167話:ゲマトリアの日記


「…………」

「…………」

「ぐぉっ」

 

 静かな部屋の中に、えらく不細工ないびきが響く。

 オレも姉さんも思わず固まってしまった。

 散らかった寝台の上、毛布に半ば埋もれるように眠り続ける少女。

 それはどっからどう見てもゲマトリアに間違いなかった。

 いや――何か少し、違和感があるような……?

 

「……小さい」

「? 姉さん?」

「私の気のせいかもしれないが……」

 

 とりあえず伸ばした手を引っ込めて。

 姉さんは寝ているゲマトリアを見ながら眉間に皺を寄せた。

 一応声を抑えてるが、それとは無関係にゲマトリアに起きる気配はない。

 呑気にいびきを立ててすやすやと眠っている。

 

「酒宴で見た、五人のゲマトリアは覚えているだろう?」

「まぁ、そりゃな」

「私の勘違いでなければ、だが。

 あの時に見たゲマトリアより、このゲマトリアは小さいように見えるんだ」

「小さいって……」

 

 イマイチ意味が分からず、オレも改めて寝台の上のゲマトリアを見た。

 ……確かに、そう言われてみると。

 

「なんか、小さいっつーか幼く見えるな」

「そうだろう?」

 

 姉さんの同意に、オレは一つ頷いた。

 外見的な年齢で言えば、宴で見たゲマトリアは十代半ばか後半ぐらいだった。

 しかし今オレ達の前で寝こけてるのは恐らく十歳前後。

 髪の色や顔立ちなどの特徴は一致するので、人違いって事はないはずだ。

 

「……姉さん」

「どうした?」

「正直思い付きに近いんだけど……これ、まさかか?」

 

 六人目というか、六本目というか。

 酒宴でのゲマトリアは色違いの衣装で五人いたはずだ。

 服装以外はまったく同じ見た目をした奴が五人。

 そっちは今、何か別の事情がない限りはレックス達を追い回している最中。

 こんなところでアホ面晒して寝てる可能性は、まぁ無いだろう。

 そう考えると、コレはあの五人とは別なんじゃないか。

 

「確かゲマトリアは、《五龍大公》と名乗っていたと思うが」

「ソレも多分、ブラフなんだろう。

 『』みたいな」

 

 言ってしまえば子供騙しだが、案外馬鹿にもできない。

 仮にだが、ゲマトリアが首全てを倒さないと討ち取れないとしたら。

 五が実は六だった、というのは覿面に刺さるだろう。

 大真竜と名乗れる程の強者が小細工に躊躇いがない、ってのも厄介な要素だ。

 

「ふがっ」

「……で、マジで起きないなコイツ」

 

 一応、起こさないよう注意して会話はしている。

 しかしこの爆睡加減だと普通に声を出してても起きない気がする。

 あくまで「気がする」だから、下手に起こす危険を冒すつもりはないけど。

 ……いやそれ以前に、オレ達は部屋に入る時に《分解》で扉ふっ飛ばしてるはず。

 それも結構な音がしたはずだが、コイツは起きなかったのか。

 どんだけ眠りが深いんだよ。

 

「ん……?」

 

 どうしたものかと、とりあえず様子を見ていたが。

 寝ているゲマトリアの手が何かを掴んでいる事に気付いた。

 それは一冊の本だった。

 机や本棚に置かれている魔導書とは少し異なる。

 分厚いが片手で持てる程度の大きさ。

 革製の装丁は何度も読み返したせいか、若干擦り切れているのが分かる。

 

「イーリス?」

 

 オレが手を伸ばしたもんだから、姉さんが若干焦った声を漏らした。

 何となく、本当に何となくだが。

 この本はゲマトリアにとって重要な代物である気がする。

 もしかしたら眠る前に適当に読んでいただけの本かもしれないが。

 それを確かめる為に、オレは本の端に指を掛ける。

 ……起きないな。

 後は掴んで離さない可能性も考えたが、その心配はなさそうだ。

 少し力を入れると、ゲマトリアの指から本はするりと抜け出した。

 引き寄せる時も慎重に。

 

「よしっ」

「よしじゃない、肝が冷えたぞ」

「悪かったって」

 

 大げさに胸を撫で下ろす姉さんに、オレは笑って応える。

 とりあえず、今重要なのはこの本の中身についてだ。

 

「何か妙な仕掛けとかないよな」

「それは手に取る前に確かめるべきだと思うぞ。

 ……魔力の反応はあるが、それほど強いものじゃない。

 恐らく保護か保存の術式だろう。罠の類ではないと思う」

「よし。……じゃあ、開いてみるか」

 

 覗き込む姉さんからも良く見えるようにして。

 オレは本の表紙を開いた。

 特に題名タイトルの類はなく、頁には手書きの文字が隙間なく書かれていた。

 最初の方はお世辞にも上手い字とは言い難い。

 そんで内容についてだが。

 

「……日記、か?」

「そのようだな」

 

