第一章:迷宮に落ちる
61話:《妖蛆》との戦い
のたうつ肉の海を、俺は剣の一振りで切り開いていく。
毒気に等しい不快な悪臭が押し寄せてくるが、それは何とか我慢する。
アウローラ特性の鎧がなければ、既にぶっ倒れていたかもしれない。
返り血で赤く染まった視界の向こうに、敵の姿を捕らえる。
それは艶やかな黒髪を波打たせた、豊満な裸身を晒す美女のように見えた。
少なくとも、腰から上だけは。
美女なのは半分だけで、下半身は内臓をこねまわしたような異形と繋がっている。
そんな肉塊が、無駄にデカい広間の半分近くを埋め尽くしていた。
今回の地獄はグロ度がかなり強めのようだ。
地獄の中心にいる怪物女は、向かって来る俺を怒りに歪めた表情で睨む。
『調子に乗るなよ
「良く言われるわ、それ」
なので軽く聞き流し、蠢く肉の触手を切り払う。
動きが大雑把で見えやすいが、四方八方から襲って来るのはなかなか面倒だ。
急所が何処かも分からないので、兎に角斬りまくって行くしかない。
相手も質量差で押し潰す作戦なのか、只管に肉の津波をぶつけてくる。
流石に一人じゃキツいなと、そう考えた時。
「――こっちは粗方終わったわよ、レックス」
囁く言葉と共に、アウローラが俺の傍らへと降り立った。
足下でのたうつ肉の海とは別に、頭上を飛び回っていた大量の「蠅」の群れ。
一匹一匹は文字通り虫ケラだが、肉を食い破る蠅の群れが雲霞の如く飛び回っていた。
その相手を纏めて引き受けてくれたのがアウローラだった。
そして軽く一網打尽にし終えたようで、こっちに戻ってくれたようだ。
『馬鹿な、私の「子供」達を……!?』
「私に虫退治なんて手間取らせた罪、しっかり贖って貰わないとね」
動揺する怪物に、アウローラは冷笑を送る。
更に視界の端っこで、青い光が弾けた。
内臓の波を一部散りに変えて、黒い影が飛んでくる。
テレサと、その後に続くのはイーリス操る自動甲冑《金剛鬼》だ。
イーリス本体は、アウローラが用意した結界で身を護っているはずなので実際安心である。
「失礼、遅れました。意外と相手の《爪》が粘るもので」
「いやいや、雑魚を任せて悪かった」
人間サイズの巨大蠅とか、頭が蠅になった蠅人間とか。
此処の《牙》や《鱗》はそんなラインナップだったので、押し付けて申し訳ない。
テレサ自身は気にした様子もなく、衣服にも一切乱れはない。
その辺りは流石の実力と言うべきだろう。
とりあえずこれで、こっちの顔ぶれは一通り揃ったな。
出していないのはあと一人だけ。
『おのれ……!
私は真竜! この都市の支配者だぞ!』
「知ってるって。だから殺しに来たんだろ」
怪物――確か《妖蛆の姫》だとか名乗っていた真竜。
その咆哮を受けながら、改めて剣を構える。
憤怒と恥辱、それと憎悪に全身を歪めながら、《妖蛆》は激情のまま吼え猛る。
『許さぬ! 許さぬ許さぬ許さぬ!! 許さぬぞ貴様ら!!
