150話:一本首のゲマトリア(後)
「…………んがっ」
目覚めの合図は、自分が出した変ないびき。
いきなり意識が浮上した為、夢と現の境を暫し彷徨う。
……また随分と懐かしいモノを見ましたねー。
特に思う事はないけれど、あの頃を夢に見るのは珍しい気がする。
遠い遠い昔の話。
まだボクの首が一本しかなかった頃。
弱かったせいで色々酷い目にも遭ったけれど、不思議とそんなに嫌な記憶も無い。
そう考えている間にも欠伸を一つ。
竜であるボクには本来なら睡眠も飲食も殆ど必要ありません。
けれど習慣として「首」のどれかは眠るようしています。
別に深い意味はなくて、昔やってた「人間の真似事」を惰性で続けているだけ。
まぁ眠るのは気持ち良いですし、食事も娯楽としては悪くない。
なんでぼんやり思考を回しながら、一人で眠るには広すぎる寝台の上を転がる。
その寝台がギシリと軋む。
誰かが寝転んでいるボクの顔を覗き込んで来た。
「やぁ、おはようボク」
「ええ、おはようボク」
それはボクだ。
今眠っていた以外のボクの首。
身に着けている衣装が青いこと以外は寸分違わず同じ姿。
ちょっと視線を巡らせば、残り三人――いえ、「三本」の首も揃っていた。
あぁ、そうだったそうだった。
今日は大事な日でした。
「ちょーっと寝過ぎましたかねぇ?」
「まぁまぁ、それでも大した時間じゃないですし」
「お客様をあんまり待たせ過ぎるのもどうかと思いますよ?」
「歓待はさせていますから大丈夫ですよ!
主役は遅れるぐらいで丁度いいんですから!」
ケラケラと笑いながら自分同士で言葉を交わす。
《天空城塞》の奥深く、ボク以外――ボクら以外には立ち入る事の出来ない私室。
配下に献上させた豪奢な調度品に彩られた部屋。
其処にいるのは当然、ボクしかいない。
青、緑、黄色、赤。
色の異なる装束を纏う四人のボク。
寝台から這い出してから小さく指を鳴らす。
一糸纏わぬ姿だったところに、黒い
これでヨシっ。
自分の着替えシーンとか面白くもないでしょうに、何故かケラケラ笑うボク達。
「何ですか何ですか、何笑ってるんですか」
「前後ろ逆」
「うっそぉ!?」
「ホントホント。いやマジで何してんですかボクってば」
「寝惚けてたんでしょう。まぁ偶にはありますよ、偶には」
「微妙にフォローが雑じゃないですかねぇ!」
これは失態、この場にボクしかいなくて良かった。
とりあえずもう一度
今度は前後ろ逆でもないし、裏返しでもない。
うん、今度こそヨシっ。
「まったく、ボクにも困ったもんですねぇ。
そのままうっかり宴に出たらどうするつもりだったんです?」
「そうなる前に気付くのが優しさってモノでしょう!」
「まぁ恥を掻くのはボクなんで、指摘して当然なんですけどね」
「然り然り」
五人だけどたった一人。
一人だけど五人いる。
それが《五龍大公》、それが大真竜ゲマトリア。
まぁその呼び名にはちょっと真実でない部分も含まれてますけど。
笑いながらボクは、ボク達は、特に意味もなく部屋の中で踊って見せる。
クルクルと、クルクルと。
本当に意味は無いのだけれど、何だか楽しくって。
そうだ、これから大事な宴の時間。
武神の祭りは終わったから、次は大公閣下の宴が始まる。
随分長らく掛かってしまったけれど、ようやくだ。
