終章:そして、学びの園に朝は来る

117話:穏やかなる日々


『――間もなく、起床時間です。

 繰り返します。間もなく、起床時間です。

 学生の皆様、おはよう御座います。

 今日も良く学び、良き一日をお過ごしください』

 

 その日も、変わらず《アヴェスター》の無機質な声が響いた。

 すっかり目覚ましになった定型文を聞きながら、俺はゆっくりと目を開いた。

 小さく欠伸をこぼして、固まった身体を軽く伸ばす。

 カーテンを閉め切った薄暗い寝室で、起き出してるのはまだ俺だけのようだ。

 とりあえず身を起こすと、身体に柔らかい重みが引っ掛かる。

 それは当然、アウローラだった。

 俺に抱き着いた状態で静かに寝息を立てる彼女。

 竜は眠る必要がないとか、何か聞いたような覚えがあったが。

 今はすっかり夢に浸るのにも慣れたらしい。

 このまま寝かしておきたいが、一応彼女自身から起床を頼まれている。

 なので薄い肌着だけの細い肢体を膝の上に抱き起す。

 

「アウローラ」

「……んっ」

 

 髪を撫でながら小さく名を呼ぶと、直ぐに反応が返って来た。

 うっすらと開く瞼の下、寝惚けて焦点の合っていない眼を見つめる。

 そうしてから、軽く唇の辺りを噛んでやった。

 何度か繰り返すと、細い手が俺の背中に触れてくる。

 少しの間、そんな具合に戯れて。

 

「目、覚めたか?」

「……うん、ありがとう」

 

 頬を染め、微妙に照れた様子で微笑むアウローラ。

 その手が俺の顔に触れると、そのまま流れるように兜を嵌められた。

 うん、ちゃんと目も覚めたみたいだな。

 

「……お前ら、起き辛ェからやめろってソレ」

「おう、イーリスか。おはよう」

 

 もぞもぞ動く寝台の一つから抗議の声が飛んで来た。

 どうやら俺以外もみんな起き出してたようだ。

 アウローラを腕に抱いたまま、俺は寝台から下りる。

 ――そんな具合で、今日も《学園》での一日が始まった。

 

「すっかり馴染んでおるなぁ」

「そういうお前もちょっとは馴染んで来たんじゃないか?」

 

 昼下がり。

 校舎の一角にある休憩用のスペース。

 幾つも並べられた椅子に座りながらのんびりと過ごす。

 近くにはボレアスがだらけ切った様子で座っていた。

 ちなみに当然の如く制服は着せられている。

 窮屈そうにしながらも、今のところは文句は言ってない。


「馬鹿な事を言うなよ竜殺し。

 ……しかしまぁ、長子殿も甘いものよなぁ」

「まぁ良いんじゃないか?」

「此処にこれ以上留まる理由も無かろうに」

「ちょっとぐらいの息抜きは必要だろ」


 ぶちぶちと文句を言うボレアスに、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 あの真竜マレフィカルムとの一戦の後。

 俺達はまだ《学園》に留まり続けていた。

 真竜を討ち取った。

 当初の目的である「大真竜の居所」についての情報も引き出せた。

 其処はイーリスと、目覚めたマレウスの二人が頑張って調べ上げてくれた。

  なのでボレアスの言う通り、俺達が此処に残る理由は無い。

 無いわけだが――。


「ちょっと、聞こえてるわよ」


 そう言って、アウローラも休憩スペースに姿を見せる。

 これまで制服姿の彼女をちゃんと見ていなかった気がする。

 ので、じっくりと眺めさせて貰う。

 うん、やっぱ何着ても似合うな。


「おい、視線がヤらしいぞスケベ兜」

「はい」

「はいじゃねぇよ」

「まぁまぁ、落ち着くんだイーリス」

 

 アウローラに続いて、テレサとイーリスの姉妹もやって来る。

 少し後方にはマレウスの姿もあった。

 彼女は楽しそうに俺達の様子を見ていた。

 

「ハハハハ、いやはや長子殿の地獄耳には参るな。

 これでは迂闊な事は言えぬな」

「また心にもない事を言って……」

「ちょっと、こんな場所で喧嘩はしないでね」

 

