第十一部:最果ての海で竜を殺す
287話:走馬灯
……それはもう、随分と遠い昔の事のように思う。
あの日、オレは都市の便利屋として一つの仕事を請けていた。
どんなネタだったかまでは覚えてない。
ただ、その頃のオレはちょっと身体を「強化」しただけの小娘だ。
しかもゴミ拾いみたいな仕事が上手く行きだしたぐらいの駆け出しで。
無意味な自信をつけだした頃、順当に
「っ……は……! クソっ、クソっ……!」
当時のオレは一人だった。
仕事を回してくれる馴染みの顔役ぐらいはいた。
必要があれば他の便利屋と関わる事もある。
けど、特定の誰かと組む事はなかった。
特別に人間不信だった自覚はない。
けど、今思えばオレは他人って奴を信じられなかったんだろう。
都市の掃き溜め、「価値」を持たない奴が落とされる辺獄。
その底で這いまわるなら、他の奴を信じちゃいけない。
誰が誰を食い物にしようとするかなんて、その瞬間まで分からないんだから。
「クソっ、まだ追ってきやがる……! いい加減しつけェんだよ……!!」
……なんて、そんなのは言い訳だ。
事実、オレはそれより未来で馴染みだったはずの顔役に裏切られる。
まさか「売られる」なんてこれっぽっちも思わずに。
あぁ、結局のところ当時のオレはガキだったんだ。
血の繋がっているはずの家族に捨てられて、地の底まで落とされた。
多少なりとも温かい記憶が残っているからこそ、その現実が許せなかった。
死んでたまるか。
オレはオレの力で、このクソッタレな掃き溜めで生き残ってやる。
馬鹿馬鹿しい意地で頭の動きを鈍らせて。
我ながらアホなガキで笑っちまう。
この時だってそうだ。
「チッ……!?」
狭く入り組んだ路地裏の道を走る。
それを追いかけてくるのは複数の
今見れば玩具みたいな、プロペラ式の躯体に軽機関銃をくっつけた粗末な代物。
それが全部で三体ほど。
甘い照準で弾をばら撒くソイツらは、その時のオレには死神に見えた。
逃げる。兎に角逃げ続ける。
手元に銃はあるが、弾数は心許ない。
一体か二体を撃ち落としても、残りの一体に蜂の巣にされるかもしれない。
やれるのか、やるしかない。
けど、本当にオレはやれるのか?
恐怖で濁った思考が、頭の中で無駄にぐるぐる回っている。
ビビっていた。
自分なら上手くやれるという勘違いは、ガラスよりも脆くバラバラにされた。
その瞬間のオレは、ただ只管に「死にたくない」と思っていた。
けど、幾ら逃げたって玩具の兵隊どもは追い続ける。
腹を括らなきゃ、どうあっても道は開けない。
「クソっ、やってやる、やってやるよ……!!」
誰も聞いてくれない悪態を吐いて、オレは手にした銃を握り締める。
辺獄の底ならどこでも売ってる類の、安物の量産品。
ガラクタに近いが、その分整備は念入りにしてあった。
肝心な時に弾が
小さな金属の感触が心底心許ないが、今はコイツに縋るだけ。
走る。走り続ける。
ドローン共は速度を維持したまま、思い出したように弾を撃ち込んでくる。
手や足を熱い感触が何度も掠めた。
その度に歯を食いしばって、両足を無理やり前へ動かす。
「よし、あそこで……!」
前に見えて来た曲がり角。
オレはそこで反撃に出ようと覚悟を決めた。
しくじったら死ぬ。
死ぬ、死ぬ、全身を穴だらけにされて死ぬんだ。
いやいや、そんなワケねぇよ。
くたばってたまるかよ、ふざけるな。畜生。
「ッ――――!!」
殆ど飛び込むように角を曲がり、即座に身を翻す。
銃を構えたのと、ドローン共が姿を見せたのは殆ど同時だった。
撃つ。躊躇う暇なんてない。
震えそうな自分を奥歯で噛み潰して、何度も撃ちまくった。
「おおおぉぉぉ!!」
獣みたいに叫んで、更にドローン目掛けて突撃する。
足を止めたら良い的だ。
それだけ考えての後先も何もない特攻。
運が良かった事は二つ。
一つは、オレの撃った弾はドローンの内二体の機関部に命中した事。
一つは、向こうの弾は手足を掠めただけで直撃しなかった事。
運が悪かったのは、三体目を落とす前にこっちが弾切れした事。
幾ら引鉄を指で押し込んでも手応えがない。
これほど心臓が冷えた経験もそうそうないだろう。
目の前には、まだ無事に浮かんでるドローンの姿がある。
暗い色をした銃口も、鼻先が触れそうな距離だ。
――死ぬ。
あまりにも具体的な死の予感。
その時のオレは、もう何も考えていなかった。
思考を挟む余地さえなく。
「死んで、たまるか――!!」
生きるために、何の意味もなく手を伸ばした。
或いは、それこそ生存本能がなせる業だったのかもしれない。
指先が銃口に触れたその瞬間、青白い火花が走った。
何が起こったのか、オレ自身にもまだ理解できなかった。
無傷だったはずのドローンが、突然煙を噴いて墜落したのだ。
ガタガタと奇妙な動作で震えたかと思うと、そのまま完全に機能を停止した。
静寂が、誰もいない路地裏を包み込む。
「…………は?」
本当に、意味が分からなかった。
故障、誤作動?
