280話:大いなる月の竜


 《竜体》とは言っても、それは然程大きなものではなかった。

 精々が元の姿よりも一回り増えたぐらいのサイズ。

 竜としては豆粒と大差ない。

 けれど、纏う力の規模は尋常じゃなかった。

 

「……そう、これが」

『――ええ。私の《竜体》』

 

 周りの騎士たちは動かない。

 距離を置き、まるで祈るように剣を捧げ持つだけ。

 事実として彼らは祈っているのだろう。

 青白い炎と共に降臨した、月の竜に向けて。

 

『私は、どうしようもなく弱い』

 

 響く声そのものは、ブリーデのものに間違いなかった。

 けれど、そこには他にも幾つかの声が重なっている。

 誰の声かは分からない。

 きっと、私の知らぬ間にあの子と共に在った者たちの声。

 

『とても戦うことなんてできないし、武器を鍛えるしか能がない。

 ――鍛えて、それを誰かに与えて。

 死地に送り込んで、また別の武器を鍛える。

 その積み重ねた先に、今の私がある』

 

 外見は、半分ぐらいは人型に近い。

 上半身は、どこか死神めいた禍々しさを宿した甲冑。

 真っ白に焼けた装甲には、常に青白い炎が揺らめいている。

 腰から下に関しては、ぱっと見は蛇に似ていた。

 長く伸びた、白い蛇のような胴体。

 良く見ればそれが無数の剣が寄り集まったものだと分かる。

 数千――もしかしたら、万に及ぶかもしれない剣の蛇体。

 その背に広げた翼も、複数の剣が連なることで形作られていた。

 ……これが、ブリーデの《竜体》。

 直接目にしたことで、それがどういうモノかハッキリと理解できる。

 

「……真竜は、人間が竜の魂を呑んだものだと聞いたけど」

 

 独り言のように言いながら、距離を測る。

 眼前に降り立った大真竜の力は、見誤りようもない程に強い。

 

「お前は、それとは真逆ね。

 弱く、大した力もないお前の魂。

 それを、剣に宿った何人もの魂が守ってる」

『そうよ。私は弱い。

 けど、死しても私と戦う事を選んでくれた「みんな」の力は強い』

 

 語る声は弱々しくとも、言葉には力が伴っていた。

 《竜体》となったブリーデが動く。

 その手が、背に浮かぶ翼――剣の一つを手に取った。

 

『……何より、この状態では私は最強の剣を使える。

 

 大陸の歴史において二人と現れる事のない大剣士』

 

 殺意はない。

 何だったら敵意さえも感じられない。

 ブリーデの動作はどこまでも自然で、何気なく。

 私は、その瞬間までまともに反応することが出来なかった。

 

『――始まりの“森の王”の御業。

 受けてみなさいよ、《最強最古》――!!』

 

 何かが通り過ぎた。

 それが剣の一振りで、私の身体を抜けたと。

 「斬られた痛み」を神経が認識するまで気付かなかった。

 それも一度や二度じゃない。

 少なくとも五回の斬撃が、私の手足と胴体を刻んでいた。

 

「っ、これは……!?」

『いいからさっさと負けを認めなさい――!!』

 

 剣で斬られている。

 それは間違いなかった。

 ただ、「剣で斬られる」という過程がまるで認識できない。

 ブリーデの竜体がその手に剣を構え、その身を構築する刃を逆立てる。

 そこまでは、確かに見えているのに。

 

「一体、どんな魔法よコレは……!?」

 

 頭で考えるより先に、本能が逃げに走っていた。

 それでも避け切れない。

 そもそもまったく見えてもいない攻撃を、完全に回避するなど不可能。

 普段のレックスよりも遥かに無様に、私は床の上を転がり回る。

 襲って来る剣は、月光のように冷たく容赦がない。

 斬られた傷はすぐに魔法で塞ごうと試みる。

 けど、上手くいかない。

 まったく治らないワケではないけど、明らかに治癒の速度が遅い。

 

『私の剣――《月鱗》は魂に傷を与える。

 アンタだって分かってるでしょう?』

 

 攻め手に一切容赦はない。

 魂砕きの刃は、例え不死の古竜でも受ければ痛手だ。

 器である肉体の傷は簡単に癒せても、魂に受けた傷は容易く塞がらない。

 この僅かな時間で、既に二桁近い傷が刻まれていた。

 流れ出す血に足を取られそうなのを、ギリギリのところで堪える。

 