 書き手は当然ゲマトリアだ。

 最初の頁には、この日記を書き始めた理由などが書かれていた。

 曰く、人の姿に慣れる練習も兼ねて、日々の記録を書き留める事を勧められたと。

 そしてこの本――日記帳は、大事な「仲間」から貰ったモノであるらしい。

 それらの事柄を、まだ書き慣れていないいびつな文字で綴られていた。

 文字そのものは歪んでいても、これを書いた者の喜びが伝わってくる気がした。

 ……どうしような。

 間違いなく、これまでで一番重要な情報なんだけど。

 

「読んで良いのかコレ……?」

「気持ちは分かるが、読まないという選択はないだろう」

 

 姉さんの言葉は間違いなく正論だ。

 ただ、こう。本当に軽く目を通しただけだけど。

 無邪気な子供が日々の何気ない事を、文字の練習も兼ねて嬉しそうに書き記している。

 そんな情景がありありと浮かぶ、そんな内容の日記なのだ。

 しかも書いた当人は、今目の前で子供みたいな姿でぐーすか寝てると来た。

 頭では分かっていても微妙な罪悪感が胸に刺さって来る。

 

「私が代わりに読むか?」

「……いや、大丈夫。

 そんな細かい事は言ってられる状況でも無いしな」

 

 姉さんの気遣いに対しては首を横に振る。

 これはゲマトリア個人について記録した、本当に貴重な情報だ。

 今は細かい拘りとかは捨てて、中身を読む事に集中する。

 ただ、日記の内容自体が相当な量だ。

 毎日ってワケじゃないようだが、それでも頻繁に日々の事を記録している。

 その大半がゲマトリア個人の感想とか、本当に何気ない日常の話だとか。

 そういう「重要ではない」情報が殆どだ。

 だから頁の多くはざっと目を通すだけでドンドン読み飛ばしていく。

 凡そ何が書かれているかぐらいはそれでも拾える。

 分かった事は、ゲマトリアが日記を書くきっかけとなった「竜狩り」の仲間達。

 ゲマトリアは彼らに命を助けられ、そのまま行動を共にするようになった事。

 当時は古竜達が凶暴化した為争いが絶えなかったらしい。

 その中で、ゲマトリアは数少ない「まともな古竜」であったとか。

 

「……これ、千年前の事だよな」

「当時を経験した本人が書いた、貴重な歴史的な資料だな」

 

 皮肉でも何でも無く、事実として。

 それは姉さんの言葉通りのモノだった。

 うっかりゲマトリアが目を覚ましてしまわぬように。

 それだけは注意しながら、オレと姉さんは日記を読み進める。

 ……千年前に起こった、古竜達の凶暴化。

 これにより竜同士での争いが激化。

 それ以前に大陸を支配していた竜王バビロンの死。

 竜の異常はこのバビロンの死がきっかけとされているが、実際のところは不明。

 そもそも不滅の竜王たるバビロンが死を迎えた理由も定かではない。

 事実として古竜達の間で戦争が起こり、大陸は瞬く間に荒廃した。

 その最中に、古竜の暴虐に抗おうと一部の勇気ある人間達が立ち上がった。

 彼らこそが「竜狩り」と呼ばれる者達であったらしい。

 ゲマトリアが出会ったのは、その中でも特に強力な一党だったようだ。

 ――自身の五体だけを武器に竜を屠る鋼の男。

 ――森の深淵より密かに目覚めた最初の森人。

 ――恐るべき魔導の奥義を極めた始祖の主にして不死者の王。

 ――竜に非ざる竜、永久を生きる白の鍛冶師。

 ――奇妙な鉄の道具を人々にもたらした定命の賢人。

 ――竜と始祖の間に生まれた奇跡の娘。

 ――そして誰よりも優しく、誰よりも勇敢だった白金の英雄。

 ゲマトリアは彼女を指して、「ボクの太陽」という形容を頻繁に繰り返した。

 最初は拙かった言葉も、時が経てば表現を増やしていく。

 日記は単純な文の組み合わせから、読む者に情景を思い起こさせる物へと変わる。

 遥か昔にあった古竜との戦い。

 勇者英傑と讃えられた者達を、ゲマトリアはその傍で見ていた。

 過酷な戦いの様子に、その合間にあった日常の一幕。

 全てではなくとも、ゲマトリアはできる限りを頁に書き綴っていた。

 盟友、戦友、あらゆる言葉を尽くして仲間達との記憶を文字として刻んでいる。

 果たして、其処にはどれだけの想いが込められているのか。

 ……真竜に対する感情的なアレコレ。

 それこそ言葉じゃ言い表せない事は山ほどある。

 オレは一時だが、それを忘れていた。

 本当に、可能なら腰を据えて読み込みたい内容だ。

 

「……イーリス」

「分かってるよ、姉さん」

 