ようやくボクの「望み」が一つ叶う。
「……しかし、大丈夫ですかねぇ?」
と、何やらボクの一人が難しい顔をしてみせた。
全員ボクなので、当然ボクにはボクが考えている事は手に取るように分かる。
けれど別々に分かれているのなら、キチンと会話は取るべきだ。
「どうしましたか?」
「いえ、ぶっちゃけ相手が素直に頷くとは思えないんですよね。
此処まで連れてくるのも大分強引だったじゃないですか」
「それね」
「いやぁあそこはちゃんと立場を分からせる必要がありましたし?」
「プライドが高くてちょっと傲慢な美少女を見ると分からせたくなりますよね」
「分かる」
「分かります」
「全員ボクだけど変態しかいねぇ!」
まぁボクの言いたい事は良く分かります。
いえ性癖の話じゃなくてですね。
「分かりますよ、分かります。
けど素直に言葉でお誘いしたって向こうも従わないでしょう。
特にあの《最強最古》って人とか敵意バリバリでしたし」
「それね」
「それねって言いたいだけじゃないですかボク」
「やーこの立場になってから真っ向喧嘩売る相手なんてそういませんから。
ちょっぴり新鮮な気持ちにはなれましたね」
「ま、《最強最古》なんて言っても結局大した事ありませんでしたけどね!」
「ハハハハハ!」
笑う、笑う。
ボクらは楽しそうに笑い合う。
勿論、口で言うほどあの美少女の事を侮ってはいない。
確かにあの場ではボクが勝ったけど、次がどうなるかは分からない。
どんな相手も無条件で平伏せさせる絶対強者。
少なくともボクはまだその「高さ」には辿り着いていない。
序列上位の大真竜達でも警戒を口にする相手。
油断して良い相手のはずがない。
今はボクの掌の上で大人しくしているようだけど。
「さて、何を考えているんでしょうかねぇ」
「挑まれたら叩き潰すだけですけどね! 何せボクらは大真竜!」
「《大竜盟約》の礎、それを支える一柱ですからね!」
「この大陸でボクに並ぶ者は無し! まぁ序列七位でドベなんですけどね!」
「そもそもお前は真竜じゃなくて古竜だろってツッコミもNGで!」
「で、この漫才は何時まで続けるんですか? キリ無くないですか?」
ボクから大変冷静なツッコミが入った。
ところで何の話をしてましたっけ?
「あの大事なお客様がボクらの言うこと聞くはずなくない?」
「あぁ、そういう話でしたね。ウン、ボクも同意見ですよボク」
「そろそろボクって単語がゲシュタルト崩壊して来そうですねボク」
「ボクって言いたいだけなんじゃないですかボク」
「だからキリが無いって言ってるでしょうがボク」
うーん我ながら五人――五本揃うと話が進みませんね!
全員ボクなので何の問題もありませんが。
ええ、ありませんったら。
「一先ずは宴ですよ、宴。
主催者であるボクがきちんと勝利者をお祝いしないと」
「暇そうなのにも声掛けちゃいましたしねー」
「楽しい楽しい宴ですよ。お酒も料理もいーっぱい用意しましたからね」
「その為に時間取りましたからねー。いやぁ忙しい忙しい」
「首を五本揃うように調整するのも一苦労ですからね」
《五龍大公》は何かと多忙なのです。
今回の宴もかなり無理して
他の仕事にも影響出てしまうでしょうが、そればっかりは仕方ない。
何せこれはボクの「望み」が一つ叶う、大事な宴なんですから!
