第六章:御伽噺のその後

204話:愛


 ――全てが終わった後。

 私は先ず、彼と《北の王》の亡骸を砕かれた城に運び込んだ。

 最初に燃えはしたけど、幸い完全に焼け落ちてはいない。

 これから私は、彼を完全に蘇生させるための術式を構築する。

 その為に、あらゆる資源リソースを費やすことになるでしょう。

 一から拠点を用意する暇はないから、半ば壊れた残骸でもありがたい。

 《北の王》の屍は、素材として使う可能性があるから確保した。

 それは城の主である当人が崩した、瓦礫の上に安置しておく。

 後は、ボロボロになった彼自身の遺体。

 それを抱えて、私はまだ無事な建物の中に入った。

 無事――とは言っても、あちこち崩れて随分風通しは良い。

 修繕は、別に居住性は求めてないし。

 今はそんなことより、やっておくべき大事なことがあった。

 

「…………」

 

 彼を抱えたまま、私は軽く指を鳴らす。

 目の前にある空間が一部歪んで、そこに「何か」が現れる。

 それは寝台だった。

 二人で横になっても十分な広さがある、天蓋付きの寝台。

 人間の形を取るようになってから、偶にだけど使っていたモノ。

 それを異空間の収納スペースから取り出す。

 柔らかい寝台の上に、先に彼の身体を横たえた。

 ……改めて見ると、本当にボロボロね。

 竜との戦いを経た後なのだから、当然でしょうけど。

 

「……良く勝てたものね」

 

 人が竜を殺す、奇跡という言葉では足りない程の偉業。

 思い出すだけで胸が熱くなるのを感じる。

 ――私にも、こんな人が語るような心があったのか。

 或いは、それが一番の驚きかもしれない。

 

「貴方のせいよ」

 

 だからちゃんと、責任を取って貰わないと。

 これで死んで終わり――だなんて。

 私は絶対に認めない。

 寝台に横たえた、彼の身体。

 未だに纏ったままの甲冑を、一つ一つ外していく。

 剣は傍らに置いて、壊れかけた装甲は一先ず床に重ねた。

 本当に、何もかもボロボロで。

 戦いがどれだけ激しかったのかを、これ以上なく物語っている。

 一つ一つ、丁寧に。

 最後に兜を取り外して、一息。

 

「……ホント、冴えない顔」

 

 焼かれて、裂かれて、叩き付けられて。

 苦痛に骨身を削られながら死んだはずなのに。

 最後の表情は、穏やかなものだった。

 胸の奥が、血を流すように痛む。

 その痛みを埋めようと、私はそっと唇を重ねた。

 冷たい。

 もう、そこに生きていた熱は残っていない。

 今はそれで構わない。

 必ず取り戻すと、そう誓ったから。

 

「…………」

 

 さぁ、必要なことをしましょう。

 私も寝台に上り、身に着けていた衣服に指をかける。

 汚れてしまっても面倒だから、最初から全て剥ぎ取っておく。

 一糸纏わぬ肌を、流れる空気がくすぐるように撫でた。

 

「こんなことをするのは、《造物主》が死んだ時以来よ。

 歓喜に咽んで欲しいぐらい」

 

 それは叶わぬ望みだから、今は仕方ないと諦める。

 ――完全なる蘇生。

 この不可能に近い難事を果たすために、必要となるもの。

 少なくとも、剣に宿った彼の魂の火――その残滓と。

 全ての熱を失って、灰となった魂の残骸。

 その二つは絶対に必要なものだ。

 魂の火は剣に呑まれ、残骸は肉体に残されている。

 後者を一つ残らず回収する必要があった。

 パズルを組み立てるのに、ピースが欠けていては話にならない。

 余すことなく全てを得るためには、どうするのか。

 私の取った手段は、酷く単純なものだった。

 

「んっ……」

 

 それは口付けのように。

 私は彼の首筋に、牙を突き立てた。

 冷えてしまった肉を裂き、そこから濁った血があふれる。

 こぼしてしまっては意味がない。

 だから私はゆっくりと、これ以上なく丁寧に。

 流れる血を舌で舐め取り、喉の奥へと。

 冷え切った鉄の味を、特に不快には思わなかった。

 

「――美味しいなんて言ったら、流石に貴方も怖がるかしらね」

 

 意外と笑って受け入れる気もするけど。

 遺体に残された魂の残骸を、肉体ごと全て自分の内に取り込む。

 肉を裂いて、血を呑んで。

 血の一滴でもこぼすわけにはいかないから、少しずつ慎重に。。

 少しずつ。少しずつ。

 削るように、削ぐように。

 牙が骨に当たったら、そこに残ったものまで、少しずつ。

 

