幕間3:もう一人の当事者の目線


 ……そうして、長子殿は一通りのことを語り終えた。

 北の果てを目指した、最初の竜殺しの顛末。

 長子殿の膝を枕に寝転ぶ男が如何に戦い、如何に死んだのか。

 そして我が如何にして敗れたのか。

 結末までを語った長子殿は、実に満足そうな様子だ。

 永遠を生きる竜は、あまり過去を思い返さない。

 それは常に矢の如くに過ぎ去るもので、一つ一つは気にも留めないからだ。

 故に、古い記憶を懐かしむ長子殿は竜から見れば実に変わり者だ。

 変わり者というよりは、そのように変わったと言うべきか。

 我も、三千年前と比べれば変わっただろうか。

 

「……それで、三千年か」

「ええ。数字だけだとピンと来ないでしょうけどね」

 

 姉妹の片割れ、イーリスは半ば茫然と呟く。

 随分と長らく聞いていたのもあるだろう。

 姉のテレサの方も、ほっと息を吐き出した。

 

「最初の竜殺し――凄まじいものですね。

 幾ら手段があったとはいえ、たった一人で竜に挑む。

 どれだけ心が強ければできるのか……」

「まぁ、ここまでオレ達も相当危ない橋渡って来たけど。

 ……他に仲間も無しに、だもんな。

 そうするしかないっても、できるか普通」

 

 姉妹の感想は至極もっともだと思った。

 誰しもが死を恐れる。

 故に誰もが竜と相対した時、避けようのない死に恐怖する。

 そこに例外はない。なかったはずだ。

 北の果てにあった王国を滅ぼした時も、誰もが竜たる我を恐れた。

 ……今は寝床に転がる男も。

 恐怖していなかったワケではない。

 戦った我は、あの時の全てを余さず覚えている。

 間違いなく恐怖はあった。

 竜殺しの剣を携えた男は、我を恐れていたし死ぬことも恐れていた。

 ただ、それでも男は挑んで来た。

 恐怖を抱えながらも、己の意思の下に剣を振るった。

 それを勇気、などという単純な言葉で片付けて良いものか。

 人ならざる竜である我には分からないが。

 

「……そっちは?」

「む?」

 

 少々物思いに耽っていたところで。

 唐突に、長子殿が我の方に水を向けて来た。

 一瞬、何を求められているか分からず首を傾げたが。

 

「感想よ。当事者の一人として、今の話を聞いてどうだった?」

「器の造形を余り魂に合わぬようにすると、苛立って仕方なかろうに。

 あまり無理をするものではないぞ、長子殿」

「ぶっ殺すわよ??」

 

 はて、我は何をどうとも言ってないつもりだが。

 しかし反応が面白くて、ついつい腹を抱えて笑ってしまった。

 殴り掛かろうとする長子殿を、姉妹や猫が押し留めているのも愉快だ。

 まぁ、今のは半分程度は冗談としてだ。

 

「我が知るのは、北の果てでの戦いからだからな。

 それ以前の旅路という奴は、これはこれで興味深かった」

「私としては、無様に負けた下りについて一言欲しいんですけどね?」

「負けは負けだ。それ以上でも以下でもあるまい」

 

 長子殿としては、我が悔しがるところでも拝みたかったのだろうがな。

 それはもう、とっくの昔に過ぎた感情だ。

 思った以上に我の言葉が淡泊だったからか、長子殿は少し不満げな顔で。

 

「なによ、一番の盛り上がりどころだからしっかり語って上げたのに」

「我としては、竜殺しが死んだ後こそが最高潮クライマックスだと思うがな?」

 

 喉を鳴らす我に、長子殿は少しむっとしたようだった。

 

「《最強最古》、或いは《原初の大悪》。

 他にも数多の異名で呼ばれた長子殿が、人の娘のように愛を知る。

 我からすれば、それこそ御伽噺のような話だ」

「お前はまた余計なことを……」

 

