第一章:竜が飛び去った後

288話:嵐の王


 俺たちが異変に気付いた時点で、概ね事態は手遅れだった。

 糞エルフ――ウィリアムとの決闘の後。

 簡単な治療だけを手早く済ませて、俺たちは《中枢》の大階段を上った。

 大真竜コッペリアが支配する歪んだ理想都市。

 それを支える、文字通り「柱」と呼ぶべき場所。

 支配者がいるはずの上層へは、先に他の仲間たちが向かっているはずだった。

 追いかけようと駆け上がった直後に、それは起こった。

 

「……なに、この音?」

 

 呟いたのは白い鍛冶師の娘――ブリーデだった。

 彼女は今、妹であるアウローラに捕まった状態だ。

 本人はまぁ大分嫌がったが。

 

「大階段を上がってる最中に転ばれても面倒なんだけど?」

 

 ……という、妹の言葉で一先ず観念した。

 実際、天辺までは霞んで見えないようなサイズの階段だ。

 これを転げ落ちたら大分ヤバい。

 

「《中枢》自体が揺れているようだな。

 これは少し拙いかもしれん」

 

 殿についたウィリアムが、上を見ながら応える。

 糞エルフの言う通り、細かい振動が《中枢》全体を揺さぶっている。

 うん、これはちょっとヤバい気が――。

 

「っと……!?」

 

 などと考えた傍から、ひと際強い衝撃が襲って来た。

 俺は咄嗟に、手を繋ぐアウローラとブリーデの二人を庇う。

 アウローラなら地震ぐらい平気だと思うが、彼女も大概ボロボロのはずだ。

 揺れは凄まじく、収まるどころか激しさを増すばかり。

 

「崩れるわね、コレ」

「だよなぁ」

 

 一体、上で何が起こったのか。

 それは分からないが、それは恐らく間違いない。

 言ってる傍から、大小無数の亀裂が《中枢》全体に広がって行く。

 

「どう見る、《最強最古》」

「その呼び方止めなさいよ糞エルフ。

 ……上の方で、魔力が凄い勢いで膨れ上がってる。

 これは間違いなくコッペリア――いえ、ヘカーティアでしょうね」

 

 ヘカーティア。

 それは大真竜コッペリアが持つ古い名前。

 《五大》と称される《古き王オールドキング》の中でも更に別格だった竜王。

 先行した側が遭遇する危険は当然考えてたが……。

 

「っ……まさか、《中枢》を壊す気なのアイツ……!?」

 

 ブリーデの漏らした叫びが全てだった。

 《中枢》は、ヘカーティアが支配しているこの理想都市『暁』の要。

 この場所を通して、大真竜はこの広大な閉鎖都市の運営を行っている。

 遠い昔に魂が砕けてしまった恋人。

 弱い者たちの助けになる事を己の役目としていた賢人。

 その男の砕けた魂を胸に抱きながら、彼の持つ理想を実現するために築いた都。

 形が歪んでいても、此処はヘカーティアにとって恋人との絆の一つであるはず。

 それを自発的に壊すような真似はしないと、俺もそう思っていた。

 

「レックス、傍に来て」

「あぁ」

 

 間もなく崩落が始まる。

 どれだけ「あり得ない」と考えても、起こる現実は止められない。

 アウローラの呼びかけに頷き、より姉妹二人の近くに寄る。

 ちなみにウィリアムも、特に躊躇なく傍に来た。

 ホント面の皮凄いっすね。

 

「お前は別に瓦礫の下敷きになって貰って構わないんだけど??」

「まぁそう言うな、今は味方だろう?」

「今はな」

 

 次の瞬間にはどこに立ってるか分からない相手だ。

 それを「味方」と表現して良いのか、なかなか哲学的な問題だった。

 

「アンタら、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ……!」

 

 ブリーデもブリーデで、焦った顔で周囲に騎士たちを展開する。

 青白い炎を纏う、月の竜を守る鱗の騎士。

 アウローラは魔力による壁を構築し――ほぼ同時に、破滅的な衝撃が襲って来た。

 視界はあっという間にグチャグチャになり、何も見えなくなる。

 ほんの少し離れた場所で、破壊そのものが荒れ狂っていた。

 