「……は」

 

 唇から、熱っぽい吐息が漏れた。

 悲しみがある。

 彼が徐々に消費されていくことの悲しみが。

 苦しみもある。

 彼を愛に気付かぬまま失った苦しみが。

 それと同じぐらいに、喜びもあった。

 彼の血肉が、魂の残骸が、私と一つになっていく。

 どれだけ遠くても、必ず辿り着く。

 貴方を完璧な状態で取り戻し、再び巡り会うその時に。

 だから今は、必要なことをしましょう。

 

「ホント、何処もかしこもボロボロね……」

 

 こうして見ても、身体で無事な箇所なんて殆どない。

 肉も骨も、腹に収まった臓腑の幾つかも。

 千切れて、折れて、破れて。

 良く途中で死ななかったと、いっそ感心してしまうほど。

 そんな傷だらけの肉を、私は一つ一つ確かめながら口にしていく。

 貴重な宝石を扱うよりも慎重に。

 幼子をあやすよりも丁寧に。

 冷たく濁った血と、硬くなってしまった肉。

 骨だって、欠片の一つも残さずに。

 私のはらの中へと、全て。

 

「…………は」

 

 時間は少し掛かったけれど。

 私は予定通り、全ての血肉を平らげた。

 あと残っているのは、首から上。

 そこだけは最後まで残しておきたかった。

 血はこぼれてしまわぬように止めて。

 もう何も語らぬ彼の首を、暫し胸に抱きしめた。

 ……生きている内にやっておけば良かった、なんて。

 それはあり得ない過程で、今さら悔やんでも仕方がない。

 いつか、必ず辿り着くその日に。

 存分に抱き締めれば良い。

 だから、今は。

 

「……おやすみなさい、愛しい人」

 

 残った首も、私の中へ。

 それこそ何度も口付けるように、彼の全てを平らげる。

 どうしても、時間は掛かってしまう。

 私の中の痛みと、苦しみ。

 何よりも喜びがそうさせる。

 ……全てが終わった後。

 腕の中にあった血肉の重みが、残らず失せた頃。

 崩れた天井から見えるのは、雲一つない星空だった。

 いつか見た夜と同じで、少し違う星の輝き。

 血の一滴も残っていない裸身を、風に晒しながら。

 私はやや茫然と、その淡い光を見上げていた。

 お腹の下辺りが少し重たい。

 寝台に腰掛けたまま、私は指先でそこをなぞる。

 やっぱり、熱は感じられない。

 それが何よりも悲しくて、そして苦しい。

 けど、彼は間違いなくここにいる。

 それは喜びとなって、私の胸を満たしていた。

 

「…………?」

 

 その感覚を噛み締めている内に。

 少しだけ、ぼうっとしてしまったみたいで。

 私は近付いて来る何者かの気配に気づき、視線を向ける。

 ここは北の最果て。

 やってくる者なんて、いないはずだけれど――。

 

「……これは一体、何の催しだ?」

 

 崩れかけた城内に、足を踏み入れる者。

 それは私も良く知る相手だった。

 星明りに浮かび上がる細身の陰影シルエット

 年若い――少年と呼んでも差し支えない、整った顔立ちの男。

 しかしその若々しさが、あくまで見た目だけなのは知っていた。

 闇にも似た黒衣とは真逆に、肌は死者の如く蒼褪めている。

 男は癖のある金髪をかき上げ、暗く燃える紅い瞳で私を見ていた。

 目に宿る色は、苛立ちと困惑を隠し切れていない。

 私の協力者である男――《黒》の異名を名乗る古き魔法使い。

 そんな男に対して、私は柔らかく微笑んで見せた。

 

「あら――どうかしたの?

 《黒》、貴方はまだ呼んでいないはずだけど。

 来ると知らせてくれれば、少しはまともな恰好を用意したのに」

「そんなことは別に気にしないさ、《最強最古》。

 その姿も、お前にとっては本性を誤魔化す為のガワに過ぎないんだ」

 

 強い警戒と敵意。

 《黒》は私を睨みながら、じわりと距離を詰める。

 まったく、失礼なことを言ってくれるわね。

 異常を感じ取った勘の良さだけは、素直に賞賛するべきかしら。

 空になった寝台から立ち上がり、そのまま床に下りる。

 素肌に刺さるのは、《黒》が放つ魔力の余波。

 まだ攻撃術式の構築まではしていないようだけど。

 魔力の高まりからして、事実上の臨戦態勢なのは間違いない。

 