『……どうしたの。

 まさか、このまま大人しくやられるつもりじゃないでしょ!?』

 

 叫ぶような声。

 こっちは応える余裕なんて無いんだから、察して欲しいわね。

 そういうどこか鈍いというか、抜けてるのも相変わらず。

 ……馬鹿なことを考えてるわね、私も。

 思わず笑ってしまいそうになるけど、上手く笑えたろうか。

 あっという間に、自分の状態を把握するのも難しくなってしまった。

 

「ぐッ……!?」

 

 走ることで回避を。

 魔法を操って防御も試みてはいる。

 けど、そのどれもが焼け石に水でしかない。

 認識できない剣を、完璧に避ける術なんてなかった。

 力場の盾も、斥力の操作も、身体そのものを強固な鎧に変えても。

 魂すらも切り裂く月の刃の前では薄紙と変わらない。

 一方的な、剣の嵐が吹き荒れる。

 私はその中で吹き飛ばされかけている木の葉だ。

 ……本当に、こんなの笑うしかない。

 昔はナメクジと蔑んだ、竜とも呼べない不出来な白子を相手に。

 《最強最古》とまで呼ばれた私が、言葉通り成す術がない。

 手も足も出ない蛇とは、私の現状こそ相応しい言葉だ。

 

「……キツイ、わね」

 

 それでも、床に完全に伏してしまわないのは。

 私の奥深いところにある意地か、それとも別の何かか。

 両足で着地しようとして失敗しかける。

 いつの間にやら、左足は膝から下が無くなっていた。

 あとは右腕も二の腕辺りから切断されている。

 一体どのぐらいでそうなったのか、まるで記憶に残っていない。

 まぁ、私は竜だから失血で死ぬことはないけど。

 

『…………』

 

 つい先ほどまでは、容赦なく剣撃を浴びせて来たブリーデ。

 その手が何故か止まっていた。

 おかげで一息つく余裕が出来たけど……さて、どうしたものか。

 困ったことにまるで勝ち目が見えて来ない。

 回避も無理、防御も無意味。

 相手の攻撃は確実に私の血肉と魂を削って行く。

 今はギリギリ持ち堪えてるけど、それは本当にギリギリの一線。

 もうちょっと押されるだけで、あっさり奈落の底へと落ちてしまう。

 そんな最後の死線の上だった。

 逃げ場のない断崖に追い詰められた気分ね。

 

「……ほら、貴女こそどうしたの?」

『ッ…………』

 

 喉元も傷でボロボロだし、ちゃんと声が出るか心配だったけど。

 流石は私の身体、ちょっと物理的に無理そうでも何とかなる。

 まぁ、擦れて絞り出した弱々しい声しか出ないけど。

 

「見ての通り……こっちは、もうズタボロで、限界もすぐそこ。

 手を止める理由なんて、ないと思うのだけど……?」

『……そうやって、アンタは私を油断させる気なんでしょう?』

「なによ、それ」

 

 こんな状況で聞くには面白すぎる冗談だった。

 笑うと全身痛くなるから、ちょっと勘弁して欲しい。

 それとも、そう分かった上での嫌がらせかしら?

 可能性として十分あり得そうで、それでもついでに笑ってしまう。

 それが癇に障ったのか、ブリーデから奥歯を噛み締める音が聞こえた。

 

『アンタ、状況を分かってるの……!?

 なんでそんな、何でもないことみたいに笑って……!!』

「そりゃ笑うでしょう。

 追い詰めてる側は貴女なのに、まるで余裕もないし。

 笑うなって方が難しいじゃない、こんなの」

『……そう、追い詰めてるのは、勝ってるのは私の方!

 アンタはロクに反撃もできてないし、立ってるのもやっと!!

 分かってるのなら――』

 

 何故。

 

「私がまだ、降参してないのかって?」

『ッ…………!』

 

 震えた声は、言葉にはならなかった。

 手足は一本ずつ落ちてるし、それを治す余裕もない。

 逆にブリーデの方は、まだまだ幾らでも戦う力を持っている。

 五体残らずバラバラにするのだって、そう難しくはないでしょう。

 私は勝てない。

 単純な力の規模で圧倒的に上回られている。

 レックスなら、こんな状態でも勝ち目を見出すかもしれないけど……。

 

「――そうね、私は貴女に勝てない。

 それはどうしようもないし、認めるしかない。

 ええ、大したものね。

 幾ら余所から借りた力でも、それを振るってるのは貴女自身なんだから」

『…………』

 

