第五部:闘争の都で竜を殺す

118話:邪悪なる者の追想(前)


 ――それは、遠い遠い過去の記憶。

 

 その時、「私」は闇の中に佇んでいた。

 光の差さない地の底。

 余人には知られぬ秘密の工房。

 高度な術式により空間が拡張されたその場所は古城一つ分程度の広さがある。

 その構造の半分以上を占めるモノ。

 巨大なすり鉢状の穴の底では、絶える事のない炎が煌々と燃え続けている。

 私はその上を魔法で浮きながら、その様をじっと見下ろす。

 これは「炉」だ。

 幾つもの複雑な魔導式が、時折自動で組み変わりながら稼働している。

 常に莫大な魔力が注ぎ込まれ、「炉」の中心となる炎は凄まじい熱量を費やす。

 その浪費具合は並の魔導師が見たらその場で卒倒しかねないけど。

 ――まだ、まだ全く足りない。

 私が見ているのは燃え続ける炎ではない。

 本当に重要なのは、その奥にあるもの。

 この「炉」が創られた理由そのものでもある一つの「モノ」。

 竜の鱗さえ焼き切る程の火でなければ、ソレを鍛え上げる事は出来ない。

 未だ「完成」には遠い。

 焦れる気持ちを抑えながら、私はその様子を見続ける。

 そうしていると。

 

「そんな無いモノねだりの子供みたいな目で見るなよ、《最強最古》」

 

 炎の爆ぜる音に混じって響く、年若い男の声。

 それを耳にした事で、私は燃える「炉」からようやく視線を上げる。

 何時から其処にいたのかと、そう問いかける意味は無い。

 この工房の主である男は、望めばいつだって其処にいるのだから。

 

「全ては万全に整ってる。

 あと必要なのは時間だけだ――この台詞も何度目だ?」

「それこそ、意味のない問いでしょう」

 

 違いないと、男は肩を揺らして笑った。

 年若い――人間風に言うなら少年のような男だった。

 細い身体のラインが浮き上がるような黒衣。

 その小柄な体格には少々不釣り合いな外套の色もまた黒い。

 闇を纏うような衣装とは反対に、その肌は蒼褪めたように白かった。

 癖のある金色の髪を掻き上げ、血の色に似た赤い瞳が私の事を見ていた。

 飄々とした態度で隠しているようだけど。

 その眼の奥に宿った感情の色を、私は見逃さなかった。

 即ち、恐怖と敵意。

 男は何気ない仕草に強い警戒を織り交ぜながら、さも親し気に私の傍まで近寄る。

 道化者のように滑稽だけれど、私は敢えて何も言わなかった。

 愚か者を嘲笑うのは、ソイツが自らの愚かさを自覚した最後の瞬間だけで良い。

 今はただ、都合の良い手駒として利用するだけ。

 

「それで? 貴方は今『全ては万全』と言っていたけれど。

 本当に問題は無いのね?」

「お前が此処で見ている通りだよ、《最強最古》。

 心配だからこそ思い出したように様子を見に来るんだろう?」

「貴方の事を信頼していないわけじゃないのよ、《オプスキュリテ》」

 

 そう綽名で呼ぶと、男は肩を竦めて笑った。

 面白い冗談でも聞いたような反応リアクション

 別に嘘は言っていない。

 今進めている計画は、私にとって全てと言い換えても良いモノ。

 その野望の片棒を担がせるのだから、技量的に信頼のおける相手以外選ばない。

 この男が――《黒》が、其処まで分かっているかは知らないけれど。

 

「二十の竜王の長子、《最強最古》たるお前に信頼して頂けるとは。

 これ以上の名誉は恐らくこの世に存在しないだろうな」

「ええ、誇っても構わないわよ?

 《十三始祖》の中で、あの《帝王》を除けば貴方が一番優れた手腕を持っている。

 そう考えたからこそ、私は貴方との取引に応じたのだから」

 

 この地に訪れた「始まりの魔法使い」である十三人。

 その一人である男は、今までとはほんの少しだけ異なる感情を見せた。

 これも理由は分かっている。

 私が《帝王》の名を口にした瞬間に、その表情が僅かに曇った。

 ――本当に、愚かな男ね。

 内心の笑みが漏れないようにするのは、存外に大変な作業だ。

 自分の望みを叶える為に、同胞を裏切る事になると承知で私と手を組んだのに。

 ちょっと「父親」の事を口にしただけで動揺するなんて。

 

「……《最強最古》」

「あら、何?」

「本当に、取引の内容に偽りは無いんだろうな?」

「貴方も貴方で大概心配性よね」

 

 これは隠さずに、私は喉の奥で笑い声を転がす。

 お道化たような空気は消え失せて、《黒》は正面から私の事を見ていた。

 少なくとも、取引の上で私達は対等だけれど。

 互いの力の差は歴然。

 魔導に限定するなら《黒》は決して私に引けは取らない。

 けれど私は《最強最古》。

 仮に戦いとなれば、ほんの僅かな抵抗すら許さず捻り潰せる。

 その隔絶した差を理解しながらも、男は怯まず私と相対している。

 それだけは、魔導の技量以外に評価しても良い点だ。

 

