62話:黒き怒り


 起こった事実だけを示すなら、酷く単純な話だ。

 

 そしてそれを引き起こしたのは、黒騎士の振り下ろした剣だ。

 余りにも無茶苦茶な話だが、実際にやられた以上は仕方がない。

 粉々に破壊された瓦礫の雨と共に、俺は地上へ落下する。

 具体的な高さは不明だが、どう考えても助からない奴だなコレ。

 そう考えた矢先に。

 

「レックス……!!」

 

 俺の名を呼ぶ声と共に、淡い光が全身を包み込む。

 同時にアウローラは必死な様子で手を伸ばし、俺の腕を掴んだ。

 

「無事っ!?」

「あぁ、何とかな。テレサとイーリスは?」

「そっちも私の魔法で保護はしたわ……!

 それより――」

 

 交わす言葉は最後まで続かなかった。

 黒い闇が、落ちる瓦礫を砕いて姿を見せたからだ。

 片手でアウローラを抱き寄せ、剣の切っ先をそちらに向ける。

 アウローラが腕の中で《力ある言葉》を呟く。

 魔法による保護を身体に感じながら、俺は「敵」を見た。

 落下中である事など全く感じさせない動き。

 闇色の騎士は真っ直ぐに俺達の方へと迫ってくる。

 放たれるのは黒い刃の一撃。

 それと俺の剣が触れた瞬間、凄まじい衝撃が全身を貫いた。

 もし仮に、今のを地面の上でまともに受けていたら。

 恐らく俺は剣も鎧も纏めて潰されていただろう。

 此処が空中で、身体はアウローラの鎧と魔法に守られていた。

 その条件が重なった事で、俺は即死せずに吹き飛ばされるだけに留まった。

 降り注ぐ瓦礫の雨にあちこつ激突するが、それは何とか耐えられる。

 問題は、吹き飛ばされる俺を更に追ってくる黒騎士の方だ。

 

「無茶苦茶しやがる……!」

 

 文字通り、地に足がついていない状態だ。

 こっちは受け身で耐える他ないが、相手のパワーが異常過ぎる。

 二度三度と同じように切り付けられ、死なない自信は何処にも無い。

 アウローラは俺に抱き着きながら、必死に魔法の護りを維持しているようだ。

 しっかりと回された腕が、微かに震えているのを感じる。

 怯えている。《最強最古》と呼ばれた竜の王でるはずの彼女が。

 得体の知れないこの黒騎士を、間違いなく恐怖していた。

 

「ガアアアアアッ――――!!」

 

 轟く咆哮。

 その響きと共に、強烈無比な炎が瓦礫の雨を貫いた。

 ボレアスの《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 さっきの《妖蛆》相手に放ったモノとは明らかに威力が違う。

 力尽きる事も覚悟の上での、恐らくは全力の一撃。

 それは俺達を狙っていた黒騎士の姿を呑み込む――いや。

 黒騎士は僅かに兜を傾けて、自分に向かって来る《吐息》を見た。

 それから片手を剣の柄から離して、炎の方へと向ける。

 一体何をする気かと、疑問にするよりも早く。

 

「……嘘だろ」

 

 俺の目の前で、黒騎士はボレアスの《吐息》を

 黒い籠手に覆われた指が、炎の先端に触れた瞬間。

 軽く払う動作だけで、炎の進行方向が捻じ曲がったのだ。

 そんな真似が出来るのかと思ったが、目の前の現実を否定する術はない。

 敵を焼き滅ぼす事も叶わず、渾身の炎は空の彼方に飛んで行く。

 

「レックス、そろそろ地面が……!」

「マジか」

 

 そうしている間に、ようやく地上に到着したようだ。

 アウローラの魔法で墜落死はないだろうと信じ、可能な限り体勢を整える。

 幸い、黒騎士の動きはボレアスの《吐息》を防ぐ為に僅かながら阻害されている。

 その隙とも呼べない一瞬の間を最大限に使い、俺は地面に着地した。

 片手にはアウローラを抱いて、落下の衝撃を堪える。

 落ちただけなら問題なかったが、目の前には出鱈目極まった脅威がいる状況だ。

 足が圧し折れそうな衝撃を受けたまま、俺は即座に走り出した。

 頭上からは、大小無数の瓦礫が次々と落ちてくる。

 そんな地獄めいた中も、黒騎士は小雨程度にも感じていないようだった。

 

「っと……!?」

 

 いきなり、走っている地面が吹き飛んだ。

 離れた場所から黒騎士が剣を振った。

 それだけの動作なのに、引き起こされる破壊の規模は無茶苦茶だ。

 振り抜いた剣の圧力だけで、落ちて来た瓦礫は塵へと変わり。

 剣を振った軌道上の地面が引き裂かれる。

 地震とかの天災が、人の形になって暴れ回っているような。

 そんな錯覚を覚えながら、兎に角動きを止めぬように走り続ける。

 出来ればテレサとイーリスが無事かも確認はしたかった。

 が、残念ながらそれが出来る状況じゃないようだ。

 

