63話:追憶、そして再出発


「君にはすまないと思っている。

 だが、私にはもうこの先へ進む力はない」

 

 人の気配はなく、ただ“獣”の放つ毒気に満ちた北の荒れ野。

 その片隅に打ち捨てられた古びた牢。

 罪人を其処に繋いでおけば、後は後は勝手に荒野が「始末」してくれる。

 その暗闇の中に現れたのは、一人の甲冑姿の「騎士」だった。

 ――あぁ、これは夢か。

 意識は判然としないまま、ただそれだけは自覚する。

 久しく見ていなかったが、これは夢だ。

 今の「俺」が失ったはずの、欠けてしまった「過去」という夢。

 

「北の地は、今やあの恐るべき《北の王》に支配されている。

 彼の大バビロンすら、奴の支配する地には迂闊に手を出せない。

 故に私は、北の鎮護を預かる防人として、此処まで旅を……続けて、来たが」

 

 語り掛ける騎士の声は、まだ若い青年のものだった。

 彼は牢の中、錆びた鎖に繋がる枷を外していく。

 声は途切れがちで、作業を続ける指も微かに震えている。

 俺は――牢に繋がれていた「俺」は、その様子を黙って見ていた。

 

「私は、どうやら此処までだ。

 荒れ野の“獣”に出くわして、何とか退けはしたが。

 何かしらの毒を、受けてしまったらしい……」

 

 カチャリと、軽い音を立てて枷が外れる。

 久しくなかった手足の軽さだ。

 それを確認してから、改めて騎士の方を見た。

 彼は一つ息を吐き、そのまま牢の壁に背を預けた。

 力を失い、その状態で床へと座り込む。

 自分は此処までだと、本人もそう語っている通り。

 もう立ち上がる事も出来ないんだろう。

 ……何故、と。

 俺は彼に理由を問うたと思う。

 きちんと人の手で「処理」する事さえ面倒だと。

 獣に喰わせて片付ければ良いと、ゴミも同然にこの牢に捨てられた。

 そんなケチな盗賊を、どうして助けたのか。

 少なくともこの騎士サマには、そんな義理も何もなかったはずだ。

 俺の疑問に、言われた方は少しだけ笑う。

 それから酷くすまなさそうに。

 

「言っただろう、私にはもう、この先へ進む力はない。

 それでも――使命は、果たさなければ」

 

 何が、この騎士をそれだけ突き動かしているのか。

 少なくとも俺には理解出来なかった。

 彼は震える手を伸ばし、俺の腕に触れる。

 

「名も知らぬ、誰かよ。どうか、どうか頼む。

 私の代わりに、北の地へ向かい……どうか、使命を、果たして欲しい。

 あの……恐るべき、《北の王》を討ち……民に、平穏を……」

 

 ……恐らく。

 死の淵にあって、冷静な判断力だとかを失っているんだろう。

 普通に考えればあり得ない事だ。

 荒野に捨てられた罪人に、そんな大事な役目を託すとか。

 素直に聞く理由はない。当たり前だ。

 そもそもこんな場所、さっさと逃げてしまうに限る。

 普通に考えたら、誰だって同じ結論を出すだろう。

 

「……分かった」

 

 俺は、そんな馬鹿な遺言を受け入れる事にした。

 この名前も知らない騎士は、此処で死ぬ。

 俺はこの牢で死ぬはずだったが、この男に助けられた。

 命で受けた借りは、せめて命懸けで返すべきだ。

 そうでないと、俺の中で収支が合わない。

 

「俺も多分、アンタみたいにどっかで死ぬかもしれないが。

 それでも良いなら、やれるだけはやってやるよ」

「そう、か……そうか、すまない。本当にすまない……」

 

 最後の瞬間だってのに、謝ってばかりだな。

 助けられたのは俺の方だろうに。

 

「後は……全て、君に託す……。

 すま、ない……此処で、朽ちる私を……どうか……」

 

 許してくれ、と。

 俺の知らない誰かの名前を口にしながら。

 それっきり、騎士は動かなくなった。

 俺はその様を見ていた。

 最後に呼んだのは、多分帰りを待つ家族か誰かだろう。

 看取られるなら、そういう相手が良かったはずだ。

 けれど立ち会ったのは、行きずりで出会っただけの名無しの盗賊とは。

 哀れみはしなかった。

 ただせめて、出来るだけの事はやってやろうと思った。

 死体が身に着けていた鎧を外す。

 幸い、騎士と俺の体格に大きな差はなかった。

 試しに着てみたが特に違和感もない。

 甲冑に損傷は少なかったが、剣の方はかなり傷んでいた。

 直ぐに折れる事はなくとも使い続けるには厳しいな。

 ま、それならそれで仕方ない。

 少なくとも、丸腰で荒れ野に出るよりはマシだ。

 

「……さて、行くか」

 