 煽るボレアスに、彼女に対しては常に沸点の低いアウローラ。

 それを宥めようとするマレウスと、まぁなかなか平和な構図である。

 ちょっとひと悶着あったが、それぞれ手近な椅子に腰を下ろして一息吐く。

 お昼近いのもあって、他の生徒達の姿もちらほら見え始める。

 時折、声を掛けてくる彼らに軽く手を振ったりと。

 《学園》は変わらず穏やかだ。

 

「……本当にありがとう、アウローラ。

 貴女のおかげで校舎の修繕も殆ど完了して、生徒達に不自由させずに済んだわ」

「別に、そのぐらいは大した労力じゃないから」

 

 落ち着いたところで、マレウスが姉に向けて深く頭を下げる。

 アウローラは何てことのないように応えて、小さく肩を竦めてみせた。

 俺達がまだ《学園》に滞在してる理由は、まぁ概ねコレだ。

 真竜は倒したが、その戦いの影響で《学園》自体には大きな被害も出た。

 加えて目覚めたばかりのマレウスもまだ本調子ではない。

 そんな状態に対して、アウローラが。

 

「もう少しだけ残って、様子を見ましょう」

 

 と言ったので、今に至るわけだ。

 まぁ派手に一戦やった後だし、腰を落ち着けられるのは良い事だ。

 テレサやイーリスも、その間は《学園》の訓練課程に参加して何だかんだと楽しそうだ。

 ボレアスについてはご愁傷様ということで。

 

「……それで、マレウス?」

「うん」

「本当に良いのね?」

「……うん、ごめんなさい」

「だから、別に謝る必要はないわよ。

 貴女がそう決めたんなら、そうすれば良いだけの話でしょう」

「ウン? 何の話だ?」

 

 二人のやり取りに、横で聞いていたボレアスが疑問の声を上げた。

 この辺の話は確か既に聞いたはずだが、どうやら耳に入っていなかったらしい。

 そんな姉妹の言葉にマレウスはちょっと苦笑いをこぼした。

 

「姉さん――アウローラにね、誘われてたの。

 一緒に来ないか、って」

「ほほう。良いのではないか?」

「けど、ダメよ。私には《学園ここ》があるから」

 

 小さく首を横に振ってから、マレウスは周囲に視線を向けた。

 今も多くの生徒達の姿がある学びの園を。

 

「彼が――『学園長』がいなくなっても、この《学園》は残ってる。

 だから私が、この場所に責任を持たないと」

「……それが貴女の決めた事なら、それで良いわ」

「うん。……ありがとう、姉さん」

「だから、その呼び方は止めなさいってば」

 

 マレウスの決意は固い。

 少し残念そうにしているアウローラの頭を、俺は軽く撫でてやった。

 彼女は何も言わず、俺の方に身を寄せてくる。

 まぁ、アウローラ自身も言ってる通り、こればっかりは自分の意思だ。

 そう決めたのならそうすれば良い。

 

「……それで、主よ」

「ん? なに?」

「いつ頃まで、此処に滞在なされますか?

 いえ、特に急かしているわけではありません。

 主のなさりたいようになされば良いと思っていますので」

「……そうね」

 

 微妙にわざとらしいテレサの言葉に、アウローラは考え込む。

 

「別に急ぎってワケじゃねェなら、もう少しぐらい居て良いんじゃねーの?

 オレもまー、結構楽しんでるし」

「あら。それなら正式に此処の生徒になってみる?」

「いやそれは遠慮しとくわ」

 

 ニコニコ顔で勧誘して来るマレウスに、イーリスは流石に遠慮した。

 ちなみにボレアスは明らかに不満げであった。

 

「我はいい加減に、この制服とやらにうんざりして来たのだが」

「制服に限らんと服は着るもんだぞ??」

「竜が纏うのは鱗だけで十分だ」

 

 一応俺もツッコんだが、ボレアスの胸には響かなかったようだ。

 で、それを聞いていたアウローラが盛大にため息を吐いた。

 それからチラリと、マレウスの方に視線を向けて。

 

「……マレウス」

「? 何かしら?」

「……あと数日。あと数日ぐらい、滞在しても良いかしら」

「えっ? それは――勿論、構わないというか、嬉しいぐらいだけど」

「あの馬鹿ドラゴンに、もうちょっと服を着てる状態を慣れさせておきたいのよ。

 それに、まぁ……此処までずっと、旅続きだったし。

 少しぐらいはね、休むのも良いかと思って」

「――うん、そういう事なら私も嬉しいわ……!」

 

 アウローラの申し出に、マレウスは表情を輝かせる。

 其処は素直に「マレウスが心配だからもう少し残りたい」と言っていいと思うが。

 指摘すると大変な事になりそうなので、それは胸にしまっておいた。

 そんな事をぼんやり考えていると。

 

「隣、宜しいですか?」

「あぁ」

 

 聞き覚えのある声に適当に返事をする。

 音もなく椅子に腰かけたのは《黄金夜会》のイヴリスだった。

 彼女もまた、竜姉妹の様子を面白そうに眺める。

 

「調子はどうだ?