「安心しなさい。術式まで用いた契約に虚偽は挟まない。

 そのぐらい、貴方も当然分かっているでしょう?」

「あぁ、分かっている。内容に偽りがないか、契約に用いた術式自体に穴が無いか。

 何度も確かめたさ」

「だったら良いじゃないの」

「それでも、相手は《原初の邪悪》。

 警戒はしてもし過ぎるなんて事はない――違うか?」

「さて、それは私には何とも答えようがないけど」

 

 《黒》の言葉に、私はわざとからかうように笑ってみせた。

 苛立ったようだけど、彼もそのぐらいで感情を激したりはしない。

 力で訴えても私が届く相手じゃない、というだけでもない。

 この男にとって、私の計画に乗る事だけが唯一の光明だからだ。

 

「――その様子では、お仲間の状況は大分悪いみたいね?」

「知ってて言ってるのか?」

「いいえ? あんまり興味が無いものだから」

 

 これも別に嘘ではない。

 一瞬だけ、《黒》の眼に殺意に似た怒りが滲む。

 けれど直ぐにまたそれを引っ込めると、疲れたような吐息を漏らす。

 

「……良くない。いや表現が控えめに過ぎるな。

 悪い。個人差はあるが、明らかに発狂した仲間も少なくない」

「折角、永遠に生きられる術を手に入れたのに。

 千年程度も経過しない内に気が狂うなんて、難儀な話ね?」

「あぁ、父は――《帝王》だけは唯一独力で『不死者イモータル』となる事に成功していた。

 あの人の事を知っていたからこそ、俺達は一人の例外も無く誤解していた」

 

 血を吐くような《黒》の言葉。

 そう、あの日流れ着いて来た十三人の魔法使いの内。

 たった一人だけが永遠に至った「偉大なる者」で、それ以外の十二人は紛い物だった。

 だからこそ、その十二人は永遠となる術を求めた。

 私には理解し難いけれど、ソレは魔導に生きる者にとって悲願らしい。

 故に自分達が見落とした陥穽があるとは知らず、私との最初の取引に応じた。

 その結果が今、この場所にある。

 

「――壊れたモノは、容易くは元に戻せない。

 いいえ、そも『壊れた原因』を根本的に何とかしない限りは。

 例え元の状態に戻したところで、また同じ事を繰り返す」

「……そうだ。だからオレはお前との取引に応じた。

 『偉大でなかった者達を、今度は偉大な者として蘇らせる』――その為に」

「――その為に、『大いなる剣』が必要よ」

 

 《黒》にそう応えて、私は視線を再び炎に向ける。

 私が魔力を提供し、《黒》と共同する形で構築した巨大な魔術式。

 燃える炎の奥で鍛えられているのは、一振りの剣だ。

 今はまだ完全に形を成していないけど。

 直ぐにでも産声を聞けそうな錯覚に、私は密かに高揚していた。

 そんな此方とは真逆に、《黒》は湧き上がる嫌悪を抑え切れない様子で。

 

「……悍ましいな。

 自分で為した事ながら、見ているだけで怖気が走るよ」

「あら、酷い言いようね」

「お前はアレを見て、何も感じないのか?

 俺は恐ろしくて堪らないね。

 もう単体では無力な『残骸』に過ぎないと、そう分かっていてもだ」

 

 《黒》が語る通り、それは単なる「残骸」だ。

 今は剣を鍛える為の貴重な素材として、炉の中の炎に焚べられている。

 そう――それは非常に貴重な素材だった。

 私が計画の為に《黒》に与えた、この世に二つと無い代物。

 

「かつて、この世界を好き勝手に蹂躙した《外なる神》。

 自らの理想とする新世界創造を行うも、その不完全さに絶望した愚かな《造物主》。

 全知全能でなかったとはいえ、それに限りなく近かった存在だもの。

 例え今は残骸でも、貴方にとっては恐ろしいでしょうね」

 

 自らの器を見誤り、過ぎた大望を目指したが故に破滅した者。

 我が父は偉大ではあったけれど、どうしようもなく愚かだった。

 彼の方の理想も何も、私にはどうでもいいけど。

 残されたモノは私の野望の為に有難く使わせて貰おう。

 変わらず戦慄を隠し切れない《黒》は、私の方をちらりと見た。

 

「……死んだ神の残骸を使い、竜殺しの剣を鍛える。

 永遠不滅である古竜の魂をその刃で捕らえて力に変える」

「そうして、私以外の全ての《古き王》を狩り取る。

 神たる父は自ら望んで死んだけど、その欠片は決して砕けない永久物質。

 全ての竜王の力を呑み込んでも余りある唯一の器よ」

 

 炎の中で鍛えられている最中の剣。

 それは王の血と魂を受ける事で真に完成する。

 後は私がその剣を取り込めば、父をも凌駕する力を得られる。

 その時こそ、私の野望ユメの本当の始まり。

 こんな狭い箱庭じみた世界を捨てて、無限に広がる星々の向こうへ旅立つ。

 当然、その目的は私しか知らない事。

 目の前にいる《黒》も、協力者といえど例外じゃない。

 彼は単純に、私が支配欲の為に力を欲していると思っているでしょうね。

 