 死体の埋葬はしなかった。

 仮に地面に掘っても、うろつく“獣”が直ぐに掘り返す。

 この騎士も、屍を晒す事ぐらいは覚悟していただろうしな。

 特に気の利いた言葉も思い浮かばなかったので、そのまま立ち去る。

 朽ちた牢の外側は、直ぐに北の荒れ野に続いている。

 十中八九、俺も何処かで野垂れ死ぬな。

 それに関しちゃ疑う余地もない。

 あの騎士も、死ぬ間際だからって馬鹿な真似をしたもんだ。

 まぁ約束した以上は、やれるだけの事はやってみるさ。

 

「しくじったら、死ぬだけだしな」

 

 それで終わりだ。後は“獣”が片付けてくれる。

 誰もいない牢の片隅で、ひっそり飢えて死ぬのとどっちがマシか。

 何とも分からなかったが、一先ず俺は外に出る事にした。

 殆どボロボロで、誰もいない檻の中を抜けて。

 そして、踏み出した荒れ野の先で、俺は――――。

 

「……ぅ、っ……」

 

 鈍い痛みが頭蓋を揺らす。

 曖昧に沈んでいた意識が一気に現実へと引き戻された。

 何とか重たい瞼を開くが、どうにも暗い。

 受けたダメージの影響で未だ視界がぼやけているのはある。

 それとは別に、今の俺は何処かの暗闇の中に放り出されているらしい。

 牢屋は確か、抜け出したはず――いや、違う。そうじゃない。

 

「……夢と現実の区別は付けんとな」

 

 さっきまで見ていた過去モノは、あくまで夢だ。

 かつてあった事であって、今の現実とは違う。

 こんな状況でなければ、少しは思い出した事を素直に喜べるんだが。

 

 「……で、どういう状況だ、今」

 

 俺は確か、あのやべー女にブチ殺される寸前だったはず。

 黒い剣に塵にされる直前に、アウローラが何かした事までは覚えている。

 聞こえたのは、《大転移》という一言だった。

 そうなると俺は、どっか別の場所に魔法で飛ばされたのか。

 うむ、流石はアウローラだな。

 あのままだったら百パーセント死んでたし、実際助かった。

 助かったんだが。

 

「誰もいないよな」

 

 とりあえず、辺りを見渡してみる。

 視力が戻ってくると、ぼんやりとだが周辺の様子も確認出来る。

 俺は今、石造りの通路っぽい場所に倒れていた。

 相当な年月が経過しているようで、壁や天井には崩れた跡も目立つ。

 そして見た感じ、俺以外の人の気配は何処にもなかった。

 

「大規模な《転移》で飛ばしたは良いが。

 全員、位置がバラバラになった……と、そんなところか?」

 

 独り言というのもなかなか寂しい感じだが。

 とりあえず言葉にしながら、今置かれている状況を確認する。

 身体の方は……何とか動くな。

 さっきまでの戦いであっちこっちボロボロだが。

 だからって寝てても埒が明かんので、先ずはその場に立ち上がった。

 それだけでかなり痛むが、それは気合いでがまんする。

 で、懐を探り――よしよし、無事だったな。

 《黒銀》と戦ってる最中には、呑む暇もなかった賦活剤。

 それを一本、中身を一気に呷った。

 受けていた負傷とか疲労とか、その辺がゴリゴリと治っていく感覚。

 間違いなく身体に悪い奴だ。

 

「あー、さて……」

 

 まだ多少違和感のある手足を軽く動かしてから、一息。

 どれだけ周りを確認しても、アウローラを含めた仲間の姿はない。

 彼女の《大転移》とやらが発動している以上、とりあえず無事だと考える。

 此処まではまぁ良い。あんま良くない気もするけど。

 もう一つ、デカい問題があった。

 

「剣、無いよなぁ」

 

 とうとう落っことしてしまった。

 アウローラが知ったらブチギレるだろうか。

 あの《黒銀》とかいう奴に盛大に弾かれてたもんなぁ。

 運良く一緒に飛ばされてないかと思ったが、世の中そう甘くないらしい。

 一応付近を見て回ったが、落ちているのは朽ちた石片ぐらいだ。

 身に着けた鎧が無事なのは、本当に不幸中の幸いだな。

 

「まぁ、何とかするか」

 

 こんなところで死ぬ気はないが、駄目なら駄目で死ぬだけだ。

 とりあえず今は生きてるわけだし、前向きに考えよう。

 そんな具合で現状の確認は終わった。

 じゃ、次は「こっからどうするか」だな。

 

「ふーむ……アウローラ達も、この辺りに飛ばされてるのか?」

 

 そもそも此処がどういう場所かが良く分からんけど。

 雰囲気だけなら遺跡とかに見えるが。

 

「この場でじっとしてても仕方ないよなぁ……」

 

 此処でじっとして、それで助けが来るなら良いんだけどな。

 絶対にそんな事は起こらんだろうし、ならば闇雲にでも動くしかない。

 先ずはこの良く分からん場所から脱出する。

 それが当面の目標だな。

 

「見た感じ、此処もかなり古そうだな」

 

 崩れて生き埋めだとか、そういう危険もある。

 逆に言えば、こんだけボロボロなら既に「死んだ遺跡」の可能性も高い。

 魔法の罠やら守護者ガーディアンやら、そういうのがいなければ大分楽なはずだ。

 先ずは軽く近辺を探索しようと、朽ちた通路を進んで行き。

 

