281話:姉妹の結論


 その一撃は避けられない。

 覚悟を決めるワケでもなく、私はただ事実としてそう認識した。

 何せ今は片足も無いし、これ以上飛び回るのは難しい。

 腕は揃っていようが、魂さえ切り裂く一刀は防ぎようもなかった。

 まぁつまり、お手上げだ。

 アレだけ面罵しておけば、ヘタレなナメクジだし諦めるかと思ったけど。

 癇癪起こして斬りかかって来るのは、予想の範疇である。

 であれば、これは仕方のない結末だった。

 

『――――!!』

 

 ナメクジが――ブリーデが何かを叫んでいる。

 良く聞こえない。

 世界の流れが酷くゆっくりで、見えなかった剣の軌跡がはっきりと見える。

 流石にコレは耐えられないだろう。

 私はただ、一瞬後に降って来る痛みを受け入れて――。

 

「…………?」

 

 何も起こらなかった。

 思わず目を閉じてしまったので、その瞬間を見逃してしまった。

 不思議に思いながら、目を開けると。

 

「……レックス?」

「おう、悪いな」

 

 私の前には、彼が立っていた。

 それに加えてもう一人。

 

「流石に、今のタイミングは肝が冷えたな」

『冷え切ったのは盾にされたオレの心臓なんだよなぁ』

 

 訂正、もう一人と一匹。

 それぞれの手に白刃と猫を持ったウィリアム。

 この男もまた、レックスと並ぶ形で私の前に立っていた。

 彼らの手で、私に落ちてくるはずだった剣は止められている。

 何故、と。

 私が言葉にするよりも早く、ブリーデが叫んだ。

 

『何で、どういうつもり……!?』

「邪魔した形になったのは悪いけどな。

 最初に確認した通りだろ」

「そうだな」

 

 レックスの言葉に、ウィリアムは頷く。

 

「決着がつくまで手出しは無用。

 そうは言ったが、つまり決着さえつけば手出しはしても良いという話だな」

「アウローラの方は『勝てない』と認めてるし。

 傍から見ても戦闘不能だったから、決着と判断して問題ないだろ」

『それにしたってホント判断ギリギリだったからなぁ』

 

 三者の言いように、私は笑ってしまいそうになる。

 最初っからこうするつもりだったワケね。

 私の方は納得したけど、もう一人が納得するとは限らない。

 

『……そこをどいてよ』

 

 ギリギリと。

 二人の剣と猫に止められた月の刃。

 込められた力が強まったか、鈍い音が響く。

 まだ、全てが終わったワケじゃない。

 

『どいてよ! 決着がついた!? いいえ、そんなワケない!

 ソイツはまだ負けを認めてない!

 だったら、まだ――』

 

 泣き叫ぶような声。

 それを遮ったのは、意外にも猫の――ヴリトラの言葉だった。

 自らの負けを告げられて、ブリーデは絶句したようで。

 その様子を見ながら、猫は大きく息を吐いた。

 ……どうでもいいけど、プラプラ吊るされた状態じゃ恰好付かないわね。

 

『気付いてない、なんて事はないだろ?』

『一体、何を言って……』

『長兄殿は、戦ってる最中に一回も姉上に攻撃してない事だよ』

『ッ…………!』

 

 言われて、はてと首を傾げてしまった。

 ブリーデが《竜体》になってからは、純粋にそんな余裕なかっただけだけど。

 そういえばその前の時は、確かに攻撃しなかった気がする。

 いえ、周りの騎士相手にはしてたけど。

 あぁ、でも、それは別に。

 

『絶対長兄殿の方は自覚ないと思うけどな。

 コイツは最初っから、「姉妹の喧嘩」であって「戦い」じゃなかったんだよ』

「まぁ、アウローラの方は敵意とかそんなんゼロだったしな」

 

 レックスもウンウンと頷いてるけど、正直なところ自覚はない。

 ナメクジを敵と思ったことなんて一度もないから。

 そりゃ敵意なんて持ちようがないのは確かね。

 