 感情移入し過ぎて良い事なんてない。

 ゲマトリアは敵で、今はそれに勝つ為の糸口が必要だ。

 敵を知る事は大事だけど、理性と感情の線引きはそれ以上に重要だ。

 相手の境遇に同情して戦えなくなりました、じゃあお話にもならない。

 兎に角、日記から他に重要そうな情報が無いかを読み取る。

 未だ起きる気配のないゲマトリアについては、それから考えればいい。

 寝首を掻くにしても、それが通じるとは限らないのだから。

 

「……戦いに関する記述が増えて来たな」

「いよいよ末期って感じだな」

 

 最初の方は仲間との何気ない話の方が多かった。

 しかし頁が進んで行くと、古竜との戦いに関する記述が増えてくる。

 目に付いたのは「竜狩り」達の希望、竜殺しの術式。

 それが刻まれた魔法の剣。

 ゲマトリア達はこれを《封印剣》と呼んでいたようだ。

 稀少ではあるが量産が可能な代物であったらしい。

 剣に刻まれた術式と、剣を担う人間の魂。

 これらを合わせて永遠不滅である古竜の魂を封印し、無力化する。

 不死である竜を討ち取る、それが唯一の方法。

 多くの犠牲を出しながらも、「竜狩り」は多くの古竜を討ち取ったようだ。

 一つ一つを読むとかなりの量になるので読み飛ばしながらだが。

 《古き王オールドキング》の封印に成功した時は、生き残った者達で盛大に祝ったとか。

 人間は弱く、強大な古竜に抗う事はできない。

 その当たり前過ぎる常識を覆した、まさに奇跡の瞬間だったと記されている。

 ……やっぱりレックスってとんでもない奴だったんだな。

 剣一本でボレアス――《北の王》を相討ちに持ち込んだ男の事を思う。

 話を聞く限り、ろくに仲間もいない状態でやり遂げたみたいだしな。

 

「……分からないな」

「姉さん?」

「話の流れからして、恐らくはこの『竜狩り』が真竜の前身のはずだ」

「……言われてみればそうだよな」

「この日記を読む限り、彼らの多くは使命の為に戦った者達だ。

 そのはずなんだが……」

 

 姉さんの言いたい事は良く分かる。

 古竜の魂を喰らった元人間。

 王の冠を簒奪した時代の勝利者達。

 自らを「真なる竜」と僭称する連中が、本当にこの英雄達なのか?

 或いは年月がその志を忘れさせ、人としての精神を捻じ曲げてしまったのか。

 ……何となく、嫌な感じがした。

 この日記の記述に嘘は書かれていないと思う。

 勘違いとか、そういう意図しない虚偽は含まれているかもしれない。

 それを除けば、日記の内容は真実であると。

 オレは大した根拠もなく確信していた。

 

「…………」

 

 姉さんも、オレも。

 気付けば頁を追う事に熱中していた。

 戦い、戦い、戦い。

 記述の大半が竜の戦いと、その勝利と犠牲に費やされる。

 ゲマトリアはそれらを努めて明るく書き記していた。

 ――もうすぐ、戦いは終わる。

 ――大半の古竜は封印し終わり、王の冠を戴く者も残り僅か。

 ――ボク達は勝って、戦いを終わらせる。

 何度も、何度も。

 繰り返し使われる言葉。

 それは祈りなのだと直ぐに分かった。

 犠牲をこれ以上、積み重ねたくはないと。

 竜と違い、人間は簡単に死んでしまう。

 ゲマトリアが心より慕っていた者達の多くも人間だ。

 戦いの果てに彼らを失う事。

 日記を書いた竜は、それを何より恐れていた。

 そして。

 

「…………え?」

 

 大半の頁が隅から隅まで埋め尽くされた日記。

 ゲマトリア自身、記録を残す事が心の拠り所になっていたのかもしれない。

 しかし、その頁だけは違った。

 その殆どが空白で、書かれているのは……。

 

「……あの男が、裏切った……?」

 

 書き慣れて上達したはずのゲマトリアの文字が、酷く歪んでいた。

 憤怒、憎悪、それ以外のありとあらゆる負の感情。

 その全てを混ぜ合わせてブチ撒けた黒い泥。

 短い文章に込められた念の強さに、オレは身震いしていた。

 ――あの男が裏切った。

 ――いや、最初から全部予定通りだったんだ。

 ――全て、全てアイツの思惑通り。

 ――何もかもが始めから、あの黒い魔法使いの……。

 書かれている文字を目で追い続ける。

 いつの間にか意識さえもそっちに持ってかれていた。

 だからどうしようもなく、気付くのが遅れてしまった。

 

「…………」

 

 何かが、オレの手首を掴んでいた。

 丁度、日記の頁をめくろうとしていた右手の方。

 掴んだのは誰か。

 この場にいるのはオレと、姉さんと。

 そしてもう一人。

 

「…………見たな」

 

 いつの間にか、目を覚ましていた幼いゲマトリア。

 その酷く細い指が、日記を持つオレの手を掴んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る