『マ゛』

「はい」

 

 何かでっかい、人型の岩の塊みたいな奴と目(?)が合った。

 言った傍から普通にうろついてるし、守護者(推定)。

 

『マ゛!!』

「おっと……!」

 

 雄叫びっぽい音を立てながら、岩塊がぶっとい腕を振り回す。

 多分、岩人形ロックゴーレムかコイツ。

 魔法使いの住処だとか、こういう遺跡では良く見かける警備員だ。

 単純な背の高さだけでも俺の倍以上はある巨体だが、通路は十分な広さがある。

 顔に一つだけ開いた穴に、赤い光を点しながら。

 岩人形は侵入者である俺目掛けて、鉄拳ならぬ岩拳を叩き込む。

 咄嗟に剣を構えかけたが、そういえば今手元に無いんだ。

 身体をズラして直撃コースは避ける。

 武装はないが、賦活剤で身体の方は大体何とかなってる。

 で、あるならば。

 

「ちょっと頑張るか」

 

 逃げるのも考えたが、コレに追い回されながらの探索は面倒だ。

 とりあえず一発、大振りで隙だらけの脚にこっちから拳を打ち込んだ。

 岩なので当然硬いが、これぐらいならどうにかなる。

 更に二度、三度。膝の間接辺りを狙って何度もぶっ叩く。

 

『マ゛ッ!!』

 

 それに怒ったかどうかは分からない。

 魔法で動く岩人形だし、痛みとかは無さそうだが。

 兎も角、岩人形は先ほどよりも激しく拳をブン回して来た。

 壁や天井に当たって一部崩れる方が怖いなコレ。

 かと言って、素直に当たってやる気はない。

 岩の拳を避けながら、こっちは岩人形の膝を叩き続ける。

 普通なら手の骨が先に音を上げるだろうが、こっちにはアウローラの鎧がある。

 腕に装着した籠手は、手に伝わる衝撃を最小限に抑えてくれる。

 だからこっちは気兼ねなく、全力で岩塊を殴り抜く。

 最初は小さな亀裂だが、打撃の回数を重ねる毎にそれは大きくなっていく。

 

「どっせい……!」

 

 気合一閃、パンチだけで岩人形の膝をブチ砕く。

 バランスを崩した巨体は、ジタバタと藻掻きながらも床に倒れる。

 流石に足を潰したぐらいじゃまだ動くな。

 今度は仰向けになった身体の上に乗り、首というか頭辺りに拳を打ち込む。

 一応人型ではあるが、急所まで人体に準じるかは不明だ。

 不明だが、まぁ首なり頭なりをもげば流石に動かんくなるだろ。

 そんな適当な予測を立てて、後は只管ぶっ叩く。

 岩人形は暴れ続けるが、それは大した障害にはならなかった。

 やがて。

 

「よしっ」

 

 首から上が砕けた時点で、岩人形はそのまま動かなくなった。

 俺の予想した通りだったのか、単純に耐久限界だったかはよく分からんが。

 目の前の脅威は排除出来たので、警戒しながら一息吐く。

 怪我は殆ど問題ない。アウローラがくれた賦活剤は良く効いてる。

 ただ、やはり身体に違和感はあった。

 多分だが、普段であればもう少し早く岩人形を破壊出来たと思う。

 若干、いつもより力が弱まってるな。

 

「……剣が手元に無いせいか」

 

 多分だが、恐らくそう間違ってはいないだろう。

 未だに俺の蘇生は完全ではない。

 剣――アウローラが鍛えた竜殺しの刃、《一つの剣》。

 其処に取り込まれた、《北の王》ことボレアス含めた竜の魂から得た熱。

 それによって、燃え尽きたはずの俺の魂に火を入れている。

 物理的に離れた状態では、その供給が維持されない危険は十分にあった。

 

「うーん、ヤバいな」

 

 今のところそれ以上に大きな異変はない。

 が、それも何時まで持つか。

 

「……ま、何とかなるか」

 

 そうでないなら死ぬだけだ。

 ちょっと普段よりヤバいぐらいで、まぁ大体変わらないな。

 この場所からの脱出と、後は出来るだけ急ぎでアウローラを見つける。

 目標を定め直し、俺は動かなくなった岩人形から下りた。

 さーて、どっちへ進めば良いやら。

 とりあえず岩人形が出て来た横道に入って……。

 

「……ん?」

 

 ふと、何かの音が耳に入って来た。

 ピクリとも動かなくなった岩人形のモノではない。

 微かに響く、硬いモノを打ち合わせる音。

 カン、カンと。本当に僅かだが聞こえてくる。

 

「……鎚の音、か?」

 

 何となくそんな気がしただけで、断定は出来ない。

 そもそも守護者の類がうろつくような遺跡(推定)に鍛冶屋が?

 

「ふーむ……行ってみる、か」

 

 どっち道、右も左も分からない有様だ。

 だったら竜の尾を踏みに行くのも悪くないだろう。

 変わらず、古びた通路の奥から鎚を振る音は聞こえてくる。

 その微かな響きを手繰るように、俺は暗闇の中へと歩み出した。

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