  マレウスが真竜じゃなくなったし、何か影響あるかと思ったが」

「御心配なく。その辺りは『学園長』が備えていましたから。

 その『学園長』自身は満足して消えてしまいましたけど。

 幸い《アヴェスター》の機能は損なわれていませんし、マレウス先生もいます。

 何とかやっていけそうな感じですね」

「そりゃ良かった」

 

 まぁ間違いなく色々大変だとは思うが。

 その辺はイヴリス自身も当然のように分かっているだろう。

 分かった上で、蒼褪めた少女は実に楽しそうだ。

 

「此方は大丈夫ですが、あなた方は気を付けてくださいね」

「うん?」

 

 何の話か分からず、俺は首を傾げる。

 それに対してイヴリスは変わらず微笑んだまま。

 

「――大真竜ゲマトリア」

 

 俺達が次の目標と定める、その名前を口にした。

 確か真竜達の大ボス、その一匹。

 大竜盟約とやらの中心にいる奴だったか。

 ……思い出すのは、以前に遭遇した黒色の女騎士。

 そのゲマトリアとやらが、アレ並とは思いたくないところだ。

 イヴリスは俺の空気を察したか、口元の笑みを深くする。

 

「こういった事態になった際。

 暫くは誤魔化せるよう、『学園長』も色々と仕込んでいたようです。

 この《学園》はゲマトリアの権威の上に成り立っていますから」

「うーん、用意周到だな」

「とはいえ、いずれゲマトリアも《学園》で起こった事実に気付くでしょう。

 そうなればきっと……」

「今まで通りには行かないか」

 

 俺の言葉にイヴリスは満足そうに頷いた。

 横で聞いていたイーリスが、若干不機嫌そうに唸る。

 

「言い方がいちいち迂遠なんだよ」

「あら、ごめんなさい。でも言いたい事は分かるでしょう?」

「……私達がゲマトリアを倒すか。

 少なくとも余所を気にする余裕のない状態にする。

 期待するのはその辺りか?」

「ええ、本心から期待していますよ」

 

 意図を察したテレサに対し、イヴリスはくすっと笑った。

 うん、素直で大変宜しい。

 未来の事は軽々しく保証してやれないが。

 

「がんばるよ。期待に添えられるようにな」

「……ええ。私も貴方を信じていますから」

 

 そう言って、珍しくイヴリスは年相応の微笑みを見せた。

 それからするりと俺の傍から離れる。

 一度此方を振り向いてから、優雅な仕草で一礼をした。

 

「改めて、夜会の長として感謝を。

 《学園》については我々が責任を持ちますので、どうかご心配なく」

「あぁ。まぁその辺はそんな心配はしてないけどな」

「そう言うと思いましたよ」

 

 クスクスと笑って、今度こそイヴリスはその場を離れた。

 そうしてからマレウスの方に向けて。

 

「マレウス先生。交友を温めるのは結構ですけど。

 学長としての業務はしっかり頼みますよ?」

「も、勿論! それは分かってるから、大丈夫よ!」

「信じてますからね?」

 

 からかうように言ってからイヴリスは去って行った。

 マレウスはそれを見送って、それから名残惜し気にアウローラから離れた。

 本当はもっと一緒にいたいと態度に出まくっているけど。

 観念した様子で小さく息を吐く。

 

「ごめんなさい、私もそろそろ行かないと……」

「さっきも言ったけど、もう少しは滞在するつもりだから。

 そんな残念がらなくても良いじゃない」

「それは、そうなんだけど」

 

 じゃれつくように、マレウスはアウローラの手を握る。

 何度か指先を絡めたりして。

 そうしてから手を離し、ゆっくりとした足取りで距離を取る。

 いやホント、文字通りの牛歩という奴だ。

 のたくた歩くマレウスに、アウローラはちょっとイラっとしたようだ。

 

