第一章:大公閣下のイカれたお茶会

151話:籠の中

 

 何だかんだで一週間ほどが過ぎてしまった。

 

「はぁぁぁぁ……」

 

 大きなため息を吐き出したのは、さて誰だろう。

 多分イーリスだろうと当たりを付けて顔を上げる。

 案の定、不機嫌面の彼女と目が合った。

 ギロリと睨まれたが、イーリスは直ぐバツが悪そうに頭を掻く。

 確かに機嫌は悪いが、別に他の誰かに当たる気はなかった。

 恐らくそんなところか。

 

「大丈夫か?」

「大丈夫だけど大丈夫じゃねぇだろこの状況」

 

 曖昧な物言いだが、まぁ言わんとする事は分かる。

 なんだかんだで一週間ほどが過ぎてしまった。

 ズタボロだった身体は大分良くなり、甲冑もとりあえず綺麗になった。

 無駄に豪華なソファーに身を沈め、俺は辺りを見回す。

 ソファーが豪華ならそれが置かれた部屋自体も実に豪華だ。

 小屋ぐらいなら丸々入ってしまいそうな広さ。

 ところどころに置かれた家具や調度品は一つの例外もなく高級品。

 まぁ価値とか俺の眼じゃ詳しく分からんけど。

 少なくとも安っぽい雰囲気の代物は見当たらない。

 

「ふむ、現状が不満ならいっそひと暴れしてみるか?」

 

 そう言って笑ったのはボレアスだ。

 彼女はイーリスと一緒に無駄にデカい寝台ベッドに寝転がっている。

 やや距離を取って座るイーリスを、時折指で突いたりとちょっかいを出していた。

 楽しそうに喉を鳴らす竜の王様に対して、イーリスは微妙にうんざりした顔だ。

 

「それで何とかなる目途が立つってンならありだけど。

 ぶっちゃけお前が単に暴れたいだけだろ、ソレ」

「良く分かっているではないか」

「分からんワケねーだろ顔に書いてあるわ」

 

 仮にも伝説に名を残す竜王相手に実に遠慮のない物言いである。

 ボレアスの方も面白がっているようで問題はなさそうだが。

 

「……とはいえ、ずっとこのままというワケにも行かないでしょう」

 

 ぽつりと、呟くように応えたのはテレサだった。

 彼女は俺が座るソファーの後ろに控えている。

 軽く鎧を軋ませながら、俺は従者の役目に徹しているテレサを振り返る。

 武祭が終わった直後はこっちと負けず劣らずボロボロだった。

 が、今は大分良くなってるな。

 それを目で確認していると、テレサは微妙に身動ぎをした。

 ちょっとジロジロ見過ぎたか。

 

「レックス殿?」

「いや、調子はどうかと思ってな。

 それよりずっと立ってるぐらいなら隣に座るか?」

「それは――その、いえ、決してイヤというわけではないのですが……」

 

 微妙に照れた様子で言いながら、テレサは俺の方をチラリと見る。

 正確には俺の膝の上辺り。

 彼女の「ご主人様」を確認したのだ。

 成る程、従者的にこっちに遠慮したわけか。

 テレサの視線につられる形で、俺も改めてそちらを見る。

 俺の膝を占拠しているのはアウローラだった。

 それ自体はまぁいつもの事だが、様子は普段とは少し異なる。

 彼女は俺の膝に座った状態で自分の膝を抱えて小さくなっていた。

 

「…………」

 

 口数は少なく、丸まったまま黙り込んでしまっている。

 ここ一週間ほどは毎日大体こんな感じだ。

 此方から話しかければ返事はするし、受け答えに問題もない。

 ただそれ以外ではこうやって小さくなっている事が殆どだ。

 機嫌が悪いというより、凹んでいるようにも見えた。

 軽く髪を撫でると何も言わずに身を寄せてくる。

 その仕草は猫っぽくてなかなか愛らしい。

 しかし何時まで経ってもこの調子では多少心配にもなる。

 テレサの方も同じようで、視線を交わすと困った笑みが返って来た。

 ふーむ、一体どうしたのやら。

 何となく本人にも聞けずに此処まで来てしまったが。

 

「……大方、あの若造にやり込められたのが屈辱なのだろう?」

「っ……」

 

 呆れと嘲りを含むボレアスの言葉に、アウローラの肩がびくりと震えた。

 成る程、単純に悔しがってただけだったか。

 反応を見て、ボレアスは笑いながら更に続ける。

 

「相手は精々齢千年程度の若い竜、我らから見れば文字通りの小娘よ。

 その程度の相手と思ったら、まぁ実にあっさりとやり込められてしまった。

 捻るつもりの赤子に逆に手も無く捻られるとは。

 《最強最古》と呼ばれた御身としては、さぞや屈辱で言葉が出て来ぬだろうなぁ」

「うるさいわよお前……っ!」

 