我が子らの痛みを思い知らせ、その血肉をこの腸の一部に――!』
「そろそろ良いか」
巻き添えが怖かったので控えていたが。
この状況なら気兼ねする事もない。
剣の刃に手で触れて、其処に線を引くように傷を付ける。
流れる血は熱く、火を吹かんばかりだ。
その熱を意識しながら、俺はその名を呼んだ。
「出て来い、ボレアス。
もう暴れてもいいからな」
「――随分とまぁ窮屈だったぞ、竜殺しめ」
即座に応じる声と共に、流れる血は渦巻く炎と化す。
「……別に出す必要なかったと思うんですけど?」
「一応出してやらんと煩いんで」
ちょっと不機嫌そうに引っ付いて来るアウローラ。
それを宥めようと頭を撫でる。
そうしている間にも、炎は肉を焼き潰しながら形を成す。
半人半竜の姿を取る《北の王》、ボレアスだ。
相変わらず一糸纏わぬ状態なのは、いい加減何とかするべきかもしれない。
その辺は今の状況が終わった後で良いだろう。
突然現れた炎の勢いに、《妖蛆》は怒りを忘れて狼狽える。
『なん、だ……なんだ、お前は……!?』
「我が何者かも分からぬとは、哀れな小娘め」
ボレアスは《妖蛆》を嘲笑する。
それから右手を振り上げると、絶大な力を込めて叩き付けた。
肉の海が、その爪の一撃で二つに裂ける。
巻き込まれたわけではないが、その衝撃だけでこっちまで躓きかけた。
実際に吹き飛ばされた《妖蛆》など声さえ上げられない。
ともあれ邪魔な肉壁も抉れたので、俺も改めて剣を片手に飛び込む。
「無茶苦茶するわね、まったく」
ため息混じりに呟いて、アウローラは俺の後ろをついて来る。
変わらず肉の触手が襲って来るが、密度は先ほどより明らかに低い。
それを剣で斬り払いつつ、女の上半身へと近付く。
流石にあからさま過ぎて、これがそのまま本体とは思わんが。
『人間が――ッ!?』
何かを叫ぼうとしたところを、とりあえず両断してみた。
頭頂部から腰の辺りまで真っ直ぐに。
手応えは少なく、あっさりと真っ二つになった。
さて、これでどうなるか。
『――馬鹿め、それで勝ったと思ったか!!』
「あ、やっぱり?」
むしろこれで死んだら逆にビックリだ。
女の部分は二つに割れたままで、《妖蛆》は嘲りを口にする。
とりあえず急所は未だ不明のままか。
これはこれで微妙に面倒な相手だ。
足下の肉の海には捕まらぬよう、即座に立ち位置は変えていく。
「試しに、その辺を適当に吹き飛ばしましょうか」
そんな事をあっさりと言い出すアウローラさん。
まぁそれが一番分かりやすいよな。
近くに来ていたテレサも、その言葉に頷く。
「欠片も残さず潰さなければならない、という事も無いでしょう。
恐らくは何処かに核があるものかと」
『それをどうにかすんのは任せるぞ』
肉をザクザク切り裂く鎧メカから、イーリスの通信音声も飛んできた。
はい、当然頑張りますとも。
ボレアスは特に何も言わないで、代わりにその口を大きく開いた。
どうするつもりかは分かっていたので、迷わず距離を取る。
同時に吐き出されたのは《
以前に魔力切れを起こしたのを気にしているのか、威力は幾らか控えめだ。
それでも吐き出される熱量は絶大で、肉の海を一息で蒸発させる。
其処に青い光――テレサの《分解》も重なる。
ダメ押しにアウローラが指を振れば、多重の爆撃が視界を薙ぎ払った。
うーん、酷い有様だなコレ。
《妖蛆》の悲鳴も掻き消される中、俺は目当ての物を探る。
肉の大半が焼かれて塵となっているが。
「アレか」
一部、肉が蠢いている箇所があった。
再生しようと藻掻き、触手らしきモノも伸ばしている。
即距離を詰めようと走るが、敵もただ無抵抗なわけがない。
千切れて吹き飛んだ肉片が、それぞれ不細工な蠅の形状に変化して動き出す。
時間稼ぎのつもりだろう。
しかしそれらは、イーリスの操る《金剛鬼》が一蹴した。
単純なパワーだけなら、ボレアスとかの例外を除けば一番かもしれんな、コレ。
『そら、早く行けよ!』
「おう、助かる」
短く礼を告げて、さっさと始末に向かう。
肉塊は中途半端に女の形になっていたが、抵抗は精々触手が数本伸びる程度。
それらを軽く切り払ってから、目の前に立つ。
やっぱり核が何処かは良く分からん。
「当たるまで斬ればいいか」
『待っ――!?』
とりあえず、再度頭からかち割った。
核に命中したか不明なので、止めずに剣を振るう。
そうして何度か切り刻むと。
「むっ」
切っ先から、今までと少し違う感触が伝わって来た。