 顔を赤くして唸る長子殿に、我はまた笑った。

 ……そうだ。

 人間に敗北した恥辱や屈辱など、それは昔に通り過ぎた。

 確かに最初の頃は、無くなったはらわたが煮えくり返る気分だったのを覚えている。

 二十の《古き王オールドキング》の一柱たる我が。

 多くの民草が恐怖と共に語る《北の王》たるこの我が。

 まさか人間如きに無様に敗れたのだ。

 その背後に、悪辣なる竜王の長子が控えていたとしても。

 実際に戦って打ち負かしたのは、剣一本を握っただけの人間だ。

 器たる肉体を壊され、魂を剣の内に封じられて。

 最初はロクに身動きも取れず、ただ魔力を搾るために剣の中で焼かれ続けた。

 どれだけ怨嗟の言葉を吐いたことか。

 届かぬと知りながらも、いずれは邪悪なる竜の長子を呪い殺してやろうと。

 そして不遜にも、人でありながら我を討ち取ったあの男にも。

 ……時間の感覚は殆どなかったが。

 その状態でいたのは、恐らく数百年程度だろう。

 恨みと呪いが原動力となったか。

 その頃の我は、剣に焼かれながらも多少は動けるようになっていた。

 古き竜の魂は永遠不滅。

 しかし延々と魔力を得るため火に焼かれるのは、存外堪えた。

 疲弊し、力を失ったこともある。

 或いはその状態で、更に他の魂が数多に流れ込んで来たのなら。

 その時点で我の自我は火の中で希釈され、意思を保つ事は難しかったろう。

 しかし、そうはならなかった。

 随分と長らく時間が経ったはずなのに、剣で燃える竜は未だ我のみ。

 既に取り込まれていた「獣」の魂も、元は我が生み出したモノ。

 ただ一柱で孤独に焼かれる中、我は先ず外を知覚する術を模索した。

 剣に組み込まれた術式。

 竜の魂を捉え、その不滅の魂を燃料に魔力を生み出す機構システム

 先ずはこれを利用し、外へと繋がる「経路」を見出した。

 そのまま抜け出せれば最上だったが、封印による拘束はどうしようもなかった。

 しかし、当初の予定通りに我は外の状況を見聞きする事には成功した。

 ……そこで、我が目にしたものは。

 

「…………」

「……ちょっと、ボレアス?」

「む?」

 

 大分耳慣れるようになった、我の名前。

 かつては定義することを拒んだ、己を示す真の名。

 それを長子殿が呼ぶ、というのは。

 今さらながら、なかなか皮肉めいた状況だ。

 

「突然ぼーっとして。

 今度はどんな余計なことを考えているワケ?」

「いやいや、それは被害妄想というものだろう。

 考え事をしていたのは事実だがな」

「余計なことなのは否定しないのね?」

 

 流石は長子殿、そういうところは聡くあられる。

 思わず笑ってしまった我を見ながら、長子殿は憮然としてしまった。

 放っておくと殴ってきそうな空気であったが。

 

「まぁまぁ、主よ。どうか落ち着いて下さい」

「暴れると膝の上のスケベ兜が転げ落ちるけど良いのか?」

「くっ……!」

 

 再び姉妹に制止されて、仕方なしと長子殿は矛を収めたようだった。

 ちなみにさっきは止めに入った猫だが、今は長く伸びて寝る体勢に入っている。

 まぁ、長子殿の昔語りも終わったしな。

 その先については、本人も語る気はないようだ。

 

「まったくもう……誰も彼も、私の慈悲深さに感謝して欲しいところだわ」

「無論、感謝しているとも。長子殿はお優しくなられた」

「皮肉で言ってる?」

「いいや、本心だとも」

 

 まぁ、ニヤニヤと笑う我を見ては信じられぬやもしれんが。

 言葉そのものは紛れもなく本心だ。

 

「……何を思ったか、だったか」

「え?」

「あり得ぬ、というのが一番強かったな。

 長子殿もそれは理解できよう?」

 

 それは最初の質問の答えだった。

 話を聞いた感想、というと少し不適格やもしれんが。

 かつての当事者として何を思ったのか。

 それぐらいは、語り聞かせて貰った返礼で良かろう。

 

「古き竜の王たる我が人間に敗れたこと。

 久しく見なかった忌々しき長子殿が、まるで人間みたいな顔をしていたこと。

 あの日、あの時のことは何もかもあり得ぬことだった」

「…………」

 

 我が語り出すと、意外にも長子殿は黙って耳を傾けた。

 てっきり、仕返しとばかりに茶々を入れてくると思ったのだが。

 

「あぁ――まったく、あり得ぬことよ。

 敗北し、剣の深奥に囚われて。

 誇り高き《北の王》たる我が、暖炉にくべられた炭の如しよ。

 まったく、考えられぬ屈辱だと思わぬか。長子殿?」

「負けは負けだと、貴女自身が口にしたことじゃない?」

「然り。長子殿の言う通りよな」

 

 我は呵々かかと笑うが、長子殿はあまり面白くなかったようだ。

 膝上の兜を撫でる指先だけが柔らかい。

 しかし、我に向けられた視線は少々硬かった。

 さながら、眼前に突き付けられた剣の先端のように。

 

「……貴女は」

「長子殿が警戒するようなことは、考えていないとも。

 我が三千年前の敗北と、その後のことを恨みに思っている。

 故にいずれ報復に出るのではないかと、そう危惧しているのだろう?」

「…………」

 

 我の言葉に、長子殿は直ぐには応えなかった。

 沈黙の間、ちらりと横目で姉妹を見る。

 

「姉さんはどの辺が良かったよ。オレはやっぱ竜殺しの下りだけど」

「私は――その、主と星を見ながら語らっているのが……」

 

 彼女達は先ほど聞いていた、竜殺しについて雑談をしていた。

 古き御伽噺は、存分に楽しめたらしい。

 我と長子殿の様子については、気が付いていないようだ。

 このまま声を潜めて続ければ問題あるまい。

 

「……正直に言えば、私はお前が何を目的としているのか。

 未だにイマイチ分かってないわ」

「で、あろうなぁ」

「笑いごとじゃないんですけどね」

 