「――鼻息が荒いわよ、《黒》。

 少しは落ち着いたらどう?」

「落ち着いてるさ、当然な。そういうお前はどうなんだ?」

「貴方の目に見えている通りよ」

 

 空気が焦げ付くような錯覚。

 始祖の放つ敵意は、特に気にせずに。

 私は寝台に置いたままの剣を手に取った。

 鞘に納められた、この世に二つとない至高の一振り。

 今や私にとっては、別の意味でも大切なもの。

 剣を胸に抱くと、《黒》の視線はますます鋭くなった。

 

「女の胸元を、そんなじろじろと見るものじゃないわよ?」

「生憎と板っ切れに興奮する趣味はないさ、《最強最古》。

 それより、お前はそんな冗談を口にする奴だったか?」

「今の貴方の発言を、冗談と流して上げる程度にはユーモアはあるつもりね」

「…………それをマジで言ってるのなら、それこそ異常だろ」

 

 《黒》の警戒レベルは、今や最大にまで上がったようだった。

 すぐに仕掛けて来ないのは、身の程を知っているからか。

 或いは、私に起こった変化を見極めようと考えているのかもしれない。

 どちらにせよ、結果は変わりませんけどね。

 

「《北の王》の亡骸は確認した。計画通りに事は運べたんだろう?」

「ええ、予想以上の順調さでね」

「結構なことだ。で、何故それを直ぐオレに伝えなかった。

 ここで一体何をしている?」

 

 苛立った口調。

 僅かに滲む怯えを誤魔化そうと、《黒》は敢えて強い声を発する。

 ――嗚呼、本当に哀れな男。

 歯車の狂いを認識しながらも、目的のために後には引けない。

 それを愚かと笑うつもりはなかった。

 今の私はとても、人の事は言えないから。

 

「予定が変わったのよ」

「協力する身としては、詳細をお聞かせ願いたいね。

 《北の王》の討伐に成功した後は、本格的に竜殺しの話を世間に流布する。

 合わせて魔剣の使い手を無作為に選び、人間と古竜の対立を引き起こす。

 そうすれば、剣は人と竜の魂を効率よく貪って刃を鍛え上げると。

 ――そう計画したのは、確かお前だったはずだ」

「ええ、主に私が立案した計画ね」

 

 長々と語るのは、恐らくは時間稼ぎ。

 こうして相対している最中も、《黒》は必死に備えているはず。

 互いの言葉が途切れた瞬間、必然的に訪れるその時を。

 私は気にせず、いつもと変わらぬ調子で《黒》の疑問に応える。

 

「けど、今貴方が語ったこと全て。もう古い計画に過ぎないから」

「だから、その新しい計画って奴を――」

「彼を、最初の竜殺しを蘇生させる」

 

 大切な剣を胸に抱きしめて、私は笑う。

 《黒》の浮かべた驚きの表情は、なかなかの見世物だった。

 どうやら今の言葉は、彼にとってはよっぽど予想外であったらしい。

 

「それで、もう良いかしら?

 私は新しい計画で忙しいから、貴方に構ってる暇は無いんだけど」

「……待て、待てよ《最強最古》。

 《北の王》と相打ちになった男を蘇生させると、そう言ったのか?」

「ええ、それが?」

「全ての竜の王を殺し、その魂が持つ莫大な魔力によって剣を完成させる。

 お前はお前の野望のために、オレはオレの望みのために。

 その為の協力関係だったと思うが?」

「そうね。――だから、少しは悪いと思ってるのよ?」

 

 笑う。出来る限り優しげに。

 裸身のまま抱いた剣、その鞘を指でなぞる。

 

「この剣も、彼の蘇生を完全な形で実現するために。

 引き続き私の方で使わせて貰うから」

「オレとの協力はどうなる」

「――だから、ごめんなさいね?

 私はもう、貴方との企みからは下りることにしたから。

 遥かな星を目指す野望よりも、大切なモノを取り戻すために、ね」

 

 それが新たに設定された私の野望ユメ

 私の言葉が戯言の類ではないと、《黒》も理解はしているだろう。

 だから。

 

「――そうかい」

 

 決別の意を込めた言葉は、酷く短い。

 同時に、その声には強い魔力が込められていた。

 

「だったら、此処でお別れだ。

 ――剣を置いてさっさと滅びろよ、《最強最古》」

 

 私が何かを応えるよりも早く。

 一瞬で構築された攻撃術式が、私の身体を真正面から貫いた。

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