「はよ行きなさいってば。いい加減にしないと引っ叩くわよ?」

「ごめんなさい姉さん……!」

「だからアンタはホントに……」

 

 言葉とは裏腹に、そんなやり取りを心から楽しんでいる様子のマレウス。

 アウローラは呆れて笑うしかないようだ。

 背を向けて仕事に戻ろうとしたマレウスだが。

 ふと俺の方を振り向いて。

 

「――ありがとう、レックス。約束、守ってくれて」

「あぁ、そのぐらいはな」

 

 軽く応えながら、俺はマレウスに手を振った。

 彼女も微笑みと共に手を振り返し、そのまま通路の向こうへ走っていく。

 うん、元気そうで何よりだ。

 

「廊下は走らないんじゃなかったかしら。

 ……まったく、あんな困った子だなんて思わなかったわ。

 昔は大人しくて控えめだったのに」

 

 ひょいっと、膝に乗ってくる柔らかい重み。

 それは無防備に身体を預けてくるアウローラだ。

 彼女の髪を何となく撫でると、とても気持ち良さそうに喉を鳴らした。

 

「多分、その頃は遠慮してたんだろ。

 良い子だと思うけどな」

「良し悪しは何とも言えないわね」

 

 苦笑いを浮かべながら、アウローラは髪を撫でる俺の手を握った。

 強すぎない程度の力で指を絡めて。

 

「……その、ごめんなさい」

「?」

「ほら、勝手に滞在期間伸ばしちゃって」

「あー、いや別に気にする事ないだろ。

 そういうのはそっちが決めるもんだと思ってたし」

「……そう?」

 

 いや、明確に取り決めがあるわけじゃなかったが。

 俺はアウローラの良いようにしてくれればいいし、問題はないな。

 姉妹も特にも文句はないだろう。

 

「我は文句あるからな??」

 

 裸族の寝言はとりあえずスルーで。

 俺の言葉に何度か頷いてから、アウローラは嬉しそうに笑った。

 笑って、兜の上から唇を触れさせる。

 肌に直接されたわけではないのに、柔らかい熱を感じた。

 

「オイ、盛るなら部屋行けよ部屋」

「イーリス……」

 

 実に直球なツッコミを入れる妹に、姉は困った風に笑う。

 そして当然、そんなものは華麗にスルーするアウローラさん。

 彼女は少し照れた様子で笑いながら、上目遣いに俺の顔を見つめる。

 

「……ねぇ、レックス?」

「うん?」

「確かに、私はマレウスの事は嫌いじゃないわ。

 正直、あんなグイグイ来る子だとは思わなくて戸惑ってるけど……」

「おう」

 

 さて、一体何の話だろう。

 ちょっと首を傾げる俺の耳元に、アウローラは唇を寄せて。

 

「……私にとっての一番は、レックス。貴方だけだからね」

 

 そんな具合に囁いた。

 それから彼女は、頬を染めて恥じらうように微笑んだ。

 俺はほんの少しだけ考えてから、そんなアウローラの頬を指で撫でる。

 で、お返しに一言だけ囁き返した。

 

「――あぁ、俺もだ」

 

 言った瞬間、アウローラの動きが止まった。

 実際にそう思ってるが、ちょっと言い方がアレだったか。

 やっぱこういうのは難しいなと。

 そんな風に思っていたら、凄い力で押し倒された。

 やったのは当然アウローラだ。

 素早く兜を剥ぎ取られて、思い切り唇に噛み付かれた。

 うん、流石にちょっとビックリした。

 

「オイだから盛るなら部屋行けってば!?」

「主よ、流石に往来でそれは拙いですから……!」

「なんだ、長子殿が脱ぐなら我も脱いで良くないか?」

 

 こう、目の前の事でいっぱいで周りを見てる余裕とかないが。

 何かもう凄い阿鼻叫喚っぽいな。

 色々目撃してしまった生徒の悲鳴だか嬌声だかも耳に飛び込んでくる。

 とりあえず落ち着かせようと背を撫でるが、どうもダメっぽい。

 ……まぁ、もうちょい好きにさせれば大丈夫だろう、多分。

 そんな感じに軽く考えながら。

 獣じみた少女の唇を、噛み付き返してみた。

 

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