた。
その腕に絡め取られて、イーリスは動けない。
動くことが出来ず、その足元には赤い染みが幾つも広がっていた。
動けない。動けるはずがない。
《奇跡》を持つ少女の胸元から、鋭い刃の先端が生えていた。
命の源である真っ赤な血が、とめどなく溢れ出す。
「面白い力を持ってるみたいだね、君は。
興味深いよ。とてもね」
イーリスは応えられない。
命の火が、今まさに消えようとしているから。
「イーリスっ!!」
悲鳴じみた絶叫と共に、姉のテレサが動いた。
他の者たちも、また。
「悪いけど、もう遅いよ。
――あぁ。これで僕の望みが叶うと良いけど」
大真竜コッペリアは笑う。
その声と共に、《中枢》は激しい鳴動に包まれる。
唐突に襲った悲劇を呑み込むように。
――狂った女が築き上げた、狂った理想郷の中心で。
戦いは、まだ終わらない。
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