「やべーなコレ。絶対死ぬって」

「あぁ、生身で巻き込まれていたら死んでいたな」

「……アンタらが言うと説得力無いわよ」

「ホントにね」

 

 普通に死にそうなんだが、何故か姉妹には信じて貰えなかった。

 まぁ、それは兎も角だ。

 

「落ちてない??」

「これ、《中枢》だけじゃ済まないかもね」

 

 何もかもを破壊する嵐の中。

 下へと落ちていく感覚が俺たち全員を包んでいた。

 これは戦いの余波とか、恐らくそんな規模じゃないな。

 一体、俺たちの知らぬ間に上で何が起こったのか。

 

「ちょっと、コレきっついんだけど……!」

「ほら、頑張って頂戴? 今この場で一番余力があるのは貴女なんだから」

「言いながら人の首に噛み付くのやめろぉ!?」

「仲良しだなー」

 

 大変結構なことだと思う。

 まぁ状況がヤバいんで、出来ればそっちに集中して欲しいが。

 全てを砕く嵐は、どれだけ渦巻いていたか。

 ほんの数秒程度にも、何時間も続いていたようにも思えた。

 不意に、視界が開ける。

 俺の目は、その姿を遥か空に見ていた。

 

「……アレが」

 

 都市は無惨に破壊されていた。

 《中枢》は根こそぎ吹き飛んで、その周りも大きく抉れている。

 巻き添えの被害は、一体どれだけ出たのか。

 しかし、今重要なのは壊された瓦礫の山じゃない。

 それを引き起こしたモノ。

 閉鎖都市の天蓋を突き破り、今度は自らで空を塞いでいる存在。

 竜だ。

 間違いなく、その姿は竜に他ならない。

 基本的な形状は、一対の翼を広げる竜だった。

 但し、サイズが兎に角デカい。

 これまでの経験で比肩するのは、恐らく狂ったバビロンぐらいだろう。

 広大な都市をすっぽり覆い尽くすほどの巨大な翼。

 全身を鋼色の鱗で覆い尽くした巨竜。

 その背には分厚い黒雲を背負い、嵐そのものを身に纏っていた。

 

「ヘカーティア、アンタこんなところで《竜体》になるとか……!?」

 

 巨大な竜を見上げながら、ブリーデはか細い声で叫んだ。

 人型に近かったブリーデの《竜体》とは、文字通りに桁が違う。

 ただその姿を晒すだけで、周辺に甚大な被害をもたらす大嵐の化身。

 ……確か、大真竜の序列は五位だったか。

 

「勝てる目がまったく見えんな、コレは」

 

 笑いながら言うことじゃないんだよなぁ。

 まぁ、俺も糞エルフの言葉を否定することはできなかった。

 見たまま、大陸そのものを包み込むような嵐の竜。

 少なくとも現状で、アレを倒す術は思いつかなかった。

 というか、このまま襲われたら大分ヤバいな。

 辛うじてダメージが無いのがブリーデぐらいしかいない。

 

『――――』

 

 鋼と嵐の巨竜。

 ヘカーティアの《竜体》は、俺たちの事を見ていた。

 向こうからすれば豆粒程度のはずだが、しっかり知覚しているようだ。

 視線を向けられた――ただそれだけのはずなのに。

 とんでもない重圧が全身に圧し掛かる。

 俺だけでなく、全員が同じものを感じているようで。

 やっぱ、このまま襲われたら死ぬなと確信するには十分過ぎた。

 だが。

 

「……敵意はない、か」

 

 呟いたのはウィリアムだった。

 糞エルフの言う通り、巨竜の視線には敵意がまったくなかった。

 ただ確認のために目を向けた、という感じだ。

 そう考えた直後に、大真竜は翼を広げる。

 たったそれだけの動作で、周囲の空間を嵐が吹き荒れた。

 

「ッ……!」

 