 ブリーデからは、微かに困惑の気配が伝わって来る。

 負けるつもりはないと、ちょっと前に豪語しておいて。

 この手のひらの返しっぷりはなに? とか。

 きっとそんな事を考えてるんでしょうね。

 

「繰り返すけど、私は貴女には勝てない」

『だったら――』

「けど、

 

 そう。それについて、私は前言を撤回する気はない。

 勝てない。

 手も足も出ない。

 ここから逆転する目は私には出せない。

 だけど、こっちから負けを認めて降参するなんて真似はしない。

 私の意図を理解してか、ブリーデは一瞬絶句したようだ。

 

『何を……ふざけたこと言ってるの……!?』

「ふざけてる? なにが?」

『全部よっ!! 勝てないって認めたんなら、さっさと降参すれば良いじゃない!

 下らない意地を張ってどうする気!?』

「知らないの? 負けを認めていない間は、負けじゃないのよ」

『な……っ』

 

 我ながらとんでもない理屈。

 こんなのは戯言だと、鼻で笑い飛ばしてしまえば良い。

 それは口にしてる私自身が一番分かっている。

 けれど。

 

『そんな、ふざけたこと……っ!』

「ふざけてるのはどっち?

 私は勝てない、けど負けは認めない。

 そんな屁理屈ですらない戯言なんて、簡単に吹き飛ばせる。

 ほら、その剣をもう少し振り回すだけよ?」

『ッ……それ、は……!』

「そもそも、何故手を止めたの?

 私が手足を失って、これ以上は戦えないって思ったから?

 後は降伏するよう促せば、私が大人しく頭を下げるとでも?」

 

 もしそう考えているとしたら、なんて甘い。

 どれだけ強大な力を持っていようが、そんなんじゃ意味がない。

 宝の持ち腐れとは、まさに今のブリーデの事だ。

 

『姑息な時間稼ぎのつもり!? そんな事をしたって――』

「意味はないんでしょう? 分かってるわよ、当然。

 多少時間を引き延ばしたって、このダメージは簡単には治らないもの。

 意味なんかない。その通りよ。

 貴女が私の言葉に律儀に付き合う意味なんか、欠片もない」

『負けを認めて!!』

「嫌よ。私が認めず、貴女が私を負かしたいと思うなら、戦いは終わらない。

 終わらせる方法は一つだけ。分からないなんて言わないでしょう?

 この首でも胴体でも、何なら全身余すところなく。

 バラバラに刻んでしまえば、幾ら私でもどうしようもないわ」

 

 笑う。私は笑いながら言葉を止めない。

 ブリーデは動けない――動けない。

 手にした剣をもう一度振り抜くだけで勝ちなのに。

 それが出来ないナメクジを、私は全身全霊で笑い飛ばしてやった。

 

「ねぇ、覚悟を決めたんじゃないの?

 私に勝つつもりで挑んだんでしょう?」

『……黙って』

「それが土壇場になって怖気づいたとか、本当に根性無しよね貴女。

 むしろ昔の方が肝だけは据わってたんじゃないの?」

『黙ってよ……!』

「嫌よ。私はもうこの場から動くのも辛いんだから。

 せめて口でも動かしてないと暇でしかたないわ。

 で、結局貴女はどうしたいワケ?」

『黙れって言ってるでしょ……!!』

「黙って欲しいんだったら、さっさと黙らせなさいな」

 

 再び、言葉は途切れる。

 私の方は止まる理由がないから続けた。

 

「圧倒的な力で、弱者を踏み潰すのは楽しくなかった?

 良いじゃない、躊躇わなくても。

 大嫌いな私に仕返しをする、これが最後の機会かもしれないのよ?」

『ッ――――……!!』

 

 その言葉が決定打になったのか。

 凍り付いていたブリーデの《竜体》が動き出す。

 

『そうよ、私はアンタなんて大嫌いなんだから――!!』

 

 振りかざす剣を防ぐ手段は、私にはない。

 一瞬あとに落ちてくる月の裁き。

 その輝きが頭上から降り注ぐのを、ただ待つだけ。

 まるで血を吐くみたいに、ブリーデは叫ぶ。

 

『アンタの下らない野望も、身勝手な夢も、何もかも……!!

 ここで、私が終わらせてあげる!!』

 

 迷いを残したまま、ただ自棄になっただけの一撃。

 それは真っ直ぐ、私の首目掛けて落ちて来た。

 

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