『……何よ、それ。

 じゃあソイツは、私のことを敵とすら――』

「血を分けた者同士が互いを敵視し、憎み合う事は確かにある。

 心を持つ以上、そうある事が絶対にない、などという保証はどこにもない」

 

 ウィリアムの声は、こういう状況でもよく響く。

 どんな内容でも、相手の思考に打ち込まれる力があった。

 

「だが、そういうモノとは無関係に相手を想う愛もある。

 それがどれだけ歪んでいたり、伝わりにくくとも。

 愛である事に違いはない。

 そこの《最強最古》は、間違いなくお前のことを愛している。

 そんな相手に、本気で刃を向けられるはずもないぐらいにはな」

『…………』

 

 ……流石に、今のはちょっと恥ずかしいんだけど。

 何を糞真面目な顔して語ってるのよ、この糞エルフは。

 実の娘とガチで敵対して、最終的に矢を撃ち込まれた男の言うことか。

 などと文句は山ほどあったけど、今は黙って見ているしかない。

 ブリーデは、何も言わなかった。

 

『なぁ、姉上よ。もういいだろ?』

『…………』

『長兄殿は思わず一発ブン殴りたくなる気持ちも分かる。

 オレだってそうだし、多分オレたち以外の兄弟姉妹だって皆そうだ。

 いやむしろ、一発で済まそうって考える慈悲深い方が少数派だろうけどな』

「ちょっと??」

 

 説得したいのか私を罵倒したいのか、一体どっちなのよ。

 しかし、残念ながらそのツッコミは無視スルーされてしまった。

 いや良いけど、良いですけども。

 

『姉上はそういうの、向いてないって。

 どんだけ酷い目に合わされても、長兄殿を本気で殴った事なんてないだろ?』

『……ヴリトラ。アンタは最初っから、このつもりで……?』

『まぁ、そうだな。長兄殿は姉上相手に本気で戦うはずもないし。

 長兄殿に通じる力を使い慣れてない姉上が、うっかりやり過ぎるんじゃないかと。

 最初からその辺は危惧してたからな。

 だから大変不本意ながら、そこの糞エルフと協力したワケです』

「利害の一致、という奴だな」

 

 成る程、そういう話でこの一人と一匹は行動してたワケね。

 こう、本当に色々言いたいことはあるけど。

 結果的に助かりはしたのだから、あまり文句も言えない。

 ……そういえば。

 

「レックス、貴方は知っていたの?」

「いや知らんよ。

 だけどこんな感じになるかな、ぐらいは考えてたからな」

 

 うむ、と。

 相変わらず、彼は何も考えてないようで良く考えてる。

 頷くレックスを横目で見ながら、ウィリアムは愉快そうに笑った。

 

「手出ししても良いのかは、念入りに確認していたからな。お前は」

「喧嘩ならまだしも、流石にガチの殺し合いはなぁ」

『元が不死だからこそ、姉上は加減間違えそうだったし、実際その通りだったな。

 ……で、だ。姉上よ』

『…………』

 

 ブリーデは何も言わない。

 黙ったまま、剣を振り下ろそうとした状態で固まっている。

 その刃に、もう力は込められていなかった。

 

『まだ、やるのか?』

『…………』

 

 沈黙が続いたのは、ほんの数秒。

 やがて空間を圧迫していた魔力が、萎むように消えていく。

 周りを取り囲んでいた月の鱗たる騎士たちもまた、その姿を消していく。

 後に残ったのは、床に突き立った淡い輝きを宿す大剣。

 それの前に弱々しく跪くブリーデだけ。

 

『姉上』

「…………やれるワケ、ないでしょ」

 

 ぽつりと。

 ヴリトラに対し、虫の鳴くみたいにか細い声が応える。

 

「そんな奴、大嫌いだけど!!

 殺したいワケでも、死んでほしいワケでもなかった……!

 私は、あの時、ソイツが無事だったのを見て、嬉しかった……!