剣の火に、新たな熱が加わる感覚。
どうやら無事に当たりを引けたらしい。
見れば《妖蛆》の肉も、溶けた粘土のように力を失っていく。
「よし、終わりだな」
最後まで気を抜く事はしないが。
都市の最上層を満たしていた真竜の気配は、霧が晴れるように散っていく。
それを確認してから、小さく息を吐いた。
「お疲れ様、レックス」
ひょいっと、背中からアウローラが抱き着いて来た。
頬擦りする彼女の頭をわしゃりと撫でる。
「お疲れ。今回もぼちぼち大変だったなぁ」
「これを『ぼちぼち』で済ますのも、何だか慣れて来た気がするわ」
「そいつは良かった」
皮肉だバカ野郎、と。
そんな事を呆れ気味に言いながら、隠れていたイーリス自身も顔を出す。
溶けた《妖蛆》の肉は踏まないよう慎重に。
ボレアスは火の粉が残る息で、やや退屈そうに欠伸をした。
「真竜だの言っても、所詮はこの程度か。
不完全であろうと、真なる王である我には到底届かぬわ」
「そいつの意見に同意するわけではないけど。
確かに、「王」と呼べる程度の格があったのは最初の宝石オタクぐらいね。
それもあくまでかろうじて、だけど」
自信満々というより、当然の事を語るようにアウローラは言った。
此処まで戦った真竜は、全部で三体。
前のサル何とかも今回の《妖蛆》とかいうのも、確かにそう苦戦はしなかったか。
そう考えると、マーレボルジェはなかなか強者だった気がしてくる。
あの頃の俺は調子が悪く、実質戦える味方もアウローラだけだったのもあるが。
今は仲間も増えて、戦力もかなり増してきている。
このぐらいの真竜一匹なら、それほど苦労せずに倒せる程度には。
「流石にそろそろ、真竜側にも話が出回っているかもしれませんね」
「マーレボルジェを仕留めて、それなりに日も経つしな」
テレサの言葉に頷く。
サル何とかに関しては、あの糞エルフことウィリアムが幾らでも誤魔化せるはず。
だが都市も崩壊したマーレボルジェは流石にどうしようもない。
ぶっ倒した時は、先ず「隠そう」という発想すらなかったから仕方ないんだ。
「それで真竜どもがどう動くかね。
私達の事を、まだ正確に把握してるわけじゃないでしょうし」
「……複数の真竜に囲まれるとか、流石にそう無いよな?」
「さぁ、それは分からないわよ?」
マジかよ、と嫌そうに顔を顰めるイーリス。
その様子が可笑しかったのか、アウローラはクスクスと笑った。
多勢に無勢は出来れば避けたいが、そうなる可能性も当然あるだろう。
ボレアスなんて、むしろ望むところだって顔だ。
「未だに剣に喰わせる魂は不足している。
我の力も竜殺しの魂の熱も、まだまだ竜を殺さねば完全には遠いぞ」
「割と安定はしてるんだけどなぁ」
最初の頃のように、いきなり力尽きる事はほぼ無くなった。
アウローラが身を削らずとも、剣から得られる魂の熱で賄えるようになった。
………らしい。うん、あくまで「らしい」だ。
俺自身は良く分からんので、この辺は全部アウローラからの説明だ。
「ま、一先ず順調なわけだし。
この調子で次の事を考えましょう?」
機嫌良さげに笑いながら、アウローラはぎゅっと身を寄せてくる。
そう、順調だ。間違いなく順調だ。
弱る事は殆ど無くなり、真竜との戦いにも慣れて来た。
それは単なる事実として、俺も考えていた。
――その時までは。
「…………?」
ふと、視線を感じた。
敵意でも殺意でもなく、ただ「見られている」感覚。
俺以外の誰も気付いていなかった。
辺りを見渡せば、其処に「ソイツ」はいた。
真竜の死骸がぶち撒けられた広間。
その片隅に佇む、一人の騎士。
全身を隙間なく黒い甲冑に身を固めた姿は、意外と小柄に見える。
中身は子供か、或いは女なのかもしれない。
そんな思考が頭を流れている間に、黒騎士は剣を抜いた。
真っ黒い、闇を鍛えたかのような長剣。
俺は動けなかった。
正確には動こうとはしていた。
ただ感じ取れる時間の流れが酷く緩慢で。
全てが緩やかに動く中、黒騎士は手にした剣を振り上げて――。
「■■■■」
その瞬間に。
黒騎士は、何かを言ったような気がした。
ただその声は酷くノイズ混じりで、頭が言葉と理解しない。
そもそもそんな事を考える余裕は俺にはなかった。
闇色の一太刀で、世界そのものが砕け散ったからだ。
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