 ニチャっとしたボレアスの煽りに、遂にアウローラが沸騰した。

 いやまぁぶっちゃけ煽り耐性そんな高くないけど。

 巻き込まれないようイーリスは寝台から下りて距離を取る。

 我慢できぬとばかりに、アウローラは俺の膝の上から立ち上がった。

 立ち上がったが、俺からは離れる気はあんまり無いらしい。

 薄い胸を押しつける形で抱き着いて来ながら寝台の上を睨みつけた。

 ボレアスは怠惰に寝転がったままだ。

 

「ん? どうした長子殿。図星を突かれて頭に来てしまったか?」

「っ、言わせておけば……!」

「事実は事実だろう。先ず侮りから入るのは悪い癖だ」

 

 竜の悪癖ゆえ、我も省みねばなとボレアスはケラケラと笑う。

 言ってること自体は正論だったので、アウローラもぐっと唸った。

 

「大真竜なんて名乗るだけはあるって事だな。

 消耗していたとはいえ、アウローラが抑え込まれたのはちょっと驚いたが」

「ええ。仮に万全だとしても果たして勝機があるかどうか……」

「……なぁ、良いのか? 此処でンな話して。

 敵陣のど真ん中っつーか、むしろ腹の中みたいなもんだろ?」

 

 俺とテレサの言葉に、イーリスは心配そうな声を漏らす。

 そう、何だかんだで一週間。

 あの《闘神武祭》が終わった直後に現れた大真竜ゲマトリア。

 俺達がいるのはそのエラい大公様の根城。

 《天空城塞》――その名の通り、遥か雲の上に浮かぶ巨大な城の中だ。

 転移とかの魔法ではなく、わざわざ空を飛んで連れて来られたが。

 島ぐらいはあるでっかい岩塊と、その上に建てられた城はなかなか圧巻だった。

 これまでも竜の支配する都市は何度か見て来た。

 それらと比較しても、この空飛ぶ城塞は桁が一つ違うように思える。

 現在、ゲマトリアに連れて来られた俺達はこのだだっ広い客室を宛がわれて。

 そしてそのまま一週間ほど放置されている状態だった。

 幸いと言うべきか、水や食事には困らない。

 馬でも寝そべれそうな卓の上に置かれた幾つかの大皿と水差し。

 これは魔法の品のようで、望めば食べ物や水、酒の類は幾らでも補充される。

 その他、生活する分には過不足ない設備が部屋の中には整っていた。

 まぁだからと言って、扉を外側から閉ざした監禁状態での放置はどうかと思うが。

 ゲマトリア自身も一度も姿を見せていない。

 

「そんな事、気にするだけ損だぞ」

「いや、気にするべきじゃねェか其処は?」

「既に狼の腹に呑まれたウサギが、『狼の機嫌を損ねてしまう』と気にする意味があるか?」

「…………」

 

 ボレアスの喩えにイーリスは思わず押し黙った。

 まぁ気にするだけ無駄ってのは間違いない。

 何を考えてるか不明だが、向こうも直ぐに手出しする気はないらしい。

 一週間ほどじっくり休めたおかげで身体も殆ど本調子だ。

 

「……ただ、これ以上じっとしている意味も余り無いわね」

 

 ぽつりと、呟くようにアウローラが言う。

 先程までは覇気に欠けていたが、ボレアスに真っ向煽られたのが効いたらしい。

 俺を見上げる眼には間違いなく強い光があった。

 舐められたままで済ませてなるものかという意思が伝わってくる。

 その言葉を受けて、ボレアスはようやく寝台から身を起こした。

 

「ハハハ、長子殿もやっとやる気になったか。

 このまま魂ごと腐ってしまうのではないかと心配したぞ?」

「うるさいわね、別にお前が言った事なんて関係ありませんから」

「良い良い。それで、暴れるのなら我は幾らでも付き合うぞ?」

「巻き込まれるこっちが持たねーから止めてくれ」

 

 何なら今からでも《吐息ブレス》をブッパしそうな元《北の王》様。

 そんなボレアスにイーリスがうんざり顔でツッコんだ。

 

「第一それでブチ破れるのかよ、此処。

 見た目はアレだけどぶっちゃけ牢屋みたいなもんだろ」

「……イーリスの言う通り、扉の鍵も含めて相当強固に守られています。

 力技で突破するのは厳しいのでは?」

「不可能ではないわ。簡単にとは言わないけど」

 

 テレサの指摘にアウローラはやや忌々し気に応える。

 此処の主がゲマトリアである以上、この部屋を用意したのも同じだろう。

 自分を舐めた相手の檻に囚われている事も、それを容易く破れない現状も。

 どちらも腹立たしく思っているようだ。

 とりあえず落ち着けようと、俺はアウローラの頭を撫でる。

 

「レックス?」

「ブチギレるのは良いけど、とりあえずは冷静にな」

 