「――オイ。どうする気だ、長子殿」

 

 そうしていると、上からボレアスも降って来た。

 その表情からは普段の余裕や傲慢さは剥がれ落ちている。

 あるのは焦りと、アウローラと同じ恐怖。

 黒い騎士を前にして、古い竜の王は揃って怖れを抱いていた。

 

「アレには勝てんぞ。分かっているだろうが」

「黙れ」

「そもそも何故、アレは「姿」をしている?

 あり得ぬだろう、人の形を、あの恐るべきモノが、何故……!」

「私は黙れと言ったぞ……!

 そんな事、お前にグダグダ言われずとも理解している……!」

 

 憔悴と畏怖に震えながら、アウローラは擦れた声で叫んだ。

 ボレアスも同様で、発言が若干支離滅裂になっている。

 瓦礫の雨もやっと収まり、残るのは全てが破壊し尽くされた荒野。

 其処を我が道の如くに歩む黒銀の騎士。

 その歩みを阻むモノは無く、視線は真っ直ぐに俺達を捉えていた。

 歩み自体はゆるりとしたものだが、逃げられる気はしない。

 背を向けて走り出せば、その時点で天地ごと砕かれる予感があった。

 

「アイツは一体なんだ? 知ってるみたいだが」

「ッ、アレは……」

 

 試しに聞いてみたが、アウローラは躊躇いに言葉を詰まらせる。

 その間に、ボレアスの方がその名を口にした。

 

「《黒銀くろがね》だ」

「くろがね?」

「そうだ。《竜王ならざる竜王》、《真に最も古き竜》。

 《死の鉄》や《怒れる焔》などと呼ぶ者もいたか。

 ハッ、どれも口にしただけで舌が震えるわ!

 その恐るべき御伽噺を詳らかに語っても良かったがな、竜殺しよ。

 どうもそんな余裕は我らには無いらしい」

 

 ボレアスが言う通りに、黒騎士――《黒銀》が、再び剣を構えていた。

 先ほどは一撃で都市を粉微塵に砕き、剣を振り回すだけで天変地異を引き起こす。

 確かに、悠長に話をしている余裕はないな。

 であれば、俺がやるべき事は一つだ。

 

「アウローラ。出来たらで良い、援護か何か頼んだ」

「っ、ちょっと! ダメよ、レックス……!

 ソイツと戦ったら……ッ!!」

「ボレアス、悪いがこっちは任せる」

「オイ、竜殺し! 馬鹿な真似は――!!」

 

 腕の中のアウローラを、ボレアスに一旦預けて。

 俺は躊躇いなく、嵐の中心へと走った。

 皮一枚のところを死の刃が掠めて、大地が轟音と共に爆ぜ割れる。

 外れたのか、威嚇のためにわざと外したのか。

 分からないが、俺はただ一直線に《黒銀》へと挑んだ。

 渾身の力で打ち込んだ一太刀。

 今まで真竜の鱗も容易く切り裂いて来たソレを、《黒銀》は正面から受けた。

 手にした黒い剣ではなく、片腕で。

 竜殺しの剣は、其処に僅かな傷すら刻めなかった。

 逆に腕を軽く払う動作だけで、俺は地面を派手に転がっていた。

 根本的に馬力が違い過ぎる。

 起き上がろうとしたところに、頭上から黒い刃が落ちて来た。

 ギリギリ。本当にギリギリで回避は間に合った。

 剣が直撃して五体が砕ける事はなかったが、大地を裂く衝撃にまた吹き飛ばされる。

 もう何度か死んでもおかしくはない状況だ。

 だが、俺は何とか生きていた。

 当たり前だが無傷じゃない。

 間近で炸裂する怪力乱神に、鎧の下はかなりボロボロだ。

 逆に言えば、この災害に晒されながらもその程度で済んでいるとも言える。

 やっぱりアウローラの魔法は凄いな。

 おかげでまだ何とか戦える。

 

「――――!!」

 