 知らないところで死んだワケでも、千年前の災厄に巻き込まれたワケでもなくて。

 何食わぬ顔で生きてた事を、私はほんの少しだけ嬉しく思ってた……!」

「…………」

 

 子供が癇癪を起して、泣き叫んでいるような。

 そんな無様なナメクジを見て、私は動いた。

 足が片方ないけど、まぁ歩く分には問題なかった。

 レックスが手を貸してくれようとする。

 本当にありがたいけど、それは今は断っておく。

 跪いて動かないブリーデ。

 ちょっと大変だったけど、私はその前まで辿り着いた。

 

「……ねぇ」

「………」

「貴女って、ホント昔っから変わらないわね。

 馬鹿でアホで、感情的で愚かでどうしようもなくって。

 まぁここまで強くなってるのは、正直驚いたけど」

「…………アンタも、そういう性格悪いところ。

 昔っから変わってないわよね」

「ええ。どれだけ月日が経ったとしても、私は私だもの」

 

 跪いて顔を伏せたまま、ブリーデは動かない。

 そんな彼女に、私は手を伸ばす。

 片腕の状態だけど、構わずにその身体を抱き寄せた。

 抵抗はなかった。

 血がついてしまうけど、それは別に構わないわよね?

 

「……なに、してるの」

「私、こうするのが好きなのよ」

「私は嫌なんだけど」

「そう? でも私がしたいからするわね」

「最悪……」

 

 うん、こうするのは久しぶりだ。

 ナメクジの肌はすべすべしていて触り心地が良い。

 触れ合った箇所から伝わる体温と鼓動も、私は好きだった。

 ブリーデは抵抗しなかった。

 

「ねぇ」

「……なに?」

「さっきはザクザク斬って来て、痛かったのだけど」

「……謝らないわよ。挑発して来たのはそっちなんだから」

「そうね。別にそれは謝らなくて良いわ」

「私も、昔は散々アンタに痛い目に遭わされたんだけど」

「そうね。楽しかったし、謝る気はないわよ?」

「……いいわよ。もう、古い話だし」

 

 クスクスと、私は喉の奥で笑う。

 ブリーデは顔を上げることもなく、大人しくしている。

 昔からそう。

 泣いてる顔は、私には頑なに見せようとしなかったわね。

 それを無理やり見るのも、私は好きだったけど。

 今はそこまで力が入らないから、やめておく。

 

「ねぇ」

「……今度はなに?」

「私、貴女のこと好きよ」

「…………」

 

 レックスはまた、ちょっと別だけど。

 このナメクジ――今はブリーデと名乗るこの子のことも、私は好きだった。

 私と殆ど同じ時に創られた不出来な白子。

 弱くて愚かで、不死でありながら常に懸命に生きようとするその在り方。

 その小さいけれど、絶えることのない光が好きだった。

 私の言葉に、ブリーデは黙ったまま。

 けれど。

 

「……私は、アンタのことなんて嫌いよ」

「あら、大嫌いなんじゃなかったの?」

「ホント、そういうとこが嫌いだわ……」

 

 震える声。

 腕に力はあんまり入らないけど、それでも私は抱き締めた。

 傷もいい加減塞ぎたいところだけど。

 まぁ、もう少し後でもいいわね。

 

「……ふむ。とりあえず、落ち着くところには落ち着いたか」

 

 そんな、自分の主人と私の様子を眺めながら。

 最初に口を開いたのはウィリアムだった。

 こっちに何かしてくるのかと思ったけれど、それは違った。

 糞エルフは本当に、何気ない動作で。

 ブリーデの前に突き立っていた剣を掴んだ。

 柄をしっかりと握り、引き抜く。

 いつの間にか、猫の方は足元の床に放り捨てていた。

 

「さて、レックス」

「おう」

 

 ウィリアムは、引き抜いた大剣を軽々と持ち上げる。

 レックスは応じながら、鞘に納まったままの剣を軽く構えた。

 何を、と。

 私たちが問う前に。

 

「そろそろ決着ケリを付けるか」

 

 ごく自然の成り行きだと、そう言うかのように。

 ウィリアムはそのまま、大剣の一撃をレックスに向けて叩き込んだ。

 

 

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