 ため息まじりの長子殿に、ついつい笑ってしまった。

 それがお気に召さなかったようで、整った眉に皺が寄る。

 

「これまでは、どこかふざけて誤魔化していたけど。

 てっきり隙を見て、三千年前の復讐でもするつもりかと思ってたわ」

「その考えがゼロだとは言わんぞ。

 隙を見せたら噛み付いてやろうかと、そう思う時はある」

「やったらタダじゃ済まさないわよ?」

「分かっているとも」

 

 心配性な長子殿だ。

 ほら、そう怖い顔をせずとも良い。

 考える時はあるが、その気はあまりないのだから。

 

「で、我の目的と言うならば――まぁ、第一は力を取り戻す事よな。

 自由に振る舞っているようで、未だこの身は剣の虜囚。

 解放されようにも、竜殺しの蘇生が完全とならねば許してはくれまい?」

「わざわざ繋げた鎖を解く理由はないわね」

「であろうな。だから、これに関しては気長にやれば良いと考えている」

 

 とはいえ、それ以前にだ。

 長子殿の思惑通りに、完全なる蘇生が成立するか否か。

 それは我にも見通せぬ話だ。

 《天空城塞》で一時は剣から長子殿に移し替えた魂の火。

 今はその殆どを、剣に組み込んだ蘇生術式の駆動に再び戻されていた。

 これで一先ず、竜殺しが直ぐ力尽きる心配はないだろう。

 術式の完成そのものは、まだまだ先の話だ。

 

「……我は今でも、長子殿の行いは愚かだと思っている。

 完全に死した者を生き返らそうなど、父なる《造物主》でも叶うかどうか」

「……無理難題であることは、お前に言われずとも分かってるわ。けど」

「それでも、不可能に挑むと決めた――か?

 そこの男が、かつて我を討ち取ったように」

 

 指で示すと、兜男が軽く寝返りを打った。

 まぁ、それは気にするほどのことではない。

 

「……そうよ。いつぞやの地下迷宮でも、似たような話をしたけど。

 まだ文句を言い足りないワケ?」

「いいや。やってみれば良い、長子殿が望む通りにな。

 我もそこの男がまた死ぬまでぐらいなら、付き合ってやらんでもない」

「……付き合うとか、そういうのは別に良いけど。

 あんまり縁起でもないことを言うのは止めてくれる?」

「おっと、これは失礼した」

 

 喉を鳴らして笑うと、また軽く睨まれてしまった。

 丸くはなったと思うが、この沸点の低さは如何なものか。

 かつての我も似たようなモノだったが。

 

「長子殿」

「今度はなに?」

「我は剣の中で、長子殿の行いを多く見て来た」

 

 その言葉に、長子殿はまた沈黙した。

 構わずに我は続ける。

 

「見聞きするようになったのは、剣で斬られてから数百年ほど後からだ。

 それ以前のことは我も寡聞にして知らぬ」

「……そう。それで?」

「長子殿が始めた、無謀な旅の結末が見たい。

 ――先ほどの竜殺しの話を聞いた上で。

 我が何を目的としているか答えるなら、こうであろうな」

 

 力を取り戻し、いずれ自由を得るのは大前提として。

 それが今の我の中では、特に強い動機だった。

 

「我も自らが変わったとか、はっきり言えるワケではないが。

 少なくとも、それは三千年前の屈辱よりは大分強い理由になるな。

 先の質問の答えとしては、これで十分か?」

「…………まぁ、そうね。正直、こんな話をするのも今さらではあるし」

「まったくだ」

 

 味方とも仲間とも呼びがたい、奇妙な関係ではあるが。

 なんだかんだと、ここまで幾度も同じ戦場でくつわを並べて来たのだ。

 今さら過ぎると言えば、これ以上なく今さら過ぎる話よな。

 兄弟姉妹であれども、間違いなく互いを敵と認識していた間柄。

 実際に殺し合った我らを繋ぐのは、たった一人の人間だ。

 猫並みに間抜けな寝姿を晒す男を見れば、苦笑の一つもこぼしたくなる。

 行きずりの旅路も、思えば遠くに来たものよ。

 

「……貴女、本当に見てないのね?」

 

 などと考えていたら、また長子殿が少し怖い目をしていた。

 

「つまらぬ嘘は吐かぬさ。

 その様子では、あの直後のことは余程知られたくないか」

「ノーコメントよ」

 

 回答を拒否した時点で答えは明白であろうに。

 イーリスやテレサにも、その下りを語る気はないらしい。

 ――我が見聞きしたのは、長子殿が蘇生術式の構築に着手し始めた頃。

 無心にあり得ざる試みに挑み続ける姿だけ。

 さて、三千年前のあの時。

 我を斬り、竜殺しが死んだ後。

 あの北の果ての荒野で、一体何があったのやら。

 

「……これだけは、私だけのモノよ。

 他の誰にも、明かすつもりはないわ」

 

 そう呟く長子殿の顔は――まぁ、なんだ。

 この世には、決して触れてはならぬモノがあると。

 そう確信させるに、十分足るものだった。

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