オレの目には、何の前触れもなくドローンが壊れたようにしか見えなかった。
本当に、どういう事だと。
「……これ」
そう思った瞬間に、自分の指先に違和感を覚えた。
皮膚が引きつるというか、ピリピリと痺れたみたいな感覚。
意識しながら指の辺りを見ると、そこに青白い光が瞬くのが見えた。
……もう一度。
歩き方を覚えたばかりのガキぐらい慎重に。
オレは自分の指先から、青白い火花を出していた。
「《奇跡》……」
都市法で禁じられている、技術としての魔法とは異なる。
個人の才能や資質に依存した異常能力。
人間が持つモノとしては最上級の「価値」。
まさかオレにそんな力が備わっているなんて。
「……ハ、ハハハ」
乾いた笑いが、自然と喉の奥から湧き上がってくる。
なんだそれ、なんだよそれ。
オレは「価値」がないからって捨てられたはずだろ。
「価値」がないから、両親とも姉とも同じ場所で暮らせなくなった。
温かいはずの場所から、こんな冷たい地の底に落とされたのに。
なんで、イマサラ。
「ハハハハハハハハハハっ! クソっ、クソッタレ!!
どいつもこいつも、世界も全部クソッタレだっ!」
叫ぶ。
意味なんてなくても、叫ばずにはいられなかった。
都合良く自分を助けてくれた《奇跡》よりも。
そんなものを今さらオレの手に投げ寄こした、運命とかその他諸々の何か。
ソイツがどうにも腹立たしくて、オレは叫ぶしかなかった。
腹の底に溜まったモンを全部吐き出せば、後は冷たくなるだけだ。
頭の中も全部、一つ残らず。
「……死んでたまるかよ」
後に残った
こんなクソみたいな場所で死んでたまるか。
オレは絶対に生きて、空も見えないようなゴミ溜めから這い出してやる。
そうしたら――。
「……どうなるんだろうな」
分からない。
今はただ、死にたくないとしか思えない。
誰だってこんなところで死ぬのは御免なはずだ。
けど、此処から出る事ができたとして。
そうなれば、「死にたくない」が「死んでも良い」に変わる事もあるのか。
分からない――けど。
「――イーリス……!」
いつか、それが分かる日が来るのかも。
「イーリスっ、しっかりしろ!! イーリス!!」
誰かの声が、オレの意識を現実に引き戻そうとする。
あぁ……そうか、今のは、夢か。
いや、夢というよりは、むしろ……。
「ぁ……」
「イーリス! 私だ、お姉ちゃんだぞ!
意識をしっかり保つんだ……!」
走馬灯、って奴か。
死に際に昔のことを思い出す、なんかそういう。
身体の感覚は、殆どない。
熱いとか、冷たいとか、そういうのも。
どうやらオレは、姉さんの腕に抱えられているらしい。
もう声が聞こえるぐらいで、目は役に立ってない。
辛うじて機能してる耳すらも、多分すぐに役に立たなくなる。
どうやらオレは、死ぬらしい。
『落ち着けテレサ、今は身の安全を考えろ!』
「嘆くのは良いがな、このままでは妹の亡骸ごと潰れて死ぬぞ」
「イヤ……イヤだっ! イーリスは、この子はまだ……!」
「この傷では手遅れだ。今はこの場の離脱を――」
声が遠のいていく。
誰が誰で、何を話しているかも分からなくなる。
……あぁ、オレは死ぬんだな。
それ自体は、特に思うことなく受け止めた。
まぁ、こっちはちょっと変わってるだけの人間なんだ。
死ぬ時は死ぬ。
ただ死にたくなかった頃と比べれば、そのぐらいは弁えていた。
むしろ、ここまで死んでない方が幸運過ぎるぐらいだ。
そういう事もあるだろうと、受け入れそうになって――。
「――――?」
気が付く。
間もなく死ぬはずのオレの意識。
暗闇の中へと沈んで行く途中で、気が付いてしまった。
何かが、オレの身体を掴んでいる。
いや死んでるのに「身体」って表現もおかしい気はするが。
兎も角、何かが、誰かが。
『――あぁ。これで僕の望みが叶うと良いけど』
その声は音を伴って聞こえたワケじゃない。
魂に刻み付けられた、今際の記憶。
オレを殺した女の笑顔。
末期に聞いたその言葉が、死の淵で反響する。
……死ぬ時は死ぬと、そう思っていた。
それは今も変わらない。
竜でもなきゃ永遠に死なないなんて事はあり得ないんだ。
けど、オレを殺して笑ってる奴がいる。
ソイツはオレを殺して、姉さんまで泣かせやがった。
ただ消えていくだけの意識に、強烈な怒りが湧き上がって来た。
ふざけるなよクソッタレめ。
「――――ッ」
今さらながら、オレは必死に足掻こうとする。
が、ダメだ。
そもそも足掻くための手足がない。
死ぬ。どうしようもなく死んでいく。
暗く冷たい水底へと、一方的に引き摺り込まれていく。
深い眠りが、オレの意識を呑み込もうとしていた。
クソッタレ。
どれだけ罵って、怒りを燃やそうとしても無駄だった。
――オレは、此処で死ぬ。
その現実がどうしようもなく圧し掛かって来る。
魂のひと欠片まで、這い出せない深みへと呑み込まれるその瞬間。
オレを捕まえているモノとは、また別の。
微かな熱が触れた気がした。
「――――?」
語り掛けられた気もするが、とっくの昔に音は認識できなくなっていた。
だからソレの正体とか、そんなものに考えを巡らせる暇もなく。
今度こそ、オレの意識は完全に消失していた。
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