「……お前の兄弟殺しについて、とやかく言う気はない。

 剣は如何なる手を使っても完成させる。

 そしてその刃を用いて、お前の望む通りにした暁には……」

「その力で、貴方を含めた哀れな始祖達を『偉大なる者』にしてあげましょう。

 それが契約だものね?」

 

 そう語る言葉に偽りはない。

 契約として結んだ以上、それは果たすべき義務だもの。

 《黒》もそれを分かっているから、疑心はあれどそれ以上は何も言わない。

 

「……そう、契約だ。分かっているなら良い」

「理解して貰えたなら何よりね」

「それとは別に、確認しておきたい事がある。

 あの剣を完成させた後についてだ」

 

 完成させた後。

 要するに、竜殺しを如何に遂行するかの計画ね。

 それについても、まだ大雑把だけどある程度の考えは纏まっていた。

 

「そうね。現時点では仮の予定に過ぎないと前置きした上で、だけど。

 先ずは人間に使わせるつもりよ」

「人間に……?」

 

 その答えが余程意外だったみたい。

 眉をひそめて《黒》は訝しげな声を上げた。

 まさかとは思うけど、そのまま私が振り回すとでも思ったのかしら。

 流石にそんな真似をすれば、他の竜王や始祖達に袋叩きにされて終わりでしょう。

 当然負ける気はないけど、幾ら何でも面倒過ぎるわ。

 

「だが、どうして人間なんだ?」

「彼らが弱くて、大勢いて、それ故に竜とぶつかりやすいからよ?」

 

 私の言葉に《黒》は一瞬考え込んだ。

 それから意図に気付いたのか、明らかに表情を歪める。

 あら、そんな顔はしなくて良いのに。

 

「お前は……剣を鍛える為に、無関係な多数の人間を犠牲にする気か」

「まさかそんな覚悟もなかった、なんて言わないで頂戴ね?」

「ッ……」

 

 皮肉を込めて囁けば、《黒》は小さく呻き声を漏らす。

 良心とやらをまだ捨て切れていないようだけど。

 私と手を組む事を選んだ時点で手遅れよ?

 今さらその事実に気付いたのか、《黒》の顔色がますます青白くなる。

 私は気にせず、彼の知りたがっていた事を話してあげた。

 

「先ず適当に都合の良い言葉を並べて、最初の一人に剣を与える。

 出来れば竜と積極的に戦う理由のある人間が良いわね。

 そいつは多分直ぐに死ぬでしょうけど、そしたらまた次の人間を見つける。

 後はその繰り返しね?」

 

 繰り返して、繰り返して、繰り返して。

 剣は斬り殺したモノの魂を呑み込んで力に変える。

 その対象は竜だけとは限らない。

 人間は愚かだから、剣を使って多くのものを殺すでしょう。

 それを助長する為の物語を用意するのもいいかもしれないわね。

 戦って、殺して、死んで、また戦う。

 繰り返して、繰り返して、繰り返して。

 私は手を動かさずとも、剣は勝手に鍛えられていく。

 やがてその刃は、古き竜の王にも届くでしょう。

 最後は私が全てを手にすれば良い。

 そうなる未来を容易く思い描きながら、私は静かに笑った。

 傍らに立つ《黒》は、果たしてどんな気分でそれを見ていたのかしら。

 

「……どうするにせよ、肝心要の剣がまだ未完成だ。

 話は全部それからだろう」

「ええ、そうね。貴方の言う通り。だから剣の完成、しっかりとお願いね?」

「言われるまでもない」

 

 ニッコリと微笑んでみせたが、《黒》の表情は硬いまま。

 折角気を楽にして貰おうと思ったのに。

 何にせよ、この場にこれ以上留まっても意味は無いわね。

 私は呪文を口にせず《転移》を発動させる。

 工房の位置が辿られぬよう、最低限の座標計算だけした無作為転移。

 一瞬だけ視界が暗く途切れる。

 次に見えたのは何処かの山の景色だった。

 適当に跳んだから、直ぐには何処なのかは分からなかった。

 まぁ、この大陸は私にとって庭みたいなもの。

 どんな場所に出ようと大差ないか。

 ……それはそれとして、人間の姿だと鬱蒼と繁った木々が地味に鬱陶しいわね。

 一瞬、《竜体》になって全部薙ぎ払おうかと考える。

 幾ら何でも目立ち過ぎると、直ぐに思い直した。

 まぁ、偶にはこういうのも良いでしょうと。

 私は適当に山の中を歩く。

 外はすっかり真夜中で、空は星と月の光で酷く明るい。

 そんな景色を眺めながら、少し散歩を続けると。

 

「……ん?」

 

 ふと、風の音が聞こえた。

 翼を大きく羽ばたかせるその響きは、間違いなく竜によるものだ。

 程なく、木々の一部を薙ぎ倒しながら赤い影が下りて来た。

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