 ガンガン突っ込んでって勝てる相手なら特に悩む必要もない。

 けどまぁ、面倒な事にゲマトリアはそこまで簡単な相手じゃない。

 頭を空っぽにして暴れるのも大事だが、単に無策で突撃するのは馬鹿の真似だ。

 俺よりずっと賢いアウローラも、それは当然分かっている。

 少し髪を指で撫でると、落ち着いた様子で彼女は身を寄せて来た。

 

「……ありがとう」

「別に大した事はしてないしな」

「ううん、全部貴方のおかげよ」

「そこまで言われるとちょっとこそばゆいな」

 

 やや大げさなアウローラの言葉に俺は軽く笑ってみせた。

 アウローラの方もつられて笑う。

 うん、大分いつもの調子が戻って来たな。

 そんなやり取りを見ながら、ボレアスは呆れ顔でため息を吐いた。

 

「やれやれ、すっかり長子殿は男無しでは駄目になってしまわれたなぁ」

「言い方!!」

「まぁまぁ、ボレアス殿には特段悪意はありませんから……」

 

 またブチギレた主人を諫めるテレサ。

 悪気がないのが一番悪いとは、さて誰が言ったか。

 俺としても姉妹喧嘩が長引くのは宜しくないので言葉は胸にしまっておく。

 イーリスもやはり呆れ顔でやり取りを見ているが、その表情には不安の色が強い。

 彼女が何を不安に思っているか。

 それもまた、考えるまでもない事だった。

 

「イーリス」

「……何だよ、スケベ兜」

「怖いか」

「強がるのもアホらしいから言うけど、当たり前だろうが」

 

 大きなため息一つ。

 これまでの旅で、イーリスに助けられた事は何度もある。

 特殊な力を持ってるだけでなく、度胸もあって判断力にも優れた娘だ。

 それを疑いなく認めた上で、俺達の中で一番物理的に弱いのもイーリスだ。

 イーリス自身も良く分かっている。

 一応、武装である戦闘用人形――《金剛鬼》は部屋の片隅に置かれているが。

 その戦力を含めても、イーリスは俺達の中で一番弱い。

 大真竜なんて奴の拠点のど真ん中で何日も過ごせば、当然神経も磨り減る。

 

「……お前とか、姉さんの事を信用してないワケじゃねぇぞ」

「分かってる」

「死ぬのは怖い。

 けどそれ以上に、足手纏いになって姉さんやお前の迷惑になるのが怖い」

「あぁ」

「だからめっちゃビビってる。理屈じゃねぇよな、こういうの。

 今までヤバい橋なら何度でも渡って来たってのに」

「怖がらない奴と勇気がある奴はイコールじゃないからな。

 俺だって怖い時は怖いぞ」

 

 少なくとも、竜と相対する時は多かれ少なかれ恐怖は感じている。

 ただビビって止まると死ぬので気合いで我慢してるだけで。

 まぁある程度は慣れるし、かといって完全に麻痺するのも余り宜しくない。

 この辺りのバランスはなかなか難しい。

 なんにせよ、イーリスは俺の言葉を聞くと軽く笑った。

 面白い冗談を聞いた時の反応だ。

 

「オレ、お前のことそういうの感じないヤベー奴だと思ってたわ」

「酷い誤解だ」

「誤解もクソもあるかよ。実際イカれてんのはマジだろ」

「いやぁそんな事ないと思うぞ?」

「無くねぇよ。姉さんもコイツはちょっと考えなおした方が良いって、絶対」

「な、何をいきなり言い出すんだ……!?」

 

 きゃあきゃあと騒ぎ出す姉妹。

 うん、傍から見たら緊張感が無いと言われてしまうかもしれんが。

 ただ重苦しい空気を引き摺るよりは余程良いはずだ。

 そして何故だか俺の頭を抱えるようにしてくるアウローラさん。

 薄い胸が兜にぎゅっと押し当てられる。

 その自己主張に対して俺は背中に手を回し、軽く抱き締め返して答える。

 よし、大体いつもの空気だな。

 

「楽しそうだなぁ、竜殺し?」

「なんだ、混ざりたいのか?」

「ハハハ、言いよるわ」

 

 ケラケラと笑うボレアスに、俺も笑い返しておく。

 さて、どうも話があっちこっちへ飛び跳ね気味だが。

 十分な休息で身体も回復し、精神的にも大分復調して来た。

 ならこれからどうするかだ。

 先ずはそっから話し合って――。

 

「失礼致します」

 

 小さく軋みを上げて、閉ざされていた扉が開く。

 その向こう側に立っていたのはカラスめいた黒衣の男。

 一見すれば初老の執事だが、纏う空気は明らかに人外だ。

 真竜か、或いはそれ以外の何かか。

 執事は良く通る声で俺達に呼びかけながら、洗練された動作で一礼する。

 

「大変長らくお待たせ致しました。

 宴の準備が整いました故、皆さまをお連れしろと。

 大公閣下より御命令賜っております。

 さ、恐れる事など何も御座いません――どうぞ此方へ」

 

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