 そのアウローラが何かを言っているようだった。

 しかし耳はそれを音として拾えず、轟々と耳鳴りだけが酷く喧しい。

 其処にまた、《黒銀》が来た。

 警戒も何もしていない無造作な足取り。

 それでほんの数歩を踏み出しただけで、間合いはあっさり潰される。

 そもこの怪物の前に距離自体が何の意味もない。

 前へと踏み出し、剣を振る。

 ただそれだけで天地の全てが砕け散るのだ。

 ……竜は確かに強大な存在だ。

 人の手では届かないはずの災厄の具現。

 今目の前にいる《黒銀》は、それらと比べても次元が違った。

 騎士が振るう黒剣を、受け流そうと刃を合わせる。

 その試み自体は成功した。

 ただし相手の力が強すぎて、風に飛ぶ木の葉も同然に吹き散らされた。

 大地を転げ回ったところに、容赦なく斬撃が落ちてくる。

 当たれば終わりの一撃。それを紙一重で回避し続ける。

 そしてまた、余波だけで俺の身体は宙を舞った。

 これでもう何回目になるか。

 

「っ……!」

 

 ごぼりと、喉の奥から血が溢れた。

 あぁ、これは多分死ぬな。

 諦めではなく、ただそうなるだろう現実として認識する。

 黒騎士――《黒銀》は変わらず俺を見ていた。

 視界も大分怪しいが、その姿だけはハッキリと見える。

 アウローラは……うん、とりあえず無事なようだ。

 ボレアスと何かしているようだが、それを確認する余裕はない。

 仮にあの二人が協力しているのなら、何かしらの手があるはずだ。

 彼女の、アウローラの力は何より信頼している。

 俺はそれを邪魔されぬよう、全力で敵を阻めばいい。

 幸いかは分からんが、《黒銀》は剣を持つ手を一時止めていた。

 相変わらず何を考えているのか、何も読めない視線だけをずっと感じている。

 良く分からんが、時間稼ぎになるなら何でも――。

 

「……あぁ、そう上手くは行かんよな」

 

 《黒銀》は剣を低く構え、重心を落とす。

 そうして柄を強く握り締めると、空間が軋むような音が響いた。

 都市を一瞬で砕いた時よりも、更に強大な力。

 それが《黒銀》が手に下げた剣一本。

 黒剣の刀身へと収束していく。

 あんなもんブッパしたら、それこそ地図を書き換えるぐらいの惨事になるな。

 今の大陸に地図があるかどうかは俺も知らんけど。

 兎も角、《黒銀》は大技の溜めに入った。

 だから俺は、千切れそうな足に全力を込めて走った。

 魂を燃やす感覚と共に駆け抜ける。

 此処に来て、相手がようやっと見せた隙だ。

 あの恐るべき剣が振り抜かれるまで、あと何秒ぐらいあるかは知らない。

 そうなった時点で終わりなので、此処ではまだ考えない。

 この一太刀が届けば何かが変わるとか。

 そんな思考も無い。

 ただ無心に剣を振り続けて、俺は《黒銀》の眼前まで迫る。

 近づく程に圧力は増し、黒剣に束ねられた魔力はどんどん強大になる。

 それを知らぬとばかりに、俺は無理やり剣を振るった。

 身体に残った力の大半を振り絞った上での一撃。

 ロクに狙いもせずに振り下ろしたその一太刀は――。

 

「――――」

 

 僅かに。

 ほんの僅かに、切っ先が《黒銀》を掠めていた。

 当たったのは兜で、其処にぴしりと亀裂が刻まれる。

 砕ける。それはこの戦いで初めて、俺が成し遂げた戦果だった。

 割れた兜は緩やかに地に落ちて、黒騎士の素顔を晒す。

 其処にあったのは、予想通りの少女のものだった。

 色素の薄い金髪に、真っ白い肌。

 十代半ば程度の美しい顔には、感情も何も凍てついた冷たさだけが浮かび。

 赤黒い瞳だけが、燃える眼差しで俺を見ていた。

 

「■■■■」

 

 再び、《黒銀》が何かを言った。

 やはりそれはノイズに塗れていて、聞き取る事は出来ない。

 これがコイツの声なのかと、そう思った直後。

 

 

 今度は、やや低めの少女の声色で喋った。

 一閃。莫大な力が渦巻く一刀が、俺の剣を弾き飛ばした。

 抗う余地もなかった。

 手から離れた《一つの剣》が宙を舞う。

 無防備となった俺に対し、《黒銀》は剣を振り被る。

 時間の流れはまた、酷く緩やかに感じる。

 

「星の怒りを受けるがいい」

 

 《黒銀》はそう呟いた。

 言葉の意味はよく分からんが、殺す気なのは明白だ。

 あの黒剣の一撃を受ければ、塵も残るまい。

 何とか避けようと試みはするが、限界近い身体が付いて来ない。

 万物を消し飛ばす力の奔流が、黒剣と共に間近に迫り――。

 

「《大転移グレーター・テレポート》――――!!」

 

 アウローラが《力ある言葉》を全力で叫んだ。

 真っ白い光が視界を染め上げ、辺り一面を呑み込んでいく。

 《黒銀》の剣で五体をバラバラにされるよりも早く。

 俺は真っ暗な闇の中へと放り出された。

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