 叩きつける風は、アウローラとブリーデの護りの上からも感じられた。

 嵐が視界を遮ったのは、本当に一瞬。

 その一瞬が過ぎた後、全ての風が消え失せていた。

 大半が砕かれた天蓋の向こうに見えるのは、嵐の名残りである黒い雲。

 本体である大真竜の姿は、もう何処にも見えない。

 どうやらどっかに飛び去ったようだが……。

 

「何だったんだ、結局?」

「俺にも分からん」

 

 普段は何でもお見通しみたいな面してる糞エルフ。

 しかしこの状況は、流石に理解できていないらしい。

 ほんの僅かな困惑だけを滲ませて、小さく首を横に振ってみせた。

 分からないのは、俺を含めた全員の共通項だ。

 てっきり、《竜体》の力で纏めて叩き潰しに来るかと思ったが。

 

「……最悪ね」

 

 改めて周りの状態を見ながら、ブリーデは唸るように言った。

 嵐の竜が過ぎ去った後。

 残されたのは、単なる「余波」で破壊し尽くされた都市の姿だった。

 《中枢》はもう瓦礫の山で、その近くにあった建造物も大体似たような有り様だ。

 全体としてどれだけの被害が出てるのか、俺の頭じゃ想像もつかない。

 

「アイツ、一体何を考えてるの……!?

 自分で『アカツキの理想を少しでも形にしたい』って、そう言ってたのに……!」

「落ち着きなさい、何を言ってもどうしようもないわ。

 瓦礫を掘り返したって事態は解決しない。

 あの馬鹿は、ヘカーティアはどうして《竜体》になって飛び去ったの?」

 

 動揺するブリーデを、アウローラは抱き締めて抑え込む。

 分からない。

 現状の俺たちには何も分からなかった。

 ヘカーティアの行動の意味も、理由も全て。

 それともう一つ。

 

「……コレ、先に行ったテレサやイーリスは無事か?」

 

 俺も、元は《中枢》だった瓦礫に目を向ける。

 破壊は徹底的かつ容赦がない。

 生身で巻き込まれたら死ぬと思ったのは、冗談でもなく単なる事実だ。

 剣の柄を握る手に、少し意識を集中させる。

 その内で燃える火と、ボレアスは離れていても繋がりがある。

 それを辿れば――。

 

「――我の心配か、竜殺しよ?」

 

 と、こっちが動くよりも早く。

 そんな言葉と共に、少し離れた位置で瓦礫が動いた。

 下から上へと派手に跳ね飛ばして。

 顔を出したのは、埃まみれになったボレアスだった。

 特に怪我をした様子もなく、傲慢と不遜を体現したような笑みを浮かべている。

 

「いや、そっちの心配はあんましてない。

 けど無事っぽくて良かったわ」

「我は竜の王ゆえな。この程度はどうという事もない」

「別にお前はどうだって良いわよ。

 それより、同行した他の連中は――」

 

 呆れ顔で、アウローラが口を開いた直後。

 ボレアスが這い出して来た瓦礫の隙間から、何かが勢い良く飛び出した。

 それはテレサだった。

 彼女もまた、全身を埃まみれにした状態で。

 何かをその腕に抱えながら、転がるようにアウローラの傍へ。

 

「主よ……! どうか、どうかお助け下さい……!」

 

 これまで、一度も見たことがない。

 そのぐらいに必死で、あらゆる感情が崩れたテレサの姿。

 驚き戸惑うアウローラの目にも、彼女が何を抱えてるかが見えた。

 俺も、そこでようやく事態を認識できた。

 

「どうか、どうかお慈悲を……!

 イーリスが、妹が、息をしてないんです……っ。

 お願いします、私はどうなっても良い、だから、だから妹を……!」

 

 先ほどの笑顔とは一転して、ボレアスは渋い顔をしていた。

 テレサが出て来た隙間からは、他にも猫や機械のアカツキも顔を出す。

 それと、もう一人。

 イーリスは、姉であるテレサの腕の中にいた。

 胸元から流れ出した血で、身体の半分程度を赤く染めながら。

 一切の力をなくした彼女の姿は、明らかに事切れた後のものだった。

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