「さぁさぁ行きましょ歌いましょ!」
「楽しい楽しい宴のお時間!」
「浮世のアレコレ一時忘れて!」
「楽しく呑んで騒ぎましょうか!」
歌う、歌う。
適当な言葉を適当な調子で並べ立てて。
くるくる、くるくる、五人分の足が床を蹴る。
踊るはボクたち、《五龍大公》。
待ち望んだ「戴冠の宴」が間もなく始まる。
「遣いのカラスは出しました?」
「既に一羽飛ばしてあります!」
「料理の準備は出来てます?」
「つまみ食いまで万全に!」
「お酒は極上、ですが飲み過ぎにはご注意を」
「何せ大公閣下は礼儀にうるさい!」
「無礼な客はどうなりますか?」
「頭からガブリと丸齧り!」
ボク達はまたゲラゲラと笑う。
実際に何度もあった事なので面白可笑しく笑い転げる。
まだ宴の前なのに歌って踊って騒ぎ立てる。
たった五人でたった一人。
色んなボクがいるけれど、弱くて小さいボクだけ此処にはいない。
「さぁ、ホントにキリが無いですから。
いい加減に行きましょうよ」
「そうですねぇ、お客様がたをあんまり待たせちゃ申し訳ない!」
「まぁ既に十分待ってるでしょうけどね」
ケラケラと笑いながら、ボクらは部屋の扉に手をかける。
主人以外には重く閉ざされた扉を押し開く。
誰でも同じボクだから、順番は気にせず廊下へと躍り出た。
《天空城塞》の中でも此処はボクだけの領域。
他には誰もいない通路を、ボクらだけが踊るように進んで行く。
これで楽団の演奏でもあれば完璧でしたね。
また今度、そういう仕掛けが出来ないか検討してみましょう。
「……そういえば」
「? なんですか?」
「アレは放っておいて」
「ボクと会話したいならもっと分かりやすく」
「糞エルフ」
「あー」
いや、忘れてたワケじゃないですよ?
忘れておくには余りにも危険物過ぎますし。
竜殺し――レックスの監視だか観察が目的と語ったあの男。
嘘は無いしそれが目的なのは間違いない。
とりあえず今は賓客扱いでこの城塞に招きはしましたが……。
「無視は出来ませんが、そちらに注意を向け過ぎても本末転倒。
緩く警戒しておく程度が丁度良いでしょう」
それがボクの出した結論。
全員がボクなのだから当然誰も異は唱えない。
……正直な処を言えば、あの森人の男はもうちょっと丁寧に洗い出したかった。
今さらながら懐に入れてしまったのは危険だったかと。
そう思ってしまう程度には厄介な相手だ。
まともに戦えばボクが勝つ、それは間違いない。
常なら勝てる相手は脅威に数えない。
けれどあの男は、ウィリアムは例外になりつつあった。
根拠はなく単なる勘に過ぎないけれど。
「……ブリーデさんと繋げられたら良いんですが」
思い浮かべるのは序列六位の大真竜。
比類なき希代の武器鍛冶であり最初の《森の王》の盟友。
ウィリアムが繋がりを示唆した相手。
少し前に顔を合わせた後、また彼女は姿を消してしまった。
そうなればボクを含め、他の大真竜の誰も白い蛇の影さえ踏めない。
個人としては最弱で、竜の証明である爪も牙も鱗も持たない彼女だけど。
逃げ隠れに関しては他の誰よりも優れていた。
「まぁ、仕方ありませんね」
ウィリアムについては、無視は出来ないが構い過ぎても宜しくない。
それが既に出した結論。
そうと決まれば糞エルフは思考の片隅に追いやっておく。
集中すべきは目前の事だけ。
赤い
分厚い両開きの扉の向こう側。
其処が約束された場所だ。
「さぁさぁ、参りましょうか!」
「戴冠の宴を!」
「千年無かった良き日としましょう!」
「アハハハハハハ!」
ボクは、ボクらは口々に騒ぎ立てる。
重い扉もなんのその、片手で軽々押し開く。
宴が始まる。
待ちに待った楽しい宴が。
そうしてボクはより強く、より高い場所へと辿り着ける。
あの日あの時に比べたら、今も十分高く上った気はするけれど。
このぐらいじゃあまだまだでしょう。
だってボクが知る太陽は、今も頭上で輝いている。
昔に比べたら随分黒く染まってしまったけど。
変わらない。そう、何も変わってなんかいない。
今も昔も、ボクが望む事は一つだけ。
「高く、高く、もっと高く!
強く在れば許される、強くなれば全てが叶う!
もっともっと、まだ足らない!
だから果てまで目指しましょう!」
今も昔も、ボクにとってそれだけが全て。
まだ小さく弱く、首が一本しかなかった頃から。
千年前から抱き続けた願いを、ボクは高らかに歌い上げた。
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